第5話 断ち切る旅立ち
⑤
その三日間は、アリアのこの八年で唯一、心の安らかな時間だった。あれほど悩んだことが馬鹿らしくなるほどで、嫌悪した他人との関わりが心地よかった。
こんな日々が続くなら、そう考えてしまう。
――でもダメ。セスも、私が本物の魔女と知ったら、きっと裏切るから。
半歩だけ前を歩く彼の横顔を見る。彼の腕の中では歩き疲れてしまったルネが眠っており、安心しきっているのが分かった。
既に遠くに目的の街が見えており、この旅の終わりが近づいていることを教える。長かったような、短かったような、もっと続いてほしいような、ようやく終わることに安堵するような、そんな不思議な心地が胸中を支配する。
「実はね、この子を預けようと思ってるのも、以前同じように助けた夫婦なんだ」
「そう……」
つまりは、魔女と疑われて故郷にいられなくなった人間だ。それならばルネのことも快く迎えてくれそうだと思える。
このタイミングで告げられたのは、旅の間アリアが一度も聞かなかったからだろう。それでもルネのことを案じている様子は見せていたから、安心させる意味もあったと思われる。
それが分かっていて、あえて素っ気なく返した。
街に着いたのは昼を少し過ぎた頃だった。空を見れば雲の隙間から深い青が覗いている。アリアの瞳のような色だ。
通行料を払って中に入ると、アリアがセス達と出会った場所と同じような街並みが広がっていた。石やレンガを主な建材とした建物が並び、活気のある街。妙に憲兵が多いわけでもなく、時折見かけても気楽な様子で、ルネが過ごすに悪くない雰囲気だ。
三日間それとなく聞き出した話からして、ルネは魔女ではない。少し残念な気もしたが、平穏に暮らすなら、その方が良い。仮に何かが起こったとしても、外見的に目立つ特徴があるわけでもなく幼い彼女が疑われる可能性は少ない。前の街で魔女と疑われたのも、おそらくは両親を亡くしたばかりの孤児だったことが災いしたのだろうという話だ。それなら、元々の住人と暮らす分には問題ないだろう。
「さてと、たしか、こっちの方に住んでたはずだよ」
セスの指さしているのは、街の中心に向かう方向だ。ルネはつい先ほど目を覚ましたところで、セスと手を繋ぎながら眠そうにしていた。
「私はこの辺りで待ってるから。知らない人間がいると相手も警戒するでしょう?」
声が固くならないよう、気をつけた。
「過去が過去だからね。そうかもしれない」
一瞬考える素振りを見せたセスだったが、すぐに頷いた。ルネばかりはよく分かっていないようで、二人の顔を交互に見ている。そんな彼女に視線を合わせるように、アリアは膝を折った。
「ルネ、元気でね」
「お姉ちゃん……?」
不安げに揺れる瞳に、胸が苦しくなる。しかし、仕方のないことだと、自分に言い聞かせる。
「それじゃあ、あとはお願い」
首肯を返したセスがルネを連れて人混みの奥に消えていく。肩越しに見てくるルネの目は潤んでいて、今にも泣き出してしまいそうだった。
「私も、行きましょう」
静かに呟いて、アリアは別の道を進む。入ってきたのとは違う門に続くはずの道だ。初めから、セスを待つつもりはなかった。ルネを無事に送り届けた以上、もう共に行動する理由は無いし、そもそも次の街まで、という約束だった。だったら妙な言質をとられないよう、先に出発するのも問題ないはずだ。
――このまま一緒に旅を続けてたら、いつかは魔女ってバレてしまうかもしれないし……。
そうなれば、嫌われてしまう。憲兵に突き出されるなり、密告されるなりしてしまう。それは嫌だ。
だから嘘を吐いて、独りで出発した。間違った判断は何もしていないはずだ。
――やっぱり、独りが気楽で良い。
それが正直な、アリアの本音。彼女自身、そう信じた。
街を出てからは、できる限り急いで足を進めた。逃げるように離れていく彼女の背には衛兵の不審げな視線が向けられていたが、それを気にする余裕はなかった。
アリアは夜が更けるまでそうして歩き続けた。そうしている内に、気がつけば平原を抜け、森に入っていた。
森は平原に比べて魔物と呼ばれる化け物の数が多く、見通しが悪いために不意に襲われやすい。だから、大抵の旅人は平原で夜を越す。普段ならアリアもそうしているのだが、今回ばかりは失念していた。
――今から森を抜けるのは、無理。ここで寝るしかなさそうね。
あまり動きまわっても魔物と遭遇しやすくなるだけだ。できる限りの魔物避けをして、この場で寝ることにする。しっかり休めるかは分からないが、仕方ない。
――そうだ、夕食……。
食事を抜いて体力が落ちるのはまずい。既に遅い時間ではあったが、荷物から干し肉を出して齧り付く。
「……不味い」
口に入れた瞬間感じるのは、保存食特有の強い塩気に、肉の臭み。それだけでも好んで食べたいものではないのに、その上、非情に硬いのだ。どうにか噛み切ろうと顎を動かせば、その度に塩辛さと臭いがしみ出してくる。はっきり言って、最悪だった。
セスの作る料理はこの干し肉すら美味しく食べられるように工夫がされていた。こんなに冷たくも無かった。望んで道を別った筈なのに、もう恋しくなってしまっている。
――それでも、彼と一緒にはいられない。
涙が滲むのを自覚しながら、どうにか一つを食べきる。アリアは自身の小食に感謝した。と同時に、以前ならそんなこと考えすらしなかった筈なのに、とも思う。
あんな幸福、思い出さなければ良かったのに。それが意識を落とす直前の、最後の思考だった。




