第31話 森の物語
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「……ねえ、アリア。もう一度見せてくれないか。君の魔法を」
不意なお願い。聞かないはずがない。
「ええ、いいわよ」
どんな話が良いかと考えて、ふと、思い出した。彼女を救った物語を。
「森の中に、一人の少年がありました。幼い頃に両親を亡くした彼は、いつからか、その森に独りで暮らしておりました」
脳裏を真っ暗な森が過る。十歳の時に独りで過ごした森だ。あの時も、自分の力を憎みかけていた。
「ある日、森に大きな嵐がやってきました。もの凄い風がビュウビュウと鳴って、たくさんの雨粒が少年の家を叩きます。そんな雨の日の夜には、動物達は寒さに震え子が親を呼ぶので、少年はいっそう怖くなってしまいました」
嵐のシーンは、もう再現しなくて良いだろう。魔法が発動しないように、さらっと語る。
「嵐は三日三晩続きます。あまりに風が強かったものですから、嵐の止む頃には、少年の家は全て吹き飛ばされてしまっていました」
そこまで語って、もう一つ思い出した。これは、彼女の愛しい妹に初めて語ってみせた物語だ。初めて魔法を発動させてしまったときの物語だ。
知らず知らずのうちに、彼女の語る声に熱がこもる。
「『嵐が止んでも、雨の日はまだ続きます。少年は寒さに震えながら、暗い、暗い森の中を、たった独りで彷徨い歩いていました』」
小鳥の囀りが止んで、ポツポツと葉を打つ音が聞こえてきた。辺りも急に暗くなって、もう、セスの熱以外を感じない。
「『どれくらいそうしていたのか。ふと気がつくと、少年の前に美しい女の人がありました。彼女は光り輝く透明な体を持っていて、蔓草で作った冠を頭に乗せています。彼女は、森の精霊様でした』」
語ったままに二人の前に透明な体の女性が現れた。セスの腕を軽く叩くと、次を察したのか、ようやく離してくれた。
「『水を滴らせ、体を震わせる少年が哀れになった精霊様は、少年へ手招きをし、森の奥深くへ誘います』」
少しばかりの寂しさを覚えながらアリアは立ち上がって、セスの手を取る。ずっと自分を膝に乗せていたのだから痺れているだろうと考えてのことだったが、彼にそんな様子はなかった。
二人は手を繋いだまま、真っ暗闇の中、精霊の後ろに続く。
「『その先にあったのは、楽園のような場所でした。森の木々に囲まれた小さな広場です。中央には澄んだ水の湧く泉があって、ずっと森に住んでいた彼も見たことのない美しい蝶や鳥たちが飛び回ります』」
不意に視界が開けて、小さな広場に出た。未だ真っ暗な中に輝く泉が浮かび上がって、どこからともなくやってきた蝶や鳥たちが舞い踊る。
「『いつ雨が上がったのか。天から差し込む陽の光に照らされて、花々の咲き乱れる中、木々の隙間から出てきた動物達は楽しく踊りました』」
頭上から光が降り注いだ。周囲は花畑に変わっていて、花の街を思い出す。その合間で、森の動物たちが踊っていた。
夢のような光景だった。いや、事実夢の光景なのだろう。人のすぐ側で獣たちがこうも楽しげに歌い、踊るなんて、あり得ないだろう話だ。
だからこそ、目を奪われる。心を奪われる。
どれほど深く沈んだ心も、楽園の光に照らされる。
「本当に、綺麗な魔法だ……」
目の前の光景から目を離さないまま、セスが呟いた。アリアは眦を下げ、最後の一文を語る。
「『元気を取り戻した少年は、その楽園に家を建て、動物たちとずっとずっと、楽しく暮らしました』」
その一節は、原文には無かったもの。幼かった彼女の夢だ。現実には必要なもの全ては手に入らないから、魔女の迫害されない場所を探していただけで、本当は、人のいない森の奥で独り、静かに暮らしたかった。
だから、当時魔法で作り出された家は、とても小さなものだった。一人暮らしが精一杯な大きさだった。それなのに、今目の前にあるものは違う。
「これは、あの町の……」
「俺たちが借りてた家、だね」
どうしてこの家が出てきたのかは、アリア自身、よく分かっている。
物語を語り終わっても、楽園は消えない。世界を塗り替える。それが魔法。魔女が恐れられる所以。
だが、この物語のおかげで、アリアは自分の力を嫌いにならずに済んだ。自分を独りにした物語であると同時に、彼女を救った物語だった。
「本当に、綺麗な魔法だね」
「そうね」
彼女の表情が自然とほころぶ。やはり、彼に褒められるのは嬉しい。
それに、今まで嫌な思い出ばかり浮かんできたものが、セスのおかげで楽しい思い出に塗りつぶされたのも自覚していた。
「ねえ、アリア」
「何?」
視線を家から外さないままに問い返す。
「前に、俺の夢を手伝ってくれるって言ったね。それは、今も変わってないかい?」
「ええ」
魔女もその中で笑っていて良いと知った今は、尚更だ。
「ならさ、その時は、俺の隣に立っていてほしいんだ」
「え?」
きょとんとした顔をセスへ向けるアリアに、いたずらっぽい光を宿したアメジストが返される。しかしよくよく見ると、金髪の隙間から覗く耳が赤くなっていて、彼の言った意味を理解させた。
顔に熱が集まるのを感じる。燃えそうだ。彼女の銀髪もオレンジに染まってしまうかもしれない。いや、そうなると彼と同じ金髪でおそろいに?
――ああ、もう、何わけの分からないことを考えてるの!?
バクバクと鳴る心臓をどうにか沈めようとしていると、繋いでいた手から彼の熱が離れた。あっ、と声を漏らしそうになる。その傍らで、セスが跪いた。




