第28話 嵐に独り
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予定通り森の手前で一夜を過ごし、夜明けと共に出発する。整備された道の頭上には広く空が見えており、日の光も十分入る形だ。それなのにこれほど薄暗いのは、昨日よりも分厚くなった雲のせいだろう。
雨が近い。その前にせめて森をぬけようと、アリアは更に足を速める。
時折出てくる魔物を魔術で撃退し、昼食も干し肉を囓るに留めて先を急いだ。小さな森であるからなのか、昨日通ったときよりも魔物と会う頻度は少ない。
――早ければもうこの先の町には着いてるはず。急がないと。
森の内で遭遇するならまだ良い。勘が良い彼相手でも、木々に紛れ魔術を使えば誤魔化せるだろう。しかしその先の平原では別だ。仮に先に発見できたとしても、隠れられる自信は無い。
――セスが町に着いたら、宿をとって、聞き込みをして、一泊してから出発。たぶんそれが最速……。
「あっ……」
思わず声が出てしまった。自分が前の町を出る直前にしたことを思い出したのだ。
ただでさえ銀髪という、この国では珍しい髪色で、長髪という傭兵にも珍しい髪型なのに、出発直前であれほど目立つことをしている。魔女と罵られた少女を庇った銀の髪の傭兵だなんて、たった数日で人々の記憶から消えるとは思えない。
――これだから目立つのは好きじゃないのよ……。
頭の痛くなる思いがする。とはいえアリアも、あれが間違った行いだったとは思わない。そんなことを思ってしまっては、自分もあの少女を囲む人たちと同じ所まで堕ちてしまう。ああはなりたくなかった。
しかしそうすると、あの町に着いてすぐに出発ということもセスならあり得た。思い出されるのは、最初に二人旅をすることになったときの目の下の隈だ。
――祈るしかないわね。
平原でばったり出くわすことがないように。できることなら、町の中で見つけられるように。
それからしばらく、他の旅人とすれ違うことのないままに時間は過ぎていった。森の半ばほどまで来たからか、入り口の辺りに比べて整備の不十分な道が続く。踏み固められたむき出しの地面に左右から草木が浸食し、頭上には飛び出した枝がいくつもあった。アリアの身長ならあまり邪魔にならないが、平均以上の男性には酷く歩きづらいだろう。
いつからか風向きも変わり、出発したときよりも強い風が彼女の正面から吹きつける。それを外套がしっかり受け止めてしまうものだから、歩きにくいことこの上なかった。
――こういう時ばかりは長い髪が嫌になるわね。
後ろ髪を引かれて最後に彼の顔だけでも、と引き返しているのに、今度は本当に、物理的に後ろの髪を引っ張られているのだ。風の精霊が止めておけと言っているようで、いっそ嫌気がさしてくる。
その風に、冷たい粒までも混ざり始めた。雨だ。
外套のフードを被ろうにも、風がすぐに剥ぎ取ってしまう。まだ時折ひやりとする程度だからよいが、この調子では時が経つほどに雨脚は強くなるだろう。
雨の強くなる前に、急いで森を抜けたい。それなのに、風に阻まれてなかなか進めない。だんだんと雨粒に濡れる頻度も高くなってくる。フードを無理矢理に被り、片手で押さえ付けたが、これで間に合うのはいつまでか。
魔法を使えたなら、あんな雨雲、一瞬で吹き飛ばしてみせるのに。そう思ってフードの影から空を睨み付けるが、そんな迂闊な真似をするわけにはいかない。セスに見つかってしまっては意味が無いのだから。
不意に背後で枝の落ちる音がした。振り返ると、大きな幌馬車が近づいてくるのが見える。先程の音はどうやら馭者が邪魔な枝を払い落とした時のもののようだ。その手には大ぶりな剣が握られていて、アリアの見ている間にも何度か同じ音を鳴らしている。
――あの大きさの馬車でよく森を抜けようと思ったわね……。
三頭立ての馬車だが、貴族のものではなさそうだ。大店の商人だろうか、とアリアが考えている間にそれは彼女のすぐ後ろまでやってくる。
ぎりぎりまで端に避けてもぶつかってしまいそうだった。少しひやりとしながら通り過ぎていくのを眺める。幌は締め切られていて中は見えないが、いくつか人の気配がした。人数的に、やはりたくさんの商品を積んだ商人の馬車だろう。
ぼんやりと幌馬車の遠ざかっていくのを見ていたアリアは、ハッとして顔を顰める。
――乗せてもらえないか交渉すべきだったわ。まだ間に合うかしら?
この風の中走って追いつくのは難しい。ならばと拡声の魔法を使い、声を張ってみる。
「すみません! すみません!」
しかし馬車に止まる様子はない。彼女の声も風に押し戻されてしまったらしい。つくづく憎たらしい風だ。
アリアは溜め息を一つ吐いて、もう一度足に力を込めた。
いつしか雨は外套で防ぎきれないほどまで強くなっていた。嵐の一歩手前だ。
今日中には止みそうもない勢いで、このまま進むのはアリアには難しい。逸る気持ちを抑え、雨宿りをすることに決める。
――洞窟、があるような地形ではないわね……。
傾斜のない平坦な道が続いていたし、近くに崖のあるような気配もない。地下に潜るような洞窟ならあるかもしれないが、それでは水没してしまう。かといって奥の方まで探す余裕はないであろうし、魔物と遭遇する危険も高まってしまうだろう。
仕方なしにアリアが探したのは、頭上の葉の深い場所だ。道を逸れ、森に入って枝々の幾重にも重なった辺りで立ち止まる。
周囲の木々のおかげで風は幾分か弱まり、外套を叩く雨粒の数も減った。そこにアリアは、土の魔術を使って小さな小屋を生み出す。立方体の一面に入り口と屋根があるだけの単純な造りだが、一晩凌ぐ程度には十分だ。
中に入って空気穴をいくつか開けた後は、入り口の辺りに拾ってきた枝を重ねる。湿ってしまってはいたが、何度か魔術を使って無理矢理に火を付けた。
雨で冷え切ったアリアの体に徐々に熱が戻る。壁に干した外套や髪からは未だに水が滴り続けているが、寝るまでには乾いてくれるだろう。ただ、髪だけは魔術を使って乾かさないと風邪を引いてしまうかもしれない。
頭の片隅でそう考えてはいても、アリアは魔術を使おうとはせず、ぼんやりと揺れる焚き火を眺める。空色の瞳に映った炎は不規則に揺れて、闇に呑まれかけていた彼女の心を照らしている。
――思い出すわね、あの頃を。




