第27話 思い起こされる日々
㉗
国境の街に着いたのは、翌日の昼頃だった。国と国との境にあるだけあって街並みは異文化が混ざり合っており、石と木が入り乱れているような印象を受ける。国境を越えた後にまず立ち寄る場所な関係上行き交う人も多い。それでも石の建物や茶髪が多く目に入るのは、ここがまだ帝国内である証だろうか。
街には分厚い雲が影を落としているにも拘わらず、人々の顔に笑顔が絶えない。子供の遊び回っている姿は少ないし傭兵に番をさせている店も多いから、治安はあまり良くないのかもしれないが、少なくともかなり栄えた街であることには違いなかった。
――このまま出発したら、関所に着く頃には夕方ね……。
アリアは空を見上げる。ずっと先の方を見ても、雲に切れ間は見えない。風もなんだか湿っていて、森のような匂いが混ざっていた。
宿を探し始めるにはギリギリの時間だが、この街ならばいくつかは見つかるはずだ。そう考えて、空色の視線を建ち並ぶ店々の看板へ向けた。
案の定宿はすぐに見つかった。通された部屋は、通りに面した二階の角部屋だ。思っていたよりも広くて、掃除が行き届いており、ベッドも寝心地が良さそうに見える。窓は正面と左手の側の二つ。正面のものは通りを見下ろせる位置にあるようだった。
――あの時に泊った宿もこんな感じだったわね……。
なりゆきでセスとルネを助け、月明かりの中、共に行くべきかを悩んだ宿。あの時留まる選択をしていたなら、違う今があったのだろうかと左手側の窓の外へ顔を向ける。下は路地裏の小さな広場のようで、これも、二人を助けた場所に似ていた。
セスにアリアがエステーリア王国の元第二王女と気付かれたのは、おそらく自己紹介をした後だ。彼女の記憶の中で、彼はアリアの名を意味ありげに呟いていた。
彼はアリアがそうだと気がついたから、ルネを送り届けた後も追いかけてくれたのだろう。その通りなら、最初の晩に宿に留まっていたならきっと、それっきりもう会うことは無かったはずだ。
――こんな思いをするくらいなら、危なくてもあの街に留まった方が良かったかもしれないわね……。
アリアはベッドに腰掛けて、そのまま後ろへ倒れ込む。受け止めてくれた布団は柔らかくて、心地よい。しかし天井の木目は嫌に目に付いた。
「はぁ……」
大きく吐いた息は誰にも聞かれず、独りの部屋に吸い込まれて消える。
別のことを考えようにも、この部屋そのものがセスとの日々を思い起こさせた。宿の人間に他意はないと分かっているが、少しばかり恨んでしまう。
明日、この街を出発して、関所を越えたらそれで終わりだ。もう二度と、セスの柔らかな笑みを見ることはない。あの鮮やかな金髪も、綺麗なアメジストの瞳も、夢の中にしまいこまれる。必要なことだ。仕方のないことだ。
アリアだって死にたくはないし、それ以上に、セスに剣を向けられるのは耐えられない。そこに心は乗っていないはずだとは分かっていても、いやだからこそ、そうさせてしまうだろう己が魔女であるという事実が恨めしい。
それでも、それでもだ。アリアは自分の中にある、たった一つの願望に、ワガママに、応えたいようにも思っていた。
――もう一度だけ、ひと目だけでも、セスに会いたい。
できることなら彼の微笑みを向けられたいし、また一緒に食事をしたい。しかしそれはもう叶わない。なら、こっそり顔を見るだけでもできたなら、どれだけ幸せだろうか。
いや、彼女も余計に苦しくなってしまうだろうとは考えている。その上で、もう一度会いたいと、ハッキリ思ってしまった。
分かっていたから意識して考えないようにしていたのに、この部屋に来て、溢れてしまった。ただ彼との旅の始まりになった場所に似ているというだけの、この部屋のせいで。
目をつむると、彼女がセスと宿屋の前でぶつかったときから、魔女と知られ、別れを告げたときまでの記憶がありありと蘇る。瞼の裏に映ったそれらの中で、いつも、彼は輝いているように見えた。
窓の隙間から見える雲は、あれだけ隙間なく空を覆っていても、動いているのがハッキリ分かる。もしセスがアリアを追っているなら、今どこにいるのだろうか。情報を集めながらになるから彼女よりも足は遅くなる。そうすると、早くても一つ前の町に辿り着いているかどうかだろう。
しばらくそうして空を眺めていたアリアは、不意に、勢いよく体を起こした。決めたのだ。最後に、この国を出る前に、もう一度だけセスの顔を見てこようと。
――一つ前の町に戻って、見つからなければ、それでおしまい。そうしましょう。
直接会うわけではない。ただ、少しだけ、遠くからその顔を見るだけだ。望遠の魔術を使えば、きっとバレはしない。
部屋を出て、鍵を宿に返す。理由を聞かれたから、急いで出発しなければならなくなったと答えた。お金を返すという声は無視をして、来た道を引き返す。こんな場所だからか、小走り気味の彼女へ不審な視線は向けられない。このまま、暗くなる前に森の手前までは行きたかった。
息を整えながら門を出て、抱えていた外套を羽織る。それは後ろから吹き付けてきた風を受け止めて、アリアの背中を押した。




