第26話 独りの旅
㉖
宿に帰ったアリアだったが、思いのほか食欲が湧かない。仕方なく簡単な携帯用傷薬を作って時間を潰す。そうしている内に、部屋の奥までオレンジ色に染まっていた。
さすがに体は空腹を訴えており、薬も余分まで完成していたので作業をやめる。散らかった薬草類を纏めて道具をしまい、大きく伸びをすると、関節のポキポキとなるのが聞こえた。
昼食にするはずだったパンを取り出すが、いくら小食の彼女でもこれだけでは足りない。かと言ってどこか店に入るのは嫌だったし、追加で何か買いに外へいくのも面倒だ。
――そういえば、酒場に串焼きがあったわね……。
それを貰ってくるだけなら絡まれないだろうか。できあがりの時間を聞いて、その頃に取りに行けば問題ない気はする。そう思って、アリアは廊下に続く扉へ手をかけた。
けっきょく何事もなく、目的のものは手に入った。鳥型の魔物の肉をタレに漬け込んで焼いたものだ。それを串から外し、魔術で切れ目を入れたパンに挟んで口へ運ぶ。
肉は、部屋へ戻る間にある程度冷めたらしく、程よい温度だ。比較的に淡泊な肉質が甘辛いタレとよく合っており、パンと食べるのにも良い塩梅となっている。アリアはあまり飲まないが、酒のツマミにも良いのではないだろうか。
量も十分。男性なら二つか三つは欲しくなる程度が丁度良い。腹の八分目まで膨れて、アリアは胃に満足感を覚えた。
それなのに、何かが満たされないような感覚があるのも自覚していた。
翌朝、アリアは宿を引き払い次の町に続く門へ向かう。既に住人達も活動を始めていて、客引きの声があちらこちらから聞こえてきた。この辺りはもうすぐ雨期に入るというから、今日のような晴れた日は張り切るところなのだろう。空を見ると、たしかに少し前より雲の量が多くなっているように感じられる。
アリアとしては、雨期に入る前に国境を越えたいところだ。一度隣国に入ってしまえば、仮にも第三皇子であるセスは追って来られないはずなのだから。
視線を戻して、少し足を速める。帝国内にいるうちに彼に居場所がバレないよう、魔法で空模様を変えることはしないつもりだった。
目的の門が見えたとき、その傍らに人だかりができているのも彼女の目に入った。遠くて内容までは聞き取れないが、怒鳴り声のようなものが風に運ばれてくる。
嫌な予感に胸がざわめいた。脳裏に浮かんだのは、以前にも見た光景だ。
「そこの銀髪の綺麗なお嬢ちゃん! 旅のおやつに一つ買ってかないか!」
不意にかけられた大声に驚いて、肩を揺らす。声の主らしい中年の男性が、森でとれる赤い果実を片手に彼女を見ていた。
ますます募った悪い予感。断ろうとして、思い直す。
「じゃあ一つだけ」
「まいど!」
「ところで、あの騒ぎはなんなの?」
銅貨と交換に果実を直接受け取りながら、視線を人だかりに向ける。どうとでも対処できるように、あらかじめ聞いておこうと思ったのだ。
「あー、あれな。魔女らしいぜ」
表に出そうになった侮蔑を押しとどめ、驚いてみせる。
「最近魔物が増えてるだろ? その原因だとよ」
ここでもか、と口に出しそうになった。
「それは、怖いわね」
どうにかそれだけ返して、再び歩き出す。近づくほどに罵詈雑言は鮮明になっていって、ルネを初めて見かけた時の光景に重なった。あの時はセスが助けに入ったが、そうでなければ、ほとぼりの冷めたころにアリアがこっそりと街の外へ連れ出すつもりだった。
わざわざ目立つ必要はない。どうせ、結果は変わらないのだから。それが彼女の考えだった。
――でも、今は時間がない。本物の魔女でないなら、後を追ってきたセスが助けてくれるでしょう。
帝国にとって討伐対象である自分と違うなら、セスが助けたい存在だ。ルネと同じように、安全な町に逃がしてくれるだろう。むしろ、アリアが関わらない方が余計な疑念を抱かせずに済むかもしれない。
本当に、自分はどうして魔女なのだろうかと、アリアは考えてしまう。そうでなければ、彼に追われ、剣を向けられることもなかっただろうに。向けられるのは、もっと違うものであったろうに。
いや、その違うものは、剣と同時にも向けられ得るものだ。それを向けた上で、彼は剣を握らなければいけない。そういう立場だ。
せめて彼が皇子でなかったなら、母と同じ苦を負わせずに済んだかもしれない。
何にせよ、アリアが本物の魔女でなければ、こうはならなかった。その魔女たる所以を、自分の魔法を嫌いになりかけたのは、初めてのことだった。
「魔女は出て行け!」
「お前のせいで、お前のせいでっ……!」
醜い形相で叫ぶ住人達。その隙間に、帝国には珍しい黒髪と赤い目の少女がいた。ルネよりは少し上だろうか。十二、三歳くらいに見える。その肌は所々青くなっていて、血も流しているようだった。投げつけられた石が原因だろう。
アリアは強引に目を逸らし、横を通り抜けようとする。ルネの顔が浮かんでしまって、いつもより心苦しい。
「痛いっ、止めて……!」
そんな声がアリアの耳に届いた。思わず足を止めてしまう。少し先で門衛が不思議そうに首を傾げていたが、彼女の意識には入らない。
「あっ……!」
気がつくと、アリアは住人と少女の間にいた。折り悪く石を投げた壮年の男性が、焦ったような声を上げる。
しかしその石が彼女に当たることはない。無詠唱の魔術で生み出された石とぶつかって、明後日の方へ逸れる。
――何してるの、私は……。
衝動的に飛び出してしまった自分を責めつつ、意を決する。
「この子は魔女ではないわ」
小さく深呼吸をしてから、できるだけ声を張り上げる。興奮しきった彼らに届くよう、拡声の魔術も使った。
「何を根拠に言ってやがる! あんた余所もんだろうが!」
誰かが叫んだ。これは、言われると予想していた。答えも準備してある。
「だから分かるのよ。何日か前に、二つ先の町で森の奥から来た災害級の魔物が討伐されたわ」
これだけなら、あの町から来た人が聞いてもサマエルスネークのことと思うだろう。
「魔物の増加は、その魔物が原因よ。奥の方の魔物達が森の外側へ逃げてきていたの」
まだ確定ではない。だが、ほとんど確実だとアリアは考えている。
「だから、この子は魔女じゃない。それに、魔物騒ぎももうすぐ落ち着くはずよ」
これで全く違う原因で、まだ解決していなかったとしたら、その時は今度こそセスに助けてもらおうとは思っていた。これが今の彼女にできる精一杯だ。
住人達は戸惑ったように、周囲の人間と顔を見合わせる。どう判断するのが正解か分からず、お互いに責任を押しつけ合っているようにも見えた。
――本当に、虫唾が走る。
だから不必要に迫害をするのだと。
「そういうことだから」
「あの!」
このままでは埒があかないと強引に話を切り上げ、魔女と罵られていた少女に先程買った果実だけ渡してから出発しようとする。呼び止めたのはその少女だ。
「お姉ちゃんっ、ありがとうございました!」
その言葉には応えず、アリアは門を抜ける。思ったよりも悪くない気分だった。ここ最近で一番足取りが軽かった。
しかしそれを共有したい相手は、隣にいない。浮きかけた彼女の心は、再び重く沈んだ。
アリアが小さな森の手前まで来たのは、夕食にも少し早い頃だった。森は小さなものでも魔物の領域には違いない。十分な距離をとって、野営の準備を始める。近くには他の旅人もちらほらといるから、安全性は比較的高い方だろう。
森の入り口で木の枝を拾い、焚き火にする。小鍋で作るのは、干し肉と野菜のスープだ。以前の彼女からすれば、考えられないほどしっかりした食事だった。
スープに入れる乾燥野菜を鞄から取り出そうとすると、香草類が目に入った。昨日買ったものだが、アリアではどう使うのが良いか分からない。完全に、セスがいたころの習慣で買ったものだった。
彼のやっていたことを思い出しながら見よう見まねで使ってみたものの、完成品はあまり美味しくない。種類も量も間違えたようで、干し肉の臭いと混ざったそれは食べきるのに少し努力が必要なものになってしまった。
――やっぱり私には早かったみたい……。
アリアは涙目になりながら、どうにか最後の一口を飲みきる。これも、セスと一緒だったなら笑い話になったのだろうか、と考えてしまった。
溜め息を一つ吐き、空を見る。夕日に染まった雲が、彼の金色の髪を思い出させた。夜空との境は、瞳のアメジストだ。
彼女は零れそうになったもう一つの溜め息を飲み込み、魔物や悪意対策をしてから横になった。




