第21話 鈍色の鬼
㉑
化け物へ向け、セスが駆けだした。まずは定石通り足を狙うらしい。
ならばとアリアは炎の矢をいくつも生み出して、タイタンオーガの顔面を狙う。森の中ではあるが、生木ならそう簡単には燃えない。
防御はしないらしい。直撃した矢が爆発して鬼の顔面を焼く。
ダメージは、少ない。多少怯んだ様子は見せつつ、鬱陶しそうに払うばかり。しかし目的は達した。眼前の炎に目を眩ませたタイタンオーガはセスを見失ったようで、一瞬前まで彼のいた辺りに視線を彷徨わせている。
「『勇あるものに更なる力を【パワーゲイン】』」
聞こえた呪文は筋力増強魔術のもの。普段と感覚の大きく変わるそれは、多くの人間が知覚速度向上の魔術と併用しなければ使いこなせないものだ。
「ふっ!」
しかし彼はそれ一つだけで、見事に動いてみせる。その分筋力増強効果を高めているようで、今の彼ならサマエルスネークの固い鱗であろうと容易く両断できるはずだ。
その筈なのに、耳に届いたのは肉を切る音では無かった。湿った大木に斧を叩きつけたような、なめし革を殴りつけたような、鈍くくぐもった音だ。
――なんて固さ……。
セスの持つ剣は一見地味だが、皇子が持つに相応しい業物だ。技術も十分。となると、ただ単純にタイタンオークの皮膚が非常に硬かった以外には考えられない。
タイタンオーガは踵で蹴り上げるように一歩下がる。セスの位置を把握したわけではないだろう。まったくの見当違いの方向に向いたそれが、別の大木を粉々に砕いて倒す。
もし当たっていたらと、アリアの背筋に冷たいものが走る。
「はぁっ!」
さっきよりも気合いの籠もった声がして、タイタンオーガが膝を突いた。見れば、その片方のふくらはぎから血が噴き出している。筋の伸びきった瞬間を狙ったらしい。
――それなら!
アリアは土の魔術を発動し、手足を地面へ縫い止める。更に氷の魔術を続け、縫い止めた端から凍らせていく。
中まで凍らせられたなら、と狙ったこれは、しかし威力不足。強靱な肉体の表面をいくらか凍らせるのが精一杯。それでも、拘束するには十分だ。
セスが木々を足場に駆け上がり、オーガの顔面に飛びついた。凹凸に足をかけ、角を掴んで体を支えると、大きく剣を振りかぶる。
「『勇あるものに更なる力を【パワーゲイン】』」
筋力増強の重ねがけだ。あそこまでとなると、セスも十分には使いこなせないはず。だが今はそれでも良い。
渾身の力をこめて繰り出された突きが、鬼の赤黒い瞳を突き破る。
「グオオオオォオォオオッ……!」
断末魔の如き叫声が森に響く。痛みに悶えるタイタンオーガにしがみ付いたままではいられず、セスは放り出された。空中で身を捻って遠くに着地する彼を横目に、アリアは拘束魔術を放棄し、準備していた魔術を発動する。
「【サンダーボルト】!」
珍しく魔術名を唱えると共に、空が裂けた。頭上を覆った分厚い雲から一筋の閃光が奔り、タイタンオーガへ落ちる。着地と同時に周囲へ弾けたそれはオーガの周りの木ごと焼き払い、大地をガラス質に変える。
落雷を生み出したそれは威力の高く、しかしコントロールの難しい大魔術だ。アリアでも精密射撃にはキーワードである魔術名の口頭詠唱が必要なものだが、あのタイタンオーガにはこれくらいしなければならないという判断だ。
鋼のような皮膚を無視し、内側へダメージを与える雷撃。さすがにこれなら、タイタンオーガも無事には済まない。そう信じて、ぷすぷすと煙を上げながらなかなか動かない化け物をじっと睨む。
ぎょろり、と目玉が動いた。二人へ灼熱のような視線が向けられる。そして、ゆっくりと立ち上がった。
「嘘でしょ……」
これまで使う必要のある相手に会ったことがないような魔術だった。にも拘わらず、タイタンオーガは平然と立ち上がる。
よく見れば、セスがつけた足の傷は既に癒えていた。
剣は右目に刺さったままだったが、オーガはこれを指先で引き抜いて、投げ捨てる。噴き出した血が涙のように流れ落ちた。あの傷も、すぐに治ってしまうのだろう。
「冗談きついね、まったく」
セスの口元は笑っているが、頬は引きつっている。アリアも気持ちは同じだ。
それでも、諦めるわけにはいかない。どうせ逃げることはできないのだから。
小さく深呼吸をして、集中しなおす。
――大丈夫よ。ダメージは与えられているんだから、いつかは倒せる。あの再生力には限界があるはずだし。
準備に時間はかかってしまうが、もっと強い魔術もある。セスの剣も工夫すれば十分に通用すると分かっているのだし、焦らず、着実にダメージを与えていけば良いだけだ。
冷静に状況を整理する彼女の視線の先で、オーガが少し、身じろぎをした。
「跳べ! アリアっ!」
考えるよりも先に横へ全力で跳ぶ。直後、すぐそこを鈍色の影が通り過ぎた。後方で大木の倒れるミシミシという音が聞こえる。タイタンオーガが突進してきたのだ。
一瞬でも遅れていたら。セスの声がなければ。アリアは今ので重症を負ってしまっていただろう。
肝の冷えるのを感じながら体勢を立て直し、追撃防止に土で巨大な足を拘束する。すぐに抜け出されるだろうが、一瞬でも時間を稼ぎたい。
アリアはその一瞬で知覚速度向上の魔術を発動する。攻撃魔術に割く処理能力が低下してしまうが、相手の動きに反応できないのでは遠からず死んでしまう。戦闘時間が延びる不利を加味しても、仕方ない。
ちらりと見れば、セスも剣を回収できたようだ。改めて筋力増強の魔術をかけ直しているのを確認して、オーガへ意識を戻す。と同時に、影が彼女を覆った。
上を見れば、巨木が降ってくる。オーガが投げたのだ。
風の魔術でそ軌道を変えつつ全力で後ろへ跳ぶ。巨木は地響きを轟かせ、土煙を舞い上げた。その向こうからタイタンオーガの気配も迫る。
「【エアバレッド】!」
位置は勘だ。下手な鉄砲でも数を撃てば当たる。少しでも足を止めようと乱射したそれは、一応効果を見せたらしい。
僅かばかり速度の落ちたおかげで避ける余裕は十分。大木の吹き飛ぶ傍ら、セスと位置を入れ替わって、体勢を立て直す。
――動きが全然違う。さっきので敵認定されたわね。
最初は、ただの獲物だった。それが下手に戦えてしまったせいで、打ち倒すべき敵と見做されてしまった。先の攻防で仕留められなかったのが痛い。
――いえ、私の魔術で倒しきるのはどの道無理ね。
【サンダーボルト】であのダメージなら、今彼女の使える魔術の中に、タイタンオーガを一撃のうちに葬れるものなどない。
「でも、負けられない」
「そうだね。一緒に夢を叶えないといけないんだし」
普段通りの柔らかな声だ。この声を聞いていると、アリアも力が湧いてくる気がする。
「【サンダーボルト】!」
オーガの一瞬動きが止まったところを狙ってもう一度、落雷をおみまいする。雷鳴の轟くと同時にセスも走り出した。
雷は、直撃しない。その余波もオーガの皮膚を僅かに焼くばかり。セスも腕のなぎ払いに阻まれて近づけない。
――点の魔術じゃあのスピードには当てられない。なら!
「セス、離れて!」




