第19話 アメジストの目的
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城時代の記憶が脳裏を駆け巡る。その中に、花の街で思い出しかけたものもあった。母の後ろから顔だけを覗かせるアリアに、彼女の瞳と同じ色の花を差し出し、優しく笑う三つ年上の男の子。彼は綺麗な金色の髪で、アメジストの瞳を持っていた。
――確かに、セスだ。あれは、セスだった……。
よくよく見れば、面影がある気がする。母親に似た美人顔の男の子。成長して、男らしさも表に出てきたのだろう。
テセナディウス・エラ・ベアテス。母の親友の子で、第二王女であったアリアディエ・ネル・エステーリアの元婚約者候補。
そんな彼が、どうしてこんなところで傭兵として旅をしているのか。
「十四年前、ウルハ様に何があったのかは聞いているよ。君が一人で旅をしている理由は分からないけど、きっと、事情があるのだろうね」
その事情を語るのは難しいが、幸い、セスは聞いてこない。
「聞いてくれるかい? どうして私が、ただのセスとして、こうして旅をしているのかを」
黙って頷くアリアへ彼は、ありがとう、と言って、静かに語り始める。
「ウルハ様が魔女と呼ばれ、城を追われたと知ったのは、全てが終わった後だった。それを聞いた母は酷く沈み込んでしまってね」
セスの母はずっと後悔していたらしい。友人であるウルハを助けてやれなかったことを。
もし魔女であるというだけで迫害されることのない世界だったなら、こんなことにはならなかったのに。自分がさせなかったのに。
「口癖のようにそう言う母の姿を見ているのは、苦しかった」
それから間もなく、彼女は事故で死んでしまったらしい。
失意の中、セスに残されたのは、母の後悔だった。母を苦しめた不条理を、せめて、自分の手で、減らせたなら。
「だから、決めたんだ。魔女への偏見で苦しむ人がいない町を作るって」
国って言っちゃうと色々問題があるからね、と彼は冗談めかして笑う。
「まあ、今はその下準備として現状を見て回ってるところなんだ」
アリアは何も言えなかった。空色の瞳を大きく見開いて、アメジストの輝きを見つめることしかできなかった。
恐怖したからではない。驚愕したからでもない。嬉しかったのだ。アリアの求める場所を、他でもない、セスが作ろうとしていることが。
ただ、同時に思う。
――助けるのは偏見に苦しむ人であって、魔女ではないのね……。
それでも、それでも良かった。魔女と罵られ石を投げられた魔女ではない人間、それもまた、アリアが助けたいと思う対象だ。
もし、彼の夢を、隣で応援できたなら。それはどれほど幸せなことか。
――絶対に、隠し通そう。
己が魔女であることを。
アリアは改めて決意した。
「手伝うわ。いえ、手伝わせて。あなたの夢を」
まっすぐセスを見つめる空色に、彼はまた、ありがとう、と返した。
翌日、二人はいつものように起きて、いつものように朝食をとる。昨日の話は夢だったのかと思うような変わりのなさだが、よくよく見れば、互いの距離感が近いのは誰にでも分かっただろう。
「今日は納品日だったね。それじゃあ、俺は森の浅い辺りの魔物討伐でもしようかな」
薬の納品をしなければいけない以上、アリアは討伐には同行できない。そちらを終わらせてから出発することも一応は可能ではあるが、依頼自体が残っている保証はないし、稼ぎは確実に減ってしまう。家賃だけならともかく、今後の旅の資金を考えたら歓迎できることではなかった。
――まあ、セスなら一人でも大丈夫でしょう。
何しろ、皇子につくような護衛をまいてしまえるのだから。剣士としての腕も知っているし、簡単な魔術も使えるから不便もしないはずだ。護衛のその後を思うと哀れみを覚えなくもないが、どうせ知らない、迫害する側の人間だ。
「気をつけて。終わったら一応合流するわ」
「それじゃあ後で場所だけ伝えに寄るよ」
いってらっしゃい、と彼を見送って、アリアも作業を始める。下処理は全て終わっているし、同じ薬ばかり作っているから手も早くなっている。それほど時間はかからないはずだった。
昼休憩にスープの残りを食べた他は作業を続け、昼過ぎに予定分量を完成させる。
今から納品を済ませたとしても、セスとの合流には全く問題ない時間だ。
アリアは町の外に出る準備だけ済ませてから傷薬を詰めた容器を纏めて箱に入れ、魔術で浮かせながら依頼主の店へ向かう。今日はいくらか、足取りが軽い。
依頼主の店には森側の門の前を通って向かう。帰り道にそのまま外へ出られるから、都合が良い。そう思って遠くの空を見ると、分厚い雲が目に映った。
――急いだ方がいいかもしれないわね。
雨が降っては面倒だ。町中は石畳だからまだ良いが、外は泥濘んで歩きづらくなってしまうし、何より汚れてしまう。泥を落とすのは大変なのだ。アリアは少しだけ、足を速めた。
門の辺りまで来ると、何やら騒がしい。道ばたにはいくつか人だかりができていて、少し邪魔だ。仕方なしに箱を浮かせる位置を調整して、隙間を縫っていく。どうにか抜け出ると、傭兵団が狩った魔物を荷車で運んでいるところなようだった。
――あんな大物が……。
その魔物は黒い蛇の姿をしており、人の背丈の倍ほどの太さがあった。体長もずいぶんとあるようで、できうる限り折りたたんでなお、荷車からはみ出してしまっている。艶めく黒曜石のような鱗に、てらついた長い牙、そして真っ赤な瞳。サマエルスネークの特徴だ。大きさからしてかなりの年月を生きた個体だろう。
――あれは、魔術だけだと私一人じゃ無理ね。セスと二人なら、なんとか。
アリアはスッと目を細める。もしかしたら、魔物達はあれから逃げていたのかもしれない。だとしたらこの騒動も解決だろう。
だが、もし、もしも、あの巨大なサマエルスネークすら、逃げてきた側なのだとしたら。
その時は、アリアも覚悟を決めなければならないかもしれない。魔法を使うか、もしくは、この町を見捨てるか。
厳しい顔をしたまま、彼女は店までの道を急いだ。




