第17話 束の間の安らぎ
⑰
アリアは赤い果実で煮込んだ猪型魔物の肉を頬張る合間に、一つ一つ、順番に推測を述べていく。セスは初めは聞き役に徹していた。
「俺もだいたい同意見かな。衛兵の反応については、上は情報を掴んでいるけど下には伝えてないってこともあるから分からないけど。魔女は別の町にいるとかなら、彼らのはまだ伝えなくてもいいし」
アリアも言われてみればそうだと納得する。単純な話を見落としていたことには、少しばかりの羞恥もあったが、気にするほどのものではない。
それよりも、問題は、セスも森の魔物達が何かから逃げているように感じたということだろう。
「あのクラスの魔物が浅い辺りまで逃げてくる理由、ね。気がかりね」
「だね。できればもう少し広い範囲で調べてみたいところだけど、家賃と今後の資金を考えたら、依頼は受けておきたいね」
しかし、そうすると思った辺りを探索できないかもしれない。
――まあ、時間をかけたら良いだけよね。
日々の生活には、セスの家事スキルのおかげでそれほど費用をかけずに済んでいる。節約している上でこれだけ美味しい食事ができているのだから、精神的にも余裕は十分だ。なら、切羽詰まる必要はない。
着実に目的に近づいている。それだけは確かだった。
それから一週間、二人は森での魔物討伐を続けた。セスが作った地図で魔物がどの方向から来ているかもおおよそ見当がついているし、旅立ちの日は近いだろう。
この一週間で進んだのは魔物増加に関する調査ばかりではない。少しずつではあるが。アリアの料理の腕も着実に進歩していた。野営中も簡単なスープくらいならもう火加減を間違えることはないはずだ。
進んでいるということは、疲れが溜まっているということでもある。急ぐ理由もないので、この日は休息日にあて、二人は家でのんびりと過ごしていた。明日は薬の納品をしなければならないが、今日しなければいけないほどの作業量はない。
アリアが久方ぶりに解体用ナイフを念入りに手入れをしていると、セスが自室の方から何かを持って戻ってきた。本だ。
「本なんて持ってたのね」
手のひら二つ分ほどのそれは、年季は入っているが、装丁のしっかりした綺麗な本だ。簡単に綴じただけの本でさえ平民が持つには高級なもののはずだが、彼の持つものなら、二月程度暮らせるだけの価値がありそうだった。
「これは母の形見でね。子供向けの本なんだけど、こうして時々、読み返してるんだ」
「お母さんの……」
セスの口から家族の話が出たのは、初めてかもしれなかった。それだけ気を許してくれたということだろうか、と思えば、アリアの口角は緩んでしまう。
――そういえば、お母さん達もよく本を読んでたわね……。
アリアの学んだ薬草や調薬、魔術に関することも、家に置いてあった本を教科書にした覚えがある。その人生を変えてしまった物語も、もともとはセスの持っているような小さな本に記されていたものだ。覚えてしまうくらいに読み返したのを記憶している。
それら以外にも物語に関する本がいくらかあった。新しく村を起こすには余計な荷物だったはずだが、捨てられなかったのだろう。
しかしだ、それだけ本があったのは、アリア達が元々城の人間で、上澄みに生きていたからに過ぎない。セスがあれを持っているのは、明らかに不自然だった。
――やっぱり、セスも元々は貴族かなにかだったのかもしれない。
なんだかんだと王族としての教養を持つアリアと話が合うのだし、然もありなん。
――それにしても、最近はよく、あの頃を思い出す……。
まだアリアが自身は魔女であると知る前の、幸せだった時代。幼い子供と言って差し支えなく、家族と暮らしていた時代。遠い時の中に忘れ去ったと思っていたものが、この頃はよく脳裏に蘇る。
そのきっかけとなるのは、大概セスだ。セスとの日々があの頃のようだからだろうか。悪い気はしない。むしろ、己が魔女と知って以来最も満ち足りているように思う。
――そうか、私は、本当は寂しかったのかもしれない。
十歳で捨てられて、独りになった暗い暗い森の中、散々に流した涙と共に枯れ果てたと思っていた感情。寂しいというそれは実は、彼女自身が感じないように、蓋をしていただけだった。もしくは、寂しいのが当たり前になって、麻痺していた。
そこにセスが現れて、寂しさを紛らわせてしまった。
――また独りになるのは、嫌ね……。
それが偽りない、彼女の本音だった。いつか傷つけられてしまうかもしれないとしても、少しでも長く、彼といたかった。そう思うようになっていた。
セスは、良い人だ。優しいし、気が利いて、頭も回る。剣士としては十分に強くて頼りになるし、家事についてはそれ以上だ。笑顔も魅力的で、時々意地悪なところもあるけれど、そんなところもアリアは嫌いじゃない。
――隠し通せば、いいのよね……。
自分の恋心を自覚して以来、その思いはどんどん強くなっていく。胸を焦がすほどのそれは、もう抑えきれなくなっていた。
ただ、彼が受け入れてくれるかは分からない。気持ちを伝えて関係が壊れてしまうのも怖い。それなら、自身が魔女であるという事実と共に、胸の奥底に隠そう。アリアは静かにページをめくる彼の横顔を眺めながら、そう決めた。
――でも、せめて、感謝は伝えたい。
セスのおかげで、前を向けたのだと思うから。
「夕食は、私が全部用意するから」
「いいのかい?」
「ええ」
まだアリア一人で作るのは時間がかかってしまうだろう。セスほど上手く作れないのも分かりきっている。しかし、今彼女にできるのはこれだけだ。
「じゃあ、お願いするよ。ありがとう」
「どういたしまして」
理由を聞かない彼に感謝して、アリアは目を細めた。




