第10話 花の巡り
⑩
翌日、柔らかな日の光に起こされると、ドアの隙間に一通の手紙が差し込まれていた。内容は、デートに行こうの一言。セスの字だ。
――デートって……。
いったい何を考えているのか、アリアには分からない。とはいえ、つまるところは観光なのだろうから特に断る理由は思い浮かばない。
とはいえ傭兵稼業を続けながらの旅の最中だ。着飾るための服など持っていない。少し考えて、普段は下ろしたままの髪の両サイドを編み込んで、後ろで止めてみる。ピンは薬草を扱うとき用のものを使い、後ろ髪はそのままにした。
――案外覚えてるものね。
魔術で生み出した水鏡に映して形の崩れていないのを確かめる。悪くない、のではないだろうか。笑みを作ってみると、十八歳相応の姿がそこにあった。
そのまま出発しようとして、不意に我に返る。溜め息を一つ吐くと、ピンを外して編み込みを解き、手ぐしで整える。まだ若い銀髪は、それだけでいつもの艶を取り戻した。
けっきょくいつも通りの格好で宿の玄関に向かう。待っていた彼も普段通りの格好だが、髪型が違う。ふんわりと良い香りもして、垢抜けた、常日頃よりも更に洗練されているような印象を受けた。
「おはよう、アリア」
「おはよう。それより、急になんなの?」
「せっかくこんなに綺麗な街に来たんだし、偶にはいいかなって思ってね」
偶には。アリアも、それならまあ、と思わなくもない。別に急ぐ旅ではないのだし、張り詰めてばかりは、さすがに疲れる。そう思えた。
「仕方ないわね」
ならさっさと出発しようと外へ向かう。しかし足音は一人分だけ。どうしたことかと振り返れば、口を開いたまま固まるセスの姿があった。
「……なに?」
「いや、思ったよりすんなり受け入れてくれたなと思って」
そんな風に思われるほど自分は生き急いで見えただろうか。アリアはこれまでの自分の行動を思い出す。言われてみれば、たしかに、そうかもしれない。少なくとも余裕はなかったと思う。
余裕が無くなっては攻撃的になってしまうかもしれないし、視野も狭くなってしまうかもしれない。それはアリアの目的達成に良い影響を与えるとは思えない。
――ああ、だからか。
セスはアリアに気分転換させたかったのだろう。本当に気の利く人だと、少しだけ、頬が緩む。
それなら、自分なりに楽しまないわけにはいかない。
「偶にはいいでしょ? 偶にはね」
遠からず別々の道を行くときまでの、束の間の休息だ。
二人がまず向かったのは、町の中央の噴水だ。どうやら多くはこの場所で待ち合わせをしているらしく、時間や周囲を気にした様子の若者が散見される。しかし同じ宿に泊っているのに、わざわざ待ち合わせるのは面倒だ。アリアのその性格を分かっていて宿の玄関で待つことを選んだんだろう。
「やっぱり噴水の方は冷えるね」
「そうね。でも、こういう空気は好きね」
昔を思い出して、とは続けない。セスに話すことではないということもあるが、家族にそういう選択をさせた村人たちには思うところがあったから。
――いけない。こういうのを忘れて楽しもうと思ったんだった。
「あ、ほら、あそこのお店。花びらのジャムを売ってるみたい」
セスの手を取り、歩き出す。これにも目を見開いて驚いた様子を見せていたが、すぐに微笑みへ変わる。
「本当に、君は食べるのが好きだね」
「あなたのせいよ、主に」
美味しい食事を教えたのは、セスなのだから。
彼女の選んだジャムはほんのり酸味の香る、空色の花びらで作ったものだった。
噴水の広場を抜けた後は商店街へ向かう。特に買いたい物があるわけではないが、出店の並ぶ中で色とりどりの商品を見ているだけでも楽しい。花から作った染料で染めた小物や服、香料にヘアオイル。旅の合間でなければ買っていただろうものも多い。
「長く滞在する間用に何か買ってもいいんじゃないかい?」
「そう、ね……」
匂いの強いものは魔物に位置がバレる恐れがあるし、荷物にもなるという理由で見送っていたが、消耗品ならそのうち使うこともあるだろう。特に今は、自分で持たなければいけない荷物は少ない。
石鹸の一つくらいは、買ってもいいのかもしれない。
――いえ、石鹸だと匂いが残っちゃうわね。
そもそも買うという選択肢を持っていなかったから、中々決まらない。歩きながらあちこちに視線を向けてみる。
その中でふと、目に入ったものがあった。無意識のうちに後ろ髪のあたりに触れる。
「あれ?」
「あ……」
否定をする間もなくセスは店の方に歩いて行って、間違えることなく、それを手に取る。それは青い花弁が多重に重なった花をあしらったヘアピンだった。
「はい」
「……ありがとう。お金は」
「要らないよ、それくらい」
いくら言っても受け取ってくれない様子だ。少し迷って、躊躇して、恐る恐る受け取る。思ったよりもしっかりした造りだ。多少雑に扱っても簡単には壊れないだろう。
――人から何かをもらうなんて、いつ以来かしら……。
体温の高くなるのを感じる。最後にこうなったのは、幼い頃、家族から誕生日のプレゼントを貰ったときだったか。
徐に後ろ髪へ付けてみる。確かな重みが後頭部を引く感覚。不快ではない。
「うん、綺麗だ。綺麗な銀髪に青がよく映えてるね」
「そう」
素っ気なく返して少し前を歩く。それは、顔の熱に気付かれないようにだった。
昼食を終え、街を一周するころには空はすっかり茜色に変わっていた。森は影絵の様相となっていて、帰路に着いているらしき人の姿も多い。この時間帯だとセスの金髪は燃える炎のようにも見える。その色が、アリアは嫌いではなかった。
「そろそろ夕食だね。本当だったら良いレストランの一つでも予約したかったんだけど……」
「旅の途中で使う額じゃないわね」
花の街で良いレストランとなると、今二人が泊っている宿にひと月は泊まれる値段になる。その額を使うのは考え無し過ぎるだろう。
特に不満に思う理由もなく、大衆食堂を探す。ただし賑わっていて、客の身なりのそれなりに良い場所だ。
選んだのは、噴水の広場から少し宿の方に戻った辺りの店だった。魚料理を主に扱った店のようで、傭兵らしい姿も見えるが、そのいずれも質の良い装備を身につけている。
「花を咲かせる香草を使った料理が多いみたいだね」
「そうね。……あなたの頼んだものを少しずつもらおうかしら?」
食べてみたいものが多いが、小食のアリアでは一品でお腹いっぱいになってしまいそうだった。
セスに頼るというのはこれまでに無かった選択肢だが、今日ばかりは自然と取れる。
一応の希望だけ伝えたあとは、周囲の客の会話に耳を傾ける。行儀の良いことではないが、旅人として、傭兵として、魔女として、情報収集は欠かせない。
「南の街で魔女が出たらしいぜ」
「くそっ、そうなると近づかねぇ方がいいな」
気分の悪くなる会話が聞こえてしまった。南の街となると、ルネと出会った場所だろう。
「じゃあ北か?」
「そっちはそっちで魔物が増えてるらしいが、俺たちにとっちゃ嬉しい話か」
「だな。それも魔女の影響っつぅ話もあるが……」
せっかく良い思い出の街で終わるはずだったのに。最後の夢を見られたと思ったのに。最後の最後で水を差されてしまった。アリアの瞳が氷となる。
それはそれとして、北の街の話が気になった。魔女がいるかも、というだけではない。魔物が増えているという状況もだ。
思い起こされるのは、ルネと出会った街だ。あの時も魔物が増えているという話で、その原因としてルネが疑われたのだった。
「行ってみるかい?」
聞いていたとは思わず、一瞬返事が遅れる。
「……そうね。行ってみましょう」
思いがけず、次の目的地が決まった。




