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3話「過去からの救いの手」

音楽は、本当は好きだった。

でも、誰かの目に触れるたびに、それが怖くなっていった。


ふとしたきっかけで、閉じ込めていた過去と向き合うことに──。


少しだけ、心の扉が開きます。

ステージの下から不意に名前を呼ばれ、振り向く。


「瑞希ちゃん……」


「やっぱり! コンクールでも名前見かけなくなって、ピアノやめたって噂だったけど――嘘だったんだ!

ほんと、噂ってあてにならないよね~」


明るく話しかけてくるその声とは裏腹に、私の体は硬直した。

一瞬で、誰なのかわかってしまった。


さっきまで感じていた夏の暑さが嘘のように消えて、代わりに冷や汗がじわりと背中を伝う。


そんな私の様子など気にせず、彼女はステージに上がってきて話し続ける。


「私もあのあと、すぐピアノやめたんだ。あんなに意地になって続けることなかったよー。もっと早くやめてればよかった!

奏もそうでしょ?」


喉の奥がキュッと締まり、声が出ない。

顔はたぶん、ぐちゃぐちゃだったと思う。


「いきなり、何あんた?」


そのとき――

私と瑞希ちゃんのあいだに、セナ君が割って入った。


「えっ!? うそ!? スタライの……セナ!?」


「何?って聞いてんだけど」


「えー? ちょっと昔のこと謝りたくて~。そんなことより……写真撮ってもいいですか?ツーショとか!」


セナ君が、少しだけ肩を振るようにして、振り向いたのがわかった。


「悪いんだけどさ、また日を改めてくれない?

こいつ、ちょっと体調悪いみたいでさ」


「え~? そんなことないよねー?」


なおも響く彼女の声に、私は何も言えない。

冷たくなっていく指先から目を離すことができず、顔を上げることさえできなかった。


「……あの時は、ごめんね~? 私も追い詰められててさ~」


……言葉が出ない。


すると、セナ君が代わりに口を開いた。


「――謝んなくていいよ」


「……え?」


「あんたが謝るとさ、こいつは“許す”って言葉を、吐かなきゃいけなくなるだろ」


セナ君の声に、はっとして顔を上げることができた。


「何があったかは知らねーけど、

こいつの様子が見えねーの?

よく話しかけれんな。

こんなんなっている相手に向かって軽い“ごめんね”で済むことなんてねーよ」


その声が、胸に響いた。


……ああ、やっと息ができた。


「行こーぜ」


腕を掴まれて、セナ君と一緒に椅子から立ち上がる。

ステージを後にする背中に、まだ瑞希ちゃんが何か言っているのが聞こえる……けど。


もう、その声は私の耳には届かなかった。



音楽堂から少し離れたベンチに腰を下ろす。

セナ君が買ってくれた紅茶を、そっと口に運ぶ。


少しずつ、私は話しはじめた。

――2年前のことを。


ピアノが好きだった。

楽しくて、仕方なかった。


先生の勧めでコンクールに出るようになり、

私は2年前、日本で私の年齢で参加できる最高峰と言われるコンクールの予選に参加していた。

コンクール後は海外留学も予定していて、きっとずっとピアノに向き合う人生なんだと疑わずにいた。

でも、これが――最後に人前で弾けた舞台だった。



コンクール、2次予選が終わったあと。

結果を待つ控室で、私は楽譜を抱えて座っていた。


「奏……」


戻ってきたのは、友人の瑞希ちゃんだった。

同じピアノ教室に通う仲間で、気を張っていた私は彼女の顔を見た途端、ふっと肩の力が抜けた。


「瑞希ちゃん! どうだった!?

楽しかったね、コンクール! お客さんも優しかったし、反応もよかったよね!」


そう言いながら、楽譜を横に置き、その上に手を置く。

結果はまだだけど、きっと二人とも通過してる。そんなふうに思っていた。


カチカチ……

「なんで……なんで、あんたはそんなに楽しそうなのよ……」


カチカチ……

「……瑞希ちゃん?」


「私は……毎日毎日、こんなに苦しんでるのに!!!!」


――振り向こうとした、その瞬間。


何かが顔の横をかすめた。

次の瞬間、置いていた手元に“何か”が突き刺さる音と衝撃。


「……っ!」


「……あんたなんか、弾けなくなっちゃえばいいのよ!!!!」


そう叫んで、彼女は控室のドアを乱暴に閉めて出て行った。



ほんの数秒の出来事だったと思う。

怖くて、すぐには手元を確認できなかった。


ようやくの思いで、そっと目を落とす。


……右手の指。人差し指と中指の間。

そこに――カッターナイフが、鈍く光りながら突き立っていた。


息を飲んだ。

触れないように、ゆっくり手を胸元へ引き寄せる。


大丈夫。ちゃんと指はある。

痛くない。血も出てない。


ホッとした瞬間、止めどなく涙があふれてきた。


その日、結果がどうだったかも覚えていない。

どうやって帰って、どうやって眠ったのかも。


翌日は熱を出し、初めてレッスンを休んだ。

その後、すぐに次のコンクールの準備が始まった。


“いつも通り弾けてる”

そう自分に言い聞かせ、ピアノに没頭した。

親に止められるくらい、倒れ込むほど弾いた。


けれど――


そのコンクールで、私は鍵盤に手を置けなかった。


曲は、暗譜していた。

でも弾けない。

手を伸ばそうとするたびに、

あのときの記憶がフラッシュバックして、

指が震えて、意識が遠のいていき…


……気がついたら、舞台の上で倒れていた。



両親も先生も、「練習のしすぎ」と言って励ましてくれた。


でも、私にはわかっていた。

これは、私だけの問題だった。


次のコンクールに出ることは、もうなかった。


見学者がいるだけで、弾けなくなった。

そのうち、先生の前でも。

両親の前でも。

……そして、誰の前でも、弾けなくなった。


「み……瑞希ちゃんも、きっと辛かったのかもしれないけど……でも……っ」


言葉がうまく出てこない。

嗚咽まじりの声になる。


「ダメなの……ひとりなら弾けるの……でも……人がいると、もうだめで……

だから、セナ君の期待にも、きっと応えられない……」


そう言って、俯いた私の手に――

セナ君のあたたかな手が、そっと重なった。


「そっか……つらかったな。

あー…つらいとかそんな簡単じゃないよな…きっと…

お前をそんな目に合わせた奴のことなんて、許さなくていい」


「……わ、わたし……許さなくて……いいの……?」


「いいよ。誰がなんて言っても、オレはお前が正しいって言い続ける」


その手に、少しだけ力が入る。


「オレの期待とかさ…いいんだ。おまえがそれでもあそこで弾いてたの聴けたし。あれでオレはまた5年はがんばれっから」


「ぷっ。なにそれ……」


――2年間、抱え続けた重たい鎖が、少しだけ外れた気がした。


どれだけ時間が経っただろう。

ずっとそのまま手を握ってくれていることに気が付いて、急に恥ずかしさがこみあげてくる。


「あ…あの……ずっと……なんか、ごめん……手……」


「あぁ、そんなん、気にすんなよ」


「……それに、もうひとつ。追加で謝らないと……

アイドルなんかって、言っちゃって……ごめんなさい」


「あー、あれな。まあ……アイドル本人に言うのは確かに、ヒデーなー」


「うん……ほんとだよね……」


「うん。マジ無いわー。マジでさ悪いと思ってんならさ…」


ポケットから何かを取り出し、私の手に握らせてくる。


「えっ!?」


「今週末、横アリでライブなんだ。オレたち、頑張ってるからさ。

一度でいい。観に来いよ。絶対楽しいから!!」


そう言って、手を振りながらステップを踏むみたいに去っていく背中。


その姿を、私はずっと目で追っていた。


気づけば空は、すっかり夕暮れ。


たくさん泣いたあとなのに、

心は晴れやかで――どこか、すっきりした気分だった。

あまりにもきれいな夕焼けで、思わず写真を撮る。


「……ライブ、かぁ……」

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


誰かのたった一言で、閉じ込めていた何かがほどける瞬間ってありますよね。


奏がほんの少しでも「また音楽に向き合いたい」と思えたのなら、それは、過去に負けなかったってことだと思っています。


もし少しでも気になってもらえたら、フォローやお気に入りしていただけると励みになります。

次回、第4話は【7月15日(火)夜】に更新予定です!


ぜひまた覗きに来てくださいね!

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