真琴とナタリー、密かに活動する
加納と木俣が繁華街を闊歩していた頃、真琴もまた繁華街を歩いていた。
キャバクラやホストクラブ、さらには風俗店などが軒を並べる通りを、タンクトップとホットパンツという露出過多な姿で歩いていく。
飽満な胸元とくびれたウエストは、否応なしに男たちの目を引く。声をかける男も少なからずいたが、真琴は無視して進んでいく。
やがて大通りを外れて裏道へと入っていき、さらに進んでいく。
五分ほど歩いていたが、とある店の前で足を止める。彼女は、目指す場所に到着したのだ。
そこにあるのは、小さな定食屋だった。壁は油で汚れており、店頭に飾られている食品サンプルも壊れかけていた。店内の雰囲気も暗い。当然ながら、客などいなかった。
そんな店に、真琴はためらうことなく店内に入っていく。と、店の奥にいた男が目を丸くしていた。
「あの……お嬢ちゃん、客なのかい?」
「はぁい、お客さんでぇす」
とぼけた口調で言うと、ぱっと席に座る。
この食堂『翔流軒』は、来夢市にて古くから営業していた。しかし、いつからか近所にラエム教の信者たちばかりが住み着くようになる。今では、近所の人間は全員が信者になってしまった。
それに伴い、町も変わっていく。人口は増え様々な建物は新しくなりお洒落な店も出来た。だが、信者以外の人間には住みづらい町へと変わってしまったのだ。
翔流軒もまた、経営を続けられず今月中に店をたたむ予定である。古くからの常連は、既に引っ越していた。新しい客など、来るはずもない。
にもかかわらず、いきなり見かけない客の来店である。しかも、ここいらでもそうそう見かけることのない若く可愛らしい女性だ。その上、グラビアアイドルも顔負けのスタイルに露出過多の格好である。
完全に鼻の下が伸び切った店主に向かい、真琴は元気よく声をかける。
「あのぉ、カツ丼と味噌汁とお新香ください!」
「か、カツ丼!? う、うん、わかった!」
店主は、慌てて厨房に行き作り始める。客が来るなどと想像もしていなかったらしく、あちこちにぶつかっているような音が聞こえてくる。
そんな中、真琴はスマホをいじっている。時おり、外の様子にも油断なく目を向けていた。今のところ、特に問題はない。計画は、予定通りに進んでいる。
二十分以上経ってから、ようやくカツ丼と味噌汁とお新香が運ばれてきた。
途端に、真琴は恐ろしい勢いで食べ始める。どこかの大食いユーチューバーのような速さで、ガツガツと食べ進めていった。
やがて、真琴は箸を置く。ものの数分で、米粒ひとつ残さず、綺麗に平らげてしまったのだ。
そんな真琴に、店主は感激した面持ちで声をかける。
「いやあ、いい食べっぷりだね。俺さ、君みたいな女のコに会ったの初めてだよ」
「美味しかったですぅ。ごちそうさまぁ」
笑顔で答えた真琴だったが、急に真顔になる。
「すみませぇん、あのぉ、ちょっと教えて欲しいんですけどぉ」
「何だい? 俺にわかることなら、何でも教えちゃうよ」
「剛田薫さんについてぇ、教えて欲しいんですよぅ」
途端に、店主は目を丸くした。
「ご、剛田薫ぅ? お嬢ちゃん、その名前を誰から聞いたの?」
「えっ? いろんな人から聞きましたぁ」
「で、その剛田に何の用なの?」
「なんかぁ、剛田さんてすっごい人なんですよねぇ? だからぁ、ぜひ会いたいなぁって思って」
擦り寄ってきた真琴を、店主は渋い表情で見つめる。
少しの間を置き、真面目な顔で口を開いた。
「悪いことは言わない。あいつとは、かかわらない方がいいよ」
「なんでですかぁ?」
「剛田って奴はな、頭がイカレてる。これは噂だけど、あいつは人を奴隷にして飼う異常者なんだってよ」
「ええっ、奴隷ですかぁ? 何それ? アホなネット小説の読みすぎなんじゃないですかぁ?」
そう言って首を稼げる真琴に、店主はぶるぶると首を振る。もちろん横にだ。
「いや、あいつを甘く見ちゃいけない。剛田はね、本当にやっちゃうらしいんだよ。こないだも、松本とかいうホストが剛田に会いに行ったけど、それきり姿を消しちまったらしい」
「何それぇ、こわ」
「だから、剛田は本当に怖いんだよ。あいつのことは、あんまり大きい声言わない方がいいよ」
「わかったぁ。ありがとねぇ。じゃあ、勘定お願いしまぁす」
そう言うと、真琴はさっと立ち上がる。金を払い、ペコリと頭を下げ店を出て行った。
すたすた歩いていく彼女の後を、そっとついて行く男がいた。年齢は十代後半から二十代前半で、髪を赤茶色に染めておりタンクトップ姿だ。二の腕は細いが、肩にはタトゥーが入っている。
その若者は、不意に走り出した。真琴を追い越したかと思うと、ぱっと立ち止まり振り向く。
「ねえ、ちょっと待ってよ。君は剛田さんのこと知りたいの?」
どうやら、食堂での会話が外に漏れ聞こえていたらしい。真琴は笑みを浮かべつつ頷いた。
「はい、とっても知りたいですぅ」
「俺さぁ、剛田さんの下で仕事したことあるぜ。あの人と飲んだこともあるしな。そん時の話、聞かせてやってもいいよ」
言いながら、馴れ馴れしく腕を掴んできた。
「ええっ、本当ですかぁ? 本当に知ってるんですかぁ?」
真琴がバカ丸出しの口調で聞いてみると、若者は訳知り顔でウンウン頷く。
「もちろん知ってるよ。だからさ、まずはちょっと休んで行こうよ。俺の知り合いがやってる飲み屋が、この近くにあるんだ」
そんなことを囁きながら、若者は肩に手を回してきた。
と、真琴の表情が変わる。
「いい加減にしろや! この男根面!」
「だ、男根面だと……」
「そうだよ! てめえは男根面だ! ヤリたくてたまんねえって気持ちが、面にまで表れてんだよ! どうせ剛田とは、会ったこともねえだろうが! さっさと家帰って、てめえの永遠の恋人たる右手と仲良くヤッてろや!」
先ほどまでの態度とはうって変わって、凄まじい勢いで怒鳴り散らしている。豹変という言葉があるが、彼女はまさにそれだ。人懐こかった猫が、野生の豹に变化したようである。
若者の方は、目を白黒させ何も言えずにいた。彼女の豹変ぶりに、完全に圧倒されていたのだ。
そんな若者に向かい、真琴はさらに罵り続ける。
「どうせてめえの息子なんか、ポークビッツサイズしかねえだろうが! さっさと消えろ! 馬に蹴られて豆腐の角に頭ぶつけて死ね!」
ここまで言われ、若者の怒りという感情がやっと働き出したらしい。表情を歪めながら、真琴のタンクトップを掴んだ。そのまま強引に引き寄せる。
「こ、この……下手に出てりゃイイ気になりやがフゴォ!」
言い終えることは出来なかった。真琴が、飛び込みざまの頭突きを食らわしたのだ。
プロレスの頭突きは、相手の頭に額を当てていく。だが、本物の闘いで用いられる頭突きは、相手の顔面に己の額を打ちつけるものである。額の骨は固く、しかも頭部は重量がある。格闘技や武術の経験がない者が下手に拳で殴るより、額を顔面に叩きつける頭突きの方が、遥かに威力があるのだ。
今の真琴の頭突きが、まさにそうであった。若者の鼻めがけ、何の躊躇もなく己の額を叩き込んだのである。ひ弱なチンピラの下手なパンチよりは、確実に効いただろう。相手は顔をしかめ、鼻血を出しながらよろよろと後ずさった。
そんな若者を見ながら、真琴はさらに罵り続ける。
「何が下手だよ! ざけんじゃねえぞ! われ! この変態野郎! これ以上うだうだ言ってるとなあ、ケツアナから手ぇ突っ込んで、大腸と小腸を根こそぎ太陽の下に晒してやんぞ!」
喚き散らした後、拳を突き出したかと思うと中指を立てた。もはや説明の必要もない侮辱のハンドサインである。
そんな真琴の暴れっぷりが、注目を集めてしまった。先ほどまでは人がほとんどいなかったのに、いつの間にか大勢の野次馬が集まっていたのだ。うち何人かは、スマホをかざして彼女を撮影している。
その時だった。突然、野次馬の中から進み出てきた者がいる。ナタリーだ。彼女は、真琴の腕を掴んだ。
「そこまでにしておけ。さっさと引き上げるぞ」
言いながら、その場を離れようとする。だが、遅かった。野次馬をかき分け、大柄な若者が現れたのだ。身長はナタリーよりも高くがっちりした体格であり、Tシャツから覗く二の腕には瘤のような筋肉が盛り上がっていた。胸板も分厚く、日頃からジムで鍛えているのは明らかだった。
その鍛えている成果を誇るかのように、筋肉を見せつけながらこちらに歩いてくる。喧嘩の強さにも、絶大なる自信を持っているようだ。
ナタリーの行く手を遮る形で立ち止まると、おもむろに口を開いた。
「ちょい待てや。そこで寝てる奴はな、俺の弟分なんだよ。弟分を痛めつけて、無事に帰れると思ってんのか。慰謝料はらえコラ」
どうやら、真琴が痛めつけた若者の仲間らしい。 ナタリーは、ふうと溜息を吐いた。
「こういう乱痴気騒ぎは、避けるよう言われていたのだがな」
言った直後、ナタリーは動いた──
まず、彼女の左手が放たれる。そのスピードは速い。指先が、弾くような動きで目の周辺を打った。相手は、反射的に目をつぶる。
その一瞬の隙に、ナタリーは首元に手をかける。同時に、足払いを食らわした。寸分の狂いなき完璧なタイミングだ。
視界を奪われ混乱していた相手は、抵抗すら出来なかった。足払いをかけられ、派手な動きで地面に倒れる。巨体を強く打ち、口からは異様な音が漏れた。
アスファルトでの投げ技は、畳とは比べものにならないほどのダメージを与える。頭や首から落とせば、殺すことも可能なのだ。もっとも、ナタリーは背中から落としている。したがって、死ぬほどのケガは負っていない。
あまりにも見事な戦いぶりを見て、真琴は嬉しそうに手を叩く。
「きゃあ、ナタリー姉さま素敵ですぅ」
可愛らしい声で言いながら、体をくねらせた。だが、ナタリーは表情を替えずに真琴の手を掴む。
「うるさい。すぐに逃げるぞ」
耳元で囁いた直後、彼女の手を引き足早にその場を離れた。
強引に引っ張られながら、真琴はアレ? とでも言いたげな表情で傾げる。
「そういや小林さんは?」
「あいつは今、単独で動いている」