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剛田、仕事する(1)

 来夢市でもっとも大きなイベント会場、それが来夢ドームてある。東京ドームとほぼ同じ広さであり、野球やサッカーといったスポーツはもちろんのこと、時と場合に応じてコンサートホールになったりもする。所有・運営は株式会社『ドームスター』が行なっていた。当然ながら、その裏にいるのはラエム教である。




 午後八時、その来夢ドーム内に、ラエム教の信者たちが集まっていた。中央には豪華なステージが設営されており、周囲には椅子も設置されている。

 そのステージに立ち演説をしているのは、ラエム教の教祖である猪狩寛水だ。もっとも、これは正式なイベントではない。来週に行われるラエム教・夏の大会に備えてのリハーサルである。

 客席には、二十人ほどの男女がいる。全員がラエム教の幹部信者であり、大会の運営に携わっている者たちだ。

 そんな彼らに向かい、猪狩は力強く語りかける。リハーサルとは思えない熱量だ。


「皆さん、世の中に目を向けてください。世界規模の気候変動は、異様なスピードで進行しております。今、我々の姿勢が問われているのです。にもかかわらず、人類は愚かなる戦争を()めようとはしません。それどころか、ますます激化していく有り様です。実に嘆かわしい話ですが、絶望してはなりません。このような時代だからこそ、なおのこと人の道を説いていかねばならないのです。我々がやらねば、誰がやるのでしょうか」


 ここで、猪狩の表情が一変した。声も、熱を帯びてきている。


「我々は、今こそ違うステージに行かねばなりません! いや、我々のみならず人類全体が意識改革をせねばならない時代へと突入したのです!」


 信者たちは、感激した面持ちで聞いていた。中には、涙を流している者までいる。まだリハーサルの段階のはずなのだが、彼らもまた本番のつもりらしい。

 しかし、剛田の反応は違っていた。冷めきった表情で外野席に立ち、上からステージを見下ろしていた。今の演説に、心を動かされた様子はない。

 剛田は、確かにラエム教の大幹部である。教団の中では、かなりの権力を持っているし発言力もある。教祖である猪狩との関係も、浅からぬものだ。事実、猪狩は剛田に絶大なる信頼を寄せている。多くの信者たちも、剛田には畏敬の念を抱いてきた。

 しかし、剛田の方は真逆である。ラエム教への信仰心など、欠片ほどもない。教義についても、何とも思っていない。教祖である猪狩に対しても、特別な感情は抱いていなかった。

 それどころか、利用価値がなくなれば殺そうとさえ考えている。剛田にとって、猪狩はその程度の存在でしかなかった。

 とはいえ、仕事は果たさなくてはならない。念のため周囲を見渡してみるが、特に問題はなさそうだ。自分が消えても、問題はないだろう。


根川(ネガワ)、後は任せたぞ」


 剛田は、横に控えている男に声をかける。根川は、かしこまった態度で一礼した。

 この根川、一見すると秋葉原あたりをうろついているオタクにスーツを着せたような風貌だ。しかし、実のところ元ヤクザである。広域指定暴力団・士想会の組員だったが、ラエム教の方がヤクザより稼げると判断し鞍替えした変わり種である。

 剛田と同じく神も仏も信じていない上、金儲けが上手い。


「わかりました。では、すぐに車を回します」


 根川が言うと、剛田はかぶりを振った。


「いや、いい。今日は歩いて帰る」


「えっ、いいのですか?」


「大した距離じゃねえ。たまには歩かなきゃな」





 会場を出た剛田は、ひとり街を歩いていく。

 この男、どこかのチンピラのように道の真ん中を肩で風切って歩いたりはしない。道路の端を、目立たぬようにひっそりと歩んでいく。巨体な上に顔にはタトゥーが入っている。否応なしに目立ってしまうのだが、道行く人のほとんどは見てみぬふりをする。

 たまに剛田のことを知る者が「あ、どうも……」などと挨拶しに来たりするが、剛田は軽く会釈を返すだけだ。こんな所で、大して仲良くもない者と立ち話をする気分ではなかった。


 のんびりと歩いていく剛田だったが、その足が止まった。

 前方から、騒がしい声が聞こえてきたからだ。日本語ではない言語で喚き散らしながら、こちらに歩いてくる。しかも、ひとりではない。

 近づいてくる姿を見れば外国人だ。いかつい黒人が四人、ギャーギャー騒ぎながら路上を闊歩していた。髪型はまちまちだが、全員が百八十センチを超えている。体格もよい。胸板は厚く二の腕も太い。ジム通いを欠かしていないのだろう。ひょっとしたら、軍隊上がりかもしれない。

 その筋肉質の体に着ているものは、Tシャツにハーフパンツだけだ。荷物らしきものは持っていない。そんなラフな格好で、大通りを我が物顔でのし歩いている。

 時おり、道に置かれている看板や停められている自転車などを薙ぎ倒しつつ進んでいた。完全に酔っ払っている。 

 海外では、路上にて酒を飲む行為を禁止している国が多い。そんな国から日本にやって来ると、ついタガが外れてしまう。路上で仲間と共にしこたま酒を飲み、酔っぱらった状態で練り歩く。

 それで、おとなしく帰ってくれればいいのだが……そうはいかないのが、酔っぱらいという人種である。アルコールで陽気になり気分が上がっている人間が、おとなしく帰れるわけがない。

 しかも、この黒人たちは日本人を甘く見ていた。彼らにとっては、日本も中国も韓国も全て同じである。自分たちより下の民族であるアジア系の連中、という認識でしかない。そう、一部外国人のアジア系に対する差別意識には、根強いものがあるのだ。

 素面の時ならば、そういった差別意識を押さえることも出来た。しかし、アルコールが入れば、そうした意識のタガはすぐにぶっ飛んでしまう。

 こうなると始末に負えない。彼らは、道行く人々を嘲笑い怒鳴りつけ、時には拳を振り上げ威嚇したりしているのだ。

 剛田は溜息を吐き、黒人たちの前に立つ。どうやら、自分が止めるしかないらしい。

 すると、彼らもまた立ち止まる。剛田を、ジロジロと見つめた。


 言うまでもなく、剛田の外見は恐ろしい。大抵の人間は、見ただけで確実に視線を逸らし回れ右するだろう。

 だが、外国人たちは怯んでいなかった。それどころか、挑発するかのように顔を近づけてきた。英語と思われる言語で、何やら喚き散らす。

 中でも、ひときわ体格のいい男が剛田に顔を近づけていった。


「オマエナンダ! ゲンバク、モウイッコホシイカ! コノ──」 


 そこから先は、英語でベラベラとまくし立てている。

 剛田は、中学校すら満足に行っていない男だ。したがって、英語の知識は小学生以下である。そんな彼でも、目の前にいる外国人が何を言わんとしているかは理解できた。


「あのな、ファッキンジャップくらいわかんだよバカたれが」


 外国人に向かい、ボソッと呟く。直後、拳が放たれた――


 岩のような剛田の拳は、狙い違わず相手の顔面に炸裂する。同時に、鈍い音が響き渡った。

 パンチを食らった外国人は、ガクンと膝から崩れ落ちた。百キロはあろうかという巨体が、一撃で倒れてしまったのである。

 他の外国人たちは、静まり返っていた。何が起きたのかわからず、互いに顔を見合わせる。

 しかし、全員がやられっぱなしというわけではなかった。一瞬の沈黙の後、ひとりの表情が変わる。何やら喚きながら、拳を振り上げ殴りかかっていった。

 しかし、剛田は表情ひとつ変えない。ひょいと首を動かしただけだった。

 次の瞬間、男の拳が剛田に炸裂する――


 だが、悲鳴をあげたのは男の方だった。拳からは血が流れ、手の甲からは折れた骨が飛び出している。

 剛田は、男のパンチをあえて避けずに、己の額で受けたのだ。額の骨は硬く分厚い。下手に殴れば、拳の方が壊れてしまうのだ。実際、かつてボクシングが素手で行われていた時代、額でパンチを受け拳を壊す技術もあったくらいである。

 この男の拳も、完全に壊れてしまった。衝撃により、中手骨が骨折してしまったのだ。血まみれの右手を押さえ、うずくまっている。

 残るふたりは、完全に戦意を喪失していた。すっかり酔いが覚め、がたがた震えている。眼の前にいる日本人の恐ろしさを、ようやく理解したのだ。







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