裏で起きていたこと・小林綾人
※注意
この章では、『真琴とナタリー、小林と会話する』の直後に起きたことを描いています。
真琴やナタリーとの打ち合わせを終えると、小林綾人は繁華街を歩いていた。目立たぬよう、道の端を足早に進んでいく。
既に午後八時を過ぎており、周囲にいるのは観光客や客引きといった者たちばかりだ。そんな中、小林は視線を感じていた。こんな場所で、自分のような男に視線を向けてくる者……おそらく、同業者であろう。
この来夢市での同業者とは、ラエム教の息がかかっている者たちだ。すなわち敵である。
小林は人気のない路地裏に入っていった。数メートル歩き、すぐに振り返る。
そこには、ひとりの男が立っていた──
不思議な男であった。
肌は浅黒く、顔の彫りは深い。国籍は不明だが、純粋な日本人でないのは確かだ。Tシャツを着て、デニムパンツを履いている。手には、革のカバンを持っていた。
身長は、さほど高くない。百七十センチの小林よりも低いくらいだ。おそらくは、百六十センチ台であろう。日本人から見ても、小さいと言わざるを得ない。
ただし体つきの方は、小さいという表現は似合わなかった。胸板は厚く、腕は太い。しかも、その太さ厚さは脂肪によるものではない。全身が筋肉に覆われているのは明らかだ。
いきなり現れた外国人に、小林は圧倒され言葉が出なかった。
小林は、つい二週間ほど前までアメリカに暮らしていた。しかも、現地で裏社会の人間と接触していたのだ。その中には、身長二メートル体重百三十キロなどという大男もいた。日本で普通に生きていれば、まず会うことのないような体格の持ち主である。
そんな大男と比べれば、目の前にいる外国人は小さい。にもかかわらず、小林は動けずにいた。外国人の全身からは、異様な空気が漂っている。
野生の動物は、嗅覚で危険を感じ取る。今の小林もまた、鋭い嗅覚で危険を感じ取ったのだ。
「あ、あんたは誰だ?」
「はじめまして、小林綾人くんだね。俺の名はペドロだ」
途端に、小林の顔が歪む。まさか、ここで伝説の男と出会うとは……。
「ペドロ……まさか、あなたが実在するとは思いませんでしたよ。お会いできて光栄てす」
足の震えを隠し、恭しい態度で頭を下げる。今は、相手の出方を窺うしかない。
「光栄、か。俺という人間が、その言葉に相応しい人物かどうかは、ひとまず置くとしよう。君と話したいことがある。ちょっといいかな?」
「構いませんよ。私は、あなたに逆らうほど命知らずじゃありませんからね」
そう言うと、小林は笑みを浮かべる。だがペドロの言葉を聞いた瞬間、笑みは消え失せた。
「君はかつて、ふたりの友人を失った。ひとりは、名もなき少年。もうひとりは、明智光一なる傑物だ」
「なぜ、それを……」
呆然となりながら、小林は呟いた。しかし、ペドロは構わず語り続ける。
「少年の方は、名もなき殺し屋だった。猪狩寛水の指示により、ラエム教の邪魔になる者を次々と抹殺していった」
「違う!」
怒鳴った小林を、ペドロは興味深そうに見つめる。
「ほう、違っていたかね?」
「あいつには、ルイスという名前があった。世の中のことを何も知らないまま、教団に命令され人を殺し続けていたんだ」
そこで、小林の目から一筋の涙が流れた。手で拭い、大事な一言を付け加える。
「俺の親友だった」
その時、ペドロは意外な行動に出る。軽くではあるが、頭を下げたのだ。
「それは失礼した。そのルイスくんはラエム教により消され、君は少年院へと入った」
今の話にも、間違いはない。
当時の小林は、中学を卒業と同時に工場の就職し地味に生きていた。そこで、逃げ出してきたルイスと出会う。
工員と殺し屋……真逆の存在だが、出会った直後から意気投合する。ふたりは同居し、楽しく暮らしていた。
だが、ラエム教からの追っ手によりルイスは殺される。逆上した小林は、ルイスの命を奪った男を殺し少年院に入ったのだ。
「少年院を出た君が出会ったのが、明智光一くんだ。会ったことはないが、とても有能な青年だったようだね」
「そうだよ。あの人は、本当に凄かった」
小林の顔に、奇妙な表情が浮かぶ。久しぶりに、昔のことを思い出していた。
「俺は最初、ラエム教への復讐しか考えていなかった。しかし、あの人と……そして、ダニーとの出会いが、俺に復讐を忘れさせた」
ペドロに対し、小林は憑かれたような表情で語っていく。
少年院を出た小林は、明智光一と出会う。最初は、この男の下に付いていれば大金を稼げる……という打算しかなかった。
小林には、ラエム教への復讐という目的がある。そのためには大金が必要だ。明智の部下となったのも、軍資金を稼ぐためであった。明智は頭がキレるし、彼の義理の弟ダニーは身体能力に優れた武闘派である。このふたりを上手く利用し、金を稼いでやるつもりで仕事をこなしていた。
しかし、その気持ちは徐々に変わっていった。
「明智さんが昇りつめていく姿を、そばで見届けたいと思った。頭はキレるし、度胸もある。見た目もカッコ良かった。テレビに出てる十把一絡げのタレントなんざ、あの人と比べたら月とワニガメくらいの差があるよ」
「月とワニガメ、か。面白いことを言うね」
そう言って、ペドロは笑った。だが直後に、決定的の言葉を口にする。
「そんな明智くんもまた、死んでしまった」
「そうだよ。殺したのはダニーだ。しかし、させたのはラエム教の連中だ」
そうなのだ。
ある日、明智が行方不明になる。小林は手を尽くし調べたが、行方はわからないままだ。
しかし、小林は諦めなかった。大勢の人間に聞き込み、金をバラまき、時には拷問のような手段を交えながら情報を集めた。
結果、ようやく明智の居所が判明する。とある半グレが経営する秘密の売春クラブに、拉致監禁されているというのだ。しかも、売春クラブの裏にはラエム教がいる。
小林はダニーと共に、売春クラブに殴り込みをかけた。中にいる者たちを皆殺しにして、監禁されている明智の元に辿り着く。
だが、明智は……。
「あの人は……両手両足を切断されていたんだ。変態の男たちに奉仕するための道具にされちまってた。明智さんはダニーに、殺してくれと頼んだ。だから、ダニーは殺した」
語る小林の目から、涙が溢れていた。普段の飄々とした姿は消え失せている。拳を握りしめ、どうにか言葉を絞り出した。
「俺が……俺がもっと早く見つけていれば……あんなことになっていなかったかもしれない。俺は、奴らを許さねえ。ラエム教は、必ず叩き潰してやる」
「そんな君だからこそ、これを受け取って欲しいのさ」
言いながら、ペドロはカバンを開けた。取り出したのは紙袋である。菓子の袋くらいの大きさだ。
その紙袋を、小林に突き出してきた。小林は戸惑いながらも、紙袋を受け取る。
だが。中を見た途端に表情が変わった。
「な、なんだこれ……」
「君にあげるよ。使い方は、知っているだろう」
ペドロは事もなげに言った。しかし、小林の方は顔をしかめている。
それも当然だろう。紙袋の中には、プラスチック爆弾が入っていたのだ。平屋の家くらいなら、簡単に吹っ飛ばせる規模のものである。
「これを、どうしろって言うんだ?」
「君なら、もっとも効果的な使い方がわかるだろう」
その答えに、小林は困惑した。これで、ラエム教の本部を吹き飛ばせとでもいうのか。だが、さすがに無理だろう。本部は、警戒が厳重である。仕掛ける前に、見つかって終わりだ。
一方、ペドロは語り続ける。
「今からふたつ、重要な情報を教えよう。ひとつは、この来夢市にて恐ろしい事件が起こるという事実だ。日本でも例を見ない大量殺人事件になるだろう」
「えっ……それはいつだ?」
「二日後さ。君らにとって、非常に好ましい状況が生まれるわけだ」
「で、もうひとつは?」
「君のことは、既に剛田の手下に知られている。そろそろ、身柄を押さえに来るだろう」
その言葉に、小林は溜息を吐く。同時に、表情が元の飄々としたものに戻っていた。
「なんてことでしょうね。ところで、聞かせてくれませんか。あなた、やけに親切ですが……何が目的なんです?」
「それは言えない。とにかく、君の身に危険が迫っているのは確かだ。しかしね、見方を変えればチャンスとも言える」
「チャンス?」
「そうさ。この情報をどう活かすか……それは、君次第だ。では、失礼する」
そう言うと、ペドロは去っていった。




