裏で起きていたこと・田淵洸平(3)
ペドロと名乗る外国人が消えた後も、田淵はじっと立ち尽くしていた。
その手には、拳銃がある。万一、この場に誰か現れたとしたら、通報されてもおかしくない状況だ。
幸いにも、それから閉店時間まで誰も来なかった。田淵は厨房へと戻り、椅子に座る。
ペドロの言ったことは、田淵に強烈な衝撃を与えた。今もまだ、心に突き刺さっている。心臓の奥深くまで貫かれた、そんな気分だ。
戻って来てからの生活は、実にひどいものだった。
客の来ない店を、何年も続けてきた。事態が好転するあてがあったわけではない。結局のところは意地だった。
そう、意地だけで今まで営業してきた。客が来なくても、俺はここに居続けてやる。お前らの思い通りにされてたまるかよ……その思いが、田淵を突き動かしていたのだ。
そんな折、ガンで余命半年を宣告された──
田淵は、己の手にあるものを見つめる。拳銃は、ずしりと重い、実際の重量以上に、重さを感じる。
これで、何人殺せるだろうか?
ふと、そんなことを考えた。
ラエム教が、田淵家にしてきたことを思い出す。彼らは、ヤクザや地上げ屋のような嫌がらせはしなかった。代わりに、周囲の人間を根こそぎ奪っていった。気がつけば、田淵はひとりぼっちだ。今まで、来夢市で孤独に生きていた。
拳銃さえあれば、奴を殺せる。教祖の猪狩寛水に上手く近づけば、確実に一発は撃ち込める。事態に気づいたボディーガードが止めに入るまで、あと一発は撃ち込める。
そう、田淵は……ガンが発覚し己の余命を知った時、ラエム教を道連れにしてやろうと考えた。店を続けながら、あの連中にもっともダメージを与えられる手段は何かを模索していたのだ。その手段のひとつが、教祖の猪狩を殺すことである。
猪狩の周囲には、常に誰かが目を光らせている。そのことは、とっくに確認済みだ。
しかし、今なら本物の拳銃がある。これなら、奴を殺せるのではないか。
いや、無理だ──
そう、こんな小口径の拳銃があったところで、猪狩を殺すことなど出来ない。この拳銃では、確実に当たる距離まで近づく必要があった。その前に、ボディーガードに取り押さえられて終わりだろう。仮に撃ったところで、殺せるか怪しいものだ。
ならば、長距離用スナイパーライフルはどうだろう。離れた場所から狙い撃てば、止められることなく仕留められる。
だが、長距離での狙撃は非常に難しいし、それ以前にスナイパーライフルがない。
ひょっとして、あいつに頼めば手に入るのだろうか? ペドロという男に頼めば、スナイパーライフルくらいは入手できるのではないか?
いや、手に入るにせよ入らないにせよ、どの道無理だ。田淵の腕では、長距離射撃など出来ない。
では、自動小銃ならどうだろう。田淵が、かつて自衛隊で扱ったことのある八九式自動小銃。これなら、いけるのではないか。
八九式自動小銃……その初弾の秒速は、九百二十メートルだ。これだけの威力のあるものを至近距離で撃たれたら、とても無事ではいられない。弾丸は一瞬の内に身体を貫通するが、その間に内臓を破壊しつつ通り過ぎていくのだ。
しかも、自動小銃なら一発では終わらない。二弾、三弾と続く。止められるまでに、十発以上は撃ち込めるだろう。
つまり、自動小銃で至近距離から撃てば、奴を確実に殺せる。
いや、駄目だ。
猪狩寛水相手にそこまで近づくことこそが困難なのだ。猪狩は常時、数人のボディーガードに囲まれている。奴らは訓練も積んでいるし、いざとなれば体を張って教祖さまを守るだろう。もちろん、防弾ベストは着ているはずだ。
しかも、向こうはプロだ。自分みたいな者が接近すれば、確実に怪しむであろう。自動小銃を出す前に、取り押さえられて終わりではないのか。
その時、別の考えが浮かぶ。
何も、猪狩寛水の暗殺をする必要はないのだ。もうじき、ラエム教の大規模な集会が行われる。全国各地の信者たちが、ここ来夢市に集結するのだ。
ここで、テロを起こせばどうなる? 世間の目を、ラエム教へと向けることが出来る。そうなれば、ラエム教の暗部を世間に晒せる可能性も出てくるのだ。
そうなのだ。大勢の信者を、派手なやり方で殺す。自動小銃などは、まさにおあつらえ向きだ。
宗教団体が開催する大規模なイベントの最中、自動小銃で信者を無差別に殺害……こんな派手なテロ行為は、日本の犯罪史上に残るだろう。
それだけではない。自動小銃で無差別殺傷という大事件を起こせば、マスコミとて無視できまい。必ずや、教団の裏側に目を向ける。上手くいけば、教団の闇を暴いてくれるかもしれない。
仮に、それが上手くいかずとも……教団に、少なからぬダメージを与えられるはずだ。それさえ出来れば、自分は満足である。喜んで死んでいけるだろう。
ややあって、田淵はスマホを手にした。震える指で操作を始める。
紙切れに書かれていた番号に、電話をかけるために──
翌日、田淵はいつもの通りに店を開けていた。朝から夜までカウンターに座り、テレビを観たりスマホをいじったりしている。
行動自体は、いつもと同じであった。しかし、田淵の内面はいつもと違う。テレビを観てもスマホをいじっても、ずっと上の空であった。何を見ても何を聞いても、田淵の心にほ届かない。まるで、言葉のわからない外国の番組を観ているかのようであった。
その理由はわかっている。今日で全てが終わるのだ。全てが変わり、新しい人生が始まる。
これまでとは、真逆の人生──
昼過ぎ、店の扉が開く。田淵は、顔を上げた。
想像通りであった。現れたのはペドロである。大きなズタ袋を抱え、悠然と店内に入ってきた。
田淵を見据え、口を開く。
「君は、本気なのだね?」
「はい、本気です」
「確認しておくよ。これはね、一度始めたら、もう二度と元の世界には戻れない。それでも、やるのだね?」
「もちろんですよ。両親も兄弟も、みな死にました。俺の寿命も、あと半年もありません。ならば、この残された命を真っ白な灰になるまで燃やし尽くしたい。自分の人生が無意味でなかったことを、自分自身に証明したいんです」
そこで、ペドロはフッと笑った。
「自分自身に証明したい、か。素晴らしい言葉だ。それに、今の君はいい顔をしている。本物の戦士の顔だ」
言った後、ズタ袋の中にあるものを見せる。
「本当に、これだけでいいのかね?」
「はい。高性能なものを持ちすぎても、使えなきゃ意味ないですからね。これで充分です」
「なるほど。確かに、その通りだな」
ペドロは頷いた。その時、田淵の表情が変わる。
「すみません。最後に、ウチの料理を食べていってくれませんか?」
「俺は構わないよ。だが、その前に聞かせてもらいたい。どういう風の吹き回しかな?」
怪訝な様子で尋ねたペドロに、田淵は笑みを浮かべて答える。
「この店は、今日で閉めます。残された時間は、全てトレーニングに費やすつもりです」
そう。これからやろうとしていることは遊びではない。やり遂げるには、訓練が必要だ……その事実を、田淵は理解していた。
したがって、この店ももう終わりである。だが、最後にひとつだけしたいことがあった。
「あなたに、ウチの店の最後の客になって欲しいんです。あなたにこそ、食べていただきたい。駄目ですか?」
「さっきも言った通り、俺は構わない」
注文は、前回と同じくラーメンとチャーハンである。田淵は、久しぶりに緊張感を覚えつつ調理をした。いや、これほどまでに心を込めて料理を作ったのは初めてかも知れない。
出来上がったラーメンとチャーハンを、ペドロの前にそっと差し出す。
ペドロは、前回と同じくあっという間に平らげてしまった。テレビなどで観る食レポのように、味わっている気配など欠片ほども感じさせない。だが、それが逆にありがたかった。
「どうでしょうか?」
そっと尋ねてみた。この怪人物の感想が聞きたい。
「田淵洸平という不治の病に侵された料理人が、残り少ない時間を費やし俺のためだけに作ってくれた料理……この味はね、どんな高級レストランのシェフにも作り出せないものだよ。美味いとか不味いとか、そういった次元を遥かに超越している。まさに、君の人生そのものを味わっているかのようだね」
ペドロは、淡々とした口調で語っていった。
そこには、大げさな表情もリアクションもない。しかし、その言葉に嘘がないのは伝わってきた。田淵の胸に、形容できない思いがこみ上げてくる。
そんな田淵に向かい、ペドロはさらに語り続ける。
「これほどの贅沢を享受できる人間は、地球上でもそうそういないだろうな。この味を、俺は一生忘れない。そもそも、忘れることなど出来はしないよ」
その瞬間、田淵の目から一筋の涙がこぼれた。思わず、深々と頭を下げる。
「俺の生涯において、最大級の賛辞です。ここで、店を続けてきて本当に良かった。ありがとうございます」
「礼を言うのは、こちらの方だよ。本当にありがとう」




