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ラエムシティ 罪と業に染まった街  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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31/35

裏で起きていたこと・田淵洸平(3)

 ペドロと名乗る外国人が消えた後も、田淵はじっと立ち尽くしていた。

 その手には、拳銃がある。万一、この場に誰か現れたとしたら、通報されてもおかしくない状況だ。

 幸いにも、それから閉店時間まで誰も来なかった。田淵は厨房へと戻り、椅子に座る。

 ペドロの言ったことは、田淵に強烈な衝撃を与えた。今もまだ、心に突き刺さっている。心臓の奥深くまで貫かれた、そんな気分だ。


 戻って来てからの生活は、実にひどいものだった。

 客の来ない店を、何年も続けてきた。事態が好転するあてがあったわけではない。結局のところは意地だった。

 そう、意地だけで今まで営業してきた。客が来なくても、俺はここに居続けてやる。お前らの思い通りにされてたまるかよ……その思いが、田淵を突き動かしていたのだ。

 そんな折、ガンで余命半年を宣告された──


 田淵は、己の手にあるものを見つめる。拳銃は、ずしりと重い、実際の重量以上に、重さを感じる。


 これで、何人殺せるだろうか?


 ふと、そんなことを考えた。

 ラエム教が、田淵家にしてきたことを思い出す。彼らは、ヤクザや地上げ屋のような嫌がらせはしなかった。代わりに、周囲の人間を根こそぎ奪っていった。気がつけば、田淵はひとりぼっちだ。今まで、来夢市で孤独に生きていた。

 拳銃(これ)さえあれば、奴を殺せる。教祖の猪狩寛水に上手く近づけば、確実に一発は撃ち込める。事態に気づいたボディーガードが止めに入るまで、あと一発は撃ち込める。


 そう、田淵は……ガンが発覚し己の余命を知った時、ラエム教を道連れにしてやろうと考えた。店を続けながら、あの連中にもっともダメージを与えられる手段は何かを模索していたのだ。その手段のひとつが、教祖の猪狩を殺すことである。

 猪狩の周囲には、常に誰かが目を光らせている。そのことは、とっくに確認済みだ。

 しかし、今なら本物の拳銃がある。これなら、奴を殺せるのではないか。

 いや、無理だ──


 そう、こんな小口径の拳銃があったところで、猪狩を殺すことなど出来ない。この拳銃では、確実に当たる距離まで近づく必要があった。その前に、ボディーガードに取り押さえられて終わりだろう。仮に撃ったところで、殺せるか怪しいものだ。

 ならば、長距離用スナイパーライフルはどうだろう。離れた場所から狙い撃てば、止められることなく仕留められる。

 だが、長距離での狙撃は非常に難しいし、それ以前にスナイパーライフルがない。

 ひょっとして、あいつに頼めば手に入るのだろうか? ペドロという男に頼めば、スナイパーライフルくらいは入手できるのではないか?


 いや、手に入るにせよ入らないにせよ、どの道無理だ。田淵の腕では、長距離射撃など出来ない。

 では、自動小銃ならどうだろう。田淵が、かつて自衛隊で扱ったことのある八九式自動小銃。これなら、いけるのではないか。

 八九式自動小銃……その初弾の秒速は、九百二十メートルだ。これだけの威力のあるものを至近距離で撃たれたら、とても無事ではいられない。弾丸は一瞬の内に身体を貫通するが、その間に内臓を破壊しつつ通り過ぎていくのだ。

 しかも、自動小銃なら一発では終わらない。二弾、三弾と続く。止められるまでに、十発以上は撃ち込めるだろう。

 つまり、自動小銃で至近距離から撃てば、奴を確実に殺せる。


 いや、駄目だ。

 猪狩寛水相手にそこまで近づくことこそが困難なのだ。猪狩は常時、数人のボディーガードに囲まれている。奴らは訓練も積んでいるし、いざとなれば体を張って教祖さまを守るだろう。もちろん、防弾ベストは着ているはずだ。

 しかも、向こうはプロだ。自分みたいな者が接近すれば、確実に怪しむであろう。自動小銃を出す前に、取り押さえられて終わりではないのか。


 その時、別の考えが浮かぶ。

 何も、猪狩寛水の暗殺をする必要はないのだ。もうじき、ラエム教の大規模な集会が行われる。全国各地の信者たちが、ここ来夢市に集結するのだ。

 ここで、テロを起こせばどうなる? 世間の目を、ラエム教へと向けることが出来る。そうなれば、ラエム教の暗部を世間に晒せる可能性も出てくるのだ。

 そうなのだ。大勢の信者を、派手なやり方で殺す。自動小銃などは、まさにおあつらえ向きだ。

 宗教団体が開催する大規模なイベントの最中、自動小銃で信者を無差別に殺害……こんな派手なテロ行為は、日本の犯罪史上に残るだろう。

 それだけではない。自動小銃で無差別殺傷という大事件を起こせば、マスコミとて無視できまい。必ずや、教団の裏側に目を向ける。上手くいけば、教団の闇を暴いてくれるかもしれない。

 仮に、それが上手くいかずとも……教団に、少なからぬダメージを与えられるはずだ。それさえ出来れば、自分は満足である。喜んで死んでいけるだろう。


 ややあって、田淵はスマホを手にした。震える指で操作を始める。

 紙切れに書かれていた番号に、電話をかけるために──




 翌日、田淵はいつもの通りに店を開けていた。朝から夜までカウンターに座り、テレビを観たりスマホをいじったりしている。

 行動自体は、いつもと同じであった。しかし、田淵の内面はいつもと違う。テレビを観てもスマホをいじっても、ずっと上の空であった。何を見ても何を聞いても、田淵の心にほ届かない。まるで、言葉のわからない外国の番組を観ているかのようであった。

 その理由はわかっている。今日で全てが終わるのだ。全てが変わり、新しい人生が始まる。

 これまでとは、真逆の人生──

 

 昼過ぎ、店の扉が開く。田淵は、顔を上げた。

 想像通りであった。現れたのはペドロである。大きなズタ袋を抱え、悠然と店内に入ってきた。 

 田淵を見据え、口を開く。


「君は、本気なのだね?」


「はい、本気です」


「確認しておくよ。これはね、一度始めたら、もう二度と元の世界には戻れない。それでも、やるのだね?」


「もちろんですよ。両親も兄弟も、みな死にました。俺の寿命も、あと半年もありません。ならば、この残された命を真っ白な灰になるまで燃やし尽くしたい。自分の人生が無意味でなかったことを、自分自身に証明したいんです」


 そこで、ペドロはフッと笑った。


「自分自身に証明したい、か。素晴らしい言葉だ。それに、今の君はいい顔をしている。本物の戦士の顔だ」


 言った後、ズタ袋の中にあるものを見せる。


「本当に、これだけでいいのかね?」


「はい。高性能なものを持ちすぎても、使えなきゃ意味ないですからね。これで充分です」


「なるほど。確かに、その通りだな」


 ペドロは頷いた。その時、田淵の表情が変わる。


「すみません。最後に、ウチの料理を食べていってくれませんか?」


「俺は構わないよ。だが、その前に聞かせてもらいたい。どういう風の吹き回しかな?」


 怪訝な様子で尋ねたペドロに、田淵は笑みを浮かべて答える。


「この店は、今日で閉めます。残された時間は、全てトレーニングに費やすつもりです」


 そう。これからやろうとしていることは遊びではない。やり遂げるには、訓練が必要だ……その事実を、田淵は理解していた。

 したがって、この店ももう終わりである。だが、最後にひとつだけしたいことがあった。


「あなたに、ウチの店の最後の客になって欲しいんです。あなたにこそ、食べていただきたい。駄目ですか?」


「さっきも言った通り、俺は構わない」




 注文は、前回と同じくラーメンとチャーハンである。田淵は、久しぶりに緊張感を覚えつつ調理をした。いや、これほどまでに心を込めて料理を作ったのは初めてかも知れない。

 出来上がったラーメンとチャーハンを、ペドロの前にそっと差し出す。

 ペドロは、前回と同じくあっという間に平らげてしまった。テレビなどで観る食レポのように、味わっている気配など欠片ほども感じさせない。だが、それが逆にありがたかった。


「どうでしょうか?」


 そっと尋ねてみた。この怪人物の感想が聞きたい。


「田淵洸平という不治の病に侵された料理人が、残り少ない時間を費やし俺のためだけに作ってくれた料理……この味はね、どんな高級レストランのシェフにも作り出せないものだよ。美味いとか不味いとか、そういった次元を遥かに超越している。まさに、君の人生そのものを味わっているかのようだね」


 ペドロは、淡々とした口調で語っていった。

 そこには、大げさな表情もリアクションもない。しかし、その言葉に嘘がないのは伝わってきた。田淵の胸に、形容できない思いがこみ上げてくる。

 そんな田淵に向かい、ペドロはさらに語り続ける。


「これほどの贅沢を享受できる人間は、地球上でもそうそういないだろうな。この味を、俺は一生忘れない。そもそも、忘れることなど出来はしないよ」


 その瞬間、田淵の目から一筋の涙がこぼれた。思わず、深々と頭を下げる。


「俺の生涯において、最大級の賛辞です。ここで、店を続けてきて本当に良かった。ありがとうございます」


「礼を言うのは、こちらの方だよ。本当にありがとう」







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