裏で起きていたこと・田淵洸平(2)
呆然となっている田淵に向かい、外国人はさらに語り続ける。
「君の人生は、ラエム教によって狂わされた。いや、壊されたと言っても過言ではあるまい。信教の自由は、憲法によって決められている権利だ。しかし、それが来夢市では通用しない。ラエム教の信者にあらざる者は人にあらず、それが来夢市のルールとなっている」
その通りだった。
ラエム教信者にならない者は、近所から次々と引っ越していった。口には出さないが、おそらくは嫌がらせがあったのだろう。
「だがね、それでいいのかい?」
言ったかと思うと、外国人は顔を近づけてくる。田淵は完全に呑まれ、そのまま突っ立っていた。
「君は……いや、君の家族はラエム教によって辛酸を舐めさせられた。父親である孝蔵氏は、ラエム教信者の勧誘を受けたが、全てはねつけた。すると、家族への嫌がらせが始まった。執拗な嫌がらせにより心労が溜まっていき、やがて倒れてしまった」
これまた事実である。
田淵が自衛隊に入った理由のひとつが、この街を出るためだった。店にこだわる父が理解できなかったし、何よりラエム教とかかわりたくなかったからた。
しかし、父は死んでしまった──
「さらに、母親である好美さんと兄の康介さんは自殺し、店は君が継がざるを得なくなった。君はどうにか店を続けていこうとしたが、客が来ないのでは話にならない。そんな中、君の病が発覚した。残りの寿命は半年……これでは、もはや店どころではない。君は、仕方なく撤退することにした。さて、俺の語った話に事実と異なる点はあったかな?」
「いや、ないよ」
「もう一度聞くよ。それでいいのかい? そんな終わり方で、君は満足できるのかい?」
「あんたは、何が言いたいんだ?」
憤然とした表情で聞き返した時だった。突然、外国人の手が伸びる。
次の瞬間、田淵の体は一回転していたのだ。何が起きたのか、把握する暇もない。
異常事態は続く。一回転したかと思うと、田淵の体は床に叩きつけられていた。背中を思い切り打ち、ゴフッという声が漏れる。
そこで、ようやく気づいた。田淵は今、外国人の手により一回転させられ、床に落とされたのだ。しかも、外国人の右手が喉を掴んでいる──
田淵は、さほど大きな体格ではない。それでも身長は百七十センチそこそこあり、体重も七十キロほどはある。だが、この外国人は七十キロの成人男性を文字通り手玉に取り、床に這わせているのだ。
その上、喉を掴まれているのだが……その手から感じる腕力は、尋常なものではなかった。まるで、クマかライオンにでも押さえつけられているような感覚だ。
完全に呑まれ動くことすら出来ずにいる田淵に向かい、外国人は冷静な表情で口を開く。
「質問しているのは俺だ。君には、答える義務がある。もう一度聞く。君は、満足できるのかい? この結末を、承服できるのかい? 出来ると言うなら、俺は今すぐこの店を出る。二度と、君の前に姿を現すことはない」
静かな口調だった。だが、こちらを見下ろす目には冷ややかな殺意がある。それも、本物の殺意だ。このままでは、殺されてしまうかもしれない。
しかし今、田淵の中では恐怖よりも大きな感情が動いていた。
その口から、声が漏れる。
「いいわけ……」
次の瞬間、言葉が勝手に溢れ出てきた──
「いいわけねえだろうが! こんな……こんなのってあるかよ! オヤジもオフクロも兄貴も、苦労しまくった挙げ句に死んでったんだ! みんな、あのラエム教のせいだ! 挙げ句、俺はガンで余命半年だぞ! ふざけんじゃねえよ! こんなふざけた人生があってたまるかよ!」
奇怪な外国人に押さえつけられ、殺されるかもしれない……そんな状況にもかかわらず、田淵の口からは矢継ぎ早に言葉が飛び出てきたのだ。
そう、田淵が今まで心の中で押さえつけていたもの……怒り、憎しみ、悔しさ、悲しさ、絶望、失望。そうした諸々の負の感情が、一気に溢れ出したのだ。
そんな田淵を見下ろし、外国人はニヤリと笑った。
「だったら、ラエム教に一矢報いたいと思わないかい?」
「ど、どういう意味だ?」
聞き返した瞬間、ペドロの目つきが変わる。
「質問するのは俺、答えるのは君。先ほど言ったはずだよ。君は、日本語がわからないのかい? それとも、同じことを何回言われても理解できないのかな?」
同時に、喉を掴む手に力がこもる。田淵は苦しさのあまり、ウンウンと頷いた。
すると、力は弱まる。呼吸も楽になってきた。荒い息を吐いた田淵に向かい、外国人は再び尋ねる。
「もう一度聞く。ラエム教に一矢報いたいとは思わないのかな? はい、もしくはいいえで答えるのだ。実に簡単な話だよね。さあ、どちらだい?」
「は、はい」
問われるまでもなかった。答えはイエスに決まっている。実際、それを計画したこともあった。しかし、さんざん頭を悩ませた末の結論はこうだった。
自分には、不可能だ──
「では、これを君にあげよう」
言いながら、外国人は田淵をひょいと起き上がらせる。あまりにも無造作な動きだった。まるで、赤ん坊を扱うかのようだ。
続いて、何かを田淵の手に握らせる。
「これは……」
「ベレッタのコピー品だ。日本でも、十万円ほど出せば手に入るのではないかな。コピー品とはいえ、使い勝手は悪くない。きちんと弾丸も出るし、殺傷能力もある。かつて自衛隊にいた君なら、わかるはずだよ」
そう、田淵の手にあったもの……それは、黒光りする拳銃だった。ずしりと重い。モデルガンでないのは、持った瞬間にわかった。
「これをどうしろと?」
尋ねるが、直後にハッとなった。この外国人は、質問されることを極端に嫌っている。ひょっとしたら、今度こそ殺されるのではないか……。
だが、次に起きたのは意外な展開であった。外国人は、笑みを浮かべたのだ。
「フッ、今は君が質問しても何の問題もないよ。そして、質問された以上は答えよう。これは、君へのプレゼントだよ。もう、君のものだ。君の好きなように使いたまえ。警察に持っていくも良し。誰かに売り払うも良し。もちろん、敵を撃ち殺すのに用いても良し」
どうやら、この外国人は己のルールに異常なまでのこだわりがあるようだ。そのひとつが、質問に質問で返すな……ということらしい。
一方、外国人は語り続ける。
「繰り返すが、この拳銃は本物だ。コピー品ではあるが、殺傷能力に関しては申し分ない。何なら、後で試してみたまえ。俺も何度か試し撃ちしてみたが、問題はなかった。暴発し、君の指を吹き飛ばすような事態にはならないはずだよ。もっとも、信じるか信じないかは君次第だがね」
外国人の言っていることは本当だった。田淵は自衛隊にいた時、本物の拳銃を扱ったことがある。撃ったこともある。その経験が、彼に教えてくれた。
これは、本物だ……。
「俺は、もっと強力な武器を用意できる。君が望むなら、自動小銃でも調達できる。コピー品だがね」
「あなたは、俺に何をしろと言うんですか?」
思わず聞いていた。もっとも、その答えは言うまでもないものだった。
「いちいち言わなくても、わかっているはずだよ。ただ、君が見ようとしていないだけさ」
果たせるかな、外国人の答えは田淵が考えていた通りのものだった。
次いで、外国人は紙切れをテーブルに置く。
「ここには、俺の連絡先が書かれている。もし何もなければ、明後日この街を発つ。もう二度と、君の前に現れることはない。したがって、君との縁も切れる。ちなみに二日経てば、ここに書かれた番号は使えなくなるからね」
そんなことを言った。が、直後に顔を近づけてくる。
「だが、それでいいのかい?」
外国人の瞳は黒い。田淵には、その黒さは闇に思えた。底知れぬ深淵……深い闇が、こちらを覗いている。
その闇は、容赦なく田淵の心に秘めたものを引きずり出して来る。田淵は目を逸らしたかった。だが、逸らすことは出来なかった。
「俺との縁を切ってしまっていいのか、よく考えてみたまえ。ただね、君に残された時間は少ない。そのことも、きっちり考えておくんだ」
そんなことを言った直後、すっと顔が離れる。
「そういえば、まだ名乗っていなかったね。俺の名はペドロだ。縁があったら、また会おう」
その言葉を残し、外国人は去って行った。




