小林、電話をする
突然、スマホが震え出した。
何かと思えば、電話がかかってきている。それも小林綾人からだ。
午後四時、加納と木俣はホテルの一室にいた。とはいっても、高級なものではない。ビジネスホテルに毛の生えたようなレベルのものだ。そんなホテルの二階に、加納と木俣は泊まっているのだ。
加納はソファーに座り、つまらなさそうな顔でテレビを観ている。木俣はというと、忙しなげにスマホを操作していた。どうやら、他の者たちと上手く連絡が取れていないらしい。
そんな中、電話がかかってきたのだ──
加納という男は、電話がかかってきても出ない。基本的な対応は、無視して終わりだ。小林も、加納という人間の癖は知っているはずだった。
にもかかわらず、電話をかけてきた。これには、緊急の事情があるということだ。加納は、速やかに通話機能をONにした。
「何事だい?」
いきなり尋ねてみた。が、返ってきた言葉は想定外のものだった。
「加納さん、ナタリーさんと真琴さんが捕らえられたようです。私も、もう駄目みたいですね。奴らに、すっかり囲まれちまいました。どう足掻いても逃げられません」
淡々とした口調だ。細かい状況はわからないが、追い詰められているのはわかる。加納は、次の言葉を待った。
次の瞬間、予想外の言葉を聞かされる──
「かといって、むざむざ捕まるのもシャクですからね。今いる場所を爆破します」
「爆破?」
「ええ。ちょうどプラスチック爆弾があるんですよ。こいつを爆発させれば、私は死にます。同時に、奴らの何人かを道連れに出来ます。どうせ奴らに捕まりゃ、拷問の挙げ句に山に埋められるのがオチですからね。だったら、最後は華々しく逝きますよ」
小林は、デタラメも言うしバカ話もする男だが、こんな時に冗談は言わない。本気なのだ。
横で聞いている木俣の顔も歪んでいた。しかし、小林の方は普段通りの口調で語り続けている。
「しかも、私の体は粉々に吹っ飛ぶわけですから。死体を見ても、私だとは判断できなくなりますよ」
加納は、思わず目をつむる。一瞬、意識が飛んだような気がした。だが、すぐに意識を正常に戻す。
小林は今、追い詰められている。話せる時間も短いはずだ。そんな状況の中、人生で残された僅かな時間を使い、加納に何かを伝えようとしているのだ。
「本気、かい?」
「もちろん本気ですよ。でなきゃ、こんなことわざわざ電話したりしません」
即答だった。口調も落ち着いている。今から死にゆこうとする者とは思えない。
だが、加納は知っている。小林は強面ではないし、体格も普通だが、そこらのヤクザなど比較にならないほどの修羅場をくぐっている。生きるか死ぬかという状況を何度も越えてきたのだ。
だからこそ、最後の最期まで足掻き、己に出来ることをするつもりなのだ。
そして、加納の表情もまた変化がない。いつもと変わらぬ様子で、最期の言葉を受け止めようとしている。
「加納さん、ひとつお願いがあります」
「なんだい? 言ってくれ」
「私の飼っていた猫のグロウなんですがね、あいつの世話をよろしく頼みます」
「猫? グロウ?」
「そうです。加納さんも御存知ですよね? 私の飼い猫のカイザーグロウです」
どういうことだ? 加納は一瞬、言葉に詰まる。何を言っているのか、全くわからない。
だが次の瞬間、閃くものがあった。一秒後、全てを察する。これから為すべきことを理解したのだ。
「思い出したよ。そういえば、そんな猫がいたね。確か、猫のくせに高いところが苦手だったよね。あと、お腹を壊しやすかったのも覚えている」
その時、クスリと笑う声が聞こえてきた。小林の声である。
「その通りです。いやあ、あなたに付いて来て本当に良かった。グロウは例の公園にいますから、出来るだけ早く会ってあげてください。では、後のことはよろしくお願いします。これから、派手な花火を打ち上げますんで」
そこで、電話は切れた。
「加納さん……」
木俣が、そっと声をかける。この男は不器用で、こんな時に何と言えばいいのかわからない。
ただ加納には、何をしでかすかわからない部分がある。付き合いの長い木俣でも、予測不能な行動をすることがあるのだ。
真琴とナタリーが囚われ、小林が死んだ。こうなると、単独で奴らのアジトに乗り込むかも知れない。それだけは、絶対にさせてはならないのだ。
しかし、その心配は杞憂だったらしい。
「こうなっては仕方ない。我々も、撤退するしかないね」
加納は、事も無げな様子で言った。どうやら、小林の死は彼に何のダメージも与えていないらしい。
その姿を見た木俣は、じろりと睨み付ける。
「それだけ、ですか?」
「ん?」
聞き返した加納に向かい、木俣は静かな口調で語り出す。
「撤退するしないはあなたの判断に任せますが、この件を撤退の一言で終わらせるのですか?」
「だから、どういう意味なんだい?」
「小林が、なんであんな手段を使ったかわかりますよね? 身元を割れにくくするため、ひいては加納さんや俺たちに迷惑がかからねえようにするためですよね。なのに、あなたは何とも思わないんですか?」
「では逆に聞こう。どう思えというんだい?」
「小林は、あなたや俺を守るために死んだんですよ? そのことに、あなたは何も感じないんですか?」
「なるほど、君の言いたいことはわかった。だがね、悲しみの感情のまま涙を流し、小林くんの死を悼んだところで、状況は好転しない。怒りの感情に任せ、必ず復讐してやると喚いたところで、これまた状況は変わらない」
「あなたは、本当に合理的なんですね」
「誉めてもらえて光栄だね。しかし、この状況はさすがに予想外だった。あの用心深い小林くんが、動きを掴まれてしまった。挙げ句、自決という最悪の手段を選ばざるを得ない状況に追い込まれた。どうやら、これが剛田氏の本気らしい。今は、まず撤退だ」
その時、木俣の表情が僅かながら変化した。
「もう一度いいますよ。小林は、命を捨てて俺たちに逃げる暇を与えたんです。見事な死に様ですよ。自決という最悪の手段、という言い方はないんじゃないですかね」
「それが君の考え方なんだな。僕とは違うが、だからこそ貴重な意見だよ。君がいるから、僕はどうにか社会生活を営める」
「何を言っているのかわかりません」
「君がいて僕がいる、ということさ。ともかく、ありがとう」
そう言うと、加納は立ち上がった。そのまま、トイレへと入っていく。木俣の方は、テレビの画面に目を凝らしつつ、スマホにも気を配っていた。
やがて、スマホにメッセージが届く。ネットニュースの通知だ。内容は「来夢市にて爆発事故発生、ひとり死亡」というものだった。続いて、テレビのニュース番組でも報道される。
間違いない。小林は死んだのだ──
どのくらい時間が経ったのだろう。
木俣は、やっと異変に気付いた。本来なら、もっと早く気づいていなければならなかったもの。いや、普段ならすぐに気付いていたはずだった。
加納の気配が、完全に消えている。トイレに行く、と言ったきり出て来ていない。
「加納さん?」
木俣がトイレに行くと、ドアは閉まっていた。鍵もかかっている。
「加納さん!?」
さらに怒鳴ったが、返事はない。
苛立った木俣は、ドアに蹴りを入れた。凄まじい音が響いたが、ドアはびくともしない。
木俣は、さらに蹴りを入れる。と、ドアが留め具ごと外れた。
しかし、トイレの中には誰もいない。見れば、窓の金具が外されている。ホテルの窓は、事故や自殺防止のため開く範囲が狭められているが、加納は金具ごと外してしまったのだ。
そして、木俣に知られることなく外に出た──




