矢沢、最後の足掻きを見せる
午後六時過ぎ、加納と木俣は例によって繁華街を闊歩していた。
今となっては、彼らはこの辺りの有名人となっている。客引きたちほ声をかけないし、チンピラたちも絡んだりはしない。ただ、遠巻きに彼らが通り過ぎていくのを見るだけだ。
そんな中、不意に木俣が口を開く。
「真琴が近々、剛田と会うことになりそうです。あいつ、意外とやりますな」
「ふうん、思ったより早かったね」
「ええ。こうなると、今度は我々の方がどう動きますか……」
言いながら、木俣は周囲を見回した。
チンピラの集団に後を付けられている。もっとも、それ自体はいつものことだ。しかし、いつもとは様子が異なる。人数が多い上、殺気に近いものすら漂わせているのだ。
木俣は、そっと加納に囁く。
「また面倒なことが起きそうです。いざとなったら、今度こそ逃げてください」
「うん、わかった。しかし、毎回あんな連中につけられるのも嫌だよ。こうなったら、そろそろひと暴れしてやろうかな」
言ったかと思うと、加納は足を速める。このまま進めば、行き先は広い公園だ。以前に小林らと情報交換した場所である。
「ちょ、ちょっと加納さん!?」
木俣は慌てるが、加納はすました表情だ。
「そろそろ、次の段階に移行しようじゃないか。剛田氏にも、はっきり言っておきたいからね」
しばらくして、加納は立ち止まった。
そこは広場で、昔は子供たちが野球やサッカーなどに興じていたものだった。しかし最近では、公園での球技は禁止されている。今となってほ、子供よりも老人たちの活動の場となっていた。
そんな場所にて、加納は立ち止まり周りを見回した。
十メートルほどの距離を置き、少年たちが立っている。皆、髪型や服装はまちまちだ。ただし、共通点がひとつある。全員、危険な目をしていることだ。中には、あからさまな敵意を向けている者もいる。
そんな少年たちに、周囲を完全に囲まれている。逃げ場はない。にもかかわらず、加納は余裕の表情であった。
さらに、この男が口を開く。
「てめえら、揃いも揃ってマズい面だな! 何の用だ!? 俺たちに、その面を活かした爆笑必至の芸でも見せてくれようってのか!?」
木俣が怒鳴りつけると、少年たちの表情がさらに険しくなる。今にも襲ってきそうな雰囲気だ。
そんな少年たちをかき分け、前に出てきたのは矢沢だった。真っ青な顔で、震えながら口を開く。
「自分、矢沢ってモンです。剛田さんから、おふたりを連れて来いって言われました。ですんで、今すぐ来てください」
「嫌だよ」
「そこを何とか……お願いします!」
言った直後、矢沢は土下座した。額を地面にこすりつける。しかし、加納は冷静だった。
「あのさぁ、土下座なんかしてどうすんの? こっちは、何も得しない。むしろ、見苦しいものを見せられて迷惑なだけだ。木俣、行こうか」
「待てよ!」
怒鳴ると同時に、矢沢は立ち上がった。両手には、拳銃が握られている──
「加納さん、頼みますよ。来てもらわねえと、こっちもこういうのを出さなきゃならないんです」
言いながら、矢沢は加納に銃口を向ける。その手は震えており、今すぐにも暴発しそうだ。
周りの少年たちも、様子が変わっている。たぶん、いつもの喧嘩のノリで来てしまったのだろう。ところが、出てきたのは拳銃だ。これ、シャレになんねえよ……そんな顔つきで、矢沢を凝視していた。
さすがの木俣も、拳銃を前に顔をしかめていた。だが、加納は表情ひとつ変えない。先ほどと同じく、冷たい目で彼を見ている。
「君は、何を考えているんだ? 頭に脳みそではなく、トコロテンでも入っているのかい?」
「何だと!」
「僕を殺してどうする? 生かして連れて来いと言われているんだろ? なのに、拳銃を抜いてどうするんだ──」
言い終える前に、木俣が動いていた。一瞬のうちに、加納の前に立ち矢沢を睨みつける。
直後、ズンズン歩き出したのだ。行き先は、もちろん拳銃を構えた矢沢である。
「く、来るなぁ!」
怒鳴る矢沢だったが、木俣に止まる気配はない。あっという間に、両者の距離は縮まっていく──
「こ、この野郎!」
喚くと同時に、銃声が轟く。ついに、矢沢の拳銃が火を吹いたのだ。直後、彼は尻餅をつく。腰が抜けてしまったらしい。
一方、撃たれた木俣は平気な顔をしている。拳銃から放たれた銃弾は、木俣の胸のあたりに命中したはずだった。にもかかわらず、この大男に止まる気配はない。
実のところ、木俣の着ているスーツは特注の防弾効果があるものだ。矢沢の持つ小口径の拳銃では、当たったところで貫通させることは出来ない。しかも、木俣の打たれ強さは人類でもトップクラスだ。この程度では、何のダメージもない。
唖然となる矢沢とは対照的に、木俣は憤然とした表情で動いていた。手を伸ばし、腰を抜かしているチンピラから拳銃を奪い取る。
ポイッと放り投げると、もう片方の手で矢沢の襟首を掴む。
片腕で軽々と持ち上げ、こちらも無造作にブン投げてしまった。
地面に叩きつけられた矢沢は、うめき声を漏らす。と、加納が彼の前に立った。
「君は、本当にバカだなあ。拳銃で脅すのは、相手には殺されるかも知れないという恐怖がある場合だけだ。君の目的は、僕を生きたまま剛田の元に連れていくことなんだろ? だったら、僕を撃つことは出来ないよね?」
そう言うと、加納はクスリと笑った。直後、決定的な一言を放つ──
「拳銃、意味ないじゃん」
「こ、この野郎……」
矢沢は、屈辱に身を震わせた。直後、顔を上げ怒鳴る。
「みんな! こいつらを捕まえろ!」
その声は、加納らを取り囲んでいる少年たちに向けたものだ。普段なら、この一言で全員が動くはずだった。
しかし、誰ひとり動こうとしない。皆、何とも言えない表情を浮かべて成り行きを見守っている。
それも仕方ないだろう。拳銃を撃たれても怯まず、しかも矢沢を片手で放り投げた木俣の姿は、少年たちの常識を遥かに超えていた。彼らの間での「あの人、超ツエーよ」という噂話など、完全に超越している存在である。
動かない少年たちに業を煮やしたのか、今度は木俣が吠えた。
「おい、どうすんだコラ! やるなら、さっさと来い! やる気がねえなら、とっとと失せろ!」
声が響き渡った瞬間、少年たちは一斉に反応した。ビクリと体が震え、顔は一瞬のうちに青ざめていった。彼らはバカだが、それでも強弱の判断は出来る。
矢沢は完全に敗北してしまった。それも、これ以上ないくらい無様な負け方である。拳銃を持ち出しながら、素手の男に負けたのだ。
やがて、ひとりの少年が矢沢に背を向け帰っていった。それを機に、他の少年たちも次々と帰っていく。
やがて、その場に残っているのは三人だけとなった。加納と木俣、そして倒れている矢沢だけだ。
加納はしゃがみ込むと、矢沢に声をかける。
「さて、君にはまだやることがある。さっさと、剛田に電話したまえ」
「む、無理です。それは出来ません」
今にも泣きそう顔で、矢沢はかぶりを振った。と、彼の髪を鷲掴みにした者がいる。
「無理じゃねえんだよ。さっさとやれや」
言うまでもなく木俣だ。低い声で凄まれ、矢沢は観念した表情で、スマホを取り出し操作し始めた。
やがて、スマホから声が聞こえてきた──
「おい矢沢、てめえ俺に電話かけてくるとは、いい度胸してんな。くだらん用事だったら、今度こそ殺すぞ」
途端に、加納が口を開く。
「やあ、あなたが剛田薫さんですか。はじめまして加納春彦です」
「ほう、あんたが加納か。顔と同じく、声の方も綺麗だな。実に、いい声だよ。出来れば、直接会って話せないのか?」
「悪いけどね。僕は君には会いたくないんだ。僕にどうしても会いたいなら、君がひとりで僕の元に来たまえ。それとも、ひとりで外を出歩くのは怖いのかい?」
「そうかい。俺にそんなナメたことを言って、ただで済むと思っているのか?」
「君のことなんか、ナメたくないよ。ナメたら、お腹を壊しそうだからね。そんなわけで、君との会話は終わり。はいさようなら」
・・・
スマホの通話は切れた。剛田は、ニヤリと笑いスマホをテーブルに置く。
結局、矢沢は自分との約束を果たせなかった。だが、面白い体験をさせてくれた。それだけでも、あいつにしては上出来だ。
剛田は今、隠れ家にいた。先ほど「コレクション」の様子を一通り見て回り、静香と共に雑談をしていたところだった。
そんな時、急に矢沢から電話がかかってきた。何事かと思いきや、相手は加納春彦であった。彼と初めて言葉を交わしたのだ。
加納の態度は、まさしく無礼千万であった。にもかかわらず、不思議と腹は立たない。それどころか、久しぶりに血のたぎるような感覚を覚えていた。
「今のは、加納だったの?」
横に座っている静香に聞かれ、剛田は上機嫌で答える。
「ああ、そうだよ。お前の言う通りだった。加納は、今までで最高の相手になりそうだよ。あいつも、俺のコレクションに加えてやる。奴は楽しめそうだ」
「確かに、加納春彦は美しい。それでも、あなたの心を満たすことは出来ない」
「はあ? 何を言ってるんだ?|
「あなたは昔も今も、彼を愛している。あなたに必要なのは加納でも私でもない。憲剛なんだよ」
「くだらんことを言うな。お前こそ、憲剛のことをどう思ってたんだ?」
低い声で聞かれ、静香は無言で目をそらした。
「憲剛は、お前のことが好きだった。お前は、奴の気持ちに気付いていたんだろうが……なのに、気付かないふりをしていたよな?」
鋭い口調で迫る剛田に、静香は悲しげな表情で口を開く。
「私は、あの関係を壊したくなかった……あんたにだって、わかってたはずだよ?」
「そうかい、便利な言い訳だな」




