剛田、過去を思う(3)
その後の熊田はというと、河合が発見されてから半年ほど経った時、突然フィリピンへと渡った。
この理由についてははっきりしないが、河合の父親が動いたから……というのが、もっとも有力な説だ。当時、父親は熊田を拉致しろという命令を出していたのである。もちろん、拉致して話し合いをするわけではない。死ぬよりも恐ろしい目に遭わせるためだ。
熊田がフィリピンに移ってから、さらに半年が経過した時だった。現地の警察が、熊田武史の遺体らしきものを発見した……と、発表したのである。熊田は、フィリピンで河合の父親が放った追手に殺された……大半の人間が、そう判断していた。
熊田武史が消えてから、一年が経った。
この頃、裏社会にて頭角を現していたのが剛田薫だ。熊田と入れ替わるように、この業界へと入って来たのである。
剛田の勢いには、神がかり的なものがあった。もともと大金を持っていた上、頭はキレるし度胸もある。やることなすこと全て上手く行き、己の勢力を拡大していく。あっという間に、業界でも知られる存在になっていった。
だが、その後の行動には誰もが驚かされた。何を思ったか、新興宗教ラエム教に入信し信者となったのだ。そこからの勢いも凄まじく、あっという間に幹部信者へとなってしまった。
言うまでもなく、剛田の人相は悪い。ただでさえ強面の顔にタトゥーを入れている。体の大きさや全身から漂う暴力的な空気も相まって、存在だけで周囲に威圧感を与える。教団にとって剛田のようなタイプは、マイナス面の方が大きいはずだ。
ところが、剛田はその部分を上手く利用にした。かつて不良だった男が更生するストーリーは、人々の興味をそそる。「私は幼くして両親を失い、世の中を憎んでいた。結果、どうしようもない悪人に成り果てた。顔のタトゥーは、その名残だ。しかし、ラエム教が自分を救ってくれた」という演説時の鉄板ネタは、聴衆の興味と感動を誘う。
さらに、いざという時の暴力や裏の世界で作り上げた人脈がある。事実、剛田がラエム教幹部になってからは、マスコミも迂闊に手を出さなくなった。
言うまでもなく、熊田武史と剛田薫は同一人物である。もちろん、その事実を知る者も少なからずいる。おそらくは、河合の父親も知っているだろう。
だが、剛田は来夢市に住んでいる。信者たちで構成された街にいる以上、下手に手を出せないのだ。
この街で剛田を殺すのは難しい。誘拐するとなると、さらに困難だ。なにせ、住人のほぼ全てが信者である。来夢市にいる限り、彼に手を出せる者などいない。
今の彼を殺害するには、来夢に空爆でもしない限り無理だろう。
隠れ家に戻ると、いつものごとく静香が待っていた。椅子に座り、文庫本を読んでいる。剛田が帰ってきても、挨拶のひとつもしない。これまた、いつものことである。
剛田の方も同じだ。挨拶せず、そのまま彼女の横を通り過ぎていく……それが普段の行動パターンである。しかし、今日は違っていた。
「憲剛に会ってきたぜ。相変わらず、呑気に寝てやがったよ」
「そう……」
静香は、さして興味なさそうな声で答えた。
少しの間を置き、さらに言葉を続ける。
「ねえ、いつまでこんなこと続けるの?」
途端に、剛田の表情が変わった。
「どういう意味だ? 憲剛の治療をやめろってのか?」
「違う。あれよ」
言いながら、静香が指差したのはひとつの扉だった。
その扉の先には、独房の並ぶ通路がある。その中には、剛田に顔を整形させられた者たちが入っている。
彼らは寿命が尽きるまで、この独房の中だけで生きていかねばならないのだ。
「俺がやめようと思うまでだ」
対する剛田の答えは、素っ気ないものだった。
「あんなことして、何の得があるの?」
なおも尋ねる静香。その声は震えていた。しかし、剛田の表情は変わらない。
「得はないが、俺の気分は良くなる。それに、今やめたら、あいつらどうすんだ? 自由にしたら、たぶん生きていけねえぞ」
そう、彼らは自分の顔を失った上、狭い独房での監禁生活をさせられている。ほとんどの者が、精神を病んでいるのだ。
仮にここから出されたところで、行き先は精神病院の閉鎖病棟であろう。
「今のあいつらは、鉄格子の中しか居場所がねえんだ」
剛田が顔面にタトゥーを入れているのは、ファッションでも主義主張のためでもない。
顔面に醜い火傷痕が残ってしまった静香は、人と会うことを拒絶していた。一時は、剛田ですら拒絶していたのだ。
美しかった容貌を、一瞬で失う……まだ十五歳の少女にとって、不治の病と同じくらいショックな出来事である。彼女は病室に閉じこもり、一切の情報を遮断していた。
そんな中、剛田が病室に入って来た。半ば力ずくで、医師や看護師たちの制止を無視して侵入してきたのだ。
入るなり、剛田は自分の顔面を指さす。そこには、タトゥーが彫られていたのだ。今ほど派手なものでなくワンポイント程度だ。それでも、まともな職業に就けなくなるのは間違いない。
唖然となる静香に向かい、剛田は口を開く。
「これでどうだ? これでもダメなら、もっとデカい奴を描くぜ」
真顔でこんなことを言った剛田に、さすがの静香は根負けし会うようになった。やがて彼女は退院し、剛田と暮らすこととなる。
その後、熊田武史から剛田薫に変わったのをきっかけに、一気に顔のタトゥーを描きあげた。一般人としての幸せは捨てた、という意思の現れである。
共に生活していくうち、剛田は静香の持つ能力に気づいた。聞けば、顔を焼かれたことがきっかけとなったらしい。彼女は、様々なことを予知して剛田にアドバイスしていった。
剛田は、その能力を最大限に利用し、ここまでのし上がってきた。表と裏の力、宗教団体の後ろ盾、さらに本物の予知能力。今の剛田に死角はない、そう言っても過言ではないだろう。
剛田が、顔の美しささをひけらかす者に異様な敵意を抱くようになったのは、静香が退院してからである。
それまで、静香を大女優か歌姫のように崇め奉っていた者たち……しかし、彼女の顔が変わってしまった途端に、接する態度もまた百八十度変わってしまった。
初めのうちは、お見舞いの手紙や花などよこす者もいた。しかし、それらは長続きしなかった。やがて、静香に連絡してくる者はいなくなってしまった。
退院した後、剛田は彼女を連れ中学生時代の同級生の家を訪ねたことがあった。かつて、彼女と一番仲の良かった女生徒である。「私たち親友だよね!?」と静香に言っていた姿を、剛田も覚えていた。
しかし、扉を開けた「親友」の態度は素っ気ないものだった。今さら何の用だ? とでも言わんばかりの様子である。頭にきた剛田は、彼女の襟首を掴み頭上に持ち上げる。そのまま地面に叩きつけるつもりだったが、静香に止められ断念した。
納得のいかぬ話であった。顔に火傷を負ったとはいえ、静香は静香である。なのに、あっさり手のひらを返す連中を間近で見て、剛田は殺意すら感じていた。
だからこそ剛田は、綺麗な顔を自慢し鼻にかけているような輩が嫌いだった。
そういった者の方から剛田に接触してきた場合、有無を言わさず捕らえる。その後は整形手術で顔面を目茶苦茶なものに変え、己の家にある檻に放り込む。もちろん、性別は関係ない。男も女も、平等に彼は奴隷に変える。
そして一日に一回は、己のコレクションを見回るのだ。醜く整形された顔の者たちひとりひとりを眺め、悦に入る……そんな剛田の姿は、怪物以外の何者でもなかった。




