剛田、矢沢のバカさに呆れる
来夢市の繁華街は、今夜もにぎわっていた。酔っ払った外国人観光客のものらしき歓声や咆哮が、あちこちから聞こえている。店から漏れ聞こえる流行歌や車のエンジン音なども加わり、混沌としている。もっとも、喧嘩騒ぎは今のところないらしい。。
そんな街にも、妙に静まり返った一角がある。事情を知らずに足を踏み入れた者は、すぐに異様な気配を察して引き返すことになる。
その一角には、得体の知れぬ店が連なっていた。奇妙奇天烈な絵や、国籍不明の文字があちこちに描かれている。
そもそも、この通りでは……どこまでが店でどこまでが住居か、その判断すら難しい。看板は出ておらず、電気もついていない。営業しているのかどうかもわからないような店ばかりである。たまに人が出入りしているのも見かけるが、みな怪しい人相の者ばかりだ。
言うまでもなく、こういった店で扱う商品は非合法なものだ。店員は裏社会の人間がほとんどで、商売のため形だけラエム教に入信している。彼らは危険ではあるが、派手な悪さはせず静かに商売をしている。剛田に目をつけられたら、簡単に潰されてしまうからだ。
そんな中、ひとつだけ違法な品を扱っていない店があった。小さな飲み屋のようだが、店はこぢんまりとしており照明は薄暗い。
現在、店内にはふたりの客がいる。うちひとりは、スーツ姿の剛田薫である。店の奥に設置されているソファーにて、ひとりで座っている。
テーブルを挟んだ向かい側にいるのは、二十代の若者だ。髪を金色に染めており、中肉中背の体にTシャツを着ている。二の腕と首にはタトゥーが入っており、公序良俗を尊ぶタイプの青年でないのは明らかだ。
若者と剛田、この両者に格の差がありすぎるのは、そちら関係に疎い人でも一目でわかるだろう。着ている物はもちろんのこと、醸し出している空気からして天と地ほどの違いが感じられる。若者は神妙な顔つきで、気をつけのような姿勢で立っていた。
カウンターには中年男がいる。身長はさほど高くなく、スキンヘッドにメガネ、ワイシャツにベストという格好だ。ふたりのことなど見ようともせず、椅子に座りテレビを観ている。
「加納の奴は、どうしても来たくねえと言ってたのか。ふざけた野郎だな。俺の名前は、ちゃんと出したんだろうな?」
先に口を開いたのは剛田である。言った後、ジロリと睨みつける。
若者の方は、顔を歪めつつ口を開く。
「はい。剛田さんが会いたがってると言ったんですが、てんで聞く気がなくて……」
「そうか。しかしよう、たかが男ひとりを連れて来れねえとはな。お前ら、やっぱり使えねえよ。あんだけイキッたことフイてたのに、このザマか」
剛田は冷めた口調で言った後、口元を歪め笑った。まあ、こうなることはわかってたけどな……とでも言いたげな表情である。
彼の目の前にいる若者は矢沢という名で、地元では不良少年たちを束ねている有名人らしい。もっとも、剛田はこの青年に何の興味も持っていない。向こうから熱心に売り込んで来たので、今回の件に使ってみたのだ。
そんな矢沢は、泣きそうな顔で言い訳を始める。
「違うんですよ! 加納のそばに、いつも変な男が付いてて……そいつ、むちゃくちゃ強いんです!」
「変な男? どんな奴だ?」
「黒いスーツ着てて、すげえガタイしてて……とにかく、むちゃくちゃ強いんですよ!」
バカのひとつ覚えのように、同じセリフを繰り返している。この男、本当に頭が悪い。
剛田はうんざりしながらも、さらに話を続けた。
「強いったって、たかがひとりじゃねえか。手こずるほどのもんじゃねえだろうが」
「まあ、それもそうなんですが……」
言葉につまる矢沢を見て、剛田は溜息を吐いた。さすがに、ここまで使えないとどうしようもない。どこがいいとか悪いとか、そうした批評以前の問題だ。
この手の若者に有りがちなのは「俺は地頭がいい」という思い込みである。仲間内で集まり話をしているうちに「俺はこいつらより頭がキレる」などと、己の能力を過信するようになるのだ。さらに学歴コンプレックスなども加わり「俺は学歴はないが、地頭はいい」と思い込んで、売り込みに来たりする。
ところが、実際に何かやらせてみると、全く使い物にならない。こういった不良少年たちは、井の中の蛙でしかないのだ。学業からドロップアウトした者たちの中で少しばかり有能だったとしても、社会の上位では全く通用しない。
少なくとも、実社会にて優秀な者たちと競い合って来たような人間たちと比べれば、「地頭がいい」と思い込んでいる不良少年など、あっさりと弾かれてしまうレベルなのだ。
結果、彼らの行き着く先は振り込め詐欺における受け子や出し子のような仕事しかない。
剛田の前にいる矢沢も、そうした若者のひとりでしかない。ケンカの強さと押し出しのよさで、それなりの人数の少年を束ねるリーダーになっている。だが、実際に仕事をやらせてみれば、この有様だ。
実のところ、こんな男は普段なら一喝し追い返すところだった。しかし、今は人手の足りない状態だ。間近に迫ったラエム教大会準備のため、大勢の信者たちが駆り出されていふ。
そんな状況の時、タイミングよく現れたのが矢沢である。剛田は、もしかしたら……という淡い期待から矢沢に任せてみたのだ。
こんな奴に、期待などした俺がバカだったのだ……そんなことを思う剛田に、矢沢はさらなる言い訳を繰り出してきた。
「こないだは、もうひとり変なのが出て来たんですよ」
「あのな、変なのだけじゃあわからねえんだよ。何があったのか、状況を説明しろ」
「す、すみません! 俺らが加納の後を尾行してたら、変な外国人の男が現れて、そいつが加納にちょっかい出してきたんです。で俺らが注意したら、いきなり襲いかかってきて……全員やられました」
「外国人だと? どうなってるんだ?」
剛田は首を捻る。
このところ、来夢市は外国人観光客の誘致に力を入れている。外国人には特別な便宜が図られている上、観光客向けのサービスも増やしている。警察も、外国人観光客に対しては甘い。路上で騒いでいたところで、見てみぬふりだ。よほどのことがない限り、逮捕したりしない。
そのため、来夢市を訪れる外国人観光客は二年連続で増加している。最近では、繁華街を歩けば日本人より外国人とすれ違うことの方が多いくらいだ。
そんな外国人観光客のひとりが、加納に声をかけた。挙げ句に、チンピラたちを全員叩きのめした……これは、よくある揉め事とは違う。
だいたい、その外国人は加納に何の用があったのだろうか。ゲイで、加納に一目惚れしてナンパでもしたのか。ありえない話ではないが、そんな単純なものでもないような気がする。
まあ、いい。外国人が何者であるにせよ、それは今考えるべきことではない。
今考えるべきは、この男の使い途だ。
「しょうがねえなあ。お前らはとりあえず、加納を監視しとけ。下手に手を出すな。あと、その外国人の特徴を教えろ」
「はい。ええっと、背は低かったです。百六十ちょいくらいだったんじゃないですかね。髪は黒くて、肌は白くもなく黒くもなくて、でも外国人なんですよ」
「何系だ?」
「何系? ええっとですね、特に何系っていう格好はしてなかったです」
真顔でそう答えた矢沢に、剛田は思わず拳を握る。ここまでバカとは……。
湧いてきた怒りをどうにか押し殺し、出来るだけ冷静な声で訂正する。
「違う。そいつの人種を聞いているんだ」
「えっ、ああ、その、白人でも黒人でもないです。アクション映画に出てくる濃い顔で、髪は黒くて……」
そこで、矢沢は言葉につまった。代わりに、剛田が答える。
「ヒスパニック系か」
そう言うと、剛田は溜息を吐く。どこまでバカなのだろうか。頭が痛くなってきた。
加納春彦は、流九市の裏社会を仕切る大物だ。とはいえ、表立ってラエム教に敵対しているわけではない。今のところ、単なる旅行者でしかなかった。
あの男の件は、あくまでも剛田の個人的な興味によるものである。そんなことのために、ラエム教に所属する本隊を動かすわけにもいかなかった。今は、大会が間近に迫っている。ただでさえ、人手が足りないのだ。
だからこそ、不良少年やチンピラに顔が広い矢沢を使ってみたのだが……あっさりと返り討ちに遭った。これでは、お話にもならない。




