剛田、ガキに仕事を頼む
「いやあ、こんなに早く剛田さんと会えるとは思いませんでしたよ。今日はお時間いただき、ありがとうございます」
言った後、松本一成はぺこりと頭を下げる。
この青年は百八十センチの長身に、すらりとした体型の持ち主だ。手足は長く、着ているスーツは高級なブランド物である。体のあちこちに付けているアクセサリーも、簡単に買えるような代物ではない。彼の着ているスーツやアクセサリーの値段を全て合わせれば、百万円を軽く超える。
目鼻立ちは整っており、欧米人のように彫りが深い。肌も白く、黒髪は長めで艶がある。どこかのタレント事務所に所属していても、おかしくはないレベルの顔だ。
「お前の噂は、ちらほら耳にしてる。あっちこっちの女をだまくらかして、相当な額の金を貢がせたそうだな。風俗に沈めた女も百人近いとか……大したもんだよ」
剛田薫が答える。
こちらは、全てにおいて松本とは真逆のタイプであった。身長は、松本よりもさらに高い百九十センチだ。体重の方は百二十キロあるが、脂肪太りの体でないことは服を着ていてもわかる体つきだ。
肩幅は広くがっちりした体格であり、盛り上がった胸筋や首から連なる僧帽筋は逞しい。長袖のトレーナーを着ているが、それでも上腕の太さは隠せていない。プロレスラーでさえ、ここまでのサイズの者はそうそういないであろう。
それだけでも充分すぎるインパクトだが、顔の方は肉体をも上回る異様さだった。頭は青々とした五厘刈りで、いかつい顔にはタトゥーが彫られていた。目の周辺と頬に、稲妻のような模様が描かれている。しかも、顔面のあちこちに傷痕のおまけ付きだ。普通のサラリーマンをしていたら、お目にかかることのないタイプであろう。
松本とは対照的に、アクセサリーの類いは一切つけていなかった。腕時計すらしていない。これまた、サラリーマンにはないスタイルであろう。
こんな対照的なふたりが対峙しているのが、何とも奇怪な雰囲気の部屋であった。飾り気の全くない椅子と事務用の机以外は、何も置かれていない。壁は灰色で、窓はひとつもなかった。天井は高く、電灯は壁に直接つけられている。
重罪犯を閉じ込めておく独房のごとき部屋で、ふたりは立ったまま向かい合っていたのだ。
「そんな大したもんじゃないですよ。自分なんか、この業界じゃまだまだペーペーですから」
怪物のごとき風貌の剛田に向かい、松本は卑屈な態度で言葉を返していく。
一方、剛田は落ち着き払っていた。静かな口調で尋ねる。
「で、お前は俺に会いたがってたそうだな。何の用だ?」
「この業界に入ってから、剛田さんの噂をあちこちで耳にしました。バックなしで、しかも三十一歳という若さで来夢市の裏社会のトップに立つ……こんなこと、自分には絶対に無理です。本当、剛田さんのこと尊敬してます。ですから、一度直に会って、お話を聞かせていただきたいと思っていました」
松本の言うバックとは、両親や親戚といった者たちの存在によって得られるコネクションのことだ。表の世界であろうと裏の世界であろうと、若くして上に昇っていくためには、様々な人脈の力が必要になってくる。
どんな実力者であろうとも、その存在を誰も知らなければ意味がない。誰にも知られていないが、高い能力を持つ……それは、能力がないのと同じなのだ。まずは、自分が高い能力を持っているという事実を、誰かに知ってもらわばならない。出来れば、顔が広く発言力のある人間がベストだ。そのため、無名の若者は人脈作りに奔走する。
人脈作りにおいてもっとも手っ取り早いのは、両親や親戚筋からの紹介だ。特に親が大企業の重役だったり政治家だったりすれば、そこから得られるものは計り知れない。一般人が十年かかるような段階を、一日でクリア出来たりもする。
剛田薫という男は、そうした人脈だのコネクションだのというものとは、全く無縁の男なのである。
噂によれば、彼には両親がいない。父と母は、剛田が幼い頃に事故で亡くなった。十五歳まで施設で育ち、その後は裏社会へと身を投じた……と言われている。
それから十六年経った今では、来夢市の裏社会を仕切る大物となっていた。ここで商売をしようとするヤクザや半グレは、まず剛田に挨拶しなくてはならない。それは、銀星会や士想会といった広域指定暴力団であっても変わりはなかった。
「なるほど。要は人脈作りってわけか。俺を、上手く利用しようって肚なのか」
言った途端に、松本の表情が変わった。
「違いますよ! 自分は剛田さんのこと、心から尊敬してます! 剛田さんは、自分らにとって雲の上の人ッスから!」
それまでとは口調が変わり、立場が上の者に対するチンピラのような喋り方になった。顔にも、焦りの表情が浮かんでいる。
すると、剛田はウンウンと頷いた。
「そうかそうか。もし俺が仕事を頼みたいと言ったら、お前はどうする?」
「も、もちろんやります! いえ、やらせてください!」
勢い込んで答える松本を見て、剛田はニヤリと笑った。
「今、やらせてくださいと言ったな? 間違いないな?」
「はい! 間違いありません! 何でもやります!」
「ほう、何でもやってくれるのか。それは頼もしい」
剛田は、そこで言葉を止めた。松本の顔を、じっと見つめる。
少しの間を置き、口を開いた。
「ところで、聞いた話なんだが……お前は、面の良さをたいそう自慢してるらしいな。そりゃ本当か?」
「い、いや、そんな自慢なんかしてないッスよ」
愛想笑いを浮かべつつ、かぶりを振る松本だったが、剛田はさらに質問する。
「あと、こんな噂も聞いたぜ。ブサイクな面の人間は、どう頑張っても出世できねえ。人間は、見た目が九割、いや十割だ……とも言ってたそうだな。そりゃ本当か?」
「そんなこと自分は言ってないッスよ! 自分を妬んでる奴が、デタラメ吹いてるだけッス!」
「ほう、そうなのか。で、俺の面はどうなんだ? 出世しそうもねえ面なのか? お前の意見を聞かせてくれや」
そんなことを言いながら、剛田は顔を近づけていく。あちこちにタトゥーが入った顔面は、間近で見れば恐ろしい迫力である。ホラー映画のクリーチャーですら、彼に比べれば見劣りする。
「は、はい?」
逆に、松本の方は顔を遠ざけていく。足はガタガタ震えていた。顔は歪み、先ほどまでの自信に満ちた態度は消え失せている。
「はいじゃねえよ。俺の面はどうかと聞いてるんだ。なあ、俺の面はブサイクか? 出世しねえ面なのか? どうなんだよ?」
「そんなこと無いッス! 剛田さんはカッコいいッスよ! 男から見ても──」
「バレバレの嘘をつくな」
松本の言葉を遮り、剛田は鋭い口調で言った。直後、その手が放たれる。
ビシッという音がした。剛田の拳が、松本の顔面に炸裂したのだ。
一瞬遅れて、松本が反応する──
「ひぎゃ!」
情けない声とともに、松本はうずくまっていた。顔面を両手で覆い、わなわな震えている。床には、血と前歯の欠片が落ちていた。
そんな彼を、剛田は冷酷な目で見下ろす。
「情けねえ奴だな。そんなんじゃ、ウチでは何も任せられねえよ。俺は、かなり手加減したんだがなあ」
そう、剛田は本気で殴ったわけではない。今、放ったのは手首のスナップのみを使った裏拳だ。全体重をかけた本気のパンチではない。いわば、手打ちの攻撃である。単純な威力ならば、ボクシングのジャブより弱いだろう。
にもかかわらず、松本の鼻骨は折れてしまったらしい。前歯も欠け、見るも無惨な顔になっている。
そんな松本の首根っこを、剛田は片手で掴んだ。そのまま、すたすた歩いていく。
「ひっ! や、やめてください!」
叫びながら、松本は手足をバタバタさせる。だが、剛田はすました表情だ。七十キロはあるだろう成人男性を、手さげカバンのように片手で持ち上げている。
「うるせえ。お前に仕事をくれてやるんだよ」
そんなことを言いながら、ドアを開けた。途端に、松本の顔が恐怖で歪む。
ドアの向こう側は、長い通路になっている。長さは百メートルほどだろうか。突き当たりは壁になっており、金属製のが付いている。
通路の両サイドは鉄格子になっており、数メートルごとに壁で仕切られている。まるで、刑務所の独房が並んでいるかのようだ。
鉄格子の向こう側には、人が入れられている。ひとつの部屋につき、ひとりずつ入れられていた。これまた、刑務所そのものである。ただし、中にいる者は異様な姿であった。
額に角のような瘤をいくつも埋め込まれている者。鼻が豚のような形になっている者。顔の半分が溶かされている者。顔面全体にケバケバしいデザインのタトゥーを彫られている者などなど……時代が時代なら、物の怪などと言われてもおかしくないような人間が、部屋に入れられていたのだ。
あまりにも異様な状況の中、剛田は楽しそうに語りだす。
「こいつらの半分は、俺に逆らうなんてバカな真似をしたせいで、こんな面になった。残りの半分は、俺の周りをハエみたいにブンブン飛び回ってやがった。お前と同じく、どうしても俺に気に入られたかったらしい。仕方ねえから、ここで飼ってやってるんだよ」
とんでもない話だ。松本はガタガタ震え、檻の中にいる「もの」から目を逸らす。
そんな松本に、剛田は決定的な一言を放つ──
「お前も今日から、こいつらの仲間入りだ」
「ま、待ってくださいよ! 自分には使い道があります! この顔で女を風俗に沈めて、いくらでも稼げますから!」
必死の形相で訴える松本を、剛田は無理やり立たせた。
次の瞬間、彼の腹に拳を叩き込む──
「黙れ。俺はな、お前みたいな奴が大嫌いなんだよ」
冷たい口調で言い放つ剛田だったが、松本は返答できなかった。両手で腹を押さえ、前かがみになり苦悶の表情を浮かべている。剛田の一撃は、あまりにも強すぎたのだ。
そんな松本を、剛田は冷酷な表情で見下ろす。
「良かったなあ。お前は今日から、尊敬する剛田薫さんのコレクションに加われるんだ。嬉しいだろ。嬉しすぎて泣けてくるだろ」
言いながら、剛田は壁に設置されていたボタンを押す。
数秒後、通路の向こう側にある鉄の扉が開く。そこから、四人の男が現れた。全員が白衣を着ており、いかつい風貌である。さらに、拘束衣や手錠などといった物騒なものを持っていた。
彼らは無表情で、松本に拘束衣を着せていく。松本も必死でもがくが、てんで相手になっていない。あっという間に拘束衣を着せられ、運ばれていった。
剛田はというと、興味を失ったように元いた部屋へと帰っていく。そのまま、ソファーに座り込んだ。
しばらくして、ドアが開く。入って来たのは、これまた異様な風貌の女だった。
髪の毛は生えておらず、頭のほとんどを火傷の痕が占めている。しかも、火傷は顔面にも広がっていた。顔の半分近くを、焼けただれた肌が覆っている。体つき、特に胸の膨らみを見なければ、男女の見分けすらつかないかもしれない。
身長は女性にしては高く、百七十センチ近い。すらりとした体に黒いジャージを着ている。
そんな女がすたすた歩いてくると、剛田の隣に腰を降ろし口を開く。
「またやったの?」
「ああ、やったよ。今度は、どんな面にしてやろうかね。今から楽しみだよ」
そう言って、剛田はニヤリと笑う。
「こんなこと、いつまで続ける気?」
女の声は、悲しみに満ちていた。火傷痕のせいで表情の変化は読み取りにくいが、心なしか歪んでいるようにも見える。
「俺が飽きるまで、だ」
即答した剛田だったが、次の瞬間にジロリと睨みつける。
「お前、わざわざそんなことを言いに来たのか?」
低い声で凄む剛田に、女は悲しげな表情でかぶりを振る。目の前にいる怪物じみた男を、恐れる様子はない。
「今、不吉な前兆を感知した。もうじき、あんたに敵対する存在が現れる。それも、ふたつ」
途端に、剛田の眉間に皺が寄る。
「ふたつ? てことは、ふたりいるってことか」
「わからない。でも、コングにとって最大の危機であることは間違いないよ」
コングとは剛田のことである。幼い頃の彼につけられた渾名だ。
剛田をコングなどと呼べるのは、この女以外にはいない。もし、別の誰かが彼をコングなどと呼ぼうものなら……その誰かは、次の瞬間に撲殺されているであろう。
「そうか。で、そいつらは今どうしてるんだ?」
「まだわからない。ただ、来夢市にやって来るのは間違いないよ。近いうちに、とんでもないことが起きる。だから用心して。今までとは、違うレベルの奴らだから」
真剣な口調で、女は語っている。いや、訴えるといった方が正確だろう。本気で、剛田の身を案じているのだ。
しかし、剛田の方は女の思いなど気にも留めていないらしい。楽しそうな顔で、ニヤリと笑った。
「面白い。このところ、えらく退屈してたんたよ」