表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

名捨ての勇者

作者: 神田 シン

1        

 国語担当の新米教師が教壇に立ち熱弁をふるっている。

一見すると教育熱心に見えるが、内容は教科書を上から下に読むだけの薄っぺらく下らない授業だ。

「ふぁぁ……」

俺は必然的に出たアクビを手で覆い隠した。

なんとも暑苦しい子守唄が眠気を遮る。

薄汚れた窓の外には葉桜が揺れていた。

緑に混じって小さい桃色の水玉が可愛らしく映えている。

 訳あって始まった地元を離れての高校生活。

新たな一歩にほんの少しだけ希望を抱きながら満開の桜の下を歩いたが、結局訪れたのは代わり映えのない日常だった。

「つまらないな」

自分にしか聞こえない掠れた声で呟いた。       

 国語担当の新米教師が教壇に立ち熱弁をふるっている。

一見すると教育熱心に見えるが、内容は教科書を上から下に読むだけの薄っぺらく下らない授業だ。

「ふぁぁ……」

俺は必然的に出たアクビを手で覆い隠した。

なんとも暑苦しい子守唄が眠気を遮る。

薄汚れた窓の外には葉桜が揺れていた。

緑に混じって小さい桃色の水玉が可愛らしく映えている。

 訳あって始まった地元を離れての高校生活。

新たな一歩にほんの少しだけ希望を抱きながら満開の桜の下を歩いたが、結局訪れたのは代わり映えのない日常だった。

「つまらないな」

自分にしか聞こえない掠れた声で呟く。

その言葉は高校生活に対して言ったつもりだったが、どこか『お前はつまらない人間だ』と言われているように感じた。

そして俺は心の中で幻影に答える。

「知ってるよ、そんな事」


 終業のチャイムが鳴り響く。

待ってましたと言わんばかりに、教室がざわめき出した。

「なあなあ、暇な奴集めてカラオケ行かね?」

「いいね! 俺暇だから行くよ」

「あっ、私もー」

盛り上がるクラスメイトを尻目に俺は黙って席を立つ。

「なあ? お前も行かないか?」

周りを見渡すと誰もいない。

お前とはどうやら俺を指しているようだ。

入学当初で名前が分からないなんてよくある事で、現に俺自身も話し掛けてきたコイツの名前は知らない。

「悪いな、これからバイトなんだ。また誘ってくれよ」

俺は申し訳無さそうな表情を適当に作り誘いを断ると、騒がしい教室を後にした。

どうにも思春期特有の変なテンションの高さには、まだ馴染めそうにない。

そして校門を出ると寄り道もせず、下宿兼バイト先のある商店街に向かった。

 電車で二駅の商店街はいつもと同じ閑散とした雰囲気を放っていた。

雨天でも快適な買い物が出来る様にと付けられたアーケードの天井は所々破れていて存在意義を示せなくなり、破れた穴からは顔を覗かせた烏が餌はないものかと行き交う人々を見下ろしている。

 ちょうど真ん中に父親の兄さんが経営している小さな本屋がある。

ここで俺は世話になっていた。

伯父さんの好意で下宿代や生活費はいらないという事だったので、せめて店番くらいは手伝わせてもらっている。

 俺は建付けの悪くなったガラス戸を開けた。

「おう、おかえり」

伯父さんは赤ペンを耳にさし、熱心に競馬新聞を読んでいた。

「ただいま。店番代わろうか?」

無人の家が当たり前だった俺にとって、『おかえり』という言葉がまだむず痒かった。

父親は医者で母親は弁護士という、エリート家庭の一人息子として産まれた。

両親は互いに仕事が生きがいのような人達で、物心ついた時から愛情を受けた記憶が一切無い。

何で結婚したのか意味不明の両親は中学卒業後に離婚する。

そして俺の面倒をどちらが見るかでえらく揉めた。

今だにゴミを擦り付け合う様な両親の姿は忘れられない。

 そんな二人を見かねて伯父さんが俺を引き取ってくれたのだ。

一緒に生活して初めて知ったが伯父さんは自由人という言葉がピッタリな人で、ここ数ヶ月の間にも一言だけ書置きを残してふらっと旅に出る事が何度もあった。

確かに伯父さんは世間一般の物差しではろくでもない大人に分類されるのかもしれない。

でも俺から見れば社会地位の高いの両親よりも、はるかに人間らしく思えた。

「それなら買い物行って、メシ作ってくれ」

伯父さんは財布を投げてよこした。

年季が入って飴色になった革財布を受け取る。

「何か食べたい物ある?」

「霜降り肉のステーキ」

俺は財布の中身を確認する。

「分かった。野菜炒めにするよ」

「やっぱり無理かー」

伯父さんは自分の額をペチンと叩いた。

 田舎でも無く都会でも無い中途半端な地方都市だが生活するのに不便は感じ無い。

それは住めば都というヤツがもたらす錯覚なのだろう。

向かった先の八百屋でラインナップを確認すると異常気象だか何だかで値段が高騰している。

どうしたものかと立ち尽くす俺に八百屋の主人が声を掛けてきた。

「本屋の居候じゃないか。野菜睨んでどうしたんだ?」

「いやぁ、予算オーバーでどうしようかと……」

俺は苦笑いを浮かべる。

「うーん。仕方ねえなあ」

八百屋の主人は奥から野菜が詰まったビニール袋を持って来た。

「ちょっと傷んでるから今日中に食えよ」

俺はパンパンに詰まった袋を受け取る。

「えっと、代金は……」

「捨てるもんに値段なんてねえよ。本屋のボンクラに今度一杯奢れって言っといてくれ」

「有難うございます」

「お前さんも若いのに苦労してるね。そうだ、これやるよ」

そう言うと二枚の福引券をくれた。

「今日もやってるから行ってみな。たまには良い事あるかもしれねえぜ」

俺はもう一度礼を言うと八百屋を後にした。


カランッ カランッ

乾いた鐘の音が活気の無い商店街に響き渡る。

「おめでとうございます! 3等お米5キロです!」

商店街の会長が福引き所で声を張り上げていた。

何が当たるのか期待しながら景品リストを確認する。

「なっ!」

1等は国産牛霜降り肉。

細かくサシの入った肉質が旨さを語らずして語りかけてくる。

 手持ちの戦力ではチャンスは2回。

今やらいでどうする!

他の誰かに先を越されては元も子もないと駆け足で急いだ。

「おっちゃん、2回ね!」

まだターゲットは残っている。

分かっているさ。

俺を待っているんだろ?

机の上に食材を置き渾身の念をこめてガラガラ抽選器を勢い良く回す。

大量の玉が押し寄せる波のような音を立て一粒の白い玉が出現した。

「白い玉は残念賞のチョコレートだよ!」

差し出された板チョコをポケットに入れる。

 ラストチャンスに汗ばんだ手でハンドルを握り、己の全てを掛け今度は慎重に回した。

玉の擦れる音すら聞こない状況が続く。

そして空に掛かる虹色の橋をそのまま貼り付けたような、淡い七色の玉が転がった。

そのまま指輪につけても様になりそうな石は、福引の玉にしとくには勿体無い代物だった。

これは期待出来る予感がする。

まさか1等が当たったのか!?

何等か確認すべくおっさんの方を見ると笑顔のまま人形のように固まっていた。

「おーい……」

 声を掛けるも人形は無言を貫いている。

どうにも明らかな異変を感じ周囲を見渡す。

人も空も野良猫も全てが固まり雑踏が無音の空間になっていた。

明らかに何かがおかしい。

自分だけが時間の隙間に落っこちたみたいだ。

一体誰がこんな事を?

誰がというかこんな事が出来るのは、人間ではなく神様とかそういった類に違いない。

神様。仏様。一言宜しいでしょうか?

確かに俺は信心深い性格で無く、人生で一度も祈った事もありません。

しかし考えようによっては都合のいい時に神頼みするよりもよっぽど誠実だと思うのですが?

そんな俺にだけ神罰が下るなんて公平さに欠けませんか?

もちろん当てもない陳情に天は答えない。

 さてどうしたものか。と考えあぐねていると……

「特賞! 特別旅行にご招待ぃー!」

女の声が深い沈黙を切り裂いた直後、靴の裏から伝わる地球の感覚が消えた――

「うあぁぁ!」

いきなり足元に穴が空く。

何かを掴もうと伸ばした手は八百屋から貰った野菜入りの袋を掴んだ。

しかしそんな物を掴んでも何の助けにもならない。

 俺は真っ逆さまに穴に落ちた。

頭上に輝く針の穴程の光も直ぐに見えなくなり周囲が闇に包まれる。

訪れた完全なる闇の世界では瞬きをしても見える景色は変わらない。

体を動かす感覚はあるが本当に自分の体なのか疑問を抱いてしまう。

ひょっとするともう闇と同化しているのかもしれない。

きっと悪い夢でも見ているんだ。

こんな事が現実に起こるわけないじゃないか……


 それにしても、どれくらい時間が経ったのだろう?

闇の世界にもいつの間にか順応してしまった。

握り締めて固まった手を開き、ビニール袋をポケットに突っ込んだ。

そろそろ裏側のブラジルに出るんじゃないかと冗談を考えていると突如視界が開けた。

「ふぇっ」

俺は思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。

 どういう訳か穴の先は広大な大空だった。

下には緑生い茂る大地と青く澄みわたる海が広がっている。

とにかくかなりの高度から落下している確かだろう。

夢なら宙を飛ばないものかと手足をばたつかせてみるが何の解決にもならない。 

あまりにもリアルな風景に少しでも恐怖を紛らわそうと目を瞑る。

しかし風を切る音と感触が恐怖心を捲し立てる。

ひょっとしてもしかしたら現実なのかもしれない気がする。

曖昧な表現を重ねて誤魔化そうとしても、既に脳が全て現実だと受け入れてしまっていた。

そう言えばこんな時には走馬灯がよぎると言うけれど、一向に訪れる気配がない。

考えてみると走馬灯を見る程の思い出が、自分には無いという虚しいことに気が付いた。

 あぁ、目測が正しければそろそろ地面に近づいてきたはずだ。

この高さから地面に叩きつけられたら、轢かれた蛙のようにビシャっと潰れるのだろうか。

「痛っ!」

縁起でもない想像をしていると、腹部が強く締め付けられる痛みに襲われた。

そのただならぬ気配に恐る恐る目を開く。

 俺は飛行機のような巨大な鳥に咥えられていた。

その信じ難い生物は優雅に翼を広げているものの、俺が知っている鳥とは姿形は大分違う。

強いて似ているといえば恐竜のプテラノドンに近い。

どうにも体はくちばしにがっちりホールドされており、人力ではとても外れなそうだ。

 しかし腹部の激痛は増す一方で我慢しきれない。

少しでも軽減しようとクチバシに手を掛けると、バレーボール程の大きさの眼球がギョロリと動き目が合った。

「はっ……はは。どうも……」

引きつった笑いを浮かべるも変化は見られない。

ここで下手に暴れようものなら力を込められ最悪胴体から真っ二つになる恐れもある。

残念だが耐えるしか選択肢が残っていない。

俺は観念しそっとクチバシから手を離した。


 楽しくない空中遊泳がしばらく続いていたが、いきなり乱暴に放り出された。

「ここは?」

周囲は巨大な器のように、枝や草が敷き詰められている。

俺は端に向かって歩き、器の外を覗き込んだ。

どうやら蔦が張り巡らせた巨木の上に、この場所はあるようだ。

 そして仮説が出来上がる。

おそらくここはプテラノドンの巣ではないだろうか。

「クエッ。グエッ。クエッ」

どこか愛嬌のある顔の雛が、小気味良い鳴き声をあげながら近づいて来る。

まだ雛とはいえあの親の子供だけあって、大きさは人間の倍はありそうだ。

投げ込まれた理由が判明した。

俺を狩りの練習台にする為だ。

 このまま雛の餌になるなんてまっぴらごめんだ。

俺は雛に後退りしながら逃げ道を探る。

ジリジリと雛が迫って来る。

だが巣の中はさほど大きくない。

このままでは捕まるのも時間の問題だ。

 どうせ喰われるくらいなら、一か八か飛び下りるしかない!

そう決心し巣の端から下を見下ろした。

だが眼下に広がる光景を見てさっき迄の決心は無謀の極みだと悟る。

下の木がたまたまクッションになって助かるという展開を期待していたが、雲しか見えない高度では自殺行為でしかないだろう。

そうこうしている内に雛は徐々に距離を詰めてくる。

「こらー! あっち行けー!」

大声を出すも雛は一向に怯まない。

 こうなったら戦うしかないと太めの枝を拾った時に打開策を閃いた。

雛の後ろに見える巨木に絡まる蔦を使えば、地面に降りられるんじゃないか?

蔦は体重を支えるには幾分頼りないが活路はこれしかない。

残った問題はどうやって雛の横をすり抜けるかだが……

 ゆっくり考える時間も無い。

今は行動あるのみだ!

俺は手に取った枝を雛に向かって投げつけた!

「グエェ!」

叫び声を上げ怯んだ雛の隙をつき横を走り抜ける!

勢いそのままに蔦に目掛けて飛び移った!

 一世一代の大ジャンプで蔦を鷲掴みにする。

しかし掴んだ蔦は一瞬体重を支えてくれたが、直ぐに耐えきれなくなった。

次々とブチッブチッと音を立て剥がれ出す。

落下すれば間違いなく一巻の終わりだ。

次の蔦、次の蔦へと必死で手を伸ばし続ける。

空から落ちた時は諦めようとしたくせに、微かな希望が見えるとなりふり構わずすがりだす。

遺伝子に刻まれた生への執着がそうさせるのか。

 ようやく俺は巨木に抱き着いた。

一旦高ぶる心臓の鼓動を落ち着かせ、慎重に慎重を重ねながら地上を目指した。


 順調に下り続け待望の地面も直ぐ側になった。

地表から約一メートルの高さを軽く飛び降りる。

「ふぅ」

やはり地に足が着いているというのは安心感がある。

ふと鈍い痛みを感じ手を見ると、皮が所々擦れて血が滲んでいた。

しかし命の危機を乗り切った事に比べれば些細な事だ。

「……おっと」

安心して気が抜けると膝が崩れ落ちるような虚脱感に襲われた。

とりあえず巨木に背中を預け座り込み休憩をとる。

 周囲は苔の絨毯を敷いた森の中だ。

見上げると葉の隙間がほとんど無いくらい生い茂っている。

僅かな木漏れ日にありつこうと若い木々が争うように伸びていた。

「ほんっと疲れた……」

夏場に冷蔵庫を開けた時のような心地良い一陣の風が頬をかすめる。

木と草と苔だけで構成された緑一色の空間は、生命力に満ち溢れていた。

周囲を見渡すと巨木はこれ一本しかない。

ここは子供の頃読んだ童話にあった巨人の国ではないようだ。

 俺はポケットの中にある溶けかけたチョコレートを食べた。

やけに甘ったるい人工的な味が心を落ち着かせた。

これまで息つく暇もない怒涛の展開で考える余裕も無かったがここはどこだ?

ベタに自分の頬をつねるがしっかり痛い。

「で、これからどうすんだよ……」

 とにかくこのまま座っていても何も始まらない。

俺は森の散策をしようと立ち上がった。

「にゃ?」

近くから何かの鳴き声がした。

もしかしてまた得体の知れない化物かと身構える。

ゴソゴソと草影から出て来た鳴き声の主は、俺のよく知る形態をしていた。

……が二本脚で立っている姿は見たことは無い。

 俺達はやっと会えた恋人同士のようにしばらく見つめ合った。

ただしお互いの視線の間にあるのは愛情ではなく警戒心だが。

「うにゃにゃにゃー!」

探りを入れているとソレは唐突に叫んだ。

「こんな危険な森に一人で来るなんて、さぞ腕に覚えがあるのではないですか?」 

中型犬程のサイズはある黒毛の猫らしき生き物が、興奮を抑えきれない様子で話し掛けてきた。

「喋る……猫?」

二足歩行で風呂敷を担いでいる姿はさも人間のようだ。

「そうか! 王都に出した書簡が届いて来て下さったんですね!」

「いや、何の事かサッパリ……」

「それにしても本当に来て下さるとは夢にも思いませんでしたよ。感謝感激雨霰です!」

「だから違うって!」

 思いっきり否定する俺を見て黒猫は首を傾げた。

「王都から来たのでは無いのならどこから来たのですか?」

どうやら黒猫に敵意は無さそうだ。

「どこって……」

俺は返答に困った。

日本? 地球? 何と説明したらいいのだろうか。

「……上?」

物理的には正しい答えだと思う……

「そうか! 空を飛んで来たのですね! そんな凄い事が出来る方が来て下されば、我々の問題など一瞬でささっとパパっと解決です! どうぞ、村までご案内致します!」

「いや、だから違うって!」

 黒猫は話しを聞いていないのか先導するように歩き出した。

どうするか迷ったが行く宛もないので着いていくしかなさそうだ。

「ところで何で喋れるんだ?」

「変な事聞きますね? そんなの口があるからですよ」

そもそもこの不思議な世界は常識が違うらしい。

これ以上問答を繰り返しても埒が明かなさそうだ。

黒猫の後を着いて道無き森の中を進む。

森の中を歩き慣れないせいか、だんだんと黒猫の背中は遠くなる。

見失ってはたまらないと小走りで追った。

 しばらく歩き着いた先は小高い丘にある集落だった。

森を切り開いた中に猫の家としては大きめな木造の家が数件建っている。

忙しそうにブチや縞模様の様々な猫達が、畑仕事に精を出していた。

「ただいまです! 村長、王都から救援が来て下さいました!」

一際大きい一軒の前で黒猫が大声で叫んだ。

 すると家から白髪混じりの赤毛猫がゆっくりとした動きで出てきた。

顔を覆うような長毛がいかにも長老と言った風貌だ。

「わざわざ王都からこんな辺境の地へわざわざおいで下さり、何と感謝を述べたら……」

俺は頭を下げようとした村長を遮った。

「さっきも言ったんですが俺は王都とやらと全く関係無いんですが……」

 村長は固まった表情で俺を見上げる。

「こりゃ、ミケ! また早とちりで他人様に迷惑かけよったな!」

ミケと呼ばれた黒猫は尻尾を力なく下げ落ち込んだ。

「にゃー。申し訳ないですー」

「そんな怒らないで下さい。むしろミケには助けられたんですから」

「はて? どう言う事かの?」

「実は道に迷っていたんです。あのままだったら行き倒れになる所でした」

さすがに空から落ちてきたと言っても信じてもらえないだろう。

「そうじゃったか。しかしここは日が落ちると我々でも危険な森。今日はこの村で休みなされ」

「お言葉に甘えさせてもらいます」

どうやら王都には人間が居るらしい。

明日場所を聞いてみよう。


「大蟲だ! 大蟲が来たぞ!」

突如、焦りと恐怖が混じった大声が畑の奥から聞こえてくる。

「早く隠れるんじゃ!」

村長に言われるがまま近くの小屋に逃げ込んだ。

外からは巨大な紙を揉み込むようにガサガサとした音が近付いてくる。

俺は息を殺し壁に組まれた壁の隙間から音の正体を探ろうと覗き込んだ。

 光沢がある黄金色の何かが見える。

よく観察すると象に勝るとも劣らないサイズはありそうなカナブンが村を闊歩していた。

一匹の巨大なカナブンは畑に向かうと手当り次第に作物を食べ荒らす。

「あの大蟲のせいで食糧難は深刻じゃ。はたして冬を越せるかどうか……」

隣で同じ様に外の様子を伺っていた村長は耳を前に倒した。

「何とか退治は出来ないんですか?」

村長を首を横に振った。

「なんせ固くての。武器らしい武器など農具とこの爪しか持っておらんし」

村長は乾いた肉球から短い爪をニュッと出した。

「……確かにそれでは無理ですね」

 どうにか解決策は無いかと周囲を見渡すが、撃退出来そうな物も見当たらない。

「あれ? この小屋はどうやって建てたんですか?」

ミケは尻尾を左右に大きく振りながら答えた。

「にゃふふーん。立派でしょ。皆で倒木を運んで来て建てたんです。石で削って長さを調整したり苦労したんですから。ちなみに組み上げてる縄も、植物の繊維から作っているのですよ!」

 自慢気に話すミケから打開策の糸口を思い付いた。

「村長。何とか出来るかも知れません」

「良い考えでも?」

「ええ。村全員が協力すれば退治出来ると思います。紙と書くものを貸してくれますか?」

俺は閃いた計画を図解で村長に説明した。

「ふむ……やってみる価値はありそうですな」

村長も賛同してくれたようだ。

大蟲はひとしきり食い散らかすと食欲が満たされたのか森に戻った。


 直ぐに村長に収集をかけてもらい全員が集まった。

総勢三十匹は居るだろう。

何やら俺を見ながら小声で内緒話しをしている。

聞こえないが良い内容で無い事は肌で感じた。

「ちょっと聞いてくれ!」

俺は声を張り上げ注目を集めた。

「大蟲を退治する為に揃えて欲しい物があるんだ!」

そして必要な物を書いたリストを全員に見せる。

 先が輪になった長い縄を数本。

片方の先端を尖らせた丸太を一本。

丸太を輪切りにして真ん中をくり抜いた物を四個。

おびき寄せる餌となる食料。

 村人達は何言ってんだコイツ?

といった感じで俺を凝視している。

いきなり来た知らない奴にそんな事言われても……という気持ちは分かる。

もし俺が逆の立場でもそう思うだろう。

「さあ、取り掛かるのじゃ! 分からない事はこの人間に聞いてくれ」

 村長の一声でざわついていた村人は作業に入った。

「おい、人間。これでいいか?」

「おい、人間。こんな感じか?」

「おい、人間。ここはこうか?」

「おい、人間……」

俺は怒涛の質問攻めに答え続ける。

幸い猫達の工作スキルは高く、想像通りの物が完成しそうだ……


 それにしても軽く十年分は話した気がする。

俺はひとしきり指示を出し終えると荒らされた畑に向かった。

「何してるんです?」

ミケがいつの間にか横に来ていた。

「大蟲の歩幅を調べているんだ」

「そんな事が役に立つのですか?」

「罠を張るには相手の詳細なデータが必要だからな。ところで……」

「にゃ?」

「さっさとお前も手伝ってこい!」

猫らしくミケの首ねっこを捕まえ畑から放り出した。


 日も沈みかけた頃、皆の協力もあり思ったより早く作業を終えた。

労をねぎらっていた村長が俺の所に来る。

「大蟲が次に来るのは日が昇る頃じゃ。それまで空いてる小屋で休んで下され」

「そうさせて貰います」

 村長が指差した小屋に向かう途中で、空を見上げて言葉を失った。

神様が星の入ったバケツに躓いてぶちまけたんじゃないかと疑うほど、星空が頭上に広がっている。

星独特の優しく淡い光が大地に降り注いでいた。

つい柄にもなく美しさに立ち尽くす。

「こんな所で空を見てどうしたんです?」

果物が入ったカゴを両手で抱えたミケが不審者を見るように俺を見ていた。

「夜空が綺麗だと思ってな」

ミケは首を傾げた。

「綺麗も何も空なんてどこで見ても一緒じゃないのですか?」

「一緒じゃないさ。場所や心の状態によって見え方は違う」

「それなら綺麗と思うって事は良い状態なんですね」

 ミケの言葉で自分の変化に気付いた。

確かに死にそうなろくでもない経験もした。

けれども今まで感じた事のない充実感が、心のどこかにあるのかもしれない。

「良いかは分らないけど悪くはないよ」

「ふーん。そうですか」

曖昧な返答にミケは不思議そうな顔をしている。

「あ、そうそう。食事を持って来たんでした」

ミケはカゴを差し出した。

「人間でも食べられる実です」

小ぶりの黄色い林檎のような果物を数個受け取った。

「ありがとう」

「じゃあ! 明日は頼むです!」

ミケは小走りで村の奥に消えた。

 俺はしばらく星空を眺め宿代わりの小屋に入る。

地面に枯れ草が敷いてあるだけだが外よりは上等だ。

草の香りの絨毯に寝転がり、不思議な果物を前歯で恐る恐る少し齧る。

熟した桃に近い甘みが口一杯に広がり、飲み込んだ後にはミントの爽快感が残った。

「……めっちゃ旨いな。コレ」


 俺達は日が昇る前から、村のある小高い丘を下った先で身を潜めていた。

おびき寄せる餌も所定の位置に置いた。

その周囲には輪になった縄を複数、バレないように地面に浅く埋めてある。

準備万端だ。

「何だか緊張しますね」

ミケが小声で話し掛けてきた。

「そうだな。計画通り行けばいいけど……来たぞ」

 間もなく草木をなぎ倒しながらやってくる大蟲の足音が聞こえてきた。

俺達は息を殺し縄の先端を持つ。

大蟲は不規則に触覚を動かしながら、餌を食べようと口を大きく開いた。

「今だ!」

 俺の合図で一斉に縄が引っ張られた。

節くれ立った脚数本が縄に引っ掛かり、勢い良く外に引っ張られる。

残り少ないケチャップを絞り出す音が鳴り腱が千切れた。

予想通り複数の脚で体重を支えているせいか、一本の力はそこまで強くない。

 そして合図には縄を引っ張る以外にもう一つの意味があった。

切り出した丸太を組み合わせて作り上げた、先の尖った丸太車。

それを丘の上から一気に落とす。

地形を活かし丸太車は加速し続ける。

大蟲は危機を察知したのか暴れるが、引っ張られた脚のせいで上手く動けない。

「よし!」

予想通りの軌道に俺は小さくガッツポーズをとる。

 西瓜を叩き割ったような低い衝突音が森に響く。

先端を尖らせた木製の矛は貫通すらしなかったものの、質量で大蟲の体を押し潰した。

頭部から緑色の液体が噴き出し水溜りになる。

大蟲は脚を四方八方に動かし暫くもがいていたが、直ぐに力無く沈んだ。


 一瞬の間をおいて猫達が歓喜の声を上げた。

中には歌い踊り喜びを表現している者もいる。

その横で俺は計画が成功した事にただ安堵していた。

「これも全て貴方のお陰です」

村長は深々と頭を下げた。

「いえいえ。皆の協力あってこその結果です」

「何かお礼をしたいが……」

「お礼ですか……でしたら人里まで案内してくれませんか?」

とてもじゃないが案内人無しで森を抜けられる気がしない。

「お安い御用ですじゃ。ミケやこっちに来なさい」

村長に呼ばれ村人達と肩を組み踊っていたミケが寄ってくる。

「何です?」

「この人を王都に案内してやってくれ」

「ええ!」

ミケは尻尾を天に突き立て驚いている。

「誰かが案内せんと森を抜けれんじゃろ? ついでに外の世界を見て勉強してきなさい」

「まっかせて下さい! すぐ用意して来ます!」

 ミケは全力疾走で駆けて行った。

「村長、良かったんですか?」

「ミケは村を出たがっていましたからの。これも勉強ですじゃ」

そしてパンパンに張った風呂敷を担いで全力疾走で戻ってきた。

「さあ、行きましょう!」

「別れの挨拶はいいのか? 当分帰って来れないかもしれないぞ?」

ミケは尻尾をピンッと立てる。

「湿っぽいのは嫌いなんですよ」

「そうか、じゃあ行くか!」

俺はミケと共に村を後にした。


 景色が全く変わらない森の中を、ミケは道が分かっている様に進んでいる。

「なあ、よく道が分かるな?」

「ここで育ったから当然です。知らない奴は間違いなく迷ってのたれ死にか、この辺りに生息している野獣の餌になりますよ」

俺はプテラノドン親子と大蟲の姿を思い描く。

「野獣なんかに襲われたらひとたまりもなかったな」

「何言ってるんですか。野獣に遭遇してもご主人がパパっと退治してくれるんでしょ?」

「俺が退治? 無理無理、勝てるわけ無いだろ」

「……え? またまたぁ、冗談ばっかり。正体は伝説の戦士とか大魔術師でしたー! ってオチなんでしょ?」

どうやらミケは俺の事を大きく勘違いしているようだ。

「いや本当に単なるどこにでも居る一般人なんだけど……」

 ミケは足を止めた。

「にゃ?」

俺は猫の眉間にシワが寄るのを初めて目撃した。

「全て真実。嘘偽りなし」

ミケはジッと俺の顔を見つめる。

「凄く強い人が一緒なら道中安全だし、あわよくば乗っかって王都で一旗あげようという壮大な計画は……」

「残念だな。すでに最初から破綻してる」

「……お世話になりました。実家に帰らせて頂きます」

「待て。駄猫」

踵を返し俺の横をすり抜けようとしたが、風呂敷を掴んで引き止めた。

「ダイジョウブ。ココ、アンゼン」

何故かカタコトのミケは目を合わせない。

「ふざけるな! こんな森に置いてきぼりにされたら、間違いなくのたれ死にって言ったじゃないか!」

「馬鹿いうなです! いつ凶暴な野獣が襲って来ないとも限らないんですよ!」

足をバタつかせるミケを押さえ込む。

「アホ言うな! せめて王都までは案内しろ!」

「戯言をぬかすなです! 道中安全と思ってたから案内役を引き受けたのに、これじゃご主人の方が足手まといじゃないですか!」

「グルルルゥ……」

「何だミケ。唸り声を上げて威嚇しても怖くもなんともないぞ」

「そうです。唸り声を上げてビビらそうってその手には乗らないです」

「……ん?」

「……にゃ?」

 俺達は唸り声がした方にゆっくり振り向いた。

直ぐそこに青い毛並みの熊がヨダレを大量にたらし、今にも襲い掛からんと腰を沈めていた。

俺は危機を認識し逃走の一歩を踏み出そうとした。

すると前方には凄まじいスピードで走り去るミケの後ろ姿が見えた。

俺は木の根はびこる悪い足場で何度も転倒しそうになりながら必死でその後を追う。

「黙って逃げやがって! 俺を囮にする気だったな!」

なんとかミケを視界に捉えながら叫んだ。

「着いて来ないで! こっちに来たらどうするんです!」

互いに罵声を浴びせ合いながら後ろを振り返る余裕もなく必死で走る。

 もうどの位走ったか分からない。

限界をとうに超えた俺は前につんのめりそうになる。

「もう、ダメだ……」

体力の限界が訪れ倒れ込む寸前で一気に視界がひらけた。

森を抜けて現れた青々とした草原に風が吹き抜ける。

降り注ぐ明かりがやけに眩しく目をしぼめた。

「作戦通り助かったです。アイツは森から出られないから大丈夫です」

ミケの声がするが周囲に見当たらない。

どこに居るのか探すと、力尽きたのか足下でうつ伏せになっていた。

「あれのどこに作戦があったんだ……」

「風呂敷に入れてた食料を走りながら落として撹乱していたんですよ」

「ただ逃げるのに邪魔だから置いてきたのかと思ったぞ」

「……そんな訳ないですよ」

「何だ今の間は」

 ミケは立ち上がると草原の先を指差した。

「で、あの遠くに観えるのが王都グランです」

先には高い城壁に囲まれた都市が観えた。

遠目で詳しくは分からないが規模はかなり大きそうだ。

「しばらく歩けば着きそうだな」

ミケは膝に手を置き立ち上がる。

「そうですね。もう一踏ん張り頑張りますか」

「お? 気が変わって道案内する気になったのか」

「今戻ったら帰る前に獰猛な野獣の腹の中です。こんな所に居ても仕方ないので一緒に行きます」

歩き出したミケは眉間に皺をよせに嫌そうな顔をした。

「ミケが居てくれて心強いよ」

「ふん。そんな嬉しい事言ったって何にも出ませんよ」

ミケのヒゲがピンと立った。



      2 

 

 大勢の人が行き交う石造りの都市は、中世ヨーロッパのような印象を受けた。

赤茶色の煉瓦を積み上げて出来た建物はどれも一階が風化しており、上階になる程綺麗になっている。

どうやら必要に応じて増築を繰り返すのが、この国の文化のようだ。

道は凹凸なく見事な技術で敷き詰められた石畳が広がっている。

道端で活気に満ち溢れた露店が、灰色の街に彩りを添えていた。

 俺は観光客のように辺りを見回した。

「活気があってさすが王都って感じだな」

「世界一の都ですから当然ですよ」

「他にも人間が住んでる場所があるのか?」

「そうですね、規模は小さいですがあるらしいですよ。世間知らずなご主人も、そういった場所の出身なんでしょ?」

「あっ、ああ。そうだな」

俺は言葉を濁した。

 元の世界に戻りたいが、手掛かりは穴に落ちた時に聞こえた女の声しかない。

そんな都合よく見つかる訳がないよな。

俺は諦め半分ながら王都を散策する事にした。

しかしやたらと道行く人々に見られている気がする。

「やけに目線を感じるな?」

制服姿が目立っているのだろうか?

俺が顔を向けると誰もが揃って視線を逸らした。

「どちらかと言うとご主人より私が問題なんです。基本的に人間と我々獣人は仲が悪いので」

ミケはどこか残念そうに言った。

確かに周囲を見る限りでは人間の姿しかない。

ミケ達が森に住む理由と関係あるのかもしれないが深く追求するのはやめた。

「なあ、アレは何だ?」

 青果市場で女性が買い物をしている。

「アレって何ですか? 変わった点は見当たりませんが?」

女性は買い物カゴに青果を入れていた。

どこにでもある日常の風景だが気になるのはカゴの位置だ。

「カゴが……浮いている?」

宙に浮くカゴは女性の後をアヒルの子供みたいに付いて回っている。

「人間なんだから魔道具を使っているんですよ」

ミケは普通に答えた。

俺は声を上げて驚きそうになったが呑み込んだ。

ここは人語を話す猫がいる世界なんだ。

何があってもおかしくはない。

「あれは魔道具っていうのか。俺が育った場所はあんなの無いから初めて見たよ」

「人間だけが持つ魔力を糧にして動く道具です。ご主人もやった事がないだけで使えると思いますよ」

 俺は内心ワクワクしながら辺りを見回した。

「なぁ、試しに魔道具を使えないかな?」

ミケは近くの露天を指さした。

「あそこに売っている赤い小枝みたいなのは、爪の先程の火を出せるんです。子供の玩具ですが試してみれば?」

実はゲームや漫画の影響で魔法への憧れがあった。

まさかこんな形で叶うとは。

 俺は露天の前で立ち止まる。

頭の薄い小柄な店主が作り笑いをしている。

「いらっしゃい。どうだい、一本? 安くしとくよ」

「とりあえず火が出るか確かめさせてくれ」

「兄さん疑り深いねぇ」

店主から差し出された小枝を手に取った。

「どうやって使うんだ?」

「どうって変な事聞きますね? 着火しろと念じるだけですよ」

俺は小枝の先端に集中する。

そして暫く時間が経った。

「……本当に着くのか?」

小枝は何の変化も見せない。

俺は店主に小枝を返した。

「まさか。営業妨害はやめて下さいよ」

店主が小枝を手にすると、先端にライターのような火が灯った。

「ああ、悪かったね……また今度にするよ」

 俺は肩を落としてミケの所に行く。

「へぇー。魔道具を使えない人間なんていたんですね。腕っぷしも弱くて、魔道具も使えないとなると、ますます良いとこ無しじゃないですか」

「俺の事を馬鹿にしてるだろ?」

「あっ、人だかりがありますよ。行ってみましょう」

上手いこと話を逸らされた。

 大広間のような場所に人々が殺到している。

近くに居た人に事情を聞いた。

「何か始まるんですか?」

「これから国の重大発表があるんだ。それを聴きに来たんだよ」

興奮隠しきれぬといった様子で男は語った。

映画上映前のサイレンに似た音が鳴り響き、誰一人として騒ぐ者は居なくなった。

「えー、コホン。国民の皆様こんにちは。ご機嫌いかがかな? 魔術師団長のカミエ・ウェルシズです」

スピーカーを通した様な女の声が空に響く。

「さて、先祖から続く千年にも及ぶ戦いにようやく希望の兆しが見えて来ました……それは何故か!」

テンションが高めで芝居かかった口調がどうにも鼻につく。

「ついに広範囲殲滅魔道兵器『裁きの光』が完成したからです! これで我が国の勝利は揺るぎ無いものになりました!」

歓声が湧き上がり地響きとなる。

「後は実践投入を残すのみ! 近い内に吉報を必ずやお伝え出来ると思いますので、乞うご期待です!」

再びサイレンが鳴り人々は散開した。

 昔無くした探し物がふとしたきっかけで見つかった。

そんな電撃が頭を駆け巡る。

「見つけた……」

「ご主人何ブツブツ呟いてんですか?」

「分かったんだ! これで帰れるぞ!」

ミケの肩を掴み前後に揺さぶった。

「もー。やめてくださいよ」

ミケは首をガックンガックンさせている。

「なあ、さっき放送してたカミエに会うにはどこに行ったらいいんだ?」

間違いない。

福引所で穴に落とされた直前に聴こえた声は、さっきのカミエとかいう女と全く一緒だった。

「そんなの私も知りませんよ」

確か魔術師団長とかいう肩書きだったな。

ダメ元で城にでも行ってみるか?

 悩んでいるとミケが手をパンっと叩いた。

「たまに村に来る商人を知ってますから聞いてみますか?」

「あんな辺境の村にも商人が来るんだな」

「ご主人が食べた果実が高く売れるらしいんで物々交換で取引してるんです。わざわざ傭兵を何人も雇って来るところ、結構儲かるんでしょうね」

「当てはそこしかないか。とりあえず行ってみよう」


 町の雑踏を抜けるとカマボコ型の建物が一直線に並ぶ倉庫街に出た。

「ミケは王都によく来るのか?」

「来たのは1回だけ。その商人に頼みこんで連れて来てもらったんです。もう直ぐ着きますよ」

忙しそうに搬入作業に追われる男達が走り回っている。

「おう! ミケじゃねえか!」

後ろから頭に響く物凄い大声が飛んで来た。

「バリスさん! 丁度良かった。探してたんですよ」

 声の印象通りの豪快そうな男が背後に立っていた。

彼は二十歳前後の青年で、見上げなければいけない程背が高い。

仕事柄なのか肌はよく日に焼けている。

「おや? 兄ちゃんはツレかい?」

仕事中のバリスは人がしゃがんで入れそうな大きさの木箱をその場にゆっくりと下ろした。

「ご主人は一緒に旅する仲間です」

「はじめまして。バリスさん」

ミケに紹介され俺は頭を下げた。

「おう! ミケのツレなら俺のツレだ。宜しくな、ゴウ・シュジン!」

どうやらバリスはミケがご主人と呼んでいるのを聞いて名前と勘違いしたようだ。

わざわざ訂正するのも面倒くさいので、そのまま差し出された手を握り返した。

ミケに対する態度からバリスは獣人がどうとか気にはしていないように感じた。

「で? 用事があって来たんだろ?」

俺は要件を切り出した。

「実は魔術師団長のカミエって人に会いたいんですが、どうすればいいか分からなくて」

「えぇ! カミエ様にか……うーん……」

 俺の問い掛けに腕を組み黙って考え込んだ。

「すまねえ。力になれそうにねえな……おそらく一般人がアポなんて絶対とれないぜ。なんたって国の偉いさんだからな」

想像するに一般人がいきなり大臣に会うような無謀さのようだ。

「そこを何とかなりませんか?」

上目使いで懇願するミケにバリスは頭を掻く。

「こればっかりはなぁ……あっ。方法はあるかもしれねえぞ」

「是非教えて下さい!」

俺はつい前のめりになってしまった。

「確実ってわけじゃないが、俺達商人で一番偉い人なら軍にも顔が利くだろうし何とかなるかもしれねえ。名前はルドて言うんだけど珍しい品のコレクターなんだ。ゴウも変わった物持ってんなら話しくらいは聞いてくれるかもよ?」

バリスは簡単な地図を書き渡してくれた。

それを受け取り俺は頭を下げる。

「ありがとうございます。早速訪ねてみます」

「会えるか分からねえけど、お前らが行くって連絡しておくよ」


 地図を頼りに見知らぬ町の中を歩く。

全てが新鮮でまだ観光者気分が抜けていない証拠に、つい目移りしてしまう。

「会うのはいいですけど珍しい品なんて持ってるんですか?」

ミケが心配そうに話し掛ける。

確かにどう見ても俺は手ぶらだ。

ミケの疑問もよく分かる。

「任せとけ。とっておきがあるんだ」

 倉庫街を抜けると居住区に出た。

どの家も一世帯が住むには十分すぎる大きさだ。

高級住宅街なのかどれも凝った造りをしている。

すると場違いな空気を放つ集団がいた。

戦士や冒険者そして傭兵といった感じの血なまぐさい連中が行列を作っている。

「何だこの行列は?」

「さあ? 分からないです」

地図を頼りにルド邸を探すと行列の始発点と俺達の目的地が一緒だと判明した。

「すごく大きい家ですねぇ」

「確かに凄いな」

 周りの十倍はありそうな敷地に建つ豪邸は、いかにもな成金趣味でテーマパークにあるきらびやかな城のようだった。

入り口付近の噴水には色鮮やかな鳥が数羽飼われている。

首は鎖に繋がれていて不自由そうに水をつついていた。

俺達は並んでる柄の悪そうな連中の脇を通り、屋敷に足を踏み入れた。

「おい、お前。査定なら最後尾に並んで待っててくれるか」

小脇に台帳を抱え行列の対応をしている人に呼び止められた。

「あの、すいません。バリスさんから……」

「ああ、バリスの知り合いの。こっちだ」

 案内されるまま奥に進んでいく。

「凄い行列ですね」

「ルド様に珍品を高く買って貰おうって連中だ。毎日こんな感じだよ。この前なんて石ころを持ってきたヤツがいてな。いい加減にしてほしいよ……」

男はうんざりした様子で呟いた。

「ここだ。くれぐれも失礼の無いように」

いたる所に猛獣の彫刻が施してある扉を男は数回叩いた。

「ルド様。バリスが言っていたゴウ殿を連れてきました」

「入れ」

扉の奥から老人の声が聞こえた。

 扉の向こうは凝った柄の赤い絨毯が敷き詰められた空間が広がっている。

中央に薄い布が垂れており、中の様子は影しか見えない。

布の前には初老の男性が後ろで腕を組み立っている。

両端には同じデザインの煌めく全身鎧に身を包んだ護衛が数名、直立不動で有事に備えていた。

「バリスから話しは聞いている。何か頼みがあるそうだな?」

初老の男がしゃがれた声で話す。

ルドは直接話す気が無いようだ。

「はい。実は……」

「時間の無駄だ。要求は品を見た後で聞こう」

初老の男に話しを遮られた。

そっちから聞いたくせにと少し腹がたったが飲み込んだ。

「ご主人ホントに大丈夫ですか? 変な物出して怒らせたら斬り殺されかねませんよ」

ミケは心配そうに護衛の方をチラチラ見ている。

 俺は深夜にテレビでやっている通信販売番組の口調を真似て大袈裟に話し始めた。

「さあ、ご注目! これは私が命を掛けて持ち帰った水を通さない摩訶不思議な布です! この世界にたった一枚しかない貴重な品ですよ!」

そしてポケットからクシャクシャになったレジ袋を出し天に掲げる。

「おお! 何だそれは! 早く持って来い!」

布の奥から興味を抑えきれない若そうな男の声が飛ぶ。

おそらくルドの声だろう。

この世界にビニールが無いと踏んだ予想は的中した。

 初老の男は慌てて俺の前にやって来る。

「少し貸してもらってもよろしいか?」

「ええ。どうぞどうぞ、いくらでも」

レジ袋を渡すと初老の男は駆け足でルドの元に届けた。

「何だこの触ったことが無い滑らかな感触……誰か早く水を持ってこい!」

護衛の一人が急いで壺を用意し奥に置いた。

「おお! 凄い! 本当に水を通さないぞ! 是非、金貨百枚で譲ってくれ!」

ミケは興奮を抑えきれず叫んだ。

「ええ! 金貨百枚! 気が変わらない内に、今すぐ速攻で電光石火で譲るべきです!」

「いえ。お金は入りません」

俺はルドの申し出をキッパリ断る。

「何トチ狂ってんですか!」

ミケの怒り方からすると相当な大金なのだろう。

だがこの世界に骨を埋める気も無いのに、大金を手にしても仕方ない。

「ほう? 金がいらぬと申すか」

ルドの声色に警戒の色が混じる。

「はい。その代わりに魔術師団長に会えるよう手配して下さい」

 急にルドは黙り込んだ。

重たい空気が辺りを包む。

もしかして過ぎた要求だったのか?

「とりあえず交渉はしてみよう。少し時間をくれ」

俺は内心胸を撫で下ろす。

「分かりました。お願いします」

「おそらく明日の昼には結論は出ているはずだ。また連絡させる。下がっていいぞ」

振り返り帰ろうとすると初老の男が寄ってきた。

「海猫亭という宿で待っていてくれ。ここから海に向かって歩けば分かる」

 屋敷を出るとミケがこの世の終わりが来たような悲壮感漂う様子で言った。

「ほんっとにご主人は世間知らずの大馬鹿ですね」

「ああ、金貨の件だろ。一体百枚ってどれくらいの価値なんだ?」

「百年は遊んで暮らせます」

「……あ、うん。そっかぁ」

後悔先に立たずとは昔の人は上手く言ったものだ。

もしかして金貨を受け取ってここで暮らした方が幸せになったのでは?

そんな考えが脳裏に巡った。

 

 教えられた海の側に海猫亭はあった。

建屋は薄い緑の壁に赤い屋根で、海に映える色合いになっている。

その天辺には尾羽が黒く塗られていている白い風見鳥が風上を向いていた。

 中に入ると一階は食堂、二階が客室になっている。

食堂にはテーブルが並べてあり日の高いうちから酒を呑む男達が数名騒いでいた。

俺は目の前を横切った女の子を呼び止める。

酒を運ぶメイド服を着た少女は振り向いた。

「すいません。ゴウと言う者ですが、ルドさんから……」

「ああ、聞いてるよ。階段上がって一番奥の部屋使って。食事は部屋でも食堂でもいいから、後で声を掛けて」

少女は簡潔に要点だけ言うと忙しそうに厨房に姿を消した。

 酔っぱらいのろれつが回らない声を背に、階段を登り指定された部屋に入る。

そこはベッドが2つ置いてあるだけの簡素な部屋だ。

椅子替わりに腰を下ろすと思った以上に深く沈んだ。

見知らぬ世界の疲れが重しとなり立ち上がる事を許さない。

 そのままベッドに寝転がり数分が経った。

「疲れました。そしてお腹が空きました」

同じように寝転んでいるミケが俺の思っていた事を代弁した。

「同感だ。食事を貰ってきてくれ」

ミケは尻尾の形を起用にクエスチョンマークに曲げた。

「誰に言ってるんですか?」

とぼけた様子で語尾を上げて聞き返してくる。

「俺とミケの他に誰が居るんだ?」

お前が行けと言わんばかりに俺も言い返す。

「いきなり現れた異世界の人間に森で平和に暮らしていた私は突然拉致され……」

ミケはお涙頂戴の小芝居を始めた。

「分かった……分かりました」

コイツご主人とか言うくせに絶対自分が上だと思っているよな。

行きたくないと駄々をこねる重い腰をベッドから引き剥がし渋々食堂に向かう。

 宿は客が増えて席が全て埋まるほどの盛況ぶりだ。

さっきの少女が一人で接客をこなしている。

「すいません。食事を部屋でとりたいんですけど」

「はーい、はいはいはい。ちょっと待っててね」

女の子は厨房に入ると直ぐに食事を盆に乗せて準備してくれた。

パンと焼いた肉とサラダと卵のバランスの良いセットだ。

肉肉しさが残ったミディアムレアの焼き加減が腹の音を誘った。

 盆を受け取りいざ戻ろうとした時どこからか声がした。

「おい、お前。確かゴウって名前だよな?」

明らかに俺を呼び止めている。

しかし知らない声だ。

どうにも嫌な予感がする。

ここは聞こえないフリをしてやり過ごそう。

「何しらばっくれてんだ!」

しかし進行方向に回り込まれそうも行かなくなった。

「いやー、悪いね。聞こえなかったよ」

 行く手を阻むのは俺より少し年上の赤い髪をショートカットにしている女性だった。

くっきりとした二重瞼の大きい瞳からは気の強さが滲み出ている。

外国のモデルみたいな綺麗な顔付きだが褐色の肌が色気より健康的な印象を与えていた。

そして使い古した傷だらけの軽装甲冑がくぐり抜けた戦場の数を表していた。

「噂になってるぞ? 金貨百枚を蹴った奴が居るって?」

「俺も聞いたよ。本当に馬鹿な奴が居るよな」

とりあえず他人の振りで誤魔化そう。

「ナメてんのか? アタシは屋敷でお前を見たんだ」

 やはり誤魔化しきれないようだ。

どうにもこういう大雑把そうな性格は苦手なんだ。

ここは適当にあしらってしまおう。

「何か用か?」

「ああ、お前がどこでお宝を手に入れたのか教えてくれないか?」

正直に違う世界から持って来た、と答えても信じてはくれなさそうだ。

俺はこの場を無難に乗り切る言い訳をとっさに考えた。

「砂浜で拾ったんだ。どこか遠くから流れて来たんだと思うぞ」

女は俺の顔をジッと覗き込む。

俺はかなり顔を近づけられらせいで、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

ポーカーフェイスを決め込むつもりが、うぶな高校生では経験値が足りなかった。

「つまらない嘘付くんじゃねえ。教える気が無いならこいつで聞き出してやる」

 女は腰に差していた剣をためらいもなく抜いた。

細みの剣は片刃で長く鍔もあり日本刀と同じ形状をしている。

輝く刀身に平静を装う俺の顔が映った。

かなり手入れが行き届いていると素人でも分かる。

「あーあ。あの兄ちゃん死神アリサを怒らしちまったよ」

「可哀想に。誰か止めてやれよ」

「無茶言うなよ。誰が止めれるんだよ……」

周りの口振りからこのアリサという女はかなりの手練らしい。

「ちょっと待ってくれ」

刀を突きつけられた状況で俺は自分でも驚くほど冷静だった。

急に非日常を詰め込みすぎて、感覚が麻痺していたのかもしれない。

「ここで無抵抗の俺を殺したらアンタの名前に傷がつくだけだ。一つ別のやり方で勝負をしないか? 勝ったら何でも教えてやるよ」

 アリサは不機嫌な表情のまま刀を鞘に収める。

「いいぜ。勝負内容は何だ? やるかどうかは聞いてからだ」

俺は盆を机に置く。

「簡単だ。この卵を立たせればアンタの勝ち。出来なければ俺の勝ちだ」

「そんな事でいいのか? 楽勝だ、楽勝」

「成立って事でいいな。この卵を使ってくれ」

夕飯の卵を渡すとアリサは余裕の笑みを浮かべながら、慎重にかつゆっくりと机に立たせようと置いた。

「ん?」

何度繰り返しても卵は右に左に転がり続ける。

「だあぁぁ! もう!」

 アリサは叫び声と共に机を思いっきり叩いた。

響き渡る音に周りが静まり返る。

「てめぇ、イカサマしてんじゃねえのか!」

胸ぐらを思いっきり掴まれる。

「もし細工していても調べもせず条件を飲んだのはアンタだ」

「騙された方が悪いってのか!」

「そうだ。そもそも俺はインチキなんてしていないけどね」

 俺は卵を少し強く叩きつけ、下が割れた状態で立たせた。

アリサはじっと卵を見つめている。

「やっぱりインチキじゃねえか!」

やっぱり、納得いかなかったようだ。

「割ったらいけないとは言ってない。結果を見てから文句を付けるのはどうかと思うぞ?」

「くっ……」

「まぁ、偉そうに言う俺も他人の受け売りなんだけどな。そんな訳でこの勝負は引き分けでいいよ」

 俺は再び盆を持ちまだ文句を言いたげなアリサを他所に食堂を出ようとした。

「ちょっと待てよ!」

本心は走って逃げたかったがしょうが無く振り返る。

「まだ何かあるのか?」

「納得出来ないが勝負に負けたんだ。傭兵のルールとして願いを一つ聞いてやる」

急に願いと言われてもそうそう頼む事も思いつかない。

「考えとくよ」

俺は味気の無い返事をして食堂を後にした。


 俺は人気の無い廊下で壁にもたれかかる。

「散々な目にあったな……」

今になって足が震えてきた。

もしあの場で激昂したアリサに斬りかかられていたら、おそらく命は無かっただろう。

現実を見失いゲームの中にいるような感覚になっていたのかもしれない。

 震えが止まるまで少し休む事にした。

「遅いですよ。何やってたんですか」

対面からミケがやってくる。

待ちくたびれて探しに来たのだろう、少し怒った顔をしていた。

「やってたと言うか殺られそうになったと言うか……」

「どうせご主人が余計なこと言ったんでしょ?」

なかなか痛い所を突いてくる。

「そんな所だ。とりあえず食事にしよう」

部屋に戻るとお互いかなり空腹だったせいか黙々と食べ、直にに空の食器が並んだ。

腹も膨れ何気なくベッドに座ると強烈な睡魔に襲われた。


 腹の上に人一人分が乗っかったような寝苦しさに目が覚める。

「おっ……重た」

腰を上げ押し退けるとそれはベッドから落下した。

「うにゃぁぁ……」

寝ぼけて焦点があってない視線が定まってくる。

「何だよミケ人の腹の上に乗って。猫かよ。……って猫か……へ?」

俺の目の前の存在は猫と呼べるモノでは無かった。

「もぉー。痛いじゃないですか……」

 黒髪でクシャクシャな天然パーマな猫耳を付けた全裸の少女。

釣り上がった猫目と小さい鼻が幼さを強調させている。

それにしてもスリムな体にはアンバランスな胸の膨らみ。

まるで大振りのスイカみたいだ。

「ミケだよな?」

凝視したい気持ちを無理矢理抑え込み手で視界を遮る。

「そうですけど?」

間違いなく声はミケそのものだ。

「その格好は一体……」

「あ、寝ぼけて人型に変身してたみたいです」

「変身?」

「はい、私達獣人は人型に変身出来るんです。と言っても耳や尻尾は隠せないので完全な人型ではないですが」

「だから村の家が猫の割に大きく作ってあったのか」

「それと人型は服を着るのが面倒くさいんですよ」

「ああ、分かった。理解したよ。承知した。とにかく元に戻ってくれ」

「あれれ? 本当に戻っていいんですか? ご主人も雄の本能に従って見てもいいですよ?」

「見れるわけないだろ!」

ミケの挑発を躱し背を向けた。

「にゃふふーん」

背中越しに柔らかく張りがある感触が二つ伝わる。

「ちなみに人間と子孫を残す事も出来るんですよ?」

ミケは耳元で息を吹きかけながら囁く。

「バカ! 早く戻れ!」

 俺は布団に蓑虫のようにくるまった。

「意気地なしですね。童貞ですか?」

「うるさい! 俺の世界では成人するまで童貞でなきゃいけない法律があるんだ!」

もちろんそんな法律は無い。

我ながら苦しい言い訳だ。

「そうですか。仕方ないですね。まあ、私も経験無いんで成人したら相手して下さい」

「分かったから、早く戻れ」

「はいはい……戻りましたよ。愛くるしいマスコットのミケちゃんですよ」

俺は布団から顔を出した。

「うっそー。まだ人型でしたー!」

全裸でバンザイしたミケに枕を全力で投げつけた。


 再度目覚めて真っ先に横のベッドを確認した。

ミケは猫の姿で丸くなっている。

少し残念な気持ちになりつつ、カーテンを開けると太陽がてっぺんに差し掛かっていた。

「おい、起きろミケ」

「ふにゃ。猫は夜行性にゃのれす」

「昼頃にルドの使いが来るはずだ。置いて行くぞ」

ミケは渋々起き上がり体を伸ばした。

つい昨晩の光景を思い出しそうになり、外を観て気を紛らわす。

 ドアをノックする音が響いた。

「ゴウ様。ルド殿からの依頼でお迎えに上がりました」

「はい、すぐ行きます」

ドアの向こうにいたのは鎧の上に紋章が縫い込まれたローブを羽織った緑髪の青年だった。

身長は高く華奢に見えるが隙間からよく締まった筋肉が覗いている。

少しタレ目で親しみやすい風体だが、笑顔の奥にある眼光は鋭かった。

「グラン騎士団オルファ・スコットです。これから王宮にご案内します」

「わざわざ来て頂いてすみません。宜しくお願いしますオルファさん」

頭を下げようとした俺をオルファは止める。

「いいですよ、かしこまらなくても。苦手なんですそういうの。さん付けもいりません」

 オルファの後をついて行くと宿泊客から好奇の眼差しを向けられた。

騎士団関係者が珍しいのだろうか?

その中には先日揉めたアリサの顔もあった。

一瞬目があったがアリサは直ぐに目を逸らした。

 宿を出るとカヌーの様な船が横付けされていた。

「どうぞ」

促されるまま乗り込む俺とミケ。

最後にオルファが船に乗りこむと、船はエレベーターのように音も無く上昇する。

ゆったりと上がり続けると、宿の二階辺りで停止した。

ジェットコースターが動き出す直前のように緊張が走る。

俺はゴクリと唾を飲み込み、座席を握る手に力を込めた。

「振り落とされないように、しっかり掴まっていて下さいよ!」

オルファのテンションが妙に上がっている。

 船は人が走るくらいの速度で発進した。

「快適な乗りごこちだな」

俺は握った手から力を抜いた。

「もう一眠り出来そうですね」

ミケも緊張がとけたのか、大きなアクビをしていた。

……しかし徐々に加速していき振動で腰が浮く。

「え? まさかまだ速くなるのか?」

俺は前の座席にしがみつく。

「無理……無理……」

もうミケは半泣きの顔をしていた。

 最終的にアクセルをベタ踏みした自動車以上の速度に達した。

風の壁に顔を押し付けられ呼吸に支障が出る。

オルファはいきなり速度を落とさず大きく曲がる。

俺は振り落とされないように船体を握り締めた。

つい何か怨みでもあるのではないかと疑ってしまう。

ミケは加速に比例して叫び声を大きくしていたが、いつの間にか下を向いてぐったりとしていた。

 風景を楽しむ余裕もないまま目的地に到着した。

震える膝をかかえ、おぼつかない足取りで船を降りる。

「もう二度と……こんな物には……乗りません」

ミケは廃人のようになり俳人のようなセリフを残して、木陰に隠れて嘔吐した。

「おう、大丈夫……じゃないな」

俺はミケの背中をさすった。

「……にゃい」

「すっ、すいません! つい興奮してしまい」

俺とミケの弱り具合に、青ざめた顔で謝るオルファ。

絶対オルファはハンドルを握ると性格が変わるタイプだ。


 着陸したのは城に渡る橋の手前だった。

遠目では分からなかったが城の周囲は深い堀で囲まれており渡る手段は一本の橋のみ。

対岸に見える城は灰色で平べったいホールケーキを幾重にも重ねたようなシルエットだ。

それは城というよりも無骨な要塞といった佇まいをしていた。

「いかにも難攻不落って言葉がぴったりですね」

ミケが堀を覗き込んで言った。

堀の側壁は真っ平らで下から登るのは困難を極めるだろう。

「もう千年以上も隣国との戦争が続いているせいでしょう。確かに絢爛豪華な城の方が様になりますが」

渡っている橋の構造も引き揚げられる様に設計されているようだ。

 俺は気がかりをオルファに投げかけてみた。

「ところで、魔術師団長ってどんな人なんだ?」

これから会う相手の情報は少しでも欲しい。

「カミエ様は史上最高と評される天才魔術師です。私も一騎当千の活躍を間近で見ましたが、まるで焚き火に枯葉をくべるように、敵を次から次へと焼き払う凄まじさ。そして実用化のめどがついた、国そのもの滅ぼせる『裁きの光』を唯一使える方です。冗談抜きであの人だけでも戦争を終わらせられるでしょう」

万が一が無いように顔を会わした時の言動には十分に注意した方が良さそうだ。

怒らすととんでもない事になる予感がする。

「何となく凄い人ってのは分かったよ」

「その戦果を認められ今や英雄ですよ。私のような剣に命を預ける身としては、複雑な思いもありますけどね」

 橋を渡りきり味気の無い城に足を踏み入れた。

「オルファ様! お疲れ様です!」

城門の脇に立つ二人の衛兵が姿勢を正し敬礼する。

「もしかして、オルファさんって偉いさん?」

「あっ、ちゃんと紹介してませんでしたか。私は騎士団所属師団長という立場なんです。まぁ立派なのは肩書だけですから」

「という事は騎士団で一番偉いってこと?」

「ええ。一応」

俺は頭を下げた。

「……すいません。タメ口なんかきいてしまって」

「本当に気にしないで下さい。らしくないってよく言われるんです。まあ、家系が代々引き継いでいるだけで、団長になったようなものですし。本当は考古学者になりたかったんですけどね」

はにかんだ笑顔は少年のようだった。


 城内も外見と同じく灰色一色で、調度品も一切置いてない質素な作りだ。

入って直ぐに広い円形のホールがありそこから様々な場所へ枝分かれしている。

あらゆる物が同一企画で作られていて、案内が無ければ迷子は確実だろう。

 俺はホールの中心に立ち天井を見上げた。

壁に縦長の小さい穴が数え切れないほど空いている。

「あの穴は何ですか?」

「侵入者を狙い撃つ為の穴です。橋を渡った者は必ずここを通りますから。豪雨のように降り注ぐ矢は壮観ですよ。浴びたら挽き肉みたいになるんです」

嬉々としてオルファは語った。

実際にどこかの誰かさんがここでミンチになった事は明白だ。

その光景を想像しながら床を見つめると全身に鳥肌が立った。

「やっぱり中身も地味な城ですね」

ミケが遠慮なく率直な感想を述べる。

「逆に派手にしたら税金の無駄使いだと怒られますよ。国民の為の国ですから」

私腹を肥やすのに一生懸命などこかの国の政治家に爪の垢でも飲ませてやりたい。


「ここです」

案内された小部屋に入り腰掛ける。

小さい机と椅子が置いてあるだけの、取調室のような部屋だ。

「カミエ様を呼んできます」

そう言ってオルファは退室した。

「ほんとオルファさんは腰が低くて良い人ですね」

「ああ、軍人ってもっと固い人だと思っていたよ」

するとスリッパでぱたぱたと忙しく走る足音が近づいて来て部屋の前で止まった。

 慌ただしく一人の女性が入室してきた。

キューティクルも皆無で寝癖だらけの金髪を腰まで伸ばしている。

あえて伸ばしているのではなく、切るのが面倒臭いからそうしているといった印象を受けた。

顔の半分が髪で隠れていて判断しにくいが、そう歳でもないだろう。

隙間からかろうじて読める不機嫌極まりない表情から、歓迎されていないのは明らかだ。

彼女もオルファと同じ紋章のローブを着ているが、所々染みだらけで酷く汚れていた。

「君達か僕に何の用事だい?」

 聞き間違えるはずはない。

彼女がカミエその人だ。

「見つけた!」

俺は思わず声を上げた。

「何を言ってるんだ? 僕は君なんか一切知らないぞ?」

カミエは前髪をかき上げ目を細め俺の顔を観察する。

もちろん俺にも直接の面識は無い。

「その声は忘れないぞ! 俺をこの世界に呼んだのはお前だろ!」

カミエの不信な表情が見る見るうちに明るくなった。

「……さすが僕だ! 成功していたのか! 過去からの召喚に失敗して死んでいたと思ってたよ!」

「こっちはお前のせいで死にかけたんだぞ!」

 怨みが爆発し自分を抑えきれずにカミエの胸ぐらを掴む。

「ゴウ殿。落ち着いて下さい」

首に金属の冷たい感触が伝わる。

オルファは冷酷な目で、俺の首に抜き身の剣を押し当てていた。

頭に血が上り過ぎていたせいか、オルファが入室していた事にすら気が付かなかった。

「すいません。取り乱して」

心を鎮めオルファに謝る。

「こちらこそすいません。ああでもしないと止まりそうになかったので」

 オルファは剣を納めた。

俺は深呼吸し状況を整理する。

「……ちょっと待て。過去から召喚したって言ったよな? 今何年だ?」

相変わらず嬉しそうにカミエは答える。

「ゴウがいた世界からおよそ一万年後だ」

「またまた、つまらない冗談言うなよ。何で未来がこんな面白ファンタジーなんだよ」

鏡は無いが上手く笑えず顔が引きつっているのが分かる。

「すんなりと受け入れては貰えないか。少し歴史をレクチャーしよう」

 カミエは目の前に座った。

「ゴウの生きていた時代から少し先の未来、人類は絶滅の危機を迎える。理由は世界全土を巻き込んだ大規模な伝染病だ。そして日本政府は国を守る為にある決断を下す。それが歴史上二度目の鎖国。結果として人口は数万分の一になったが最悪の結末は回避出来た」

カミエの話しは当然受け入れ難いものだった。

しかし嘘をついている様にも見えない。

「僅かに残った人間だけで文明を維持出来る筈もなく、必然的に人々は原始的な生活を続ける事になった。そして何千年という長い月日は、人類に進化をもたらし新たな能力を発現させた。それが僕達の持つ魔力だ」

信じるも何も自分の頭には、この荒唐無稽な説明を受け入れるキャパシティは無い。

とにかく考え込んでも先に進まなさそうだ。

「状況は何となく分かった。それで俺を元の時代に帰す事は可能なのか?」

「ああ、可能だよ。釣った魚を返すようなものさ。釣るのは結構難しいんだけどね」

案外簡単に出来そうな反応にホッと胸を撫で下ろす。

どうやら波乱万丈の旅はここで終わりのようだ。

「なら早速帰してくれ」

「嫌だ」

 俺の言葉にかぶせ気味で否定するカミエに苛立ちを覚える。

だがここで事を荒立てれば状況は不利になる一方だ。

再度胸ぐらを掴みそうになる手を押さえた。

「ちなみに帰せるのに帰さない理由は?」

「これは国家機密だが僕達は近い内に滅ぶ。でもゴウがいれば人類を救えるんだ」

「カミエ様!」

国家機密を簡単に漏らすカミエをオルファがたしなめるが、当の本人は気にする様子もない。

「滅ぶ? 戦争に勝利して平和になるんじゃ……」

 オルファは手で顔を押さえ、言ってしまったなら仕方ないと説明を始めた。

「ご存知の通り後は『裁きの光』を使うだけで終戦を迎えます。平和な世界も目と鼻の先でしょう。ただ問題はその後なんです。歴史は繰り返されるという訳ではないでしょうが、この国にもある伝染病が拡がっているのです」

カミエがオルファの肩を掴んで、後ろに追いやる。

「ここからは僕の専門。それはゆっくりと命を奪う類の物だったんだ。たちが悪いのは強力な感染力を持っていた点。発覚した時にはすでに、僕やオルファも含めて国中に広まっていた。だいたい一年後にはかなりの死者が出るだろうね」

カミエが他人事のような口調で補足した。

確かにそんな事実が世に出れば大混乱間違い無しだ。

「だいたい状況は分かった。でも聞いた限り俺が役に立ちそうな要素は一つも無いんじゃ……」

 カミエは人差し指をピンと立てた。

「天才の僕が詳しく調べると、それは魔力を持つ者にしか感染しない病と分かったんだ。もちろん現在進行形で特効薬を研究しているが、おそらく間に合わないだろう。そこで何とかならないかと打開策を探る中で、魔力を持たない人間の血液があれば簡単に特効薬が作れると判明したんだ。しかし魔力が無い人間なんてこの世界に存在しない。だから――」

俺はやっと合点がいった。

「――過去から連れて来ればいい……か」

「そういう事さ」

 カミエは悪巧みするかのようないやらしい笑みを浮かべた。

「だいたい分かったがそんな病があるなら、敵だって全滅してしまうんじゃないか?」

「知らなかったのか? 敵とは獣人の事だ。元々魔力を持たない種族だから伝染病も関係無い」

思わず横目でミケを見た。

ミケは俺の言いたい事を視線から察したようだ。

「私の仲間じゃないですよ。人間と同じで獣人にも色々いるんです」

前にミケが人間と獣人の仲が悪いと言っていた意味が理解出来た。

 渋々俺は献血と同じように袖を捲った。

「それじゃあ早いとこ必要な分の血を抜いて、とっとと帰してくれ」

カミエは笑いを堪えるように、ソッポを向いて肩を震わせた。

「おいおい、この国の人口が何人いるか知っているのか? ゴウの体を絞り尽くしても足りないよ」

「それなら必要な量を確保するのにどれ位時間が掛かるんだ?」

「うーん、そうだねぇ。まずは体の構造を……改造して……」

小声で何やら言いながらカミエは指折り数えている。

「半年もあれば可能だね。それでも多少の犠牲者は出るが、全滅よりマシだろう」

 正直半年も留まるのは長過ぎるが、ここで無理矢理帰っても後味が悪い。

「仕方ないな協力するよ。だから病の件が解決したら、責任持って元の世界に帰してくれよ」

「大丈夫。直ぐに帰りたいなんて思わなくなるさ」

「俺にはどう見てもここが楽園には思えないけどな」

元の世界もろくでもないが獣が闊歩するここよりかは幾分マシだ。

「効率よく血液を採取する為に体組織を作り変えるから、自分の意志とか思考は無くなっちゃうんだ。心配しなくても君の尊い犠牲は、未来永劫子々孫々に伝えられるさ」

「……はい?」

 カミエにふざけている様子はない。

どうやら本気のようだ。

「もし望むなら頭の機能を残してもいいけど、肉団子みたいな体になるから余計辛いだけだと思うよ?」

このままではとんでもない方向に行ってしまう。

「無理矢理無理! いくら何でも自分の人生を諦めきれるわけないだろ! 誰か別の人間を召喚してくれ!」

俺は全身全霊を持って拒否した。

「そんな事言われてもなあ。もう百回くらい失敗してるし……」

さらっと恐ろしい事を聞いた気がしたが深く追求するのはよそう。

「とにかく無理なもんは無理だ!」

返答を聞いたカミエは両足を机に上げた。

「そうかい、そうかい。協力的なら手厚い対応をと思っていたのに残念だ」

足を上げたまま残念さの欠片もない態度で、カミエは手を叩いた。

 突如、乱暴に扉が開き部屋一杯に兵士がなだれ込んだ。

「何しやがる!」

俺の抵抗も虚しく、複数の兵士に押さえ込まれる。

「オルファの頼みだから時間を割いて来たが、どこの馬の骨か分からん奴と合うのに万全を期すのは当然だろ? でも馬の骨がまさか国を救う救世主だったとは嬉しい誤算だったよ」

そうして手足を縛られ床に転がされた。

冷たい石の感触が頬から伝わる。

「ちょっと、ちょっと! 私は完全に無関係です! 何も知らずに着いて来ただけなんです!」

ミケは兵士に頭を鷲掴みにされ持ち上げられる。

「カミエ様。この猫はどうしますか?」

「とりあえず一緒に牢獄に入れといて」

兵士に答えるとカミエは席を立った。

「救世主の部屋が牢獄とはな。客室ぐらい用意したらどうだ?」

歯を食いしばり精一杯の強がりを投げつける。

「心配しないで。今日は準備で忙しいけど、明日から一生僕の研究室で可愛がってあげるよ」

カミエはまるでモルモットを見る目で俺を見下す。

その憎たらしい顔を最後に、何かを被せられ視界を奪われた。


 荷物のように運ばれ突然被り物をはぐられる。

なすがままに連れて来られた先は、薄暗く湿っぽい場所だった。

先の見えない廊下の両端に、小窓が付いた鋼鉄製の頑丈そうな扉が並んでいる。

兵士は俺の拘束を解くとその一つを開けた。

「入れ」

命令口調だが感情がない。

単語を並べているだけの人工音声みたいだ。

兵士が一人なのは仮にこの場を突破しても、絶対脱走出来ない構造になっているからだろう。

 今は抵抗しても無駄だと観念して大人しく中に入った。

牢獄はぎりぎり横になって寝れる広さしかない。

窓一つ無くその場に居るだけで窒息してしまいそうだ。

便所代わりの隅の穴からは、鼻が痛くなるような悪臭が放たれている。

「連れの猫はどうした?」

「知らん」

口ぶりから知っていても答えないという意思は伝わった。

 兵士は扉を閉め、静寂に鍵を回す音だけが響いた。

扉の隙間から漏れる僅かな灯りが牢獄を照らす。 

まるでサイコロの中みたいだ。

そんな事を思いながら便所の対角に座る。

もはやここまで密室だと逃げ出す気も起こらない。

 しかしこのまま時間が過ぎて研究所行きになると、本当に帰れなくなってしまう。

俺はベタに隠し通路がないか壁を調べてみる。

だが人生そんなに甘くない。

「俺が何したってんだよ……」

理不尽な人生に向かってついた悪態は誰にも届かない。

そして絶望にうなだれるも涙は出ない。

もう打つ手がなくなりぼんやりと壁の染みを眺めていた。


 どのくらい経ったのか分からないが、変化のない部屋に小窓が軋む音が反響する。

「食事だ」

さっきと同じ兵士の声がした後でパンが投げ入れられた。

決して衛生的とは言えない床の上に転がった。

かなり抵抗はあったが背に腹は変えられない。

俺は落ちたパンを拾い口に入れた。

わざわざ硬くしたのかと疑いたく代物を、千切っては口の中でふやかして食べる。

 唾液を使い切った頃に再び小窓が開いた。

今度はオカズでも投げ入れるのかと小窓に視線を向ける。

「ご主人。助けに来ました」

「ミケ! 一体どうやって? まあいい、早く出してくれ」

扉がゆっくり開くとミケがボヤけたピントで写った。

暗闇に目が慣れていたせいか、薄暗い廊下がやけに眩しく感じ目を細める。

ミケが腰の辺りに飛び付いて来た。

「良かったです。もう会えないと思いました」

顔を擦り付けるミケの後ろに居たのはオルファだった。

「感動の再会は後回しにして早く逃げましょう。付いてきて下さい」

 言われるがまま走るオルファを追いかける。

「ありがとう、オルファ」

走りながら命の恩人に礼を言った。

「前からカミエの強引なやり方には反対だったんです。今回の件で我慢の限界を超えました」

「でも、こんな事して大丈夫なのか?」

「さすがに大丈夫ではないですよ。ただ誰かの犠牲に成り立つ平和に納得は出来ません」

 オルファは突き当りの部屋に入った。

倉庫として使われているらしく様々な道具が置かれている。

「ちょっと待って下さい」

オルファは部屋の中心に置いてある一際大きい木箱を押し横にズラした。

そして木箱の下にあった石床に指をかけ持ち上げる。

意外と薄い石床は簡単に持ち上がった。

 その下は先の見えないトンネルが続いている。

「私が案内出来るのはここ迄です。トンネルは魔道船を停めた近くに続いています。中は暗いのでこれを使って下さい」

オルファからオイルランプを渡された。

「本当に助かったよ」

「次の見回りで脱獄がバレるでしょう。とにかく王都から出て下さい。川を下ると道沿いに誰も使ってない小屋があります。そこに身を隠して下さい」

オルファは捲し立てるように早口で言った。

 俺とミケは石床の下に潜ると

オルファは蓋を閉めた。

俺はオイルランプに火を灯した。

トンネルは四つん這いになってどうにか通れる幅しかない。

揺らめくランプの灯りが土壁を照らすと、雑に削った跡が所々見て取れた。

多分ここは非常用の抜け道なのかもしれない。

「はぁ……成り行きとはいえ王都から追われる身ですね」

進みながらミケが不安そうに言った。

「次に捕まったらもう二度と出れないだろうな。とにかく早く抜け出そう」

 トンネルを進み続け腰が痛くなってきた頃、どうにか立てる程の空間に行き着いた。

「ここで終わりですか?」

俺は周囲をくまなく照らした。

道はここで終わっている。

「行き止まり? いや、さっきと同じで天井が開くのか?」

天井に手を伸ばし力を入れて押すと光が射し込んできた。

少々重い蓋を横にどかすと青空が見えた。

 俺は慎重に顔を出し周囲を確認する。

しかし雑草がはびこっているせいで視界は悪い。

「よく見えないな……しょうがない、行くしかないか」

地面に手をつき這い上がる。

幸い人気は無いようだ。

「おいミケ掴まれ」

穴に手を突っ込みミケを引き上げた。

 見覚えのある風景が広がっている。

現在位置はオルファの言う通り、魔道船を停めた近くのようだ。

「おい」

誰かに声を掛けられ心臓が飛び出そうになる。

相手が兵士でない事を祈りながら顔を向けた。

茂みの高さから頭が出ないように座っていたのは、俺の命を奪おうとした相手だった。

「アリサ!」

「驚いたぞ、モグラみたいに出てきて」

「何でこんな所にいるんだ?」

「何でも何もゴウを待っていたんだ。オルファと一緒に出て行ったなら、目的地は城ぐらいのもんだろ。ただあまり城の前をうろつくと衛兵に目を付けられて厄介だから隠れていたんだ」

 どうやら脱走した俺を探しているのではないようだ。

少し胸を撫で下ろす。

「悪いけど急いでるんだ。この前のお礼参りなら勘弁してくれよ」

「ご主人の知り合いですか?」

ミケはアリサに疑いの眼差しを向けている。

「……ゴウに騙されて体を要求されたんだ」

ゴミを見る目でミケは俺を見た。

「……最低ですね」

「勝手に話しを盛るな!」

アリサは真剣な顔で言った。

「あの時言っただろ『願いを一つ聞いてやる』って。青少年の頼みなんて、そういうのしか無いんじゃないのか?」

俺はアリサの斜め上の思い込みに頭を抱えた。

「そんな訳ないだろ。ミケも本気にしないでくれ」

否定したもののミケは俺をまだ疑っているようだ。

「こいつはアリサ。宿の食堂で知り合ったんだ」

「ご主人の事ですからどうせ口車に乗せて巻き込んだんでしょ」

ミケはアリサに手を差し出した。

「ミケです。宜しく」

ミケの肉球をアリサは指先で摘むように握った。

「ああ、宜しく。可愛い猫さん」

「ところで急いでるんだがもういいか?」

 あまり足止めをくらっている場合じゃない。

「せっかちな奴だな。状況次第では力になれるかも知れないぞ?」

「こんな場所から出てきて言い訳は出来ないな。俺は王都から追われる身だ。かかわるとロクな事にならないぞ」

アリサは下を向いて小刻みに震えた。

「くっ……くくく。大金を断ったり、騎士団長が直々に迎えに来たり、犯罪者になったり。面白いヤツだな」

「ご主人はただ馬鹿なだけですよ」

ミケは俺の足を叩いた。

「うるさい。もう行くぞ」

「待て待て待て。私も一緒に行ってやろうか? それで願いの件はチャラだ」

 この申し出は千載一遇のチャンスだ。

もし戦闘状況になった時、俺とミケでは話にならない。

「ありがとう、一緒に来てくれ。頼りにしてるよ」

「おうっ。任せとけ」

アリサは俺の胸を軽く叩いた。

「まず一刻も早く王都を出たいんだが、いい方法は無いか?」

アリサは少し考えた。

「見つからないように町中を移動するのは無理があるな。近くに下水の入口がある。そこを通って外の川まで行こう」

オルファの言葉を思い出した。

「そう言えば川を下った道沿いに小屋があるって言ってたな」

「小屋? ああ、確かにある。案内するから着いてきてくれ 

 細心の注意をはらいながら狭い路地を縫うように進む。

こういう立場になると、道行く人全てが怪しく見えてしまう。

中心地に近付くにつれ人が増えてきた。

俺は先導するアリサに声を掛ける。

「さすがに人目につきそうだな」

逆に人混みに紛れ込む方が安全かもしれないが。

「安心しろ。いい道を知っている」

アリサは自信ありげな顔をした。


 俺達は電話ボックスより少し大き目な建物の前に来た。

「ここから下水に繋がっているんだ」

ミケは明らかに嫌そうな顔をした。

「えぇー……人間には分からないでしょうけど、猫は鼻が利くから辛いんですよ」

「死ぬよりマシだろ?」

アリサは正論を振りかざす。

それを言われちゃぐうの音も出ない。

 よく見ると傷んだ木製の扉には錠前が付いている。

「鍵を持ってるのか?」

「こんな錠前無いのと同じだ」

アリサは刀の柄に手をかけると、錠前を切った……ように見えた。

と言うのも抜刀から納刀までのスピードが速すぎて、目で捕らえきれなかったからだ。

結果として甲高い音の後に落ちた真っ二つの錠前が、俺の推理が正しい事を証明してくれている。

「凄いです。全く見えませんでした」

ミケも同じ感想を抱いていた。

「敵が構える前に切るのが長生きのコツだ。さあ、行こう」

 扉の向こうは緩やかな下り坂になっている。

下水だけあって異臭はするがあの牢獄に比べれば数倍はマシだった。

灯りなど気の利いた設備も付いておらず、俺はオイルランプを取り出した。

「珍しい物持ってるな」

「そうか? どこにでもあるランプだろ」

「オイルランプなんて昔栄えた魔力の無い文明の骨董品だぞ。何で魔道具を使って明かりをともさないんだ? アンティーク趣味でもあるまいし」

 アリサは懐から薄青いビー玉のような物を取り出した。

そして指を鳴らすとビー玉は肩ぐらいの高さに浮き、周囲を淡い光で包んだ。

「へー、魔道具ってのは便利だな」

俺は興味本位で漂うビー玉に触れると、光る霧のように指先をすり抜けた。

「何言ってんだ? これくらいなら普通だろ」

ミケは首を横に降った。

「姐さん、姐さん。ご主人は魔力が無い可愛そうな人間なんです」

「へー、そんなヤツがいるんだな。でも火をおこすのも水を汲み上げるのも魔力が必要な王都で生活するには不便だぞ」

「確かに不便そうだ。この件が解決したら大人しく自分の国に帰るよ」

 下水道はアーチ状の天井で、複数の管が深い溝に向かって伸びている。

溝の底に川があり汚水を下流に流す構造のようだ。

覗き込むと汚れでギラギラと水面が光っている。

両脇には苔で床が覆われた狭い通路が付いていた。

足下も悪く落下防止の柵を掴もうとしたが、鍾乳石のような汚れが付着していて握る気にならない。

 下を向いて歩く俺にアリサが話し掛けた。 

「で、何で追われていたんだ? 騎士団長が直々に迎えに来るくらいだから重要な客人だったんだろ?」

「何だ、オルファを知っているのか?」

「戦場で何度か一緒だったからな」

ここで真実を言ってしまうと連れ戻されてしまいかねない。

言葉を慎重に選ばないと……

「ご主人がいないと人間が滅ぶんですよ」

そんな俺を他所にミケがド直球を投げ込んだ。

「ん?」

突拍子が無い話しにアリサは、いまいち理解してない表情をしている。

しかし誤魔化そうにも時既に遅しだ。

「ミケの言った事をわかり易くいうと、俺は人類が滅ぶ伝染病を治す為に、過去から魔術師団長カミエに召喚されたんだ。危うく人体改造をされそうになって脱走したんだよ」

「そうか。今すぐ速攻で城に戻るぞ」

アリサに腕を掴まれる。

その小さな手は皮膚は固くなっていて爪も所々ひび割れている。

お世辞にも女性らしいとは言えないが、見た目のケアばかりに心血を注ぐ手より魅力的に感じた。

「ちょっと待て。話しを最後まで聞いてくれ」

「そもそもゴウを逃せばアタシも伝染病で死ぬんじゃないのか?」

「カミエは俺の血を使ったとしてもある程度の死者は出ると言っていた。という事は順番が回ってくるまでアリサが無事とは限らないだろ?」

「そうは言っても……他に良い方法があるっていうのか?」

 アリサは俺を正面から見据えた。

「そもそも戦時中に相手が滅ぶ伝染病が流行るなんて、あまりにも都合が良すぎると思わないか? 絶対に裏がある」

「うーん。ご主人には悪いですけど獣人にはそんな力も知識も無いと思います」

「まして天才カミエでも治せない伝染病を、獣人が作れるとは考えられないな」

ミケもアリサも俺の意見に否定的だ。

「だからそれを確認しに行くんじゃないか」

「誰に?」

「誰にです?」

アリサとミケは俺の顔を覗き込む。

「とりあえず獣人の一番偉い人に……」

 俺の顔を見たまま二人は同じタイミングでため息をついた。

「却下」

「却下ですね」

予想通りの返答だった。

「……やっぱり?」

「獣人王ガラエルに会いに行くなんざ自殺行為だ。言っとくがアタシはまだ死にたくない」

「そう言ってもアリサだって、伝染病から確実に助かるにはやるしかないだろ?」

懇願するもアリサは首を横に振る。

「会うどころか途中で殺されるのがオチだ」

「そんな事は百も承知だ。頼りにしてるよアリサ」

「んー……」

アリサは黙って考え込んでしまった。

「……仕方ない。但し危なくなったら逃げるからな」

ミケはアリサの太ももをポンポン叩いた。

「気が合いますね姐さん。逃げる時は私もお供します」


 苔で滑らないよう慎重に一歩を踏み出しているが、それでもバランスを崩し何度か柵に手を掴んだ。

掌のヌルヌルした感触が酷く気持ち悪い。

外に出たら手を洗おう。

そう心に誓いアリサの後を追う。

「ご主人、おんぶして下さい」

俺でも追い付くのがやっとのペースだ。

ミケの歩幅ではしんどいのも分かる。

「ほら、掴まれ」

「ありがとです」

俺は登りやすいようしゃがむとミケは飛び乗った。

どうにも肩に爪が刺さり地味に痛い。

「とりあえず爪をしまってくれないか?」

「これは失礼をば致しました」

 爪問題が解決しアリサの横に急ぐ。

「ところでアリサ。獣人国までどれくらい掛かるんだ?」

「詳しく覚えていないが一週間くらいで着くぞ」

「その口ぶりだと行った事があるのか?」

「そりゃ傭兵だから貰う物頂けば戦争に参加もするさ。アタシ達は死ぬ確率が最も高い前線で剣を振るっていたんだ。しかし獣人の高い身体能力の前に戦況は悪化する一方。アタシも獣人に囲まれて半ば覚悟を決めかけた時に、助けてくれたのがオルファなんだ」

「へぇ。騎士団長なんて偉い人が前線に出るんだな」

「アイツは変わってるんだ。団長という身分で戦う必要が無いのに、危険を顧みず仲間の為に前線に出る。だからアタシをはじめオルファに助けられたヤツは何十人、いや何百人はいるぜ」

「実は私達もオルファさんに助けられたのです。姐さんと一緒ですね」

「そうなのか。そんなオルファだから慕う兵士も多いんだ」

聖人のようなオルファでもカミエの事はあまり良く思ってはいないようだったな。

アリサなら何か知っているかも知れない。

「どうにもオルファはカミエのやり方に不満があるみたいだけど?」

「噂だとカミエが味方の撤退を待たずに、実験中だった『裁きの光』を使ったせいで数十名の死者が出たらしいんだ。本来なら重罪にあたるんだが、カミエがいなくなれば戦況が一気に不利になる事を危惧した女王は事故だと罪に問わなかった。それが原因だろうと皆言ってるよ」

 薄暗くて距離感が掴みにくいが、やっと終点の光が遠くに確認出来た。

光源に群がる虫のように焦る気持ちを抑える。

「ここを出たら休憩しよう。ミケを背負い続けて疲れただろ?」

ミケは俺の背中に顔を擦り付ける。

「私もクタクタでヘロヘロです」

「よく人の背中の上でそのセリフを言えたな」

ゴールが見えているだけで不思議と足取りが軽くなった。



      3


 予想より遥か遠くに来ていたようだ。

下水道から出た先は、膝まで雑草が生い茂る道はずれ。

遠くにミニチェアサイズの王都が夕焼けに染まっている。

「この近くに例の小屋がある。予定通り今日はそこで泊まろう。しかも温泉付きだぞ」

「もう毛に臭いが染みついちゃいましたよ」

ミケは飛び降りると自分の肩に鼻を近づけ憂鬱な表情になる。

 そこから先はアリサが先陣を切って草むらをかき分けてくれるおかげでかなり楽に歩けた。

少し進むと明らかに人の手が入った砂利を敷き詰めた道が現れた。

幅は広く三車線道路と同じくらいだ。

真っ直ぐに伸びた先には地平線が続いていた。

「よくこんな広い道を作ったもんだ」

重機もない中での作業風景を想像すると、頭が下がる想いになる。

「戦争に必要な物資を運ぶ為に作られた国境迄続く道だ。ちなみに休憩所として建てられたそこの小屋が今夜の宿になる」

指差した先にはお世辞にも立派とは言えない木造の小屋があった。

「あんなボロっちいの大丈夫ですか?」

ミケが率直な意見を述べる。

「郊外は獣も出るが嫌ならミケだけ野宿でも構わんぞ」

「とても風情があって良い小屋ですね」

ミケは台詞を棒読みするように言った。


 小屋に到着した俺達は虫食いの跡がある扉を開けた。

室内は中心にある囲炉裏を囲うようにぐるりとベンチが備え付けられている。

古民家のような雰囲気が懐かしい気持ちを誘った。

奥の扉が気になり開けてみると一度に十人は入れそうな岩造りの露天風呂に繋がっていた。

王都といいつくづく石材加工が得意な人達だと感心する。

「さて、暗くなる前に体を洗わないとな。臭くてかなわん」

 アリサは軽装甲冑を脱ぎ布の服一枚になる。

おもむろに脱ぎ出したせいで、俺は変に緊張してしまった。

思春期真っ只中なんだから仕方ないと、心の中で密かに言い訳をする。

そして気になる甲冑に隠れていた胸は……とてもコンパクトなサイズだ。

「姐さんお伴します」

露天風呂に向かうアリサの後をミケが追う。

「覗いたら目玉をくり抜いてから殺す」

背筋が凍る捨て台詞を残し、アリサは刀だけを持ちミケと出て行った。

 俺は腰を下ろして体を休める。

決して座り心地の良い物ではないが贅沢は言ってられない。

とりあえず目的地に無事着いた安堵感で一杯だった。

「ぷにゃー。気持ちいいですねえ」

ミケの声が露天風呂から響く。

「おい! そのけしからん胸は何だ!」

はしゃぐ二人の声が響く。

「姐さん、そんなに揉まないで下さいよ」

「アタシへの当てつけか!」

「違いますよ。獣化だと猫の本能で水が気持ち悪いんですよ」

「くそっ。可愛い顔で胸がデカいなんて反則だろ」

「生まれつきだから仕方ないでしょ。だからそんな所まで揉みしだかないで……あ」

 突然空から天啓が降りてきた。

お前は男子たるものどうすべきか分かっているだろうな?

超次元の存在が俺に問い掛ける。

そうかこのボロい小屋に来たのは神が与えし試練だ。

俺はただちに自分の使命を理解した。

 息を殺し足音を消しくまなく辺りを調べる。

すると露天風呂側の壁に虫食いの穴があった。

世紀の大発見とばかりに心が踊る。

『急いては事を仕損じる』と、どこかで聞いたことわざが頭に浮かぶ。

俺は荒ぶる感情を深呼吸で抑えた。

 そして慎重かつ期待に胸を膨らませながら楽園を覗く。

しかし運の悪い事に湯けむりが邪魔で、二人の姿が全然見えない。

頼む。

少しでいいから神風を吹かせて悪しき霧を払ってくれ!

切実な祈りが天に届いたのかゆっくりと湯けむりが消えていく。

静かに唾を飲み込む。

そしてついに全貌が明らかに!

待望の楽園には……

毛むくじゃらの猫が体を舐めていた。

「言ったよな? 殺すって」

背後からの声に俺は恐怖のあまり振り向く事が出来なかった。


 全く酷い目にあった。

鞘で問答無用にしこたま叩かれた俺は、露天風呂の手前で服を脱ぎ散らかし温泉に入った。

傷がしみて地味に痛い。

「痛っ。アリサの奴、本気で殴りやがって……男のロマンが分からんのか」

少し熱めの湯加減に肩まで浸かると、痛みも気にならなくなった。

それにしても温泉にありつけるとは思わなかったな。

疲れが湯に溶ける気持ち良さに、岩にもたれ掛かり目を閉じる。

「ゴウ!」

 叫び声と共にアリサとミケが真剣な表情で入ってくる。

抜き身の刀がふざけて覗きに来たのではないと証明していた。

「どうしたんだ?」

俺は尋常ならざる様子に立ち上がろうとする。

「ご主人! 潜って!」

状況は掴めないが、とりあえずミケの声に従い素早く潜る。

途中何かが飛んで来て髪にかすった。

それは岩に当たり金属音を響かせ湯に沈む。

飛来物の正体を確かめると刃まで黒く塗られた短剣だった。

 慎重に顔を上げると大きい……いや巨大な人影が目に飛び込んだ。

侵入者は闇と同化するように頭まで黒いローブを被り、アリサと対峙していた。

「盗賊か? 私達を襲っても大した物なんてないよ」

アリサの問い掛けもお構いなしに、黒ローブは黙って背負っていた大剣を抜く。

それは俺の身長程はありそうな大きく分厚い大剣だ。

包丁をそのまま巨大化させたような変わった形状をしていた。

「えらく立派な剣だね。さては自分のブツは小さいんじゃないのかい?」

 アリサの挑発に応える事もなく黒ローブは地面を蹴った。

常人では持ち上げる事さえ困難な大剣を、木枝でも振るうごとく軽々と振り上げる。

「ミケ、岩陰に隠れるんだ」

ミケに避難を促し、俺はゆっくり後ずさる。

振り下ろされた大剣をアリサは寸前で転がり躱す。

更に追撃の手は緩まず、外角低めを打つようなスイングで襲いかかる。

腰の高さ迄アリサは跳躍した。

そして足元を通過する大剣の腹を力強く蹴り宙を舞った。

「相手が悪かったな、短小野朗」

アリサは器用に空中で体を捻り、黒ローブの首を落とさんと刀でなぎ払う。

勝負は決まったように見えたが、黒ローブは首を曲げ頭部でアリサの刀を受けた。

「くそっ、兜でも被ってやがったか!」

刀は弾かれアリサは悔しそうな顔を覗かせる。

 その衝撃でフードがめくれ上がり、黒ローブの素顔が露わになった。

俺はその異様な姿に声を失う。

――ミノタウロス。

牛顔の生物を見て一番にこの名前が頭に浮かんだ。

ミノタウロスは黒ローブを脱ぎ捨て、筋骨隆々な体を露わにした。

アリサが放った生命活動を停止させるはずの一撃は、象牙の様な角に遮られていた。

自慢の角に傷を付けられた事に激怒しているのか、荒い鼻息が重低音で周囲に響く。

「盗賊の方が二百倍はマシだったな」

アリサは息も切れ切れで愚痴をこぼす。

肩が大きく上下し肺が少しでも空気を取り込まんと活発に動いている。

一瞬の攻防だったがかなりのスタミナを消耗したのだろう。

俺は両者の攻防を視界に捉えながら、湯の中で目的の物を探し当てた。

自分の命を絶たんと投げられた短剣をこっそり拾う。

もしかしたら援護が出来るかも知れない。

俺は短剣を握りタイミングを待った。

 ミノタウロスは鼻息が荒いまま大剣を振り回しアリサに襲いかかる。

アリサは迫り来る竜巻のような斬撃を、同心円状に躱し続ける。

しかし体力の限界か次第に大剣が体にかすりだした。

ミノタウロスは全く反撃の隙をつくらない。

アリサはこのままではジリ貧になるだけと判断したのか、距離をとろうと大きく後方に飛んだ。

 ミノタウロスはその場でハンマー投げのように一回転し、遠心力をつけた大剣を投げつけた。

低い風切り音をあげながら回転する死の彗星がアリサに襲い掛かる。

着地間際で躱す術が無いアリサは、やむなく刀で受けるが衝撃で後方に大きく弾き飛ばされた。

体勢を大きく崩したまま背中から地面に落ちる。

ミノタウロスは間髪を入れず、両方の角で串刺しにする為体を沈めた。

そして床の石にヒビが入る強烈な踏み出しで、砲弾の様にアリサに突っ込む。

 今しかない!

俺は行動に移った。

短剣に上着を引っ掛け振りかぶる。

もちろん素人が投げて刺さるとは微塵も思ってはいない。

万が一刺さっても巨躯な体からすれば、かすり傷程度にしかならないだろう。

俺はミノタウロスの足元目掛けて投擲した。

祈りを込めた一投は狙い通りミノタウロスの進行方向に上着を運んだ。

その上を踏んだミノタウロスは転倒こそしないが、足を滑らせ前にツンのめる。

隙を見逃さなかったアリサは、瞬時に姿勢を立て直し一気に距離を詰めた。

刀の切っ先が飛ぶ羽虫を切るような、力み無い正確な軌道を描く。

 次の瞬間地面に滞留する様な呻き声を上げ、ミノタウロスは両膝を付いた。

手で首を押さえているが、指の隙間からおびただしい量の血が溢れ出す。

そして地面が血溜まりに浸されてミノタウロスは動かなくなった。

「間一髪だった。ゴウの助けが無ければ危なかったぞ」

アリサが刀を納めた。

「ははっ……たまたまだよ」

笑顔で返そうとしたが表情筋が固まり引きつった笑いになる。

「わざと服を踏ませてバランスを崩させるなんて、よく閃いたな?」

「俺の部屋は汚くて、洗濯物がそこら中に散らかっているんだ」

「何だいきなり?」

「だから踏んで転ぶ事も多くてね。ズボラな性格が意外な形で役に立ったよ」

「そんな所から思い付くなんてご主人らしいですね」

岩陰からミケが顔を出した。

「お褒めに預かり光栄です」

俺はミケに会釈をする。

 アリサはミノタウロスに近付いた。

「それにしても業物な逸品だ。そうそうお目にかかれないぞ」

アリサはミノタウロスが残した大剣に歩み寄ると、応援団旗を持つ体勢で持ち上げた。

「でも何で俺達が狙われたんだろう?」

「少なくともアタシに心当たりは無いぞ」

「私も無いですよ」

アリサとミケが答えた。

大剣を持ち上げていたアリサはしばらく堪えていたが、やはり扱えないのか乱暴に落とした。

「だが重過ぎて使えないな。勿体無い」

 アリサは背を向け歩き出した。

「ちょっと待て! 一緒に行く!」

死体を見ながら風呂に入る趣味は無い。

俺は慌てて立ち上がった。

「あれれれ? ご主人相当ビビってたんですね」

ミケがニヤつきながら俺の下半身を凝視している。

「縮んだミミズみたいだぞ」

二人の目線の先にあるブツを隠そうと水しぶきが体全体に上がる勢いで湯に飛び込む。

「早く出ていけー!」


 温泉から出て部屋に戻ると囲炉裏に火が灯っていた。

「アタシが持っている携帯食で食事にしよう」

アリサは干し芋を俺とミケに配る。

「ありがとう」

「かたじけないです」

前歯が折れそうに硬い干し芋を、奥歯で噛みちぎりながら腹に入れた。

十分な量ではないが食欲が無かったので丁度良い塩梅だ。

「食べたら直ぐに寝る事だ。腹が溜まっている間じゃないと、空腹で眠れなくなるぞ」

忠告通りアリサは早々に食べ終えると囲炉裏を背に横になった。

続いてミケもアリサにくっついて丸くなる。

俺は火の粉が散る囲炉裏を眺めるように寝転んだ。

まだ興奮と緊張が抜けていないのか、目が冴えて眠れそうにない。

 誰が言ったか知らないが人生何が起こるか分からないとは、その通りだと心から共感する。

まさか未来の世界に来るはめになるとは想像もしなかったが。

それよりも驚きなのは物語なら名前さえ貰えないエキストラの俺が、よもや世界を左右する中心に立っている事だ。

これまでどこか投げやりに生きてきた自分の中で、何かが変わろうとしているのかもしれない。

掴みきれないそれを表現する言葉を探しながら、俺は目を閉じた。


 射し込む光が顔を照らし目を覚ます。

アリサとミケは既に起きていた。

「さっさと行こうか。昨日みたいな来訪者は勘弁だからな」

小屋を後にした俺達は永遠と砂利道を進む。

道端に繁茂している雑草に目をやると色素を洗い流したような薄紫の小さい花が咲いていた。

 歩みを進めるうちに風景もしだいに変わる。

それは草原が森になる過程を早送りで見ている様に感じた。

「ミケの村もこんな感じだったよな」

俺は森のトンネルを見上げながら言った。

「元々この大陸は森ばかりだったらしいですよ。本来なら森と共に生きるべきだと村長も言ってました」

「汚水を川に垂れ流す人間としては耳の痛い話しだ」

森を見上げたアリサは何かを諦めたような表情を見せた。

「悪いと分かっていても止められないのは良くある問題だろ? 俺が居た世界だって自然を壊しながら生活していたよ。人間はどこに居ても一緒なのかもな」

好きでは無かったビルが建ち並ぶ世界でも、不思議と今は恋しかった。

 息が上がり湿った空気を胸いっぱいに補給する。

先頭を歩くアリサが何気なく話し掛けてきた。

「ところで、ゴウ。奇策を練るのは得意なようだが戦闘は素人なんだろ?」

「ああ。剣を握った事もないし、そもそも喧嘩すらした事がない」

「ゴウのいた世界は余程平和だったんだな。羨ましいよ」

「たまたま平和な国に生まれただけだよ。世界中がそうじゃないさ」

ミケが袖を引っ張る。

「一体どんな国なんですか?」

興味津々といった様子で目を輝かせる。

俺はなるべく分かりやすく伝えようと少し考えた。

「つまらない人間が下らない仕事をして、味気ない人生を歩む国かな」

「何だか寂しい所ですね」

らんらんとしていた目の輝きは即座に消えた。


 アリサは足を止め空を見上げた。

「今夜はこの辺で野宿かな」

太陽は頂点を少し過ぎた位置にあり日はまだ高い。

「やけに早くないか?」

「少しやっておきたい事があってな。とにかく野営の準備だ」

特に理由も聞かされずアリサの言う通りにする。

 俺とミケが焚き火用の枝を集める中、アリサはどこかから兎のような小動物を狩ってきた。

「ミケ。炊事は出来るのか?」

「大得意技ですよ、姐さん」

ミケが食事の用意を始め出した。

俺が手伝おうするとアリサに引き止められる。

「ゴウはこっちに来い」

ミケから少し離れた場所に俺は連れて行かれた。

 着いた先は木が余り生えていない開けた場所だった。

「うぉ」

いきなりアリサの刀が喉元に突き立てられ、思わず緊張感の無い声が漏れる。

意表を突かれた俺は頭が真っ白になり、ゆっくりと尻餅をついた。

「ふむふむ」

俺を見下ろしたアリサは何かに納得した様子だ。

そして刀を納め手を差し出した。

「やっておきたい事ってこれかよ」

 アリサの手を握り込め立ち上がる。

平気ぶっているが心臓は大きく鼓動している。

「今から稽古をつけてやる」

どうしてこんな事を始めたのか?

アリサの意図は直ぐに分かった。

この先危険な状況に陥った時の為に、自分の身を守る術を教えてくれようとしているのだと。

「よし。教えてくれ」

「とは言っても即席で剣技が身につくほど甘くない。そこで避けることだけ専念してもらう」

「それでさっき俺の反応を試したんだな」

「ああ、そうだ。そしてゴウには微塵もセンスがないとよく分かった」

辛辣な評価の通り運動神経がある方ではない自覚はある。

アリサは話しを続けた。

「コツは二つある。一つは相手から目を離さない。もう一つは全力でしゃがむ事だ」

「最初のは分かるが全力でしゃがむってなんだよ?」

「出来ることなら相手は一撃で獲物を仕留めたい。よって首を狙う確率が一番高いんだ」

「なるほど。確かに体は服の下に何を着てるか分からないもんな」

「さて、説明を聞いただけで身につけば苦労はしない。後は実践あるのみだ!」

「おう!」

アリサは腰を落とし居合いの構えをとる。

「心配するな。みね打ちだから痛いだけだ」

「痛いだけって……」

俺は覚悟を決めアリサと対峙した。


 アリサの地獄の特訓は日が落ちるまで休みなく続いた。

「もう見えんからここまでだ」

訓練の終わりに一安心し熱を持ち痛む首を触った。

手の感触が鈍く伝わり一回り首が太くなっている。

アリサも刀を振り続けたのが堪えたのか、腕をだらんと伸ばしていた。

「百回以上は死んだな。まあ躱せる訳がないと分かっていたさ」

「やっぱり付け焼き刃は通用しないか」

アリサは顔を近付け、俺の頭を平手で叩いた。

「素人の割には頑張った方だそ」

「なんせ命がかかってるんでね」

実はアリサの期待に応えたい為という理由もあったが、一回も躱せなかった身で言うのも恥しくそっと心に仕舞った。

 少し離れた所で食事の支度をしていたミケが呼びに来た。

「もう終わりましたかぁ?」

俺はミケに言った。

「ああ、終わったよ。悪かったな手伝わないで」

「いえいえ、お安い御用です」

俺達は戻り焚き火を囲んで腰を下ろす。

捌いた兎が木の枝に突き刺さり、美味しそうな焦げ目をつけ焼上がっていた。

「いただきます」

「はい、どうぞ」

俺は手を合わせ香ばしい肉にかぶりつく。

調味料なんて洒落た物は無いのは分かっている。

多少味気無くても仕方ないと思っていたが、予想は大きく外れた。

不思議な事に香草焼きのようなスパイシーかつ芳醇な味が口いっぱいに広がるではないか。

「ご主人、どうですか?」

「美味しいな!」

「確かに旨い! 一体どうやって作ったんだ?」

俺とアリサは感嘆の声を上げた。

「にゃふふふ。その辺に自生している草や木の実で味付けしたんですよ」

ミケ自慢な顔で尻尾を丸めたり伸ばしたりしている。

「さすが森の獣人。野宿で美味い飯が作れるスキルを持っているとは。どうだ? ゴウの一件が終わったらアタシと組まないか?」

アリサは熱心にミケを勧誘しはじめた。

ミケはまんざらでもなさそうに答える。

「考えておきますよ」


 食事を終え焚き火を囲んだまま地面に横たわる。

枝葉の屋根に遮られ星空は見えない。

えらく遠くまで来たものだと、自分の数奇な運命がどこか面白かった。

ミケは昨日と同じくアリサの横で丸くなっている。

誰のそばが安全かよく分かっているようだ。

アリサは片膝を立て剣を抱くように座り寝息を立てている。

「この状況で熟睡出来るなんて大した神経してるよな」

焚き火に揺れる二人の寝顔をぼんやりと眺めていた。

――カランッ。

 炭になった枝が乾いた音を立て崩れた。

いつの間にか寝入っていたようだ。

もう一眠りしようとまぶたを閉じると遠くから歌声が聴こえてきた。

俺はセイレーンに導かれる水夫のように歌声に惹き寄せられる。

 歌声の先には森の隙間に射し込んだ月光に照らされるアリサの姿があった。

倒木に腰掛けていたアリサは、俺を一瞥すると歌うのを止めた。

「どうした? 眠れないのか?」

淡い光に包まれたアリサは幻想的でとても綺麗だ。

「残念、気付かれたか。もっと聴いていたかったのに」

「そりゃどうも。チップをはずんでくれてもいいぜ」

少し照れくさそうに笑うアリサにつられて、俺にも笑みが溢れる。

「出世払いで頼むよ。でも意外な特技があったんだな?」

「吟遊詩人と賭けをして勝ったんだが取るものが無くてな。代わりに歌を教えてもらったんだ」

「そりゃ、アリサらしいエピソードだ」

 俺はアリサの横に座る。

「なあ、ゴウ。全てが上手く行ったら帰るつもりなんだろ?」

「なんだよ今更。そうじゃなかったら危ない橋なんて渡らないさ」

「ここで暮らすって選択肢は無いのか?」

「まさか。魔力も無い俺にはこの世界は合わないよ」

アリサは倒木の皮をむしって放り投げた。

「そうか? 結構いけそうだと思ったんだが」

「俺なんて頭も悪いし運動音痴だし、何の取り柄も無いぜ?」

「何の取り柄もないからアタシも動かされたのかもな」

「それって同情とか哀れみってヤツか?」

「いやいや、そうじゃない。そんなゴウが足掻いてるんだから、自分も頑張らないとって事だよ」

アリサは立ち上がった。

「そろそろ寝るとするよ。じゃあな」

「ああ、俺もすぐに行くよ」

アリサを見送り俺は一人夜空を見上げた。

ミケの村で見た時よりも、星が輝いていた。


 それから野宿の度に特訓は続いた。

しかし俺は一度足りとも躱す事は出来ず、無力さを痛感する日々を送っていた。

「本当にご主人はダメダメですね。戦いに向いてなさ過ぎですよ」

増える一方の傷を見てミケが言った。

「でも少しはマシになってきてるぞ。なんせ先生が優秀だからな」

アリサが鼻高々に答える。

「そんな先生に教えて頂いて俺は幸せ者だよ」

 いつものどうでもいいやり取りをしているとアリサが足を止めた。

「そろそろ見えてきたぞ」

そう言って遠くを指差した。

 森の中には不釣り合いな建造物が、陽炎の様に見える。

「あれが国境だ」

高く永遠と続く壁は、まさに万里の長城を彷彿とさせた。

「凄いな。まさか大陸を横断しているのか?」

「実際に行った事はないがそうらしいぞ」

ミケは俺の肩によじ登った。

「これだけ立派な壁なら誰も突破出来ませんね」

「案外そうでもないぞ。鳥の獣人なら簡単に越えられるし、人間だって魔術で空を飛べる者もいる。と言っても魔道具無しで超常現象を起こせるなんて、ごく一部だがな」

 だんだんと近づくにつれスケールの大きさに圧倒される。

「こんな物を作るってよほど獣人を恐れていたんだな」

上を見上げ過ぎて首が痛い。

「大昔は農耕民族の人間と狩猟民族の獣人が、この大陸で共存していたんだ。ある時気候変動で動物が激減し、食うに困った獣人が人間を襲いだしたんだ」

「そりゃ、恐れる気持ちも良く分かる」

恐ろしいミノタウロスが頭に浮かび背筋が寒くなる。

「だが、人間もやられっぱなしではない。身体能力では劣るが魔術と工夫で戦ってきた」

「ひょっとしてそのいざこざを千年以上も引っ張ってるのか?」

「長い年月を経て環境は戻ったが、因縁は根深く残ったままだ」

 アリサの話は俺に理解出来るものでは無かった。

「そんな過去の出来事を引きずって争うなんて、アリサも内心馬鹿らしいと思ってるだろ?」

「全員馬鹿らしいと思っているんじゃないか? しかし互いに多くの死人を出し過ぎて、引くに引けないんだ。家族や恋人や友人を殺した相手を許すのは難しい」

「姐さんも傭兵をしているって事は獣人に対して因縁があるからですか?」

ミケは不安気にアリサの顔を覗き込んだ。

「アタシは戦うしか脳が無いからやってるだけさ。仮に何かあったとしたら、ミケの作った飯を口に入れないよ」

全てを忘れて手を取り合えばいいという発想は、俺が平和ボケしているから出るのかもしれない。

でも自分の考えが間違っているとは、どうしても思えなかった。


「すんずげぇ、でけえなぁー」

つい都会に来た田舎者の口調になって門を見上げた。

眼前にそびえ立つのは、木を繋ぎ合わせ周囲を金属で頑丈に補強した屈強な扉だ。

金属の錆具合がまちまちで、定期的にメンテナンスされている跡がある。

「ところでこれ、どうやって開けるんですか?」

ミケの疑問に同感だ。

恐竜でも通るのだろうかと疑ってしまうサイズの扉には、人用の出入り口が一切見当たらない。

「今は開かないぞ。国が管理している特殊な魔術が必要なんだ。戦争でも起これば開くんだけどな」

アリサは真顔で言い放つ。

「おいおい。まさか戦争が始まる迄待つんじゃないだろうな?」

「そんな訳ないだろ。ちょっとついてきな」

アリサは壁とは全く違う方向に歩き出し、道外れの森に姿を消した。

「お……おい!ちょっと待てよ」

呆気にとられていた俺とミケは急いで後を追う。

 少し進んだ森の中で、アリサは下を向いたまま難しい表情をしていた。

「確かこの辺に……」

何かを探しているのか枯れ葉を足で頻繁に巻き上げる。

「あった。あった」

アリサの足下には金属製の蓋があった。

蓋を開けるアリサの横から覗き込むと、中には鉤爪が付いたロープがとぐろを巻いていた。

「あー……分かっちゃいました……」

ミケは露骨に嫌そうな顔をする。

「獣人の国は希少な鉱物が取れるんだ。それを取りに行く商人達は、壁越えにこのロープを使う。アタシも同行した事があるから知っていたんだ」

「それで一緒に行った商人は一攫千金を手に入れられたのか?」

「向こう側の壁を降りる途中で獣人の矢が当たってな。ロープにぶら下がってるもんだから逃げ場がないだろ?」

俺は頭を抱えた。

「……一つ確認したいが、今から同じ事をするんだよな?」

「アタシの読みではミケが一緒なら大丈夫だと思うぞ」

「その根拠は?」

「弱肉強食が唯一無二の法律みたいな獣人だが、意外と仲間意識は強いみたいなんだ。戦場でも互いを助け合う場面を何度も見た事がある。だからミケがいれば問答無用で命を奪いには来ないだろう」

 アリサの根拠がどうあれ、今はその案に乗るしかなさそうだ。

「よし分かった。アリサの言う通りにしよう。そこでミケにやって欲しい事がある」

「ご主人の頼みでロクな事がないのは分かってますけど、一応聞いてあげますよ」

俺の優しい笑みに不安を感じたのかミケはえらく警戒している。

「ミケが王都の重大な秘密を握る俺達を拘束して連れてきた……という設定でひと芝居打って欲しい」

「ええ! 嫌ですよ! 出来ませんよ!」

「このままだと獣人達になぶり殺されて終わりだ。頼むよ、ミケ」

「確かにその作戦だと上手く行けば獣人王に会えるかもな。姑息な手段はさすがだな」

「姑息は余計だろ。卑怯者みたいじゃないか」

「実際そうだろ? まあ、アタシも作戦には賛成だ」

ミケはうなだれたまま口を開いた。

「分かりました! やるしかないんでしょ! 無事帰ったら必ず埋め合わせして下さいよ!」

 再び壁と対峙した俺はアリサに頷き合図を送った。

アリサは遠心力をつける為、ロープを大きな円で振り回す。

「それっ!」

掛け声一発手から離れたロープは空に向かって登り、壁の上部に食らいついた。

「一番槍はゴウが行ってくれ」

「何で俺なんだよ」

「いやらしい目でアタシの尻を見そうだからだ」

アリサは目を細めて言った。

「それもそうですね。私も視姦されるのは勘弁です」

ミケも自分の尻を手で隠す。

「へっ。猫の尻なんて興味ねぇよ……」

俺はロープを手に取り数回引っ張った。

爪はしっかり掛かっていて、ぶら下がっても外れる事は無さそうだ。

両手でロープを握り壁を歩く様に登る。

ミシッとロープの軋む音がする度に寿命が縮んだ。

 何とか無事に頂上に辿り着き、額の汗を拭う。

獣人の国を見下ろすが砂嵐で何も見えない。

「いいか? 降りる時は出来るだけ素早くだ。よく見ておけよ」

直に後から来たアリサがロープを対面に下ろす。

するとレスキュー隊員の様に、ほぼ落下するような速度で降りていった。

「お先です」

姿が見えなくなったアリサをミケが追う。

常人では怯んでしまう高さも猫は大丈夫なようだ。

俺も腹を決め、たどたどしく壁を降りた。


 壁一枚隔てた先がこんなにも違うのか。

それが第一印象だ。

青々と茂る森とは対照的な砂の世界がそこにはあった。

西部劇に出てくる乾燥した草の塊が跳ねながら転がっている。

はたしてこんな劣悪な環境で、獣人達はどんな暮らしをしているのだろうか?

他人事ながら余計な心配をするほどに酷いありさまだった。

「お早いお着きのようだ」

 アリサが指す方向に砂煙が見えた。

警戒していたのに気付けなかったのは経験の差だろうか。

接近してくる砂煙に犬よりもかなり大きい獣の影が映る。

影は素早く放射状に散開すると瞬く間に囲まれてしまった。

砂埃が収まり俺は目を凝らす。

獣の影は息を合わせたように一斉に人型になる。

薄汚れた白い体毛にブチ模様が点々としているのが確認出来た。

おそらくハイエナの獣人だ。

ざっと数えて十人はいるだろうか。

さすがに一斉に襲われたらひとたまりもないだろう。

 どうやら相手も警戒しているのか一定の距離を保っている。

「待つです! 話しを聞かないと後悔しますよ!」

ミケが声を張り上げる。

「お前達は何だ!」

それに応じたリーダーらしき声のトーンが高いハイエナが近付いてくる。

同じ獣人という事で、少し警戒心が薄れているのかもしれない。

「人間の国で息を潜め幾星霜。ついに好機を掴み王都の秘密を握る重要人物を拘束したのです。早く獣人王ガラエル様に伝えないと、貴方のせいで大惨事になりますよ!」

ミケはどこぞの劇団員のように快弁をふるった。

この土壇場でよく舌が回るものだと器用さと度胸に感心する。

「……おっ……おう。分かった案内しよう」

気圧されたのか、貴方のせいというフレーズが効いたのかハイエナはあっさりと引き下がった。

「ところで捕虜を拘束していないのはどうしてだ?」

そういえば何かで手を縛っておけば良かったと、今更ながら後悔する。

「にゃふふ。必殺ねこパンチの恐怖が骨の髄まで染み込んでますから逃げ出せませんよ。何なら味わってみますか?」

ミケは片方の口角を少し上げ悪そうにニヤつく。

「……いっいや。遠慮しておこう」

どうやらコイツは強めに言われたら、押し切られてしまうタイプみたいだ。


 ハイエナ達に囲まれたまま荒野を進む。

ミケの森とは逆に、目印が無さ過ぎて道が分からない。

最悪自力で獣人王を探そうと思っていたが、やはり無謀な考えだった。

 容赦なく風が砂埃を巻き上げる。

俺は口に服の裾を当てた。

しかしささやかな抵抗の効果は薄い。




そこら中に巨大な四角い石の塊が、砂に突き刺さったように点在している。

どうやらハイエナ達は、一際大きい石の塊に向かっているようだ。

砂に足をとられながらの行軍は予想以上に体力を消耗する。

俺は意識が朦朧になりながら、捕虜らしくうつむき加減で進んだ。


 いつの間にかリーダーだけになっていたハイエナは一つの穴の前で足を止めた。

「案内はここまでだ。後は一本道だから勝手に行け」

「ありがとです。助かりました」

ミケが礼を言うとハイエナは何も言わず砂嵐の中に消えた。


 建物の中は日光が入っているものの全体的に薄暗い。

王都は石造りだったがここはコンクリートで出来ているような印象だ。

もしかしたらこの荒野も元は都市だったのかもしれない。

砂がお構い無しに入ってきているせいで足元は意外と悪い。

一本道の通路を緊張感に包まれながら進むと遠目に終点が見えてきた。

 目前には錆びて朽ち果てる寸前の片開きのドア。

「この先に嫌な気配を感じる」

アリサの深呼吸が一層緊張感を際立たせる。

「ありがとう。二人のお蔭でここ迄これた」

それは息を吐くと同時につい出てしまった心の声だった。

もちろん口にする気もさらさら無かった訳で、俺は何とも恥ずかしくなり横の二人から目を逸らす。

「気持ちわりいな。獣人王だろうが神様だろうが言いたい事言えばいい。心配しなくてもアタシが守ってやるぜ」

アリサの心強い言葉に励まされ。

「それは全部終わってから言うセリフですよ。ご主人がしくじれば別の意味で終わるかもしれませんが」

ミケの冗談交じりの言葉に肩の力が抜ける。

良い仲間に巡り会えて俺は本当に運が良いと心底思えた。

そして運命の扉に手を添える。

「さて、大仕事に取り掛かるか」

二人は黙って頷いた。

俺はドアを壊さないよう慎重に力を込めた。


 油っけが無い金属の擦れる不快な音を立てながら部屋の全貌が明らかになった。

そこは中心に椅子が置いてあるだけの広く四角い空間。

冷静に見ると学校の教室くらいの部屋だが、がらんとした雰囲気が広さを誇張している。

 椅子に脚を組んで腰掛ける首から上が虎の獣人は分厚い本に目を落としていた。

全身を覆う短い銀色の体毛は金属のような輝きを放ち、まるで銀細工の彫刻が置いてあるようだった。

身長と体つきは俺と同じくらいでいささか獣人としては貧相な部類に入るようにも感じる。

「あなたが獣人王ガラエルですか?」

相手が言葉を発する前に俺は質問を投げかけた。

「そうだ」

本から視線を外さずに獣人は答えた。

短い返事から全てを見透かされてしまったような錯覚を受ける。

俺は雰囲気に呑まれそうな心に楔を打つ。

目の前にいるのは力が全ての種族の頂点だ。

決して油断してはならない。

「俺はゴウと言います。話しを聞いてもらう為に捕虜と嘘をついてここ迄来ました」

獣人王は何かを考えているようだ。

息苦しい沈黙に押し潰されそうになる。

「話しか……お前はどうして異なる種族の我々と普通に会話が成立すると思う?」

ミケと出会った時に投げかけた質問がまさか自分に返ってくるとは。

獣人王の変化球に何を言ったら正解なのか検討もつかない。

しかし悩む時間もなさそうだ。

そもそも悩んで答えが出る気もしないが。

「お互いの伝えようという意思が通じたからだと思います」

俺は思いつきをそのまま口にした。

「想いは種族の壁を越えるか……なかなか詩的な表現をするではないか」

獣人王は分厚い本をいたわる様に閉じた。

「話しを聞いてやる。それと敬語を使う必要もない。王などと大層な肩書きで呼ばれているが人間には関係ない事だ」

本に落とされていた青と赤のオッドアイが俺を射抜く。

つま先から頭の天辺に鳥肌が駆け巡る。

「俺の話しは交渉です。牛の獣人が襲ってきた件については目をつむります」

関係ないと言われても静かな迫力に口調もついあらたまってしまう。

「ほう? 牛の獣人とやらが私の指示でお前を襲ったと言いたいのか?」

獣人王の口調は穏やかな波のように一定だ。

「ええ。何故そうしたのかという理由も見当はついてます」

無意識に握った拳から汗が落ちた。

緊張のせいか落ちて初めて自分が汗をかいていた事を実感した。

「心当たりは無いが弱かったから負けただけの事だろう」

獣人らしい弱肉強食の原始的な考え方と、らしくないインテリな印象。

相容れない物が共存するアンバランスな加減が獣人王の実像を曖昧にしていた。

「早速本題ですが人間に広まった伝染病の特効薬を譲ってくれませんか?」

いきなり要点に切り込んだのは交渉を長引かせると自分のボロが次々と出そうな気がしたからだ。

「確かに死の病が広まりつつあるという噂は知っているが特効薬など知らん」

否定する獣人王を気にも留めず俺はわざと話しを続ける。

「カミエは既に国を滅ぼす広範囲殲滅魔術を完成させています。もはや獣人の敗北は確実です」

「その恐ろしき魔術はその者にしか扱えないと聞いている。たまたま伝染病がカミエの命を奪うかもしれぬではないか?」

「カミエが死ぬシナリオはもう破綻しています。俺の血が特効薬として使えるからです」

「お前の血が特効薬だと?」

聞き返す獣人王に驚いた様子はない。

おそらく俺が何処の誰かという事は既に知っているはずだ。

「はい。俺は病を治すためにカミエに召喚された異世界人なんです」

 獣人王はゆっくりと立ち上がった。

椅子の軋む音が広い部屋に反響する。

「ならば話しは早い。ここでお前を殺せば解決だな」

俺は唾を飲み込んだ。

「やってみろ。王様だか誰だか知らないが手加減しねえぞ」

横でアリサが腰を落とし居合の構えをとる。

獣人王はアリサをジッと観察した。

「人間の剣士よ。勝ち目が無いのに剣を向けるか?」

「足元にも及ばないのは分かっている。手も足も出ず死ぬかもしれない。だから何だ? 大した問題じゃない」

アリサは一切怯まない。

獣人王は俺に向かって無防備に歩みを進める。

俺は重圧に後退りしないよう踏ん張るだけで精一杯だ。

冷や汗が一筋背中を這った。

息が止まりそうな重圧は少しずつ確実に迫ってくる。

獣人王の毛並みがはっきり見える距離になった。

 鞘と刀が擦れる鋭い音を発し、アリサは神速の居合いを放った。

「マジかよ……」

アリサの呟きには驚きと絶望が色濃く混じり合っていた。

放たれた必殺の一撃はスナック菓子でも掴むように軽く止められている。

俺はその光景を見て確信した。

アリサは勝てない。

いや、人間が勝てる相手では無いと。

 しかし絶望的状況下でありながらアリサは諦めない。

刀を掴んだまま獣人王の腹部に二度三度と蹴りを放ち続ける。

「何度繰り返しても無駄だと分かっているだろう?」

獣人王に動じる様子は微塵も無い。

「くそっ! 鉄の塊みてえだ」

食いしばっていた歯が割れたのかアリサの口元に血が垂れていた。

そんな抵抗も虚しく刀身は万力に締め付けられたごとく微動だにしない。

 ここで俺が加勢してもどうしようもないのは重々承知している。

だが窮地に陥るアリサを放ってはおけない。

「アリサ!」

足首を掴む恐怖を振り切り一歩を踏み出した。

「あー! もう!」

ミケもやけくそな様子で飛び出す。

「いい戦士だ。殺すには勿体無い」

獣人王はアリサに賞賛を送った。

予想外の展開に自分に急ブレーキを掛ける。

「必殺の一撃を簡単に受け止めておいて嫌味かよ」

アリサは余裕の無い表情で悪態をついた。

「力も無く技術も未熟だ。賞賛するは天地程の実力差を見せつけられて尚も諦めない姿勢だ」

 獣人王は不意に刀身を離した。

力を込めていたアリサの体がよろけ俺は肩を掴み支えた。

アリサはおもむろに俺の頬を掴んだ。

「馬鹿野郎! ゴウが死んだら元も子もねえだろ」

そしてミケの方を向く。

「ミケもらしくない事しやがって」

口調から本気で怒っていない事は分かる。

「馬鹿で結構。窮地の仲間を助けるのは当たり前だろ」

「ご主人の言う通りです……実際、超怖かったですけど」

獣人王は振り返ると背中を向けたまま椅子に戻り腰掛けた。

どうやら危機は脱したようだ。

 生きるか死ぬかの瀬戸際で命を拾ったが目的はまだ果たせていない。

俺は何とか特効薬を手に入れようと執拗に食い下がる。

「特効薬を渡してくれれば、俺がカミエを説得します! このまま争いが続いても共倒れなのは目に見えているじゃないですか」

「仮に争いが終わってその先はどうなる? 何が残る?」

「緑の大地で共存する道もある筈です」

「確かに荒れ果てた土地での生活は過酷だ。だが和解は有り得ない。人間が私達にした仕打ちを許す事は出来ん」

「何だと! 私達だって――」

俺は獣人王に食ってかかるアリサを止める。

「確か獣人が人間を襲い出したのがきっかけと聞いたんですが」

「歴史というのは作る立場で内容は違う物だ」

獣人王は再び立ち上がると後方の壁に向かって歩き出す。

そして何の変哲もない壁を押すと、冷たい風が吹き込む隠し通路が現れた。

「付いて来い。真実を教えてやる」


 薄暗い通路は斜行のきつい下り坂が続いている。

岩盤が所々蛍光塗料のように淡く光っている。

おかげで視認性は悪くなかった。

しみ出した地下水の垂れる不定期なリズムが無音の空間を乱していた。

「どこに行くんでしょうか?」

「地獄の一丁目かもな」

ミケの問いにアリサがふざけて答えた。

確かにこの不気味な雰囲気ではそう言いたいのも分かる。

獣人王が歩きながら言った。

「この先にあるのが我々の住処だ」

「こんなカビ臭い所に住んでいるんですか?」

「獣人といっても非戦闘員も多い。いつ人間が奇襲を仕掛けて来るかもしれんからな」

同族ゆえかミケは気さくな口調で話し掛けている。

遠回しに嫌味を言われたアリサは獣人王の背中を恨めしく睨んだ。

少し雰囲気も和らぎ俺は最初から気になっていた疑問をぶつけてみた。

「どうしてわざわざ入り口に居たんですか? 敵が来たら鉢合わせるになるでしょ?」

「そうなる為にあそこに居たのだ」

言っている意味が分からず考えていると獣人王が続けた。

「例え軍隊が攻めて来ても私一人で勝てるからな。余計な犠牲は無意味だ」

アリサとの一戦を見た後のせいか冗談には聞こえなかった。


 広大な地下空間は神の手によってくり抜かれた様だった。

そこら中びっしりと貼り付いた淡く光る鉱石が全体像を浮き彫りにする。

大きな川を彷彿とさせる地下水脈の周囲は碁盤の目のように区分けされた畑が広がっている。

農作物の種類は様々だが日光が当たらないせいか色は例外なく白一色だ。

所々居住区と思われる横穴が掘られている。

文明的な道具は皆無で質素というか原始的な生活に近い印象を受けた。

ふと俺はそこに生活する獣人の異質さに釘付けになる。

「これは……獣人なのか?」

アリサも気付いたのか誰に向けてでもなく言葉を漏らす。

そこに居る獣人達の大半は俺がこれまで見てきたタイプとは大きく異なっていた。

 本来羽が生えている位置に人間の手が生えている鳥は、飛ぶ事も出来ず地を歩いている。

一方、人の顔がついた魚は水中で呼吸が出来無いのか不格好に顔を出して泳いでいた。

まるで無理矢理パーツをくっつけたプラモデルの様だ。

ちぐはぐな獣人達はそんな印象だった。

「これが人間を憎む理由だ」

獣人王は静かに言った。

「もしかして獣人は……」

「人間と獣を掛け合わせて作った人工種だ。不安定な遺伝子のせいで、今だに異形で産まれる者も多い」

そして獣人王が最初に投げかけた質問の答えが分かった。

「元々同じ種族だから言葉が通じても不思議はない……ですか」

「その通りだ。そこの女は納得していないようだが」

アリサの表情は明らかに混乱していた。

「まさか獣人と人間が同じだなんて……」

「同じではない。非道な人間と一緒にしてもらっては心外だ」

獣人王は異型の同族を眺めながら話し続ける。

「かつて環境破壊によって進む砂漠化を防ぐ目的で、壁を作る計画が遂行された。しかし人間の身では砂漠の過酷な環境に耐えられない。そこで人間と様々な野獣を掛け合わせて強靭な肉体を持つ新たな生物を作った。それが我々の祖先だ」

「あの広大な壁は国境ではなく砂漠化を防ぐ為だったのか」

「ひたすら砂漠の四角い建造物から石を切り出し、百年以上かけ壁を作り終えた。すると人間は手のひらを返し、緑の大地を独占するために獣人を壁の外に追いやったのだ。その時逃れ人目を避け、隠れ住んだ者もいたらしいがな」

「それが私達一族のご先祖様なんでしょうね。不思議だったんですよ、どうして不便な森の中に村があるのかって」

獣人王は俺に顔を向けた。

「異世界人よ。それでもお前は我々に憎しみを忘れ共存出来ると言うのか?」

虐げられてきた歴史を知った俺は即答出来なかった。

一度自分の気持ちを整理して口を開く。

「俺はこの世界の人間ではなく、獣人でも無いどっちつかずの存在です。だからこそ双方が生き残る為に歩み寄るべきだと客観的に言えるのだと思います」

俺は歯の浮きそうな台詞を吐いた自分対しクスリと笑った。

本当はそんな事これっぽっちも思っていないのに。

獣人王は何も言わず俺の目を正面から見据えている。

こんな所で美辞麗句を並べてもしょうがない。

もう腹を割って自分の言いたい事を言おう。

そう言えばアリサも言ってたよな。

言いたい事言えばいいって。

「はっきり言って獣人も人間もどうでもいいと思っています!」

「おい!」

「ちょっと! ご主人!」

ミケとアリサから同時に突っ込みが入る。

そんな二人はお構い無しに話続けた。

「最初は自分が元の世界に帰る事で頭が一杯でした。仲間と行動を共にしていたのも、何かの役に立つかもしれないという打算的な考えからです。でも今は……違います」

俺はミケとアリサの顔を交互に見た。

「俺はミケとアリサが幸せに暮らせる世界を作りたいんです。それだけです」

 突然、獣人王は尖った犬歯を見せながら大笑いした。

鼓膜が破れそうな音量が洞窟に響き渡る。

「耳障りのいい言葉を並べるだけなら食ってやろうと思っていたぞ!

「は、はぁ」

打って変わった獣人王の反応に上の空で生返事をする。

「気に入った! お前にこれをくれてやろう」

獣人王は親指くらいの小瓶を投げた。

落とさないかヒヤヒヤしながら胸に抱え込むように受け取る。

中の薄い緑の液体が小さく波打った。

「これが特効薬だ。答えがあれば量産も可能だろう」

「ありがとうございます」

俺は運命を左右する小瓶を懐にしまう。

「一つ教えて貰っていいですか?」

「何だ?」

「どうやって伝染病と特効薬を手に入れたんですか?」

「過去には魔力のある人間が無い人間を奴隷のように扱う時代があったらしい。不満を持つ人間の中には獣人と手を組む道を選んだ者達もいて、その者が魔力のある人間のみを殺す細菌兵器と特効薬を開発した。しかし使われる事はなく手を組んだ人間達は全滅し、獣人がそれを持ち去り今に至るわけだ」

「人間が作った物なら今の進んだ技術で簡単に特効薬を作れそうな気もしますけどね」

「未来の技術が過去を超えているとは限らんだろ。大きく複雑になる過程で大事な物を失うのはよくある事だ。子供が大人になるように」

「そういう物ですかね。俺にはまだ分かりません」

「まだまだ若いからな。だがその可能性に賭けてみたくなるのがお前の力だ」

獣人王は俺達全員を見渡した。

その穏やかな瞳には人間と獣人の新しい未来が見えているのかもしれない。


 地下からの帰路はきつかった坂が嘘のように足取り軽く登れた。

「それでは失礼します。協力ありがとうございました」

「土産を外に用意させてある。使うといい」

獣人王は背もたれに体重をかけ脚を組み本を開いた。

 俺は頭を下げ殺風景な部屋を後にした。

「うにゃぁ……姐さんがやりあった時は死ぬかと思いましたよ」

廊下に出た途端、体に溜まった緊張を吐き出すようにミケが言った。

「心外だな。アタシが負けると思ったのか?」

アリサはどこかスッキリした顔だ。

「見毎に完敗だったじゃないか。でも助かったよ」

「任せろって言っちまったからな。仕方なくやっただけだ」

仕方なくで命をはれる奴がいない事くらい俺だって分かっている。

「ところで土産って何でしょうか? 獣人に伝わる秘宝ですかね?」

ミケは尻尾をピンと立てた。

「アタシ向けの名刀だろ? あの馬鹿力がつまんだ所が曲がって納める時に引っ掛かるんだよ」

さっきから渋い顔で刀を触っていたのはそのせいか。

「俺は嵩張らない物がいい。大荷物で王都への道を戻ると想像するとウンザリするよ」



         4


 外に出た途端、周囲が影に支配される。

雲で太陽が隠れたのかと思ったが明らかに様子がおかしい。

影の正体を突き止めようと上を向き

そのまま首が固まった。

上空からゆっくりと巨大な物体が降りてくる。

赤い鱗の皮膚に覆われた体に、家を容易に踏み潰せる程の足が見えた。

「おい! 建物の中に避難……」

俺が声を出した時二人は既に建物内に避難した後だった。

薄情者……と思いながら急いで合流する。

 中に入ると直に体が倒れそうな強風が吹き荒れる。

背を向けていたものの口に入った砂をつばと一緒に外に吐き出した。

得体の知れない空からの来訪者を確かめようと恐る恐る振り向く。

「……は?」

俺は目の前に存在するファンタジー過ぎる存在を二度見し、横の二人に意見を求めた。

「この空から降りてきた生き物は普通にその辺を飛んでるのか?」

「私は初めて見たですね……」

「アタシもだ。存在するとは聞いた事はあったが戯言と思っていた……」

 現実離れした光景は町を破壊する怪獣映画をリアルに観ているようだ。

爬虫類を彷彿とさせる鋭い顔つきと翼が生えたフォルムは、ドラゴンといった表現が一番近いだろう。

ドラゴンは呆気にとられている俺達を遥か上空から見下ろすと口を開けた。

まさか火炎でも吹くのかと物陰に身構える。

「あのー。ガラエルさんから聞いてきたんっすけど、人間の一行ってあなた達っすか?」

威厳あるドラゴンのイメージとはかけ離れた口調に耳を疑った。

「……あ、ああ。そうですけどー」

呆気にとられながら遥か彼方の耳に届くよう腹から大声を出す。

「王都に送ってやれって言われてるんで準備するっすね」

ドラゴンは建物を壊さないよう気を使っているのか慎重に姿勢を低くして顎を地面につけた。

「顔から適当に頭に登ってくれっす」

近くで見ると鱗の凹凸は指が入るほど深く登るのに苦労はしなさそうだ。

赤い鱗に手をかけ滑り落ちないように注意しながら登る。

ひんやりとした感触が指先に伝わった。

「獣人王の土産ってコレだったんですね」

ミケは本領発揮と言わんばかりの身軽さを生かし随分と先に行ってしまった。

「予想はゴウが近かったな」

アリサもクライマーのように全身を器用に使い後に続く。

「変に使えない物よりはるかに有り難いな」

俺は二人にかなり遅れてドラゴンの頭上に到達した。

「適当に掴まっててくれっすよ」

ドラゴンは頭を水平に保ちながら立ち上がる。

巨大ロボットの操縦者はこんな目線なのだろう。

そして翼がゆったりと上下運動を始めると巨体が徐々に浮き始める。

「嫌な予感しかしません」

魔導船の一件で空を飛ぶ事にトラウマがあるのかミケは腹ばいでしがみついている。

「なにビビってんだよ。こんな面白い機会二度とないぞ」

アリサは楽しそうに離れていく地上を見下ろす。

 山より高く雲を抜け上昇したドラゴンは王都に向かって空を駆ける。

一切ブレもなく乗り心地は意外と快適だ。

「ところで兄さん達は王都の近所で降りるんっすか?」

タクシー運転手がするようなドラゴンの問い掛けに俺は少し考えた。

「出来れば王都の城に直接乗り込みたいんだが行けるか?」

「おいおい。そんな事したら捕まっちまうぞ?」

「俺が特効薬を持って帰って来たって宣伝するには目立った方がいいだろ」

「城に直接っすね。了解っす」

より一層加速するドラゴンは空を裂くように飛んだ。

「にゃばばばば」

そしてミケの叫び声が風に混じった。


 あの苦労した道のりが何だったのか。

あっという間に王都上空に着いた。

「さすがに早いなー……あ?」

顔を覗かせると目下の王都から光る複数の玉が飛んで来るのが見えた。

「あっちゃー。迎撃して来たっすね。鬱陶しいんであいつら消しズミにしちゃっていいっすか?」

「極力穏便にお願いするよ」

物騒な申し出を丁重に断った。

「そうっすか。じゃあ荒っぽく降りるんでしっかり掴まってくれっす」

ドラゴンは言い終えると真っ逆さまに急降下し始める。

この世界に来た時の記憶がフラッシュバックした。

時折閃光と共に炸裂音が響く。

何発か当たっているがダメージは無い様だ。

ドラゴンは減速する気配が全く無い。

まさか突っ込むつもりか!

俺は瞼を強く閉じ衝撃に備え歯を食いしばる!

急停止した衝撃で振り落とされそうになるが何とか耐えきれた。

 安堵しながら目を開けると兵士の一団がドラゴンを囲んでいる。

兵士達は武器を向け警戒しているが表情は戸惑い一色だ。

空からこんな物が降ってくれば、そりゃそうだろうと俺も思う。

目を丸くしている兵士達に向かって声を張り上げる。

「落ち着いてくれ! 争う気は無い!」

俺達はバルコニーに降り立った。

一斉に槍や剣の穂先が向けられる。

まるで巨大な剣山に四方八方囲まれた心境だ。

「ちょっとー……本当に大丈夫なんですか?」

ミケが震えながら袖を掴んだ。

俺はミケの頭を撫でた。

「派手な帰還だねー」

癇に障る女の声が兵士達の後ろから聞こえる。

後方に控えていたローブ姿の一団からカミエが前に出た。

兵士達は息の合った動きで左右に別れ道を開ける。

「まさか獣人側について王都に攻め込むなんて結構大胆な事するじゃないか」

カミエは右手の掌を空に向けて上げると、たちどころに雷雲が上空を支配した。

「どいて下さいよー。ビリッときちゃいますよー」

緊張感の皆無なカミエの口ぶり。

さっき迄規律正しく動いていた兵士達は我先にと蜘蛛の子を散らすように俺達から離れた。

 途端に閃光が全てを支配した。

打上げ花火を耳元で爆発させたような破裂音が鼓膜に突き刺さる。

頭の芯まで響く耳鳴りが余韻を残している。

閃光で焼き付いた視界が戻ると、カミエの手に物干し竿程の長さがある棒状の物体が握られていた。

それは辺り一面を照らす輝きを放っている。

「これは雷槍っていう僕の最近作ったオリジナル魔術さ。見ての通り雷を具現化した代物だね。雷の速度が生み出す貫通力もさることながら、丈夫な皮膚の外側からでも高電圧の感電によって体組織を壊死させるんだ。まだ実践で使った事ないからどんな結果かワクワクするよ」

本気でやりかねんカミエを止めようと俺は大声をあげた。

「カミエ! 話しを聞いてくれ!」

「あっ。でも血液を水に変化させる魔術も試してみたいな。どんな反応するか楽しみだ。悩むなぁ……どっちにしようかな……」

馬耳東風のまま不気味な笑みを浮かべるカミエに、両手を左右に大きく振りながら敵意はないと猛アピールする。

「だから敵じゃないんだって!」

自分の世界に入り込んでいたカミエはようやく俺の存在を認識した。

「ふーん。じゃあ何しに来たんだい?」

指を指すように自然な仕草で雷槍の先端を俺に向ける。

体中の器官が鷲掴みにされたような緊張感が走る。

おそらく銃口を向けられたらこんな感じなのだろう。

「カミエに大切な用事があるんだ」

「僕から逃げた君が僕に用かい? 話しの筋が通らないな」

まだカミエの警戒は解けていない。

「国の命運に関わる件だ。あまり人前で話したくは無い」

俺の真意を察したのか雷槍は空間に吸い込まれて消えた。

「それは君を犠牲にする以外の解決手段があるという解釈でいいのかい?」

カミエの食いつき様からまだ特効薬は完成していないようだ。

「ああ。そうだ」

カミエは返答を聞くとアリサの方を向いた。

「そこの女はこの前いなかったね。全て知っているのか?」

「全て知った上で俺に協力してくれた大切な仲間だ」

「……そうか。着いて来てくれ。みんなー、後は僕に任せてー」

カミエが声を掛けると兵士達は一斉に武器を下ろした。


 冷たい石作りの廊下を歩く音が反響する。

「ここなら人が来ないからヒソヒソトークにはうってつけだ」

壁とマッチしていない青く塗られた扉には赤字の丸文字で【カミエのけんきゅーしつ】と書かれていた。

「お前……実は頭悪いだろ」

俺は率直な感想を述べた。

「凡人に理解出来ないから芸術なのさ」

カミエは扉を押した。

自称芸術的な扉の先はさぞカオスな空間が広がっているんだろうと想像していたが、予想を裏切って整理整頓は行き届いている。

研究用の器具が整然と置かれており、壁一面を占める棚には生物の一部が入った瓶がラベルを貼られてギッシリと並んでいた。

カミエが研究者としての優秀であることは何となく分かった。

「さて、逃げ出したモルモット君。どうして戻って来たのか教えてくれ」

「特効薬を手に入れた。しかし渡すには条件がある」

終始半笑いだったカミエの顔つきが途端に険しい表情に替わる。

「何だい? 条件って?」

「とにかく王と話しをさせてくれ。詳しくはそれからだ」

「やれやれ。僕を信用してないのか」

カミエはわざとらしく両の掌を上に向ける。

「信用とかそんなんじゃない。国の命運に関わる件なんだ」

「確かに僕ではそんな決断は下せないな。せめてしようとしている事の概要を聞かせて貰えないか?」

「もしカミエに猛反対されでもしたら俺はここで詰んでしまう。自分勝手だが今は教えられない」

「何だい。ケチだな」

今度は子供のように口を尖らせる。

残念ながらそれが似合う年齢はとっくに過ぎているが。

「頼む。協力してくれ」

俺は頭を下げた。

思い返せば他人に真剣に頼み事をするなんて人生で初めてだ。

「協力して僕に得があるのかい?」

「無い」

即答した俺にカミエは虚をつかれたのか表情が固まった。

「……本当に協力して欲しい気があるのか?」

「もちろんだ。無茶を言ってるのも重々分かっている。でも全てを丸く収めるにはこれしか道が無いんだ」

カミエは一度ため息をつき俺を見た。

「君は初めて会った時とは別人みたいだよ。前だったら特効薬を僕に渡して自分は元の世界に帰る道を迷わず選んだはずだろ?」

「変わったか……そうかもな」

「まあ、いいさ。まずは特効薬を鑑定させてくれ。本物ならいくらでも協力するよ」

渡した瞬間に裏切られる可能性がある以上、その要求をすんなり飲む訳にはいかなかった。

迷う俺をよそにカミエは続けた。

「余り強引な手は使いたく無いが洗脳して吐かせる事だって可能なんだ。言いたい事分かるよね?」

「アタシが側に居る限りアンタの思い通りには行かないよ」

これまで俺とカミエのやり取りを静観していたアリサが口を挟んだ。

「接近戦で剣士が相手では分が悪いか。魔術はどうしてもタイムラグがあるからね」

アリサはカミエに睨みを利かせる。

「何が分が悪いだ。余裕しゃくしゃくじゃねえか」

「そんなにカッカしないでくれ。分かった協力するよ。そうしないと怖い彼女に斬られそうだ」

「ありがとうカミエ。助かるよ」

まさかこの女に礼をいう日が来るとは夢にも思わなかった。

「だがいくら僕でも王に会わせるとなると……」

アリサは嬉々とした表情で刀を抜いた。

「そんなの簡単じゃねえか」


「たーすーけーてー」

カミエの見事なまでの大根芝居が幕を開けた。

間の抜けた叫び声が城に響き渡る。

「手を出すとブッ殺すぞ!」

アリサはカミエの首に刃を当ながら悪役に徹する。

「カミエ様!」

たちどころに兵士が集まるが手をこまねくだけだ。

「王に会わせろ! 早くしないと体と首が離れてどっかいっちまってもいいのか!」

俺も慣れない啖呵を切ってみたものの安っぽい三文芝居だと顔から火を吹きそうになる。

「何の騒ぎだ!」

背の低い小太りの中年の男性が駆け寄って来た。

まるでペンギンのように狭い歩幅だ。

ただしハゲ上がった中年ペンギンには愛嬌の欠片もないが。

「あいつは誰だ?」

俺は小声でカミエにたずねる。

「家柄だけで大臣になったグローバという偉いさんだ。丁度いい、あの馬鹿を利用して王へ謁見しよう」

兵士が大勢いるせいで安心しているのかグローバは躊躇なく俺達の前に立った。

「何が目的か知ゅらんがカミエを離しゅて投降しぇい!」

食べながら話しているのかと思うくらい滑舌が悪い。

「王と話しをさせてくれたら離してやるよ」

俺は強気を演じようとぶっきらぼうに言い放った。

「いーやーだー。しーにーたーくーなーいー」

棒読みの台詞が緊迫した雰囲気に水をさす。

「賊が王に謁見など出来るわけないだろ!」

「ならカミエを殺そう」

「ちょ、ちょっと待て!」

「待つ気はない。いいのか? アンタの判断で天才魔術師が死んだとなっちゃ責任とらなきゃいけなくなるぞ?」

「ちょっと待てと言っておるだろ!」

どうやら時間稼ぎに持ち込むつもりだ。

余り援軍が増えるのは好ましくないが……

肝心のグローバは黙り込んでしまい沈黙が辺りを包む。

「なあ、アンタ」

均衡を破ったのはアリサだった。

「何だ観念する気になったか?」

グローバは額の脂汗を袖で拭う。

「入ってるぞ」

アリサが真顔で言った言葉の意味を俺は理解出来なかった。

「何を言っている?」

グローバも同じようだ。

「アタシの間合いにだ。この距離なら一瞬であの世に送ってやるよ」

真顔で威圧するアリサにグローバは見る見る顔色が悪くなる。

冷や汗に変わってもなお粘っこい額の汗が地面に落ちた。

「……人質を救う為に仕方なく王の所に案内しゅるんだからな」

その場に居た全員の冷たい視線がハゲ頭に集まる。

「早く退かぬか!」

とばっちりで苛立ちをぶつけられ兵士達は壁際に整列した。

小声で文句を垂れながらグローバは狭い歩幅で歩き出す。

気を抜くと追い越してしまうほど歩くのが遅い。

グローバが前を向いているのをいい事にカミエは吹き出しそうな顔で笑いを堪えていた。

そして整列している兵士達も同じ表情を浮かべている。

こういう所で普段の行いが出るんだと良い人生勉強になった。

 以前見たルド邸より数ランクは上に見える豪華な扉の前でグローバは足を止めた。

世界中の神話を全て彫っているような壮大な細工が施されている。

質素な城と言えどさすがに謁見の間は造りが違う。

「くれぐれも変な気を起こしゅなよ」

「別にクーデターに来たんじゃないさ」

俺は軽く答える。

グローバは扉を四回変則なリズムで叩いた。

叩き方で誰か識別出来る様になっているのかもしれない。


「入れ。賊の件は聞いている」

向こうから女の声がすると勝手に扉が開いた。

 全てが純白の空間が目に飛び込む。

天井から床、調度品に至るまで徹底して白に染められた世界。

その眩しさに思わず眉をしかめてしまう。

奥にある階段数段上の玉座には、声の主と思われる女が座っていた。

女は鉄塊のごとき六人の重装歩兵が取り囲んでいる。

そして高台の脇から無表情なオルファが真っ直ぐ俺達を見ていた。

その視線からは何を考えているのかうかがい知る事は出来ない。

 女の歳は俺より一回り上だろうか。

きらびやかな宝石と共に白地に金の細工が施された鎧を身に着けている。

屈強な兵に守られているのに鎧を着込んでいる所から用心深さがうかがい知れる。

彼女の輝く金糸と間違いそうになる金髪と宝石のような青い瞳から、触れてはいけない神聖な女神の様な印象を受けた。

「お前はどこまで馬鹿なんだ」

女はいきなりグローバを罵倒した。

美しい女神は口が悪いご様子だ。

「しっ…しかし、王……カミエ殿が……人質に」

「その女が簡単に人質になる訳がない。どうせ何か下らない企みがあるのだろう。なあ、カミエ?」

言葉をつまらせるグローバの話しに被せてカミエを睨む。

カミエは神妙な面持ちを保っているが内心笑っているのは間違いない。

それにしても王と聞いていたからてっきり男性と思い込んでいた。

「もうよい下れ。先祖代々の縁で仕方なく重役に置いてやっているだけの使えない阿呆が!」

自分の娘でもおかしくない歳の王に怒鳴られグローバは頭を下げたまま退室した。

 ため息を漏らした王は視線を俺達に移す。

アリサはカミエの首元から剣を引き鞘に納める。

「こちらがゴウ・シュジン。我が国の救世主です」

カミエが仰々しく俺を紹介する。

「お前が脱走した異世界人か。血の件もカミエから報告は受けている。それでわざわざ戻って来たのは何故じゃ?」

罵倒していた声と打って変わってどこか妖艶さを匂わす声で話し掛ける。

「どうしても王に聞いて貰いたい事があるからです」

「何じゃ? 遠慮せず申してみよ」

「獣人と和解して下さい」

俺の申し出が直球過ぎたせいか、王は明らかに不機嫌そうな表情に変わった。

「……ふむ。問答無用で牢屋に送る所だが意図を聞いてやろう」

「このままでは獣人に勝利しても滅びの未来しかありません。和解して下されば獣人王より預かった特効薬を渡します」

「お前がガラエルの回し者でない証拠はどこにある? 特効薬が本物だという証拠はどこにある?」

王は畳み掛けるように言った。

「信じて下さい……としか言えません」

「そんな与太話は信じられん」

その判断は当然だろう。

もちろん最初から上手く事が進むとは思ってはいない。

しかし王を説得する切り札なんて持ってない俺にはひたすら食い下がる以外に道は無い。

「どうか……」

「歯向かう者に容赦はせん! その方針に変わりはない!」

一気に険悪な空気に包まれる。

「実はこの場を借りて告白しなければいけない事がありまして」

息を吐くのも気を使う重い雰囲気を切り開いたのはカミエだった。

「何だこんな時に!」

王はカミエを怒鳴りつける。

「実は私の開発した広範囲殲滅魔術は一度きりしか使えないのです。しかも貴重な一回は先の戦場実験にて使ってしまいました」

「お前の魔術がなければ国を守る為に獣人と和解するしか選択肢は無い……というシナリオか?」

「ご想像にお任せします」

思わぬ所から出た助け船で状況は傾いた。

王は目をつむり上を向き考え込んでいる。

次の言葉を待っているとオルファが俺達の直ぐ前に入ってきた。

「ゴウ殿は信用に足る人物です。まずは特効薬を調べて本物なら和解の道を探ってみればいいのでは?」

「それもそうか。ゴウとやら特効薬を調べさせてくれるか?」

俺は懐に右手を突っ込み小瓶を出した。

緑の液体が小さく波打った時――


 即座にオルファの表情が鬼の形相に一変する。

「毒薬だ! 王をお守りしろ!」

オルファは叫ぶと同時に俺の目前に迫る。

わずか数歩の距離とはいえ、空間を縮めたとしか思えないくらい刹那の出来事だった。

俺は叫び声が耳に入った時点でこうなると直感していた。

危機を察した体は条件反射で膝を曲げ頭を抱え込むように丸まった。

地面しか見えない俺に斬撃が牙を向いたのかどうかは知る由もない。

ただ物凄い速さの何かが髪をかすめた。

それはおそらく死を運ぶ筈だったオルファの剣が通過した感触なのだろう。

アリサの稽古が無かったら確実に命は無かった。

 俺は低い姿勢のまま地面を蹴る。

何とかオルファから離れなければ。

偶然は二度と通じない。

横に控えていたアリサが反撃しようと刀に手を掛ける。

どこかいつもと様子が違う気がする……

アリサの表情が曇った気がした。

ふと獣人王と一戦交えた後の台詞が頭をよぎる。

『納める時に引っ掛かるんだよ』

一瞬の遅れが命取りになる。

既にオルファは気配を察知し標的を変えアリサに斬りかかっていた。

上段に構えられた剣が降り下される。

俺は体勢を崩しながら右手を伸ばしアリサに向かって飛び込んだ。

振り下ろされた剣が鼻先をかすめる。

そして通り過ぎると見慣れたものが無くなっていた。

 右腕の肘から下が宙を舞っている。

その光景は画面越しに観る映像のように現実味の無いものだった。

鮮血を撒き散らし純白の床に真紅の模様を描く。

まるで心臓が右腕に移動したと錯覚するくらい切り口が大きく鼓動していた。

不思議と痛みは一切感じない。

おかげで俺は冷静に物事を判断出来た。

とにかく右手に握っていたはずの小瓶を探すのが先決だ。

自分の右腕を失うという非常事態に直面しているものの、小瓶が割れて駄目になれば全てが水泡に帰してしまう。

周囲を見渡すとオルファの後方で地面にぶつかる直前の小瓶が目に飛び込んできた。

もう間に合う距離じゃない。

なかば諦めかけた俺をよそにミケが走った。

素早くオルファの股下を潜り小瓶に向かって体全体で飛び込む!

必死で差し出した両手に小瓶は収まり勢い余ったミケは前方に転がった。

「ゴウ!」

 胸をなでおろす暇もなくアリサの声で我に返る。

小瓶に気を取られていた内にオルファの剣が再び目前に迫っていた。

金縛りにあったように体が硬直して動かない。

銀色の刀身がやけにゆっくり近付いてくる様に感じる。

視界に剣を捉えたまま、この世界で経験した記憶ばかりが色鮮やかに再生された。

これが世に言う走馬灯なのだろう。

多分俺はこれまで無意味な日々を送り続けていたと思う。

けれどここに来てからの自分には、本当に良く頑張ったと合格点を与えたい。

もちろん悔いは残るが精一杯足掻いた結果ならしょうがない。

ただ俺の勝手に巻き込んでしまってミケとアリサには悪い事しちまったな。


 金属同士が激しくぶつかる音で我に返る。

アリサがオルファの剣に刀を叩き付け軌道をずらした。

「ゴウ! 諦めるのは早いぞ!」

アリサに見透かされてしまった。

「邪魔するな!」

オルファが苛立ちを露わにした。

突如、熱した鍋に大量の水をぶっ込んだ蒸発音が周囲に響き渡る。

音の出処はオルファの方向だ。

確認するとオルファが振り上げた刀身が丸々消えて無くなっていた。

少し離れた所でカミエは親指を立て人差し指をオルファに向け、拳銃を撃つ格好をしている。

不可思議な蒸発現象の原因はカミエだろう。

「オルファ。どういうつもりだ? これが本当は何なのか知っているようだな?」

カミエの元にはあの小瓶があった。

なぜ持っているのかと疑問に思っているとミケが言った。

「咄嗟の判断で渡したんです。そんな事より出血を止めないと!」

「分かってるって!」

アリサは自分の服を脱ぐと俺の右腕に巻き付けた。

しかし効果は薄く服は直ぐに赤く染まり血が絶え間なく流れ続けた。

オルファの方に目をやると刀身を失った柄を握り締めていた。

そして天を仰ぎ目を閉じ呟いた。

「終わったな……」

 騒ぎを聞きつけた兵士達が雪崩込んでくる。

俺は血を大量に失ったせいか糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちた。

もう自分は二度と立ち上がれない。

不思議とそんな確信があった。

ミケとアリサが大きく口を開けて何か言っている。

ミケなんて涙と鼻水とよだれで酷い顔だ。

もう耳がいかれたのかさっぱり聞き取れない。

次第に目が霞んできて少しづつ二人の顔がぼやけてくる。

覚めることの無い眠りに落ちる前にどうしても二人に伝えたい言葉があった。

――ありがとう――

きちんと言えたかどうかすらもう分からなくなっていた。


『ごじゅじーん!』

 大事な日に二度寝した時にようにハッと目が覚める。

さっきの光景は夢だったのか?

朧気な頭を働かせ現状を思い出そうとするもはっきりしない。

「ごじゅじーん!」

俺を呼び戻した声が再び耳元で響いた。

ミケは顔を擦り付け泣きじゃくっている。

「ミケ……一体どうなって……」

俺が目覚めたと分かったミケは一瞬止まった。

「ぶうええぇ!」

それからまた泣いた。

「全く。無茶しやがって」

アリサも目を赤くしていた。

「あれれ? えらく格好つけてますけどさっきまで『死ぬな! 頼むから目を覚ましてくれ!』とかうろたえまくってたの誰でしたっけ?」

「うるせえよ!」

アリサはこみ上げるものを抑えきれなくなったのか顔を背け肩を震わせた。

「あれからどれくらい経ったんだ?」

「そんなに時間は経ってない。数分気を失っていただけだ」

答えたカミエは汗だくで座り込んでいる。

俺は記憶がはっきりしだすと同時に自分の右腕を見た。

切り口が綺麗に塞がれていたが――肘から先は無い。

「切口の血管を血液が循環するように繋いでいる。天才の僕だから出来た芸当だね」

魔術はよく分からないが疲労しきっている様子からかなり大変な事をしてくれたようだ。

「感謝してるよ」

「大いに感謝してくれよ」

俺は立とうとしたがよろけて倒れそうになる。

右腕を失った直後で平衡感覚が正常に働かない。

「おい、掴まれ」

アリサが肩を貸してくれてやっと立ち上がれた。

どこか重心に違和感があり慣れるのには相当時間が掛かりそうだ。

 大勢の兵士がひしめき合う中心に罪人の様に両手を縛られ膝をつくオルファの姿があった。

下一点を見つめていたが俺の視線に気付き顔を上げた。

「あの状態から助かるとは悪運が強いですね」

「死にかけた上に片腕を失ったけど奇跡的に生きてるよ」

「一体どこから疑っていたんですか?」

オルファは口調こそ丁寧だが形容し難い不気味さが含まれていた。

「脱獄したあの日からだ。身を隠せと教えられた小屋で牛の獣人に襲われた。そいつが真っ先に短剣を俺に投げてきた時おかしいと思ったんだ。手練の傭兵が近くにいるのに足手まといでしかない俺の命を狙うのは特別な事情があるとね」

「なるほど。私がその獣人に殺害を依頼したと言いたいんですね?」

「いや、依頼した相手は獣人王で牛の獣人は命令されてやっただけだ」

兵士達にどよめきが起こった。

無理もない。

騎士団長が敵の親玉と内通していたなんて大問題だ。

「静まれ!」

王の鶴の一声で静寂が訪れる。

俺は騒ぎが収まったのを確認すると話しを続けた。

「わざと脱獄させ王都の外で手を下したかったが騎士団長という目立つ立場上から簡単に王都を出られない。単独犯のゆえに殺害を実行する部下もいない。だから苦肉の策で獣人王に俺の始末を依頼したんだ。俺に協力者がいたのは予想外だったろうけどな」

「全くその通り。放っておいても野垂れ死ぬだけだと思っていたんですけど、腕利きの護衛がいたのは誤算でしたね。せっかく念の為に獣人でも手練を向かわせてほしいと保険を掛けていたのに」

オルファは吹っ切れたのか足掻く様子は無い。

「嘘の情報をカミエに伝え広範囲殲滅魔術の誤使用で失脚を狙ったが失敗。次に考古学者を志していたアンタは過去の戦争で使われた細菌兵器の存在と、それを獣人が隠し持っている可能性に気づいた。そして獣人王に交渉を持ちかける。細菌兵器でカミエを殺すから自分を感染させてくれ、と」

「ご明察。獣人王は二つ返事で了承しました。なんせ細菌兵器が入った箱は魔術で封じられていて自分達では開けれない代物でしたから。仮に失敗しても自分の腹は傷まないとなると尚更乗ってきますよ」

「オルファよ。真か?」

成り行きを静観していた王は抑揚なく問い掛ける。

「紛れもない真実です。あの時カミエを死罪にしておけば私も強攻策には出なかった。今回の要因には貴方も一枚噛んでいるんですよ? 王様?」

オルファの挑発的口調にも王は何も言わない。

信頼していただけに失望が大きいのだろう。

「僕を殺そうとしたのは分かった。しかし細菌兵器が関係ない多くの命を奪うとは知っていたのか?」

カミエがオルファを睨みつける。

飄々としている普段とは違い表情には明らかに怒りがこもっていた。

「知っていましたよ。もし誰も気付かなければ、大規模な伝染病でうやむやになっていたんですけどね」

「その話しの流れからすると自分は助かる為に特効薬を持っているな?」

「もう使った」

いきなりカミエがオルファを拳で殴った。

ただ非力な女性のカミエが殴った程度ではオルファは表情一つ変えない。

「理解に苦しむよ」

吐き捨てるように言ったカミエを尻目にオルファはうっすら鼻で笑った。

「渇くんですよ……どうしようもなく血を求めてしまう。だから戦争を終わらせようとしたお前が許せなかった!」

理由を聞いたカミエは地面を見つめたまま黙り込んだ。

激昂から落ち着いたオルファは俺の方を向いた。

「どうやらゴウ殿は気付いていた様ですけど」

俺は軽く深呼吸をして答える。

「最初は戦争の武器取引で商人ルドから袖の下でも貰ってるのかと思ったよ。しかしわざわざ出る必用のない前線で戦うという話しを聞いて一つの仮定が出来た。戦争を続ける先に何かがあるんじゃ無くて、続ける事が目的だったんじゃないかとね」

戦闘中毒者とでも言うのだろうか。

それがオルファに抱いた懸念であり真実だった。

おそらく本人にも葛藤はあったと思う。

その心境は同じ異常者でない俺に理解出来るはずもなかった。


 成り行きを見ていた王が指示を出した。

「牢に入れておけ。処分はおって下す」

兵士達に刃を向けられながらオルファは立ち上がる。

「ゴウ殿。巻き込んですいませんでした」

最初感じた不気味さは消え全てをやりきったようなどこかスッキリした表情を浮かべていた。

「全くだ。だから一回謝るだけでは許さない」

オルファの考えている事が何となく伝わり腹の底から怒りが湧いてくる。

「この先何年何十年も謝り続けてくれ。俺が納得するまで勝手に死ぬのは許さないぞ」

俺はオルファの顔を掴み真正面から見据える。

「本当に勘が鋭いですね」

扉をくぐる背中は真っ直ぐに伸びていた。


「ゴウよ。今回の働き大儀であった」

王は少し疲れた様子で声を掛けてきた。

「いえ。全ては自分の為にやった事ですから」

「何か褒美を取らせてやろう。何が望みだ?」

元の世界に帰る絶好の機会だ。

真っ先にそれが頭に浮かぶ。

しかし言葉に出せない。

それはこの世界に大切な物がたくさん出来てしまったからだ。

自分がどうしたいのか、自分でも分からない。

「ご主人……」

俺の袖をミケが弱々しく引っ張った。

「ん?」

いつも俺を見上げている瞳から大粒の涙が零れた。

「お願いです……帰らないで下さい。一緒に居て下さい」

小刻みに震えすがる様な声で訴える。

「ミケ、気持ちはよく分かる。でもゴウのやりたいようにさせてやろう」

アリサがミケの肩に優しく手を置いた。

「俺の望みは……」

 自分が出した結論が正解なのか間違いなのかは分からない。

でも自分が選んだ道ならどんな結末が待っていても後悔しないと心に決めた。

「獣人と人間。共に助け合う平和な世界を作り、大切な仲間と暮らす事です」

ミケの表情が一気に明るくなる。

その嬉しそうな顔を見てどこかほっとした。

やはりミケには笑顔が似合う。

アリサもこれまで見た事の無い最高の笑顔を浮かべた。

そして俺の背中を勢い良く叩く。

力加減が一切無い痛みが嬉しかった。

「分かった。和平の件は前向きに考えよう。一度使者を送って出方を見る」

「ぜひ俺に獣人との橋渡しをさせて下さい」

俺の申し出に王は少し困った表情だ。

「こちらとしてもゴウは獣人王と面識がある貴重な人材だ。もちろん交渉役を頼みたい。だが、それでは……」

雲行きが怪しい。

何か問題があるのかと心配しながら次の言葉を待った。

「それでは褒美にならんではないか」

王は意地悪そうに言った。

「でしたら心変わりした時は俺を元の世界に帰す、という事でいいです」

「よし分かった。よいなカミエ」

代案を了解した王が視線を送った先に、さっき迄そこに居たカミエの姿は無い。

どこに行ったのかと辺りを探すとカミエは気配を消して静かに退室しようとしていた。

「えっ……と。何かご用ですか?」

下手にとぼけるカミエの態度に嫌な予感が頭をよぎる。

「もしかして俺を元の世界に帰せると言ったのは嘘なのか?」

「帰せる事は間違いなく可能だ。ただ感動的場面に水をさすのは無粋だと思ってね」

どうにも歯切れが悪い。

何か隠してるのは間違いない。

「いいから言ってくれよ」

言いやすい空気を作ろうとあえて明るい口調で促す。

「少し状況が変わったんだ。ゴウの腕を魔術で治したという事は、元の魔力そのものが無い世界に帰るとどうなると思う?」

「どうなるって……もしかして」

次に俺が言おうとしたセリフをアリサが奪った。

「せっかく治った傷が開いて出血死」

カミエは頷く。

「そういう事だ」

どうやら運命は俺の決心に関係なく決まっていたようだ。


 王の元を後にした俺達は、カミエの研究室の前に来ていた。

「おい、入るぞ」

軽く三回ノックをした後、扉を開ける。

カミエは窓際に立ち物憂げに空を見上げていた。

「どうして王に嘘をついてまで俺を助ける気になったんだ?」

俺は開口一番にカミエを問いただす。

「あらら。バレちゃったか」

カミエは空を眺めながら答えた。

「あのタイミングで広範囲殲滅魔術がもう使えないとぶっちゃけるなんて、そうとしか思えないだろ」

顔は動かさず空に向けた視線を俺に移した。

「一度きりしか使えないと嘘をついたのも、そもそも人質のふりを引き受けたのも君なら世界を変えられると思ったからだ」

「えらく俺を買っているみたいだがいささか過大評価過ぎないか?」

「君に気付かされたんだ。敵を滅ぼして戦乱に終止符を打とうなんて安易な方に逃げているだけだってね」

「考えすぎだ。俺はただ行き当たりばったりで藻掻いていたら結果こうなったんだよ」

「確かにご主人は行き当たりばったりでしたね」

「全くだ。まあ、訳の分からん行動力はあったけどな」

ミケとアリサが頷く。

「……ほら仲間にまでこんな言われ方されるんだよ、俺は」

「馬鹿なのは重々承知さ」

カミエはさも当たり前に言った。

「失礼だな、おい」

「君達が脱走した後それまでの足取りを辿らせた。すると商人筋から猫の村に居たらしいと情報が入った。もしかしたら潜伏しているのではないかと僕が直々に出向いたんだ。そこでとても面白い話しを聞かせてもらったよ」

俺はこの世界に来てからの記憶を順番に紐解いた。

「そんな面白い出来事に心当たりはないぞ。有るのは悲劇の物語だけだ」

「驚く事に村人達が口を揃えて君に感謝していたんだよ。僕も知り合いだと言うだけで手厚く歓迎された」

「そりゃご主人は村からしたら英雄ですからね」

俺は褒められ慣れてないせいか、どう返せばいいか分からなかった。

「右も左も分からん世界に飛ばされた直後に見たことも無い生物を助けるなんて、お人好しにも程があるだろ。そこで僕は確信したんだ。この大馬鹿お人好しなら奇跡を起こせるって」

これ以上何を言ってもカミエの俺に対する評価は変わりそうにない。

「とりあえず助けてくれた理由は分かった。ちなみに戻って来た時、雷槍を向けたのも演技だったのか?」

カミエは再び視線を空に向ける。

「あんな珍しい生物を目前にしたらテンションが上がって色々試したくなって……」

何となくカミエの人間性が垣間見えたようだった。

この女は自分の好奇心に正直なだけなんだろう。

「まぁ、期待に添えるかは分からないけど頑張ってみるよ。ひょっとしたら交渉が失敗するかもしれないけどな」

「期待してるよ。元モルモットの救世主君」







         5


 騒動から半年が過ぎた。

あれから直ぐにカミエが特効薬の量産に成功し伝染病の一件は幕を閉じた。

しかし大惨事の危機は去ったものの、王が獣人と和解の道を探る決断を下した事で大きな波紋を呼んでいる。

さすがに反対意見も根強く一筋縄ではいかないのは明白だろう。

今だに城の前では連日連夜の抗議が絶えない。

 歴史の大きな転換期を迎えようとしている最中、俺は懐かしささえ覚える真っ直ぐな街道を獣人の国目指して歩いていた。

「……疲れました」

ミケが相変わらずの弱音を吐く。

「だから馬でも使おうって言ったんだ」

アリサは呆れた様子で徒歩移動の原因を作ったミケを攻める。

「もう乗り物はこりごりですよ」

どうやら相当なトラウマが残ってしまったようだ。

「アリサ。兵士の指南番を断って俺に付いてきて良かったのか? 給金も十分に出るらしいのに勿体無い」

「ゴウが争いのない世界を作ったら兵士だっていらないだろ?」

「そんな世界一生掛かっても無理かもしれないぞ」

「だったら一生付いていってやるよ」

アリサには右腕の件は気にするなと言ってあるが本人は責任を感じているようだ。

それも月日が経てば薄れるだろうと好きにさせる事にした。

「ねえねえ、ご主人?」

ミケも村にはまだ帰る気は無いようだ。

理由を聞くと俺が頼り無いからだと冗談ぽく言っていた。

「聞きそびれていたんですけど、ご主人の本当の名前は何て言うんですか?」

見上げた空は青く澄み渡っている。

「俺の名前は――」

そして一陣の風が通り抜けた。

「――ゴウ・シュジンだよ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ