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二.僕

 くすぶった思いを誰にも気づかれないように必死に守りながら、「本当に自分がやりたいこと」をやれないまま、どのくらいの月日が経っただろう。何人ものアーティストに楽曲を提供して、それなりのヒット曲も出て、何一つ不自由のない生活を送れているけれど、満たされることのないこの虚無感をいつまで抱えていればいいのか、分からないままでいる。


 あの喫茶店での出来事の後、無事にスランプを抜け出せた僕は、学業のかたわら、セルフプロデュースで活動を継続していた。そんな中、一緒に仕事してみない?と、本格的な音楽業界に誘い入れてくれたのが、篠崎さんだ。将来どの道に進もうか頭を抱えていた僕には、暗闇に差し込んだ一筋の光。とんとん拍子に話が進み、そのまま篠崎さんがプロデューサーを務める音楽事務所に就職することが決まった。上手くことが進みすぎてるな、と、不安に思いながら初めて出勤したその日に、今まで上げてきた動画の楽曲、全部アレンジして譜に起こしてくれる?と、笑顔で言われた時の衝撃は、ひとたまりもなかった。実は篠崎さんは、物腰柔らかな雰囲気をまとっているが、無茶振りの鬼と言われる名物プロデューサーで、その手腕で数々の偉業を成し遂げてきている人だった。そんな人に見つけられてしまった僕には、篠崎さんから突きつけられる無理難題に応え続けていくことしか出来ず、扱き倒された新人時代。その甲斐あって、今の僕がいる。不思議と、ストレスやプレッシャーを感じることはなく、「この人についていけばこの先も大丈夫」という、何の根拠もない確信があったから、必死に食らいついた記憶しかない。

 

 新人時代のことを思い返しながら、iPhoneをぼんやりと眺めてそろそろ寝ようかと思っていたら、篠崎さんからメールが入っていた。面白いことを考えたから、嶋名がずっとあっためてるとっておきのやつ持ってきてよ、と、書いてあり、一瞬で目が覚めた。ベッドに入って寝ようと思っても、浅い睡眠を繰り返して何度も起きて、現在朝六時過ぎ。頭も瞼も体も、全部重たい。誰にも知られないようにしていたものを、篠崎さんが知っているのはなぜか、なんて、考えたところでどうにもならない。ただ、これを世に出すには、絶対に揃わないピースがあるから、最悪お墓まで持っていこうと思っていたのだ。…思って、いた。頭の中でぐるぐる同じことを考えては、同じ答えに辿り着いて、ため息。ようやく体を起こして、デスクの引き出しから古びたUSBを取り出し、また、ため息。いつもより時間をかけて身支度をして、重い足取りで事務所に向かった。


 打ち合わせに指定された会議室に入ると、篠崎さんが見知らぬ人と談笑していた。二人はこちらに気づくと席を立ち、軽く自己紹介をし合うと静かに着席。彼は、近頃増加傾向にある、「顔出しをしない歌い手」のようだ。背格好が僕と変わらないくらいで、一見、女性にも見える中性的な風貌。マスクをしているが、整った顔立ちなのがわかるくらいのオーラも兼ねそえている。篠崎さんは一冊の古びたノートをテーブルの上に置いて、このノートに書かれている詞に嶋名が曲をつけて、間広さんが歌う、コンビ活動してみない?と、にこやかに投げかけてきた。篠崎さんが思いつきそうな、「面白いこと」だ。僕は構わないですけど、と答えて、間広さんに目線をやると、僕も歌ってみたいです、嶋名さんの歌、と返ってきたものだから、思わずきょとんとしてしまった。嶋名の動画のファンらしいよ、と、篠崎さんが肘で小突いてきたので、茶化さないでくださいよ、と返しながらノートを開いた瞬間、どくり、と、心臓が跳ねた。ふわり、と、あの喫茶店のコーヒーが香った気がした。無我夢中で、見覚えのある字を読み進めていく。ページを捲る手が震えている。そして、あるページで手が止まった。


 絶対に揃わないと思っていたピース。それがなぜ、今ここに。


 見開いた目を篠崎さんに向ける。私の妻が貰い受けたものなんだが、君に渡して正解だったようだ、と、満足そうに笑って、後は若いお二人で、と、篠崎さんは退室していった。


 嶋名さん、大丈夫ですか?と、心配そうに顔を覗き込む間広さんが目に映る。大丈夫ではない。興奮がおさまらない。脳内でニ・三曲は完成した。スタジオに移動しましょう、と、言うと同時に、間広さんの手を引いていた。戸惑う気配を感じながらも、「本当に自分がやりたいこと」の実現が目前で、先走る気持ちが抑えられない。


 スタジオブースにつくと、ここ、このフレーズ、今弾くから軽く歌ってみて、と、早口に伝えてノートを渡し、落ち着きのない動作で電子ピアノの準備をする。荒い呼吸を少しだけ落ち着けて、ずっと、誰にも知られないように封印していた曲を弾いた。初めて聴く曲を歌えだなんて、なかなかの無茶振りだが、なぜか、この人なら歌ってくれる、しかも自分が欲しかった歌声で、と、一ミリも疑わなかった。サビ部分を何度か繰り返して弾いていると、戸惑いと不安の表情のままの間広さんが、おずおずとマスクをずらして歌ってみせた。こんな感じですか?と、弱く微笑む間広さんを見て、何度も、何度も、頷いた。


 僕の音楽人生を間違いなく豊かにしてくれる出逢いだ。このノート一冊分の宇宙に、僕は歓喜した。

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[良い点] 出会ってはいませんが見事に繋がって感服しました!
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