第9話 詰問
断定調の言葉が、俺の思惑を断ち切る。
「鶴様はこの地名を知っているでしょう?」
「……どういう意味でしょうか?」
「東京タワーなる地名は聞いたことが無いし、今まで聞いたこともない奇妙な地名です」
だが、と彼女は面白がるように目を細めた。
「他の覚書を確認したが、わたしが読む覚書のみにわざわざ書かれていた。つまり、わたしに確認を取りたかったという事です、それも、出来ればあまり話が広がらない形で」
血の気が引く。
出来るだけ知られないようにと明子様への一通のみに仕込みをしたのが裏目に出てる。
だって、未来の人ならこの書状の事も周りにばらさないと思ったのだ。未来の人“ではなかった場合”でも、さらっと流されると思っていた。
「わたしならこの地名が分かると貴方は思ったということになる。つまり、これは意味が分かる人間にはその意味が通じる符号の様なものではないですか」
やばいやばい、めっちゃバレてる。
「いや、言葉自体に大きな意味はないのかもしれませんね、知る人が見たら言外で何を言っているのかが分かる、そういうものなのかもしれません」
やばいやばい、全部見透かされている。
「なぜ貴方が、わたしがその符号がわかる人間だと思ったのかは分からない。だが、貴方はそれを確認する必要があった、私がこの符号がわかる人間なのかそれとも違うのかを」
優しげで、穏やかで、凛とした声がこちらを追い詰めていく。
「それは一体何故? この言葉にはどんな意味があるのかしら? あなたのその幼さに似合わぬ奇妙なほどの知識は、これと関係あるのかしら?」
ずばずばと言い当てられて俺は驚きを顔の外に出さないだけで精いっぱいだった。
(なんでこんなに読めてるのこの人!?)
可愛く、気丈でけなげ、と金浜は評していた。それは間違いない。が、何よりも聡明で洞察力に長けた人だ。自分のあまりに拙い作り話があっという間に身ぐるみはがされた気分だ。
「……お戯れを、明子様」
顔が強張ってないか、正直やばい。
「そのように深読みされても困ります。私は真実、その土地の事を知りたいだけです。知ることが出来て、もし赴くことが出来るなら、さらなる養蜂の知識が得られるかもしれないでしょう?」
「では、なぜわたし宛てのだけにこの地名を書いたのです?」
「明子様は博識と聞いておりましたから」
「知識を乞うなら私だけに聞くよりも、浪岡のご家中に聞けばよいでしょう、浪岡家中は上方や蝦夷地の事情に通じています、貴方がその事に頭が回らないとは思えない」
明子様はすっと俺の前まで歩み寄り、笑顔で扇子でこちらの肩を軽く叩いた。
「貴方は何を隠しているのかしら? わたしの何を確認して、何をしたかったのかしら?」
怖いこの人。
「……何も隠すことなどありません」
俺は、突っ張った。
「俺は浪岡の協力が得たい。そのために今回このように特別な贈呈品を誂えてわざわざ若輩の身でここに来た。それが全てです。明子様の何事かを知ろうなどとは思っていません。その地名も、もし由縁を知ることが出来るなら望外、というだけのことで、深い意味はありません」
前半はまじりっけなく本心だ。
明子様はこちらをじっと見つめていた。こっちも目をそらさずに見返す。
ふっと、明子様が目じりを緩めた。
「ふふふ、怖がらせてしまったね、すまない」
明子様はこちらから離れると、軽く手を振った。
「そうですね、今のはわたしの戯れ言です、なかなか手の込んだほら話だったでしょう?」
「……お戯れを」
引いてくれた――それがありありと分かって、こちらとしては冷や汗がまだ止まらない。
「こういう底意のありそうな事柄には敏感になるのですよ、我ながら疑り深くて嫌になる時もあります」
許されよ、という言葉に『マジごめんなさい!』と言いそうになる。自分、そういう風に見られていたか。
「わたしから何かを得ようと近づいてくる佞途の輩は絶えないのです。そんなものに引っかかったら浪岡と南部の、なにより夫の恥になってしまう」
彼女は、独白するように呟いた。
「わたしは浪岡の女なのです」
どういうことか、と首をかしげれば、彼女は小さな子に諭すように話した。
「浪岡の為に、我が夫の為に働きたいと思っている。それが我が生だと心に決めている。浪岡に仇なす者は、あの夫が支えるものを壊そうとする輩は、たとえ南部とでも戦うと心に決めているのですよ。だから、少しでもほころびるような真似は慎まなければならない、分かってくれ」
(すみませんそんな大したことじゃないんです本当に)
俺はただ、自分と同じ時代の、同じ境遇の人間がいるなら話したかっただけなのだ。
なんとなく彼女の事がかいま見れたようで、俺は言葉を返した。
「明子様は、浪岡様の事が好きなのですね」
そう言うと、彼女はきょとんと眼を丸くした。
「明子様は、浪岡のため、というよりも浪岡の御所様の為に働きたいと思っているように見えます」
口ぶりからなんとなく、だけれども。
具運様を語る時の明子様は少しだけ熱がこもる。少し話しただけでも、それが分かった。
「……ませた子だな」
気勢をそがれたように明子様は顔をそむけた。そんな仕草も可愛い。
「南部は浪岡の味方ですよ、心配することなど何もないと思います。俺だって浪岡と協力したいのです、争い事は嫌いなので」
だからそんな警戒しないでほしい、俺の秘密は浪岡を脅かすような大層なものじゃないのだから、と言ってあげられればよいのだけれども。
「争い事が嫌いとは、あの石川叔父上の息子とも思えぬ言葉ですね」
「壊す事より、作ることの方が好きなのですよ。戦は様々なものを壊してしまうので好みではありませぬ」
そう言うと、明子は笑った。
「ぜひ折々、遊びに来なさいませ。きっと面白い話が聞けそうです」
特大の釘を刺された気分で、俺は頭を下げた。
「どうであった、石川の御次男は」
鶴が辞去した後、部屋に来た具運はにこにこと明子に問いかけてきた。
「可愛らしい子でしたよ」
明子は言った。
明子は先ほどまでいた少年を思い返す。奇妙な部分は確かにあるのだが、どちらかと言えば線の細い平凡な少年に彼女には見えた。
「探りを入れたらすぐにぼろが出てしまう、嘘を繕う方法もあまり考えていなかったようです。まだまだ幼い」
「彼の隠し事はなんだったね?」
「それは分かりませんでした。こちらも推論のみで証拠はありませんでしたから、あまり追いこめませんでしたし」
「お前に問い詰められるとは鶴殿もさぞ怖い思いをしたであろうな」
「どういう意味です?」
「ほっほ」
軽口を叩いた具運を明子はじろりと睨む。
「秘密があったとしても、浪岡の邪魔になるようなことではないと思います。石川の郡代様が仕向けたにしては稚拙です。むしろ彼のごく個人的な思惑だと思います」
狼狽する鶴の姿を思い返して明子は苦笑した。若い子をからかうのはやはり楽しい。
「そうか、ならよい」
「それほど才気走った子にも見えませんでした、戦いを厭うなど、武士としてはむしろあまり良い性質とも思えません」
南部の重鎮・石川高信の子でありながら、農事にうつつを抜かしている子ども、という評判は明子も知っていた。そしてそれはおおむね事実のようだ。気ままなガキだ、と明子としては思っている。
明子は、南部晴政の娘としてこの浪岡家に嫁いできた。気ままな人生など行えたためしがない。だからああいう身勝手な人間に苛立つ。
「手厳しいの」
具運は楽しそうに頷く。
「そういう貴方は、ずいぶんと彼を評価されていましたね」
彼は他人が浪岡の益になるか害になるか、良く見定める。そして使えるとなれば取り込もうとするし、使えぬとなれば冷徹に切る。相手に情があろうと無かろうと躊躇をしない人間だ。貴種というのはこういう人間の事を言うのかもしれない、と明子は思っている。
その彼が、あの『枯れぬ米を作る』などという夢物語のようなことを語った少年には高評価をしている。大言壮語を言うのも聞くのも嫌いな人であるのに。
「儂はな、不思議な子と思ったよ」
淡々と具運は言った。
「寒さに枯れぬ新しい米を作るなどと、随分な荒唐無稽を吐く者と思ったが、あれは空威張りではない、事の成就を確信している目、いや、成功するかは分からないが出来る事は知っている目だ。武士でもそういう者は強いものよ。そんな目を元服前の子がするなどなかなか見られるものではない、不思議よ」
そうなのだろうか、と明子は首をかしげる。
「あれの底には、確たる知識が眠っているように見えたのだ、それがどんなものなのか、分からなかったが」
「彼の秘密は、そこに繋がっているのやもしれませんね」
「ああ、そうかもしれないね。他人の奥底を見てみたいと久々に思ったよ。具信叔父上も多分そういう所に食いついたんだろうよ。叔父上は直感でそういうものを嗅ぎ取るのに長けているから」
そういえば、具信があれほど機嫌良さそうなところは久々に見た気がする。具信は基本善人で人好きだが、最近は具運や顕範と自領の境目を巡って口論が絶えなかったため、明子が見る具信はいつも怒鳴ってばかりだった。それが満面の笑顔で鶴の事を可愛がっていた。大分気に入ったのだろう。
「いずれにせよ、彼の知識はとても気になる、少し探ろうか」
具運は楽しげに笑った。
銭は借りることが出来たが、明子様に俺が秘密を持っていることを感づかれた――。
そんな締まらない感じで俺は浪岡を辞去し、そそくさと南部に戻ることになった。
具運に帰りの挨拶をする際、同席した浪岡具信から機嫌よく声をかけられた。
「石川の御曹司殿、次来る時は我が屋敷にも参られよ。蜂蜜をたっぷり持ってな」
あっけらかんと言われてはこちらも苦笑するしかない。
「そうまで言われてはこちらも引けませんね。今度は絶対新しい米を完成させてそれでお返しさせていただきます」
「はっはっは、待っておるぞ」
そして具運は変わらぬ笑顔で自分に高信宛の書状を預けてきた。
「石川殿にもよくよくお伝えくだされ」
具運は明子と自分が何を話したか知っているのだろうか。そう思うと顔が引きつりそうだったが、何とか恭しく受け取って、浪岡家から出ることが出来た。
――帰る道すがら、大きなため息が出てしまった。
銭を借りる事は出来たし、浪岡の数人の家臣からも『今は無理でも、もう少し落ち着いたらぜひ垂れ蜜もにごり蜜も売ってもらいたい』と打診を貰うことが出来たので、その意味では成功したといってもいいかもしれない。
だが、明子様の事を考えると頭が痛い。彼女が未来の人間ではない、と分かっただけで、自分が何らかの秘密を持つ人間だと感づかれてしまった。これは後々まで引く気がする。
(未来から来た人なんて自分以外いないのかなぁ)
可能性があるなら、と探りを入れてみたけど、そもそも居るかどうかなど分からないのだ。
正直、『もしかしたら明子が自分と同じ未来人かもしれない』という自分が都合のいい解釈にすがったのは否めなかった。
きっと、“現代”が恋しかったのだ。それは認めるしかない。
(まずは米作りに集中しよう)
諸々の不安を振り払い、改めて思い直す。やることはたくさんあるのだ。