第8話 銭の無心と奥方邂逅
浪岡家中をぐるりと見回す。後ろの金浜がぎょっとする気配を感じたが、無視する。
「我が家はこれからさらに蜂蜜の生産を増やすつもりです、浪岡家に贈呈する分も増えましょう。それに、蜂蜜以外にも事業を広げたいと思っております。しかしこの飢饉の折でどうしても費えはそちらに取られてしまいます。事業を起こすための最初の費えも不足しております」
「蜂蜜が増えるのは喜ばしいが、それ以外の事業とな? それはなんじゃ?」
具運が細い目をさらに細める。
「今年の田んぼの様子は皆様もご存知でしょう、収穫も酷い有様です。稲は枯れてしまいました」
浪岡家中の面々が一様に憂鬱な顔をする。彼らも自領を支配する領主であり、個別に田畑を所有する農業経営者でもある。
「俺は、新しい方法で暑さにも寒さにも耐える新たな米を作るのです」
「新たな米を、作る……?」
具信が首をかしげる。他の者も具体的な想像が出来ないのか、合点がいかないという顔をしている。
具運ひとり、微動だにせずこちらを見ている。
「はい、寒さに克つ米を作る新しい方法を、自分は見つけました。それを行えば、天候が悪くとも米を枯らさず、さらに収穫多く育てる事が出来るかもしれないのです」
少々大言壮語だ。稲作技術が進んだ“現代”に至っても、稲を枯らさない方法は確立されていない。いかに耐冷性が高い品種を栽培したところで、耐えられない寒さが来れば稲は枯れる。干ばつで耐えられない水不足が起これば枯れる。限界というものは厳然としてあるのだ。
だが、それを減らす事は出来る。売り出すために、少々の誇張は許してほしい。
「既に方法は考えております。後はこの津軽の、いえ、奥国の地でそれがきちんと実証できるかどうかなのです。恥をさらすような事を申しますが、私はこの事業を成功させたい。そのためにはまず最初に銭が必要なのです。銭を貸してくださるという奇特な方がおられれば、ぜひとも貸していただきたい」
出資を募る、というのが自分の立場としても方法としてもスマートなのかはなはだ疑問だが、それしか思いつかなかった。
ただ単に蜂蜜を担保にカネを貸してほしい、と言った方がまだ通りが良かったかもしれない。けれども、使いどころをはっきりさせた方が、変な言い訳をするよりも良いと思ったのだ。
浪岡の家中は突然の提案に戸惑っていた。そりゃそうだろう、子どもが突然『新しい米を作るんです』と言い出していきなり信用するというのがおかしい。しかもタチの悪いことに、その子供はかなり高位の人間の子どもなのだ。
何と答えていいものか、その場の空気が澱む。
「浪岡の皆様」
声が上がった。
金浜だ。
「鶴様は突拍子もない事をされる方ですが、虚言は申されません。農事に関しては、幼いながら我が領内の農民も驚嘆するほどの知識をお持ち、実際にそれをもって収穫を増やしておいでです。その鶴様の腹案、決して悪いようにはいたしません」
今度は自分がぎょっとする番だった。金浜を見ればひたと具運を見据えている。
「……いかほど必要なのかの?」
具運が微動だにせず問う。俺は正直に答える。
「百貫文です」
百貫文! と驚きの声が上がった。
戦国時代、一貫文の価値は土地によって違うが、この辺ではだいたい米一石分の値段に相当する。百石ともなれば中小家臣の知行にも匹敵する大金だ。
さすがに……と浪岡の面々が顔を見合わす。やばい、大金過ぎて引いてる。
けれども、ガチで事業を行うにはそれくらいの銭が必要なのだ。
どの人も渋い顔になって、空気がどんどん悪くなってるのがわかる。これは、ダメかな。
「俺が貸すぞ」
響くように声をあげる人がいた。
具信だ。思わず凝視する。
「五十貫でいいなら貸そう。それ以上はさすがに我が家も貸せぬ」
「叔父上」
顕範の渋い顔に、具信が鬱陶しげな態度で手を振る。
「こんな童が、仮にも浪岡の一同が揃うこの場で、真剣な顔をして頼むのだぞ、お前らその真情をくみ取れぬのか。こやつ、本気で成そうとしておるぞ」
「このようなご時世に、地下事に銭を費やすのはいかがな事かと」
顕範がこちらを憚りながら遠慮がちに言う。気を遣わせて申し訳ない。
「貸せるぶんの銭を貸すだけじゃ、鶴殿がどう使おうが、ダメならその時に返してもらえばよいだけのこと」
「また叔父上の見栄張りが始まりおった……」
「御所様に張り合うのも控えてほしいのだが……」
顕範が呆れ八割のため息をついた。周りの家臣たちも苦笑だったりはっきりと眉をしかめていたりと、具信の行動は歓迎はされていない。
具信さん、どうやらそういう立ち位置の人らしい。
「石川様の御子息が、まさか銭を返さないなどと外聞の悪い事はせんであろう。なあ具運?」
「叔父上がよろしいのであれば、かまわんよ」
笑みを浮かべた具運の鶴の一声で決まった。
俺はまず具信に頭を下げた。
「具信様、ありがとうございます!」
「鶴殿、若輩の御身が外聞もかなぐり捨ててやろうとしていることなのだろう? その心意気、俺は嫌いではない」
具信は笑った。
「結果が出たら儂にも教えてくれよ、期待せず待ってるぞ!」
その言葉に、ようやく場の空気が緩んだのだった。
それからは宴会だ。
食事と酒が運び込まれ、かわるがわる接待を受けた。
一番ぐいぐい来たのは具信だ。
「御身の年で他の家中に乗り込んで満座で借銭の無心をするなどなかなか出来る事ではない。しかもその銭をしみったれた事ではなく己が野心の為に使うと言うではないか、これは誰か一人でも乗らねば逆に恥というものではないか」
どうやら曰くのありそうな人だが、自分としても借金に名乗り出てくれたという恩は存分に感じていた。ダメでもともとだからこそ、嬉しさもひとしおだ。
「ありがとうございます。野心と言えるほどの事ではないかもしれませんが」
「何をいう、枯れぬ米を作るというのは野心の塊ぞ。農事は武士の生計としては軽んじられがちだが、おろそかには出来んことだ。今年は特に酷かったことだしな……」
具信さんは並ぶ食事を見渡す。
「この宴会に出している食い物とて、家中でやりくりして出しているものだ。いつもの年ならもっと豪華に出来たものだが、肝心の米がダメではな」
なら無理に宴会などしなくてもいいと現代人的な思考の部分が思うのだが、そういうわけにもいかないのが中世武家社会だ。
そう、ここに並ぶ全ての食事は、全ての民の上に成り立っているものなのだ。
「だからな、たとえ夢想のような話でも、若人がそれを目指すというなら儂は銭を出せると思ったのだ、それだけよ」
「具信殿……」
「ま、失敗しても蜂蜜は手に入るのだから最終的に儂に損はない。後で証文をしっかり書いといてくれよ」
具信はニッカリと髭面で笑った。
見栄張りからの行動かもしれないが、だが銭を出してくれたのはこの人なのだ。本気の感謝と共に、俺は頭を下げた。
浪岡の面々との顔見せがひと段落して、俺はちらちらと金浜の事を盗み見た。
まさかフォローしてくれるとは思わなかった。今回の事も事前に話せば止められると思って黙っていたが。
「金浜、さっきはありがとう」
俺は金浜に頭を下げた。
「全く何を考えておられるのか……これからこのような事をされる時は事前にお伝えくださいませ」
すまん、止められると分かって言うつもりはなかった。
「拙者は……いえ」
金浜は言いよどみ、首を振って、それから横を向いたまま問うた。
「……貴方は、何を成そうというのです」
「言っただろう。暑さにも寒さにも枯れぬ稲を、今よりも多く獲れる稲を、作る」
「本気ですか」
「本気だ」
「……戯言を」
「戯言で済ますならわざわざ他家の方々に頭下げて金を借りたりしない」
大言壮語に聞こえるだろう。それは仕方ない、だがそこで黙ったりしない。
「俺にはそれが出来る。それを証明する」
金浜は俺を睨みつけてくる。俺はそれを見返す。
ふっと視線を外したのは金浜だった。
戯言、と金浜は言った。だが、俺が持つ知識は、決してこれを戯言で済ませない。
いつか金浜にも理解してもらえればいいのだが……。
それから宴会が終わるまで、金浜がこの話題に触れる事はなかった。
翌日、具運に呼ばれて向かうと、彼は贈呈品の礼を改めて言った後、「そのことでな」と話を切りだした。
「我が妻がお主に是非とも会いたいと言うておってな」
「こちらとしてもご挨拶したかったのところです、どのような思案でございましょうか?」
「昨日渡してくれたにごり蜜について聞きたいそうでな。昨日は妻も宴会に顔を出せなんで、少々無沙汰をしたと思っておった所じゃ。妻と鶴殿は親族にあたるのであろう? ならばぜひとも対面してくれればと思っての」
俺は内心ドキドキしながら、具運に「細々に説明したいと思っておりました、願ってもない事でございます」と返答した。
(仕込みに食いついたか……?)
“仕込み”は、昨日渡したにごり蜜の説明書に書かれてある。この時代の人間には意味不明だが未来の人間ならわかる事がそれとなく文章で差し込んであるのだ。もし、具運の妻が未来人ならそれに気づき、何らかの形でこちらに接触してくるはず――。
期待が高まる。こんなにすぐさま反応があるとは思わなかった。
「では、奥の間へ案内いたそう、儂はこれから用事がある故、ゆるりと過ごされよ」
「具運様も参加されないのですが」
「南部の者同士、他家の者がいては話しづらいこともあるからと妻から直々に言われてしまっての、追い出されてしもうたわ」
照れくさそうに具運が笑う。なかなか夫婦仲は良好のようだ。ますます好都合だった。
(あっちもそう思っているのかも)
明子様も未来人なら、この時代の人間がいては話しづらい事があるだろう、だから具運を遠ざけたとも思える。
(いやいかん先走るな、まだ明子様が未来人だと決まったわけではない)
はやる心を抑えながら、俺は案内の女性の後ろについて、明子様のいる部屋へと連れられていった。
「明子様、鶴様をお連れしました」
「入っていただいて」
戸の向こうから聞こえてきたのは、ほっそりと静かに通る声だった。
案内役に促されて部屋に入る。
切れ長の目をした、美しい男のようにも女のようにも見える、静かな美しさを持つ女性だった。
その女性は子どもを愛おしげにあやしながらすまなそうにほほ笑んだ。
「このような格好で失礼します、今ようやく寝静まった所でして」
案内役の女性が赤子を受け取り、部屋を出ていく。
「可愛らしいですね、あの子が昨年生まれたという」
「ええ、次代の浪岡当主ですよ。泣く時は本当に頑是なくてほとほと手を焼いております」
彼女は綺麗な所作で頭を下げた。
「明子です。はじめまして、従弟様」
「はじめまして、石川高信が一子、鶴と申します。このたびはお会いできて幸いです、明子様」
「よう話は聞いております。石川の叔父上はお元気ですか?」
「老いてますます盛んです、そろそろ落ち着いていただきたいくらいなのですが」
「ふふふ、叔父上らしいですわ。あなたは蜂蜜を作っていると」
「はい、浪岡様にもいつも贈らせていただいております」
「此度は蜂蜜でも特別な蜂蜜を作ったそうですね、それについて話を聞かせてほしい」
「はい、ぜひとも」
内心の逸りを抑えつつ、俺はにごり蜜について説明をしていった。
「明子様は天気が突然変わった時、体調を崩されたり頭痛がしたりすることはありませんか? そういう時にも良い食べ物です」
「ああ確かに。天気が悪いとよく疲れやすくなりますね、そういうのにも効果があると」
「ええ、もちろん普段からきちんと体を動かし、調子を整えてこそ効果は高まるので、そこも怠ってはなりませんが」
「浪岡に来てからも鍛錬は欠かしてないのだよ、これでも南部の女だからな」
ぐっと力こぶを見せてくるところがちょっと可愛らしい。
「とても興味深いわね。こんなことまで知っているなんて、鶴様は博学でいらっしゃるのですね」
「めっそうもない、まだまだ若輩者です」
いや本当にそういう大したものじゃないのだ。
明子様はにこりと笑った。
「わたしは貴方の話、時々聞いていましたよ、石川の御嫡子様が、地下人たちに混じって田んぼを耕し、蜂蜜を良く採れる方法を考案したと」
「あまり良い噂ではなかったでしょう?」
苦笑する。仮にも大領主の息子が地下人と親しい事を「身分をわきまえぬ」と良く思わない人はいるし、ネガティブな話が少し流れているのは知っている。やめるつもりないけど。
「ふふ、夫がとてもほめておりましたよ、あれは異才だと」
内輪話を軽く暴露する。具運さん、人をそう評してたのか……。
「そういう人はきちんと育てれば良い芽を出すと言っておりました。口渋りの夫がそこまで言うのはなかなかありません。具信様が銭を貸さなければ、自分が銭を貸しても良かったと仰せでした」
「ははは、光栄です。今からでも貸してほしいくらいです」
ほめ言葉は話半分に聞いておこう。具運から銭を貸す話が出なかったのは、その程度の評価、と言う事だし。
――今のところ、彼女が未来から来た人間であるというそぶりはない。普通に初対面の親戚同士の会話、という感じだ。
(やっぱりハズレかなぁ……)
説明書を読んでくれているなら、“仕込み”は見ているはずだが。
やはり、史実には残らなかった晴政の娘がもうひとりいた、と言う事になるだろうか。まあそれならそれで南部氏を調べていた者としてはとても興味深いので、ぜひ彼女自身の話を聞いてみたいのだが。
そんなのんきなことを内心考えていると、明子様は一通の手紙を取り出した。昨日自分が渡した、にごり蜜についての説明書だ。
「この内容も事細かで、覚書だというのにとても勉強になりました。――ところで、もうひとつ聞きたいのですが」
「はい、なんでしょうか?」
明子様は説明書の一点を指し示した。
「この地名――『東京タワー』とは一体なんですか?」
きた、と俺は内心手を握った。
これが“仕込み”だ。少なくとも戦後生まれの未来の日本国民ならだいたいが知っているであろう地名。そして、この時代の人間には不可解な地名だ。
説明書にはこう書いた。
『なお、この王乳を採る技術は東京タワーという場所にあるとされている。誰かこの地の事を知る者がいたら教えてほしい』と。
現代人なら書かれている内容の荒唐無稽さにすぐに気付くが、この時代の人間にとっては多分『そんな土地聞いたことが無いなぁ』で終わってしまうものだ。
自分は彼女の問いにどう答えるべきか迷う。相手がどんな立場であるかで、今の質問の意味合いが変わるからだ。
もし彼女が未来の人なら、こちらの正体を探りに入れている。そうでないなら、ただ単に興味を持って問いかけてきたと言うだけになる。
「……私もこの土地の場所を知りたいと思っているんです」
韜晦しながらの言葉に、明子の言葉がかぶさる。
「嘘ですね」