第7話 浪岡訪問
永禄二年(一五五九)八月一日
準備を整えた一行は、抱えるくらいの大きさのカメに小分けにした蜂蜜を持って浪岡への道を進んだ。
護衛の馬廻を含めて四十人ほどの大所帯だ。朝に出発して、一日で浪岡領に入る行程だ。
当時の津軽を貫くメインストリートである奥大道を北へと上り、大光寺を経由して、川舟で浅瀬石川を越えて浪岡領の南端にある藤崎に入る。この地域は南部と浪岡の共同支配地でもあり、そこで一休みした後、浪岡城下に入る。
「にぎやかだな、浪岡は。石川以上じゃないか」
「浪岡は要地ですからな、人の流れも多くございます」
空はもう夕暮れ時、街道に沿って立ち並ぶ家々の間を、歩くのも難儀するほど多い人が流れている。久しぶり『町』らしい場所に来た気がする。
浪岡は津軽平野と北の青森平野を繋ぐ結節点だ。日本海航路で運ばれてきた京都からの産物や、北の蝦夷地の産物が集まる油川湊・堤浦と直接繋がり、その富をもって繁栄する土地だ。
浪岡城はその中核にあたる。数個の巨大な曲輪が微高地に並び、浪岡氏の威勢を見せつけている。中には幾つも工房が立ち並び、都市機能の一部も担っているという。
「浪岡は元々、南部と関係が深いのです」
金浜は教え諭すように言った。
「南部は浪岡を積極的に庇護してきました。それによって他の諸氏と協力し、津軽の支配を安定させることに成功しました。彼らとの協力関係は必要不可欠なのです」
「だからご家督様の娘も嫁いだの?」
「はい、津軽の支配も盤石ではありません。浪岡はその立地上、秋田の安東氏やその配下の蠣崎氏とも関係が深い。かの家は南部と安東を両天秤にかけながら、生き残りをかけているのです。我らはその天秤をなるべく南部側に傾くよう努力する必要があるのです」
安東、蠣崎。いずれも南部氏によっては敵対勢力だ。そんな勢力と関係を結ぶ浪岡を味方に繋ぎとめるのは、相当の配慮がされている。この蜂蜜とてそのひとつなのだろう。
「したたかな一族ですよ」
その言葉には実感がこもっていた。
「浪岡の御当主様や、奥様ってどんな人なんだ?」
「そうですな……浪岡御所の当代の御当主は、浪岡具運様と申します。まこと浪岡らしい方ですよ」
「浪岡らしい?」
「言ったでしょう、浪岡は南部と安東を両天秤にかけていると。彼はとてもよく相手を見てくる。南部と安東、どちらが浪岡という家の利益になるのか、情を挟まずに判断できる方です。怖い方ですよ」
怖い人。一流の武人である金浜をしてそう言わせる人間なのか。
そんな人間と相対しなければならない、と今更ながらに気が滅入る。
「じゃあ、奥様――ご家督様の娘さんは?」
「奥様、明子様はですね……主君の姫君にこんな言い方は不敬なのですが、可愛い方ですね」
「可愛い」
およそ真面目で謹厳な金浜からは聞こえてこなさそうな人物評だ。
「気丈でけなげな方でしてね、勝手が違う浪岡の家に慣れようととても努力されている方です。あなたの従姉なのですから、仲良くしてあげてください」
というても年も離れているしなぁ。こっちは元服前の小僧で、向こうは十歳は年上だというし。
だが、仲良くなれるならそれに越したことはない。相手がどんな人間なのか――自分と同じ転生した境遇の人間かどうか――分かれば今回の目的のひとつは達成出来るのだ。
一応、それなりの仕込みはしてきた。まずはやってみて反応を見るのだ。反応が返ってくればそれでよし、合わせて銭を確保できれば文句はない。
心中で決意を新たにする頃、浪岡城の正門が近づいてきた。
夜も更けたとあって、一行は城内の宿泊施設で一泊した後、翌日当主に挨拶する事となった。仮にも津軽の南部氏勢力を束ねる石川の子がわざわざ来たとあっては、きちんとした挨拶と宴のひとつも催さなければ面目に関わるのだ。面倒だがそれも武家社会のお仕事というやつである。
(ま、荒っぽい接待なら慣れているしな)
現代でも田舎の寄合は酔っぱらいの太鼓持ちとあしらいが若者の仕事だ。この時代は何か争いがあればすぐに刀を抜くので危険度は数十倍違うけど。
翌日。
朝も早々に案内の武士が来て、浪岡側の準備が整った旨連絡してきた。
こちらもきちんと着替えて、金浜、それからお付きの武士二人と共に対面の間へ向かう。お付きの武士には献上品を持たせてだ。
「鶴様、くれぐれも粗相のないように」
金浜の小言が飛んでくる。
ごめん、今回はちょっと約束できないんだ。
「石川鶴様、御到着です」
案内の武士に連れられ、会面の間に入る。
そこには、浪岡の武士たちがずらりと並んでいた。
明らかに重臣クラスの、身なりの良い武士ばかり。
(えぇ、なに、どういうこと、めっちゃ歓迎されてる?!)
これは想定外だ。え、なに、何かの会合とかがあったのこれ? お邪魔しちゃった?
面食らったがビビッているわけにもいかない。俺は胸を張って部屋に入り、座って一礼する。
正面に座る男は、柔和な笑顔を浮かべてこちらを見ている。年は三十代後半だろうか。どちらかと言えば丸みを帯びた顔立ちに、特徴的な太眉、細い目。左のこめかみあたりから顎にかけて一直線に傷跡が走っている。
言い知れぬ迫力を持った男――それが、浪岡北畠氏当主・浪岡具運に抱いた第一印象だった。
「お初にお目にかかります。石川左衛門尉高信が一子、鶴と申します。このたびは浪岡様にお会いでき恐悦至極に存じます」
「浪岡家が家督、浪岡式部大輔具運だ。石川様の御息男に会えたこと、こちらも喜ばしく思うぞ」
具運は笑顔を深めた。
「一度会いたいと思っておった」
お、どういう事? そんな名前を売るようなことをした記憶は無いんだが。
「はて……お会いしたかったとはどういうことでしょう?」
話を広げるためにも素直に問いかけてみる。すると、具運は笑みを深めた。
「御身は浪岡で少々噂になっておるのだよ」
「どういう事ですか?」
「蜂蜜よ」
苦笑めいた声がするりとこぼれる。
「若輩の身でありながら蜂を操り、蜂蜜を大量に得る法を見つけ、自分の生家や石川を豊かにしたと言うではないか」
蜂を操りって。なんでそんな話になってるんだ。
「いえいえ、そのような大それたことをしたことをしたわけではありませぬ。蜂飼いがたまたまうまくいっただけのことです」
「そなたの蜂蜜、ワシも食べておるよ」
「御所様のお口に合いましたのであれば恐縮です。実際に蜂蜜を取る者たちも喜びましょう」
「どうやって蜂を操ったのじゃ? 儂らも叶うならやってみたいくらいじゃ」
それはちょっと企業秘密だからなぁ。
「何せ我が家中は今や御身のおかげで蜂蜜が食べられるとあって、いつ蜂蜜の下賜があるのかと逸る者ばかりになってしもうたからのう。今日も南部からの贈り物が来ると聞いて、こうして集まってきた者たちばかりじゃ」
なぁ皆の衆、と具運が話を振れば、「然り然り!」と笑い声が生まれた。冗談だろうけど、蜂蜜につられる浪岡家中、それでいいのか? この時代に甘味は貴重だからこの反応も無理ないのかもしれないが。
「――本当に蜂を操るなどという術は俺にもできませぬ。蜂の生態――彼らの生き方を良く知ればおのずと工夫は生まれました」
「ほぅ、生き方とな」
「人より単純ながら、彼らにも一匹一匹それぞれに生き方がございます。彼らがどう動くか、彼らを動かすものがなんなのかを子細に調べれば、自ずと方法は見つかります。俺は他よりも少しだけそれを早く知っただけです」
「ほう、蜂の理と言う事だな。それに気づくことが出来るとは、見識をお持ちだ」
「見識などと。お世辞が過ぎるというものです」
そう言うと、具運はさらに笑みを深くし、愛おしげに言う。
「お若い鶴殿はまだ分からぬかもしれないが、物事の理を見つけられるのも非凡の証。その理を仕組みにして形に出来る者はさらに一握りじゃ。その資質、お大事になさいませ」
実際には見つけたわけじゃなくて、知ってただけだけどね。
「まずは我らの家の者を紹介させてほしい。せっかく家の面々が集まったのじゃ」
具運は上座に座る中年男に振った。
「我が一族、叔父の浪岡具信じゃ」
「河原御所・浪岡大弼具信じゃ! 石川の御曹子殿、儂も蜂蜜を馳走になっておるぞ、儂はあれが大好物でな」
もじゃもじゃの顎髭豊かな、大きな地声で快々と笑う男だ。その名前に自分は少し反応する。
(浪岡具信って、たしか具運を殺す人じゃなかったっけ?)
――今から三年後、永禄五年に、浪岡家では大きな事件が起きる。
河原御所の乱と呼ばれるそれは、浪岡具運に不満を持った一族が当主・具運を殺害、その一族親子も切り殺され、浪岡家が衰退する契機となった事件だ。
具運を殺害した一族の名が、具信だ。
「今回も蜂蜜を持ってきてくれたのだろう? 楽しみにしているぞ」
「叔父上は食べ過ぎですよ、あまり蔵から持っていかないでくださいませ、肥えてしまいますぞ」
具運が苦笑交じりで言えば、具信が口をとがらす。
「いいではないか、その分太らぬようしっかりと動いておるわい」
未来で対立する当事者二人が、こんな風に並んで座って仲良さげに会話している――歴史を知るが故に奇妙に感じてしまう光景だった。
「叔父上、蜂蜜は大事な付き合いの品です。勝手に持っていくのは遠慮なさいませ」
具信の次席に座っていた男が咎めるような口調で苦言する。具信は口端を上げて男を睨む。
「多少持ち出したことで困るようなことでもあるまい。お前こそ付き合いのためといって蜂蜜を使いすぎだ。浪岡が貰い物の甘味で釣っていると軽くみられるぞ」
「叔父上は取次の苦労を知らないから――」
「これこれ御二方、このような席で口論などなさいますな。――こちら私の弟、浪岡顕範です」
具信の次席の男が所作も美しく頭を下げる。細面の凛々しい好男子、という感じだ。
「失礼しました、浪岡顕範です。御曹司殿の蜂蜜は好評でございますぞ」
「顕範は他の家の取次も務めていてな、蜂蜜はその良い贈り物になっておるのだ」
取次、つまりは他の家との外交交渉を担う実務担当者のことだ。この時代、種々の贈答はとても重要で、石川家でもこうして蜂蜜を浪岡家との贈答に使っているように、浪岡家でもそういう事に使っているようだ。
「今年は凶作で収穫も少ないゆえ、来年の初頭には飢疫が起こる事でしょう。蜂蜜は薬としても必要になってきます。とても助かります」
飢饉が起きた年は疫病も流行る。食糧不足で飢えて抵抗力が無くなった者は感染症にかかりやすくなる。そして次々に病気が広がっていくのだ。この時代、蜂蜜は滋養強壮の薬としても使われる。顕範の感謝は切実だった。
それはそれとして、なんだろう、めっちゃ褒められるのは嬉しいけど、本業ではない蜂蜜で褒められるのはなんか複雑だ……。俺は元々メインは米農家であって、蜂蜜は家族と副業で少しやったきりなのだ。
しかし蜂蜜が好評なら、逆に考えればこれは武器になるかもしれない。
浪岡家中の紹介を一通り終えて、具運は手を叩いた。
「さ、宴と参ろう。今日は良き日だ。未来の南部を担う武将ぞ、ぜひぜひ御身らの戦の心得を教えて差し上げろ」
まだ昼前だけど、この時代の武士という奴らは暇ならば普通に酒盛りを始めるので始末に負えな……もとい、享楽に旺盛だ。
って、いかん、贈答品の件をまだ話していない。
「あ、それでしたら御所様! まずこちらをお納めくださいませ!」
俺は慌てて金浜に目配せをして、父高信からの書状と贈答品を差し出した。
「おお悪いな御曹司殿、ついつい気が逸ってしまった」
俺は二つの贈答品の説明をすることにした。
ひとつは何の変哲もない太めの土瓶に入った飲み物だ。
俺は酒枡に酒を垂らしてみせる。口からはちみつ色をした液体がとろとろとこぼれる。
「ほう、茶色いな」
まず自分がひと口飲んで見せ、さらに毒味役の方にお渡しする。
毒味されて安全を確認した酒は、具運の手に届く。茶色いその酒を具運はしげしげと見つめる。
「蜂蜜酒、南蛮ではミード、というそうです」
「みいどとな。では南蛮由来の酒なのか?」
「南蛮では盛んに作られていますが、作り方は普通の酒と変わりありません。少々甘いですが立派に酔うことが出来ます」
「……ほう、甘く芳しいの」
「美味いぞ、この酒!」
具信がさっそく蜂蜜酒を呑んでいる。
「確かに甘いが、甘いだけではない、酒精の苦さも合わさって独特の風味ぞ。これは酒好きのする飲み物だな」
「ふーむ、しかしこれは好みが分かれそうですな」
これは顕範の言葉。
「しかし今年は米酒も稗酒も数が揃いませぬ。こうやって蜂蜜でも酒が造れるなら代わりになるかもしれませんね」
飢饉の影響は、やはり浪岡でも大きいらしい。
「そうだな。それにこの味、女子たちは好きかもしれんな。後で明子にも呑んでみてもらおう」
明子、の名前にぴくりとする。具運の奥さんだ。
そして、もしかしたら未来から来た人かもしれない、と俺が接触を考えている人物。
「それからこちらは、さらに貴重な品でございます」
貴重、の部分をことさら強調して差し出す。
その蜂蜜は、少し黒々として濁っている。いつも浪岡に献上している蜂蜜は『たれ蜜』と呼ばれ、その名のように垂れてきた蜂蜜を繰り返し漉した澄み切った蜂蜜なので、正直見栄えは悪い。
「これは、蜂蜜のようだが……」
「これはにごり蜜と申します」
「にごり蜜?」
「はい、普通の蜂蜜は巣から垂れる蜜を採取しますが、これは巣ごと潰して蜜を搾り取ったものです。そうすることで、巣自体に含まれる栄養素まで含まれた滋養に良いものとなります。中でも王乳はとても健康に良い栄養です」
「王乳とな?」
前置きして、滔々と説明する。
「蜂にはその要となる女王蜂という存在がおります。数多の蜂はこの女王蜂の指揮の下、巣を運営するのです。女王蜂は生まれたばかりの時は他の蜂と変わることはありません。それがなぜ女王蜂になるのかご存知ですか?」
問いかけに、浪岡のご家中は首をかしげる。
「女王蜂が女王蜂になるには、この王乳が関わってくるのです。王乳をエサとして食べた幼虫のみ、他と違う成長を遂げ、他よりも体の大きい女王蜂となるのです。そして女王はこの王乳を生涯食べる事になります」
「ほう」
「この王乳は、ほかの蜂蜜よりも体に良い栄養が満ち満ちております。唐国では薬として珍重されています。そしてほんのわずかしか取ることが出来ません」
「どのような薬効があるというのじゃ?」
「毎日少しずつ食すことで、体の弱っている者があればすこぶる滋養に良いものとなります。女性の方なら手冷え足冷えの方もおられるでしょう、そのような症状の方にもこれは効くのです。ただ残念ながら、食するほど採るのは困難なので、巣ごと蜂蜜に混ぜております」
王乳――ロイヤルゼリーには自律神経を整えたり、冷え症への効果が確認されている。ローマ法王を回復させた、とはロイヤルゼリーを宣伝するときによく語られる逸話だ。
本当はロイヤルゼリー自体を贈りたかったのだが、日本ミツバチではこれを採取するのが生態上難しい。出来ないわけではないけど量を生産できなくて割に合わないのだ。なので、ロイヤルゼリーの入った巣ごと丸ごと絞ってしまうという方法を取った。
「特にこれは女性の方に効果を及ぼします。これは奥方様にも御贈りいたしますので、ぜひ試してみてくださいませ」
俺はさらに書状を三通取り出した。
――この書状の一通には少しだけ、仕込みをしている。
「こちらが薬効と使い方を書いた説明書になります。一通は奥さま宛てになっております、読んだうえでお食べください。あくまで薬ですので、食べ過ぎては逆に害になりますのでそこはご注意ください。もし気に入っていただければ、御所様には蜂蜜酒やにごり蜜を改めてお贈りさせていただき、他の方々にも安価に売らせていただきます」
「ほっほ、商人のようなことを言う事」
「蜂蜜を作って売ったり譲ったりしていると、一銭を稼ぐ労苦というのにも敏感になるものでして」
具運の軽口に軽く返す。そう、一銭でも多くの銭を手に入れるために自分はここにいるのだ。“現代”の農家は作物の職人であるだけではなく、商売人としても立ち回らなければならないのだ。
「商人くさい事を言ったついでに、さらに商人のようなことを申し上げましょう」
ここからが、本番だ。