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第6話 何事を行うにも銭がいる

 机に広げた紙の上に、黙々と書く。

 幾つかの紙の切れ端が、文机の回りに何枚も広がる。時折それを整頓し、また机に向かう。

「鶴丸、ご飯よー」

 ね子さんの声が頭の片隅に聞こえた気がしたが、結局それに意識が向かず、書き物を続ける。この時代に来て、筆で文字を書くのも慣れたものだけど、数字表記だけは漢数字がどうしても慣れない。やっぱりアラビア数字のほうが便利な気がする。


「鶴丸ー、何してるの。はやく来なさい」

 ね子さんがひょっこり顔を覗かせて、ようやく意識が途切れた。

 窓の向こうの空を見上げると、太陽はずいぶんと高い場所にある。もうお昼のようだ。

「ああ、すみません。いま参ります」

 軽く片づけをしていると、ね子さんがばらまかれた紙の一枚をつまんだ。

「こんなに紙を使っていったい何を書いてたの? 高かったんじゃないの?」

 紙は津軽においてはなかなかの貴重品だ。日本海航路を経て紙が運ばれてくると、身分の上下を問わず購入者が現れて飛ぶように売れる程度には不足している商品なのだ。書状用の高級紙はある程度ストックしているそうだけれども、それもなかなかの費えになるとか。


「……思案がありまして、それをまとめておりました」

「思案?」

 ね子さんは首をかしげたが、すぐに一人で納得すると「ひとまずご飯にしましょう」とつまんだ紙を返してきた。基本的に息子の考える事はよくわからない、という人なのだ、この人は。

 そんなスタンスなので普段は(よほど危ない事でもしなければ)何をやっても特に口を出されることもなく気楽なのだが、今はちょっと不安がある。


(この人を、納得させないといけない)

「――母様、お話があるのですが、後でお時間をいただけませんか?」

「あいに?」

 とね子さんはまた首をかしげたが、「お仕事の後ならいいわよぉ」と返事してくれた。


 ちなみにお昼は雑炊と田んぼで採った川魚の塩焼きだった。

 その後、ね子さんの所用が終わる頃を待って彼女の部屋に出向く。

 ね子さんはにこにこと編み物を繕っていた。去年自分があげた綿入れだ。津軽地方はとにかく寒いので、冬場の寒さを少しでも和らげようと思って作ったのだ。木綿は寒い北国では栽培していないので輸入品にならざるをえず、値段は相応に高かったが。

「ああこれ、去年お前からもらったんだけど、今度おじいちゃんに『鶴丸からの贈り物』だってあげようと思ってね」


 おじいちゃん、とは鶴丸の祖父――つまりね子さんの父、木庭袋(きばくら)一心斎(いっしんさい)のことだ。津軽木庭袋一族の裔であり、地域の片田舎を拓いてそこを領地する小豪族だ。

「今年は寒いでしょう? おじいちゃんももう年だし、孫からのもらい物ならあの頑固者でも素直に受け取ってくれると思って」

 ね子さんは苦笑する。

「今年はおじいちゃんの領地も大変なようだけれども、お前の蜂蜜のおかげで来年くらいまでは越せそうだって言ってたわ。今度顔を見せに行かなきゃね」


「母様……その蜂蜜のことで、お願いがあります」

 俺は居住まいを正してね子さんを見つめた。ね子さんはいつものように首をかしげる。

「――石川の城で上がっている蜂蜜の売り上げ、少しの間自分に預けてもらいたいのです」

「あら」

 ね子さんは首をかしげた。


 いわゆる養蜂箱を作ったのは自分だが、石川城に設置されている養蜂箱は、名義は俺――鶴丸として、その管理と運用はね子さんが行っている。ね子さんはその蜂蜜を高信に献上し、残る分を付き合いのある方々に販売していた。それによって生まれる銭は年間数十貫以上の規模になる。

 子供一人には多すぎる大金だ。子どもの分際で何に使う気なのだと怪しまれるだろう。

 だが、これがなければ、自分がやるべきことはできない。


 ――ここ数日、考えたのだ。今の自分が出来る事を。

(甘すぎたんだ)

 自分が多少未来の農業知識を持つからといって手をこまねいていた。

 この時代は、未来よりももっと苛酷だ。それがわかっていれば、もっともっと自分の技術を活かせたはずだ。来年から田を借りて実験してみよう、というのは悠長にすぎたのだ。

 すぐに始めなければならない。やるべきことはたくさんある。

 将来にも飢饉は起こることを、自分は知っている。しかも直近に。


 永禄八年。いまから六年後。


 この年は全国的な冷夏となり、津軽の地においても、今年を超える大凶作となることが歴史上確定している。

 それまでになんとか冷夏を越えられる米を、この地で作れるようにならなければならない。その技術を津軽に、北奥羽の地に根付かせなければならない。

 そうして、俺は紙にひたすらこれからやるべきことを書きなぐった。

 これが、第一歩だ。


「これは、自分が事を成すためにどうしても必要なのです。一年でかまいません、どうか――」

「いいわよぉ」

 言い終えるより先に、ね子さんの返事がひょっこりと返ってくる。

「お前のことだからお遊びに使う事もないでしょうし」

「……いいのですか?」

「元々お前が考え出したものだし、本来の持ち主もお前なのだからね」

 ……あっさりと許可が出てしまう。どうしよう、色々説得の言葉を考えてきただけになんかいたたまれない気分。

「あ、けど使った分の報告は頂戴ね。あと雇人の給料分は残しておく事。あと今年は米を買う銭が必要になるから、その分は残しておく事」

「こ、心得ました」


「……鶴丸はお金が必要なのね?」

「……はい、大金が必要なのです。この国を成す銭が」

「国を成す……? ねえ鶴丸、鶴丸が成したいこと、それが成ったら、いったいどうなるの?」

 ね子さんは問う。俺はまた背筋を伸ばした。真剣に返さなくてはならない問いだった。

「――この国がもっと豊かになります、飢人が出ても人を売らなくて済むくらいに」

「ふぅん、そう。どうやるか分からないけれども、頑張りなさい」

 ね子さんはにこにことそう言った。

「……はい、ありがとうございます」

 俺は深々と頭を下げた。


「だったら、ひとつお仕事をしてもらおうかしら。上手くいけば、少し銭を多くいただけるかもしれないわ」

「――ぜひ、やらせてください」

 内容も聞かずに、俺は答えた。

 今の自分には銭が必要だ。そのためならなりふり構っていられない。

「それで……そのお仕事とは」

「簡単な事よ」

 ね子さんはころころいつものように笑った。

「浪岡の御所様に、蜂蜜を献上しに行くの。その時、御所様にお願いしてごらんなさい」




 南部の支配下にある津軽には、在地勢力として大きく三つの勢力がある。

 久慈南部氏を祖とし、鼻和郡を支配する大浦(おおうら)南部氏。

 三戸南部氏を祖とし、平賀郡を支配する大光寺(だいこうじ)南部氏。

 そしてもうひとつの勢力は、南部氏とは出自を異にする浪岡北畠(なみおかきたばたけ)氏だ。


 南北朝の時代、陸奥鎮守府将軍として奥羽全体を支配した北畠顕家(きたばたけあきいえ)の一族が、時を経て津軽浪岡城に居を構えてたのがその始まりだ。

 彼らは『御所』と尊称され、奥法(おきのり)郡や田舎(いなか)郡、陸奥湾沿岸の外ヶ浜(そとがはま)などを支配し、南部氏支配下のこの津軽にあって独立した地位を持ち、南部氏や、南部氏の仇敵である安東氏とも友好関係を持つ、重要な一族なのだ。


 石川は南部氏の窓口である以上、浪岡とも交流がある。実のところ、蜂蜜もちょっとそれに絡んでいる。

 蜂蜜はこの時代、高級品だ。高信はそれを重要な外交商品として方々に贈答品としてばらまいていた。特産物は使うに限る。

 浪岡御所に対しても、蜂蜜は献上品として少量ながら贈っているのだ。

「殿には許可を取っておくから、貴方が使者となってこの蜂蜜を納めてきなさい。そこで献上品とは別に販売する機会があるなら、売ってくればいいじゃない」

 普段はこういう贈答品を持っていくのは石川の家臣の役目だが、今度は俺に行けと言う。

(ね子さんの温情だな)

 俺はね子さんに感謝する。ようは自分で結果を出す機会を与えてくれた、と言う事だろう。まだ十歳の子どもになかなかスパルタだが、失敗してもまあいいや、くらいに思っているのかもしれない。




「そうだな、元服前とはいえお前もそろそろ政事を学ぶのも良いだろう」

 高信からの許可はあっさりと出て、あれよあれよという間にちょっとした使節団のような編成が出来た。名目上のトップを俺・鶴丸として、補佐役に金浜がつく形だ。

 座視できない情報を聞いたのは、諸々の準備を聞いていた時だ。


「御家督様の娘御にもご挨拶をせねばならないからな、ちょうどいい。書状を書くから持っていけ」

「御家督様の娘御、ですか?」

 御家督様とはどの御家督様だろう? と首を傾げれば、高信も逆に首をかしげた。

「なんだ知らんのか。浪岡御所の嫁は、御家督様――南部晴政の娘ぞ」

(えっ、ちょちょちょ、ちょっと待って?!)

 俺は思わず声をあげるのを必死で抑えた。


 俺の驚き振りが面白かったのか、高信は笑った。

「明子様と言ってな、お前にとっては従姉にあたるな。といっても、年齢は親子ほども離れているがな。去年子どもが生まれたばかりだ。津軽郡代としては、ご機嫌伺いの土産も送らねばならんだろう」

 この情報になぜ驚いたかといえば、

(浪岡北畠家に嫁いだ晴政の娘? 聞いたことないぞ?!)

 ――三戸南部氏当主・南部晴政には、“現代”まで残った記録上、娘は五人いる。

 その五人の娘はいずれも南部家内の領主に嫁いでおり、北畠氏に嫁いだ娘は、居ない。

 居ないはずなのだ。

 俺もそう思い込んでいたし、浪岡北畠家の家族構成にも特に気を配っていなかったので今の今まで気づかなかった。


 歴史に記録されていなかった女子がいた可能性もある。いや、それよりも。

(もしかして……俺みたいな?)

 自分と同じ、歴史の史書には存在しない人間がこの時代に転生した――そんな可能性に思い至って、俺は震えた。

(会ってみなきゃ)

 自分の想像が合っているかは分からない。違うなら違うで別に害もないのだからそれでもかまわない。


 けど、どうやって意思疎通すればいいだろう。

 相手は一郡主の妻なのだ、石川高信の子どもとはいえ簡単に会える立場ではないし、どうやって相手が“未来の人間”なのか確認する方法だって必要だ。いきなり「貴方は未来から来ましたか?」と聞いたっていかに子どもと言えど不審人物だ。

 だが、浪岡家に行く理由がまた一つ増えたことで俄然意欲が湧いてきた。

 それに、もし浪岡の当主が未来人なら、その縁から色々協力を求めやすくなるかもしれない。


「親父殿」

「お、おう、どうした?」

「此度の役目、しっかりと全うしていきたいと思います」

「急にやる気になりやがったな、ま、意欲があるのは良いことだ、きちっと決めてこい。金浜、こいつの補佐、しっかり頼むぞ」

 横で聞いてた金浜が、話を振られて苦笑交じりに答えた。

「鶴様がお役目を全うできますよう私がきちんと指導させていただきます。お任せあれ」

 おいまて、なんで何かやらかす前提なんだよ。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 御家督様(南部晴政)の娘が主人公の従姉ってことは、高信パパと晴政は兄弟? [一言] 叔父甥説採用してると思ってた。
[気になる点] >その縁から色々協力を求めやすくなるかもしれない。 逆に排除されるかもしれないのでは…?
[良い点] 読みやすく面白いです。 更新楽しみにしています。
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