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第54話 太守の感想と備荒蔵

 鶴と信直が席を辞して、晴政と高信、ふたりきりになった席で、晴政は青年たちの去った後を見ながら、しみじみとこぼした。

「……ありゃあ面白いな。欲しいぞ」

 晴政の言葉に高信は顔をしかめる。

「兄者……今更十郎までやるつもりはないぞ」

「十郎殿は異才だ。異才は使える場所を誂えねばならん。手元に置いて御するしかないぞ」

「大事にするさ。だが、譲る気はない。あいつには津軽領を継がせる」

「ほう。悪い領主にはならんと思うが、あの津軽を治められるほどの器量はあるか?」


 津軽は難治の土地だ。浪岡・大浦・大光寺をはじめとして、大小多くの国人・土豪が寄り集まり、であるがゆえに我が強い者たちが集まる土地だ。

 『強情張り(じょっぱり)の国』

 頑固者が多い奥羽(おうう)においても、一等気質が硬く直情の者が多い津軽を、津軽人は自らそう呼ぶ。それらが自らの思惑の為に策動する津軽は、南部領全体の中でも一等神経を使う土地だ。

 三戸南部氏はその津軽の点と点を抑えることでようやく支配しているにすぎない。いつ支配が崩れるかもわからぬデコボコの寄木細工のような土地を治めるには、相応の器量が必要になる。

「まだ難しいな。だが、あやつの才覚は伸ばせる。今回の浪岡の件でそう確信したよ」

 津軽全体を俯瞰して、現在起きていることを正確に把握できる理解力。浪岡と河原の両御所を相手に交渉を持ちかけ、それをまとめようとする力。自分の力不足を素直に認めて、使える力を最大限使おうとする柔軟な思考。何より、『鹿角謀反』という手に入った情報を利用して、高信を半ば謀る形で味方につけるだけの小賢しさもある。高信は今回の件の慶信を評価していた。


「十郎殿は見えているものが他人と違う類の人間だ。武士でも農民でもない目をもって世を見通しておる。従う武士は十郎殿のことを理解できず、きっとすれ違うぞ」

「だからあいつには言っておいたよ。武功を上げよ、とな」

「なるほど、武士としての振る舞いも実力も手にしろと。十郎殿は大変だな」

 晴政の同情するような溜息に、高信は笑う。

「あいつ、石川の地下(じげ)からの評判は悪くない。何せ親身になって農事の手伝いに努めているからな。侮られんかと思ってはいたが、その辺はお付きの金浜がある程度手綱を持っているようだ。地下からの評判が高いのは良いことだよ」

「侍どもには舐められそうだが、まあよかろう。逆に言えば舐められんほどの評価を今後得られれば、十郎殿は安泰だな」

「そこが難しいとは思うがな」

「そこは武名の誉高き石川高信の息子だ、期待しておるよ」


 晴政は白湯を呑み干し、中の梅干しを種ごとごりごりと噛み砕いた。

「十数年前、京の都に上洛した時にな、道端の田でそれは重そうに実った稲を見ては羨んだものよ。豊穣の地というのはこういうことを言うのだと思い知ったものだ。物の量も、品目も、それが生み出す豊かさも、この国とはけた違いだ。この国は五穀には恵まれておらん。それを突きつけられたようで正直気落ちしたものよ」

 晴政は目を細めた。

「糠部には馬や砂金がある、とうそぶいたが、ワシのそれは強がりだ。だが十郎殿は強がりではなく、ただ単なる強みのひとつとして見ておった。十郎殿には、この国がもっと五穀に、特にコメが満ちた未来が見えているのかもしれんな」

「どうだかな。むしろこの地の難儀さの方が見えているようだが」

「はは、難儀な地か、そうかもしれん。……だが、正直心動かされたよ。五穀が安定して採れるならば、この国の豊かさに繋がると」

「……あまり期待しすぎるな。あいつも言っていただろう、あくまでこれはゆっくり慎重に進めていくべきものだ」

「そうだな……だが、我らも良い年だ、次代の若者の将来を固めてやるのもいいかもしれん、と思ったよ。……それが我が実子でないことだけは癪だがな」

 晴政はため息をつき、高信は何も言わなかった。

 晴政には娘は複数いるが、息子が居ない。家の安定に心血を注いできた晴政にとって、それは傷であり続けた。


「……高信、ふたりに例の話はしたか?」

「信直には内々に話した。十郎にはまだだが、元服するからには遠からず話すことになるだろう」

「そうか。まだ話し合いはしているが、大筋では決定したと思ってくれていい。全てが揃い次第、正式に申し入れる」

「承知した。こちらも準備を整えておく」

「南部領の将来が楽しみになる時間だったよ」

 晴政が疲れた顔にうっすらと笑みを浮かべて言った。




「国を豊かに出来る方法には、こういうやり方があるのだな。久しぶりに度肝を抜かれたよ」

 控えの間に移動した信直は、渡したプレゼン資料を読み返しながら楽しそうに聞いてくる。

「元となっているのは武家というよりも篤農家から出てくる発想ですからね、目新しいとは思います」

 この時代の武家というのは、江戸時代と比べても〝政治〟の範囲がまだ狭い。あくまで戦うことが本分であり、民政に関してはやはり薄い。

「ところで、先ほどちらっとだけ触れていたが、兵糧蔵(ひょうろうぐら)の拡充というのは?」

 信直が資料の最後の方を指して聞いてくる。そこには『兵糧蔵の拡充:兵糧蔵を拡充し、飢饉の際にこれを開けて提供する』とだけ書かれている。

「兵糧蔵を飢饉の際に開けて飢えを凌がせる、というのは今までもやってきたことだ。今からこれを拡充するというのはどういう理屈なんだ?」

「あー、本当はね、兵糧蔵じゃなくて、備荒蔵(びこうぐら)を新たに設置したかったんです。飢饉の時以外には絶対に開けずにする飢饉専用の蔵です」

「なんと、しかし、それは……」

「兄上、無理って思いましたよね?」

「……そうだな、それは無理だろう」

「俺もそう思いました」


 備荒蔵は収穫の一部を倉に納めて、飢饉の際にはそれを開放して領民を救うための仕組みだ。

 江戸時代にも備荒蔵の制度はあった。だが、その運用は必ずしも上手くいかなかった。その理由は幾つもあったのだけれども、それらとは別に、そもそもこの戦国時代に可能だと思えなかったのだ。

 何故かと言えば、大名や武将が徴収した米は、『兵糧』の名前の通り、軍事物資として扱われ、また換金して資金源にもなる。

 備荒蔵は基本的に、飢饉の時のみに蔵を開く、領民救済のためだけの用途を限定した仕組みだ。だが、この戦国時代において、一定量の食糧を貯めこんだとして、為政者がそれを使わないと自制できるのか、そもそも疑わしいのだ。

 戦国時代の領主というのは頻繁に軍を動かす。軍を動かせば食料も大量に消費する。銭も飛ぶ。大名の財政というのはよほど豊かな家でもない限り常にカツカツだ。


 そんな時に、全く手つかずの米が蔵に貯めこまれていたら。その兵糧があれば軍を動かし、軍需物資を買うことが出来るならば。一地域を治める領主がそれに手を付けないということがあり得るだろうか。しかも蔵の中身を横領するような非法を犯したら罰せられる〝現代〟の日本と違い、法的な規制も未熟で、最悪領主が権力によって約束事を踏み倒してしまうことだってできる。戦国時代とはまだそういう時代だ。

 もちろん、法の縛りを作ることは出来るが、それを罰するだけの軍事力も未熟だ。例えば八戸家のような勢力を持つ親類一家が、法度を破って備荒蔵を使ったとして、それを征伐できるほどの力が三戸家側にあるか、といえば無い。そもそもその法を八戸まで適用させることが出来るほどの権力が無い。備荒蔵の制度を適用させるにしても、せいぜい三戸領内になるだろう。


 法的な強制力を持たせるには、領主と村々がそれぞれに契約を結び、飢饉の際には備荒蔵を開く、と領主が約束する必要があるが、領主がそのような約束をするモチベーションもない。単純に領主の側に利益が無いし、そのような領主が不利になるような契約を何故結ばないといけないのか、となってしまう。約束をした以上履行しなければならないが、仮に大飢饉が発生して備荒蔵のキャパシティを超える食糧不足が発生して救済を履行できなかった場合は、領民たちの不満が高まり領主に向いてしまう事態もありうる。

 そういう意味で、用途を限定した備荒蔵を設置してもトラブルの元にしかならない。であれば、用途を絞らない兵糧蔵を拡充して無理のない範囲で備穀を増やし、飢饉が起こった際に出来るだけ出せる米を増やす方法の方が現実的なのだ。

 それはそれとして、石川領の兵糧蔵は既に拡充の準備をしているのだが。


 ちなみに、同じ理由で不可能と判断した制度がもうひとつある。いわゆる共済(きょうさい)制度、日本の古い言葉で言えば無尽講(むじんこう)頼母子講(たのもしこう)だ。

 〝現代〟の日本では、稲をはじめとする作物には農作物共済、家畜には畜産物共済というものがある。普段農家から共済金を集め(国も半分程度を負担して)気象災害や火災・鳥獣害が発生した際に、被害規模に応じて一定の共済金を払う仕組みだ。〝現代〟の農家が困窮に陥らないための制度として、特に戦後の日本において重要な役割を果たしてきた。

 だが、これは平和な時代ならともかく、戦時が続くこの社会においては難しい、と判断せざるをえなかった。

 まずひとつが備荒蔵と同じで、共済金を集めて管理する主体は、恐らく村落の自治組織やあるいは地頭・領主となるだろう。そういった立場の人間が、戦乱などによって不意の出費を強いられた時に、その共済金を農家救済以外の用途のために使用しない、という信頼や法の裏付けが――さらに言えばそれを強制させる権力の裏付けが――そもそも無い。使い込まれて飢饉の際に金がスッカラカンだった、ということにもなりかねない。

 それに、仮に上位権力がこのような制度を作って下に押し付けようとしても村々や地頭はそれを政治介入と捉えて反発するのは確実だ。

 国として共済制度を広めるには、南部領全体の公権があまりに未熟で流動的なのだ。


「……鶴はどこからそんなことを考え出してくるんだ?」

 備荒蔵や共済制度の仕組みと限界について説明したら、信直は大分呆れたように言った。

「農家をどう救済するかを考えていれば、色々案自体は浮かぶんですよ。浮かんでもだいたいは実現性は薄いんですが」 

 〝現代〟の手法や制度をそのまま戦国時代に持ち込んでも成功するわけがないので、だいたいはアイデア倒れで終わるのだが。

「こういう制度は、我らが武器と振るうことが無くなる位無事(へいわ)になった時にきっと出来るんでしょうね」

「戦が無い世、ということか。なかなか見果てぬ話だなぁ」

 信直が、まるでそんなものが来るとは信じてないと分かる、気の抜けた苦笑を漏らす。その未来は近くなんですよ、とはさすがに言わなかった。


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