第53話 安定と豊かさ
晴政はこちらに対して本気で問うていた。
俺の技術は恩恵ではなく、破滅をもたらす凶事なのではないか。
それを見極めたい、と考える太守の問いに、俺も深呼吸して息を整え、応える。
「……ご賢察です。確かに、これらの技術は変化をもたらすでしょう。そしていきなりこれらを性急に押し付けても、様々な混乱を起こします。全てを早急に取り入れるのは、俺も望んでいませんし、無理です。ですが、保温折衷苗代とその周りの技術については、早急に広げなければなりません」
「それはなにゆえ」
「いつ来るか分からない、でも必ず到来する冷害や干ばつに際して、餓人を一人でも少なくするため。それは急ぐ理由として充分と思っています」
あと三年後に冷害は必ず来る――そうとは言えない以上、言葉を重ねて説得するしかない。
「冷害は、この土地では必ず起こります。十年後来るかもしれない。三年後来るかもしれない。もしかしたら今年かもしれない。でも、それは必ず起こります。それは長く寒い冬と、寒い夏を呼ぶヤマセをいただくこの奥国の、宿命です。
稲は上手く育てば他の作物よりも収量多く高値で安定的に売れる。その性質は他の作物には代えがたいものです。ですが、寒さに特別強いというわけではありません。ひと月後に冷害が起きるかどうかなど分からないのに苗を植え、育てなければならない。冷害が起きれば減収し、下手をすれば飢える。しかし、農家は生活のため、生きるために稲を作り続けなければならない。その状況を少しでも変えたいのです」
冷害が来ると分かっているなら、寒さに強い作物を作ればいい、とは言うし、それはある程度正しいと思う。だがそれは、稲作に不向きな土地にあって、『博打』と呼ばれるほど大きなリスクがあると分かっていながら稲を作り続けた理由を無視している。
それは、この時代、米ほど高く売れて、保存性が高く、かつ収量も多い〝主食〟は、この時代にはまだないからだ。
津軽では白米なら一反につき玄米で二俵ほど、〇・八石程度収穫できる。赤米ならさらに二割ほど少ない。
だが、稗を育てた場合、反当収量は精白重量で一俵程度、石高で〇・四石程度だろう。精白しない玄稗の状態なら二俵程度取れるが、稗はその固い頴やもみ殻を剥く必要があり、それを精白して取るとその程度になってしまう。
さらに買い取り額も白米が一石につき約一貫文に対して、稗だと五百~六百文程度だ。
仮に上記の収量で米を売れば、単純計算で八百文になる。稗だと二百四十文になる。一町を所有耕作しているなら米八貫文、稗二・四貫文。
もちろん、あくまで様々な要素を無視した単純計算なので実際にそうなるわけではないけれども、米と稗ではこれほどの差が出てくる。南の地域では反収で一・二~一・五石ほどの収穫を上げるなど普通だし、畿内なら二石は既にざらだ。二毛作が出来る地域ならその分も上乗せされる。その分だけ農民は稼げる。北奥羽では、稲を作ってもまだまだ貧しいのだ。
作物の種類が少ないこの時代に農家に雑穀を作り続けろ、と押し付けるのは、『換金性の低い作物を作り続けて貧しいままでいろ』と農家に押し付けることと同義だ。
農家にだって、豊かになる権利がある。実際、冷害に弱いと分かっていたとしても、農家の稲作に対する欲求は強い。農業で豊かになる方法が、この時代はまだ少ないゆえだ。
米よりも銭になる主食はまだ無いし、高額で換金できるような商品作物もまだほとんど無い。ジャガイモの様な冷害にも強くて主食の補助になるような作物はまだ伝来していないし、馬産を中心とした畜産業はあるが、肉食文化が忌避されるこの時代ではこれ以上の大規模な食糧産業にはなり得ない。この時代は、あまりにも米に代わる選択肢がないのだ。
その年の冷害が終わっても、生き残れば生活がある。少しでも稼ぐために、今後もこの北国の民は、たとえ政治が止めたとしてもリスクを勘案しながら稲を作り続けるし、政治もまた米に頼るがゆえに稲作を推奨する。
これらの問題を解決する方法のひとつとして、稲が栽培されることを前提に、稲が寒さに強くより収量が増える農事改良が必要なのだ。
まあ、収量が多すぎて値崩れを起こすいわゆる豊作貧乏なんて言葉もあるからそういうのはまた別に注意しなきゃならないんだけれども。
飢饉の到来は既に三年後に迫っているけれども、これは飢饉が発生すると分かっているだけまだましだ。俺だって戦国時代に発生するすべての冷害を知っているわけではない。未来の気候がどうなるか分からない、いつ冷害になるか分からない将来を生きる上で、主たる主食のひとつの安定性と収益性を高めるのは必要不可欠なのだ。
そして、急がなければならないのは、この土地がそれほどに苛酷であるからだ。
「他の技術については、おっしゃるように、混乱が生まれるのを避けるために、納得した者が受け入れ、村々が納得した上で、そこからゆっくりと広めていく必要があります。ですが、広まるのをただただ待っているだけでは、普及に数十年かかりましょう。それではあまりに遅い。もっと早く広めるためには、様々な後押しが必要です。そして、今すぐには出来なくとも『こうすれば豊かになる』『これをやれば収穫が良くなる』という見取り図があれば、人々はそれに向けて努力をしやすくなります。俺はそれを広めたいのです」
今更の話だ。村々にこういう話を持っていくたびに、さんざん言われたし、困った顔で首を傾げられた。
例えば、水路の作りを変えれば、今まで水利で有利だった圃場が不利になり、不利だった圃場が有利になることもある。今まだ有利だった家からはそりゃ反発されるし、不利だった家も隣人と争うことを厭って手放しで喜ぶわけではないし、水路を建設する負担というものがある。
だが、説明すればその理と利自体は理解してくれる。彼らもプロだし、未知の理屈は知らなくても、経験上から何をしたら稲がどう成長するのかを知っている。その必要性があることも、分かってくれる。
「無理に広める必要はありませんが、人々が健全に豊かになるために、早める必要はあります。だからこそ津軽では乳井福王寺の、農事の知識も豊かな修験者たちの力を借りたのです。信仰を良く知り、民の心を良く知る彼らの口から、新しい技術を広めてもらうことで、新しい技術を受け入れる時に起こる些細な諍いを未然に防いでいくのです」
上から押し付けられて取り入れるのと、自分たちが納得ずくで受け入れるのとでは、理解の深さも違ってくる。命令で『これをやれ』といきなり押し付けられても、人はそうそう動かないものだ。
「そして、政治を行う領主や寺社の側からも、この技術を提供すること、正確には提供できると示すこと、様々に起こる問題も解決できると証明し続けることで、社会の混乱を最小限にしながら、徐々に徐々にこの技術を広めていくことが出来ると考えます。農民の側がこの技術を取り入れたいと思った時に、政治の側が力添えが出来るようにしていれば、農家もそれを受け入れやすくなるでしょう。もしお願いできるなら、信直兄上の母方様の御実家、一方井の修験にもこの技術を提供して、普及の手伝いをしてもらいたいと思っております」
無理に広める必要は、ない。だが、政治の側が文字どおりの意味で推奨し、手助けをする分にはかまわないはずだ。それによって、起こる混乱を最小限にする。
「たとえ一人が納得したとしても、他の作人や村の乙名衆が納得せねば進まぬこともある。それはどうする」
「ひとりひとりに根気よく説得を。この技術に大きな利があることであると、見せ続けるのです。良きものであると語り、方法を広め、作人を少しずつ広める。失敗しても、何が原因かをすぐに特定し、その原因を取り除く術があるのだと伝え続ける。そしてそれを起点として、周囲をまとめていくのです」
「兄者、この者はそれを石川で実践してきたぞ」
高信がまるで自慢するかのように口をはさむ。
「稲刈りが終わると石川領内の村々を回って一軒一軒作人に考えを説き、乞う者には惜しみなく自分の知識を伝え、自分の技術を試している者の田に何かあれば、すぐにでも足を運んで原因を調べておった。元服前の小僧がだぞ? 大人でも、ひとりひとりの作人にここまで向き合っているものはそうはおらん」
意外なサポートに俺は高信を見る。高信はいつものようににやりと笑う。
心強さを得て、俺は言葉を続ける。
「保温折衷苗代は念願の技術です。必ずや広まります」
断言する。夏に寒さが襲いかかり、稲が枯れるこの南部や津軽の地において、稲が枯れ難くしかも収量も多くなる保温折衷苗代は、長年稲作農民に求められてきた悲願でもある。早い遅いはあれ、自分が持ち込もうとしている技術の中では最も早く、そして必ず広まるだろう。今の自分はそう確信していた。
「しかし例えば水利技術であるとかは大きな負担がある仕事です、そう簡単には広がらないでしょう。土地を作り替える必要があったり、算術の知識が必要になるものであったり。そしてそれを行うには、それこそ数十年、もしかしたら数百年もかかるかもしれません。それはじっくりと、その手立てを採れるものや村が採用していけばいいと思います」
「ふむ……」
晴政はじっとこちらの言葉を受け止めていた。続けるように促され、俺は言葉を続ける。
「領内の力の変化に関しては……正直、私がどうこう言えることではないと思います。ですが、三戸が先んじてこの技術を得れば、他に対する優位になると思います。自分はそれより――」
俺は言葉を切った。今から語ることは、あまりに夢物語じみたことだからこそ、なるべく突飛にならないように語る必要があった。
「南部領は、米や五穀は採れづらいですが、馬や牛を多く産します。鉄や金銅などの貴重な鉱物が取れる豊かな土地です。ですが、それだけでは身分の上下全てが豊かになるには足りません。それに、金銀や鉄などの鉱物はいずれ尽きます。様々な産業を興し続け、富貴をこの地にもたらす必要があります。ですが、米や五穀などの肝心の基礎となる主食が安定しなければ、どんなに産業を起こしても、どれだけ強い軍兵を揃えても、それを支える社会が、領国の人々のなりわいが崩壊してしまいます」
凶作によって成長にブレーキが掛けられ、飢饉によって人口が減り、それを立て直すために多大なコストを払う羽目になった。その大きな原因の一つとして、北限にあって安定的な営農――特に稲作が出来なかった点はやはり大きいのだ。
新たな農業技術の普及によって安定的な営農を将来的に達成すること。それが出来なくとも、せめて不作を平年作に、凶作を不作に、大凶作を凶作にまで抑え込むことが出来るようになること。そうすれば、将来の南部領で起こるであろう犠牲を少しでも減らし、健全な産業の成長を阻害することなく、結果として南部領は豊かになることが出来るだろう。
「米や五穀が安定的に取れることは、廻り回って領内の安定に繋がり、個々の地頭様の力に関係なく、その国や地域全体の豊かさや健全さに繋がってくると思います。南部全体の豊かさを押し上げられれば、それは身分の上下を問わず、もちろんどの地頭様にとっても良いことなのではないでしょうか」
「……村々で富栄える者と貧しく没落する者が出れば、それは村の秩序が揺らがしていく。秩序が揺らげば巡り巡って国を揺るがすことにもなる。その危険は看過するというのか」
「いいえ、たとえ今までと同じ仕組みを維持し世の安定を心がけても、社会はどんどん変化していき、揺らぎます。盛者は必衰し貧者は勃興します。それを止めることは出来ません。大事なのは、増えた富をいかに分配し、不平等を減らしてひとつひとつの社会の安定を得ていくかです」
「……我らは、明日をも知れぬ武門だ。明日大軍を催した隣国が攻め込んできたとしよう、そうなれば襲われた村ひとつの秩序などあっさりと消えてなくなってしまう。だが、だからこそ我らは敵に付け込まれぬよう、領内の無事を維持し、明日崩れるかもしれぬ村の秩序に意を配るのだ」
俺は、晴政の在り方がうっすらと分かってきた。
村々の安定に心を砕き無事を維持していく。そのために秩序を律し、それを乱すものを慎重に吟味していく。明日も定かではない世であるからこそ、領内の無事を守ろうと努める。
民情にも通じる、よき為政者だ。
「秩序を維持するのにも富は必要です。富無きまま社会の維持をひとつひとつの村々に押し付けてしまえば、それはそれでいずれ村が崩壊するほころびになります。私の農業技術は村を乱すためではなく、冷害や凶作という、秩序が消えるかもしれない突発的な凶事に対抗する技術とお考えください」
「……恐ろしいことを言いやがる。なんと傲慢な小僧め」
「そうでしょうか?」
「凶作などという、人の力にはおよぶべくもない神仏の領分に戦いを挑もうとする奴が傲慢でなくてなんだと言うのだ」
「俺の提案できることは負けない戦いの術を作ることだけです。冷害に挑んでも勝てませんよ」
「そんなことを考えること自体が傲慢だというのだ。お前の智が世を良くすると疑っていないのも気に食わん」
「自分の知識は一番疑っています。これらを実施して本当に世が良くなるかなど分かりもしません。ただ、冷害に対抗できる術になるということを知っているというだけです。そしてそれを導入したらどうなるか、というのが多少想像つくだけです。いうなれば、ひとではなく、稲が神仏の試練に克つ道があるかもしれない、というだけのことです」
晴政はぎろぎろとした目をこちらにむけて、それからため息を大きくついた。
「……南部の地は不毛と言われて久しい。ワシはそうは思わん。日の本一の馬を産し、良き鉄も、金だって取れる。その富をもってこの地の武士は武を研鑽してきた。
それでも不毛と言われるのは五穀が取れんからだ。広い土地を耕しても、取れる量は他国の七分か五分、上方などと比べれば半分以下であろう。ヤマセが来れば五穀は枯れがちだ。難しい国よ。……お前は、この国でも米がもっと取れれば、他国に伍する豊かな国になると思うか?」
「別に米が取れるだけで豊かになると言うわけではありませんが、豊かになるか、と言われれば、間違いなく、と」
そこは断言する。
南部氏について多少なりとも知っている人なら、その支配地域である南部藩が幾度も飢饉に直面し、一揆が多発した地域である、ということを知っているだろう。
だが、そこからくる『貧しい』というイメージは、江戸後期の飢饉や一揆が頻発した時期のものが固定化して後世に伝わった面もかなり大きい。
江戸初期の南部藩は違った。領内の鉱山から取れる大量の金・銅や豊富な木材資源などを背景として、『富貴諸侯に冠たり』と謳われたほどの豊かな藩であった。
さらに言えば、江戸後期も決してただただ貧しいだけであったわけではない。金鉱が尽きた代わりに銅山と、それからなにより鉄鋼業が勃興し、それは近代の釜石製鉄に連なっていく一大産業となった。俵物をはじめとする水産業が拡大し、その富が還流し、その関連産業も含めて様々な職業が拡大していき、賃金の上昇の下、多くの労働力を吸収した。幕政後期には他の藩の例に漏れず財政難が進んだのだが、その領内は(もちろん上方や江戸の豊かさに比べるべくもないにせよ)当時としてはそれ相応以上の賑わいを見せていたのだ。
その成長を幾度となく折ってきたのが、冷害、大凶作であり、財政難を補填するための課税だった。
それこそだいそれた話だが、南部領の成長を阻害していた要因を減らせたなら。そこまでいかなくとも軽減できるならば、この土地は史実よりものびのびと成長できるのではないかと、未来を多少は知っている者としては思うのだ。
「…………」
「な、面白いだろ兄者」
高信が、むっつりと黙ってしまった晴政にからかうように言った。晴政は渋すぎる顔をして唸る。
「……厄介だぞ、この小僧。ワシらとは見えているものがまったく違う。まったく違う理でこちらを揺らがせてくる、一等厄介な類の奴だ」
晴政は資料の紙をばさばさと振り、高信はそれを笑う。本人を目の前にその評価はあけすけすぎな気がするんだけど。
「それを御するのも御家督の度量だぞ。信直も。弟を御するのはお前だぞ」
高信が今度は信直に笑いかける。信直と言えば、相変わらずの少し困った顔だけれども、どことなく嬉しそうな顔をしている。
「正直、自分がこの内容をどれだけ理解しているか、まだ怪しいのですが……」
信直は困ったような顔をして、
「でも、弟のやることは間違いなく益になると確信できます。それを南部家として支えれば、飢える者も減り、この地は豊かになるでしょう。そう思えば、振り回されるのも悪くないと思えます、それに」
信直は手元の書付けに目を落とした。
「人の世が変わる時に軋轢というものは必ず起きましょう。十郎はそれを最小限にしようと努力していると見ました。その姿勢を我らも共有し、十郎の手助けをするのであれば、その諍いもまた小さく治めることが出来るのではないでしょうか」
俺は兄の言葉に嬉しくなる。信頼してもらえるのは、やはり嬉しい。
「まあ、自分勝手な地侍どもに振り回されるよりはなんぼかマシか……」
晴政は妙に実感のこもったため息をついて俺に向き直った。
「よく分かった。まずはこの保温折衷苗代を広めるよう方策を練ろうではないか。既に今年の田植え準備は進んでおる、今年の田植えにすぐさま導入するということはないだろうが、こちらの土地でやりたいものを募ろう。他の提案についても、検討し進めるよう奉行たちに指示をしておく。先ほど言うておった、修験を使って広める方策は信直殿と相談せよ」
「――ありがたき幸せ!」
山場を越えた――。
俺はこの場での目標を達成したことを確信した。




