第52話 プレゼンの時間
「さて、先ほど言うた『望みの褒美』を言うてみよ」
初陣イベントのフラグが立ったことに内心ため息をついていると、晴政が最後にそう言ってきた。
「鹿角の謀反を察知し、煙硝を作る術を生み出した十郎殿の功績は大なるもの。その褒美に報いたいが、十郎殿には何か望みがあると言う。聞こうではないか」
丸まっていた背筋が伸びる。ようやく、今日の目的の時間だ。
「では……俺の望みは、農事を改良し、それを南部で広げるための許可を戴ければ、と思っております」
「その農事とは」
「その前にこちらを」
俺は一度席に戻って持ち込んだ箱の中から紙を取り出した。
「何だこれは?」
「プレゼン資料、あー、いわば今回の提案をまとめた書付になります」
そう、プレゼン資料だ。紙にして四枚ほど。それが四綴り。内三つをそれぞれに配る。ヨシにわざわざ絵まで描いてもらった代物だ。
「用意周到だなお前……」
全員がまじまじと資料を見る中、高信が呆れて言った。言われると思ったが必要なんだもの、仕方ない。
「農事の改良、それはひとつに保温折衷苗代の普及。今ひとつはそれを達成するための田畑の改良です」
それは、津軽でいつも行っていることをまとめたものだ。
塩水選で種子を選別し、温湯消毒で種子を消毒する。保温折衷苗代を実施して出来るだけの早植えを実施する。それによって冷害が来ても出来るだけ避けることが出来、かつ収穫が現在よりも確実に増えることを説明する。
加えて、正条植と新たな除草具の組み合わせによる生産性の向上、併せて千歯こきなどの脱穀機や幾つかの除草具、あるいは保温紙や、種子消毒・除虫薬としての木酢液の製造などを普及させるための職人や作事場等の確保、乾田化、八戸で産出する石灰の採取と普及など。
あとは煩瑣だし中長期目標になるので、手短に水路整備、溜池を含めた水温対策、品種改良、そして兵糧蔵の拡充にも触れておき、石川での実施状況やその成果についても説明する。
簡潔にではあったが、それは二年半に及んだ事業を説明する場でもあった。
「――――と、いう次第です。石川やその指導を受けている周辺領での普及状況は比較的順調です。今年は五分ほどの農家が全面的に、二割ほどの農家が一部をこの折衷苗代での苗代を試してくれると打診がありました。田によって土の素性や品種や播種時期、田植え時期は違うので、いまだ経過を見ている段階ですが、今のところ生育状況は悪くないと思います」
今回初めて鶴の計画を聞く晴政と信直は、無言だった。何か言おうとしても言えない、という表情。自分が知らない世界を見せつけられた時の戸惑いだ。
「……なあ十郎」
信直は紙に粗々書いたプレゼン資料を凝視している。
「これを仮に南部領内で広めた場合、どれくらいの収入増になると思う?」
「育てる場所、稲の種類等々様々な条件に寄りますが、これらの施策のうち半分ほどを行い八割ほどの農家がこの技術を導入した場合、最低で二割、最大で四割位の収穫向上が見込めます。南部領の石高は把握しておりませんが、領内全体でざっと二・三万石ほどは増産するのではないでしょうか」
「……半分ほど、と言ったな。今説明した施策を、全ての農家に行き渡らせたらどうなる」
晴政が険しい顔をして問う。俺は正直に答えた。
「現在の二倍ほど。場所によっては三倍ほど」
三人が低くうめく。想像を超える収量だったのだろう。
十万石が二十万石になる。そのインパクトはあまりに大きい。だが、それは決して荒唐無稽ではない。
この時代の津軽地方の平均反収が〇・八石程度、キログラム換算で百二十キロ。〝現代〟の津軽地方の平均反収が約六百キロ。石高にして四石。この時代と現代では五倍以上収穫が増えている。
そして、それを支えたのが戦後発達した技術革新であり、品種改良であり、肥料の開発だ。
収量だけなら元々それくらいの伸びしろがある。二倍、つまり一・六石の収穫は(もちろん相当に難しいが)非現実的なラインでもない。
「この地の稲作の問題のひとつは、南に比べて生育期間が短い点にあります。この技術はその点をある程度解消し、生育期間を延ばすことで米をより多く収穫できます」
この北東北――北奥地域で収量が少ないのは、まず第一に寒い時期が長く、短期間で稲を収穫まで持っていかなければなければならないという、気象の問題が絶対的にのしかかる故だ。植える時期が遅く、熟する期間も短くならざるを得ない環境では、収穫も相応に少なくなるし、品種もそれ相応のものを選ばなけれならなくなる。一反当たりの収量は、北奥羽では〇・六~一・二石程度なのに対して、南奥羽では一石~一・五石が獲れる。これは基礎的な経済力、ひいては国力の絶対的な差として現れる。
逆に言えば、生育期間を取れるならば、北奥地域でも南と同じ位の収量がある程度は見込めるのだ。
「ですが、この技術の肝は増収ではありません、冷害に少しでも強くする、という点が挙げられます。農民たちの手間はどうしても増えますが、冷害でもある程米を収穫できるようになるのは、それを補って余りある要素だと思います」
稲作は重労働だ。さらにこの保温折衷苗代は苗の準備がいままでよりも早まる分作業も増える。今までの一年の労働ルーティーンもいくつか変わってしまうだろう。
それに、稲作においては収量を増やすためにはきめ細やかな水管理などが必要になってくるが、人が少ない北東北においては投入できる労力に限界があり、それは苗代の準備にも言える。これを改善するためには、今出来る対策をしながら、労働周期を見直し、インフラの整備を進めなければならない。
インフラの整備はその性質上、上位権力が行える余地が大きい。やれることはたくさんある。インフラの整備と共に農民たちへインフラの使い方や考え方を教えていかなければならない。田の維持をするのは究極、ひとりひとりの農民たちなのだ。
「他の稲作の問題点については資料の通りです。将来的にはこれらの設備整備を徐々にでも進めていきたいと思っていますが、まずはこの新しい苗代を定着させるつもりです」
「……これが『米数寄』の本領か。考えていたものよりもあまりに緻密じゃねえか」
晴政が資料から目を離し、自分を睨みつけた。
それは猜疑の目だ。そして、当惑の目でもある。こちらと、こちらが知るものを慎重に見定めようとする目に、前に高信に向けられた視線と同じ面影を感じてしまった。
「……この知識、よほど実践で練られているな。少なくとも、十郎殿ほどの年でたどり着ける境地ではないのは分かる」
「俺はこの苗代が早く育つ方法を偶然見つけました。そこから様々な疑問が生まれて、稲作に関わる仕組みに気づきました。この資料は、私が気づいた仕組みの集大成です。この苗代を見つけなければ、俺はこの仕組みに気づくこともなかったでしょう」
嘘だけど。本当は前世の知識だけど。
「稲には稲が育つ理があります。その理を整えてやることが、良き作徳を得て、ひいては万民が豊かになり得る道であると愚考します」
「……稲の育つ理、か」
晴政はこちらの言葉を捉えて、問いかけを投げる。
「十郎殿、御身は人の世の理をどう考える?」
「……と、申しますと」
「人の世は米を作るだけが生活ではない。例えば農民は田畑に行っては地を耕し、山に分け入っては山菜を採り、川に向かっては魚を取り、それを以て食事を作る。麻を育てて布を織り、足りない布を買って服を繕い、土を採っては家の修繕に使う。足りないものがあれば融通しあい、里に下りて銭で売り買いする。銭が足りないとなれば出稼ぎに旅立ち、あるいは戦の人夫になる。夫婦で子を成し、その子を育て、大人になるまで世話をする。余暇に遊び、年貢を納め、時に公事を務め、神に祈りをささげ、時に祭を起こし、晴れ着で楽しむ。老いては床に就いて世話をされ、そして死ぬ。人というのは、生きるというだけで中々忙しい」
晴政は「喉が渇いたな」と呟くと、小姓がさっと飲み物を持ってくる。ほどよく湯気の立つそれは、梅干しの浮いた白湯だ。
ひと飲みしのどを潤す。
「御身の言う通りだ、語ってもらった技術は農民の益となろう。だが、その日々の生活に追われる者たちの手間を増やし、さらに負担をかけることにもなろう」
晴政はプレゼン資料を苦々しげにめくる。書きつけられた一文字一文字の奥にある、人を見ているようだった。
「これは苗代の作り方だけの問題ではない。御身が目指すものは、農事のありようを変えていく。それは、日々の生活に追われる者たちを駆り出すことになるだろう。この折衷苗代とやらはまだいい、だが、それ以外の農事もどんどん変えるとなれば、今まで村々で培ってきた文化や慣習にもぶつかることだろう」
晴政の言葉は事実だった。技術を広めようとしても『村の習慣があるから』という〝抵抗〟は、なかなか大きい。それはそうだ、彼らの生活はある一面において、信仰とも密接に結びついている。彼らの農事もまた、農耕儀礼のような宗教的な慣習と密接に結び付けられており、それを変えるかもしれない技術がやってきたとして、簡単にそれを変えることが出来るかも分からない。彼らにとってそれは大事なものであり、〝抵抗〟だと一言で排除していいものでもない。
あるいは実利の面からも、早植えというのは大変だ。単純に耕作を早めなければならないし、そうなると作人や村内部での同意が必要不可欠になってくる。
この時代の農業は、村全体の共同作業だ。その水利環境は用水路が田の周囲を巡ってそれぞれに配水する現代の用水とは違い、田んぼと田んぼが繋がり、上流側の田にまず配水され、その後下流に向かってどんどん配水される田越し灌漑と呼ばれる配水方法だ。そうなると当然、田植えの時期も統一しなければならなくなり、自然、その水利系に属する農家は共同作業で協力し合わなければならない。早植えの折衷苗代を行うにも、各々の農家の同意がある程度必要になるわけだ。最初に自分が借り受けた田が湧水で水利的に独立した環境だったのは、その辺の面倒を避けるためでもあったりする。それを変えることは、水利慣行の見直しを一つ一つ行わなければならない、ということになる。
新技術は様々な変化を強いる。その変化は、時に耐えがたいほどの重荷になる。
「御身の技術は、利益と共に村々に小さな混乱をもたらしていくだろう。ひとつひとつの混乱はほんの少しの混乱かもしれない。だが、この戦世は、些細な争いが国同士の争いにまで広がりかねん。これだけ大規模な農事の改良を急いで広めれば、その混乱は村々を揺るがすほどに大きくなろう。それを理解しておるか、十郎殿」
晴政の懸念は、正しく為政者の懸念だった。
「年貢を取る側としては収穫が増えるのは嬉しいことだが、広めるのは慎重にやらなければならない。作人たちの労苦だけではない。米の増収は村々を治める地頭たちの格差を広げていくことになる。この技術もすべての環境にすぐに適応できる技術でもあるまい、出来る場所と出来ない場所が生まれるだろう。村々にさらなる格差が生まれ、それはその村を治める地頭たちの力の差となる。わずか十年の差でも、それはとてつもなく大きくなるだろう。力の差は権力の差になり、権力の差は均衡を崩し、争いが生まれる。現に、石川領は以前よりも収穫が増え、なかなか栄えているというではないか。この技術が本当に御身の言うとおりになるなら、我が領内の力の有様を変えるぞ」
俺は――とても感動していた。
それは、物事を同じ目線で語れることへの喜びでもあった。
(この人は、技術がもたらす混乱をきちんと理解している!)
技術の発展は社会の変化をもたらす。社会がその技術を受け入れる時、往々にして反発が起こる。社会が不可逆の変化を起こし、大小様々な混乱に繋がった例は枚挙にいとまがない。新しい技術、というのは、それそのもの自体は社会の幸福を呼び起こすものではない。
南部晴政という政治家は、彼自身の非常にバランスの取れた感覚によって、それを正しく予見し、恐れている。
「御身はこれらの技術を広げたいのかもしれない。だが、津軽に、南部に、そのような混乱をもたらしたいのか?」
晴政は俺をじっと見据えて、問うてきた。




