第50話 その名をもつ者
晴政は一段声を低くして咎めだてる。
「浪岡と石川が対立すれば、石川の本家である我が宗家も無視は出来ぬ。ことによれば浪岡と三戸、浪岡と南部との争いになっておったかもしれぬ。そのことは分かっておったか?」
晴政の懸念はもっともだった。
石川はあくまで三戸南部氏の分家だ。分家が争いを起こせば、本家が出張る必要も出てくる。実のところを言えば、三戸本家は分家が争いを起こしたら放置したりもするのだが、今回は浪岡北畠家という南部氏の津軽支配において重きをなす一族であり、かつ三戸本家から娘が嫁いでいる家でもある。無視は出来なかっただろう。
その意味で、石川の今回の〝行動〟は南部にとって望ましいか、と言えば決して望ましくない。
だからこそ、きちんとこちらの事情を説明する必要が、ある。
俺は今まで考えていた説明の筋道を思い起こしながら、弁明を始める。
「はい。戦さになるかもしれぬ――その上で浪岡に挑みました。案は浪岡にとっても悪いものではないと自負しておりましたが、なればこそ、最悪の事態にならないように、父上に交渉の手綱を握っていただきました。元服前の私ごときでは貫禄不足。折衝の機微も、説得力も、残念ながら父上に遠く及びませぬ」
「それでも失敗していたらいかがしておった」
「もし浪岡と対立しても、それ以上は悪化しないための思案はありました。それに従い動いたでしょう。それに、失敗しないためにも、誰にとってもなるべく損とならぬ案を作りました」
「失敗した時の引く算段も出来ていたと?」
「はい」
あの時、自分の案が受け入れられない場合のシミュレーションを幾つも作っていたが、浪岡が拒否すれば、最終的にはどこかで引かなければならなかったと思う。それでも、具信が生き延びる道だけはなんとしてでも作らなければならなかった。そこの一線を守ったうえで、浪岡と折衝したと思う。
浪岡が受け入れてくれる算段はあったが、それにかけるしかなかった、というのも本当だ。
「結果良ければすべてよし、などとは申しません。強引であった点は否めません。その点のお叱りは平に受け入れます」
浪岡具信を救う、という目的があったとはいえ、その為に詐術めいた行(作戦)を行ったのは事実で、そこは抗弁の余地が少ない。ならば素直に謝った方がいい。
「ただ、今回の件で河原御所様を石川の与党として引き付け、浪岡御所様とも関係を深められる契機が出来たと思います。石川鶴としましては、これによってできた縁を、御家督様によって活かしていただければ、と思っております」
「縁、とな」
晴政は嗤う。
「明子からも話は聞いているぞ。御身は河原御所にずいぶんと肩入れしていたそうではないか。御身は私情で河原御所を救いたかっただけであろう」
「……具信様は俺の事業に銭を出してくれた初めての方です。その恩義は当然あります。ですが、それだけで河原御所を救ったのだと思わないでいただきたい」
私情は、もちろんある。だが、それだけなら具信を助けられはしなかっただろう。
「具信様の恩義に報いることと、南部家の益になること、此度はそれが両立させられたから両立させた。ただそれだけのことです。鹿角の件が無ければ、それも叶わなかったでしょう」
晴政がぴくり、と眉を動かす。
鹿角衆謀反という重大情報を持ってきたのは、他ならぬ俺だ。未来の知識という裏技めいた方法で取ってきたものだけれども、そんなことなど知る由もない周囲にとっては、明確な功績だ。晴政もきっとそれを無下には出来ない。
「具信様は今後きっと、津軽の安定に寄与されるでしょう。御家督様には、それをぜひ見届けていただきたく思います」
頭を下げる。ここで俺が折れては、具信様の立場も不安定になる。今の状況を南部晴政という南部家トップに認めてもらわねばならない。そのためなら、いくらでも言葉を尽くそう。
「兄者、俺が鶴の案を認めたのは、充分な成算があったからだ。負けた時の引き際もな」
高信が俺のフォローに入る。
「此度の件で我らは河原御所という浪岡家への足掛かりを得られたのは事実だ。これはかなり大きいと思うぞ」
「ふん……確かに結果は認めねばならん」
晴政は大きくため息をついた。
「策は成功し、浪岡との関係もこれ以上は悪くならずに済み、安東に寄っていた現状に楔を打つことも出来た。確かに結果としては上々だな……」
「それでも心配なら、明子殿を通じて兄者のほうから手当をしてくれ、石川からも重ねて進物などを送ろう」
「簡単に言ってくれるわ……」
高信の言葉に晴政が心底嫌そうに顔をしかめる。
「石川の勝ち取ったものを南部の利益にするのは兄者の仕事だ。いつもすまないがよろしく頼む」
高信が笑って言う。立場の違いが出ている会話だった。
今回の一件は、領内の平穏を望む三戸南部にとって必ずしも望ましくなくても、石川にとっては望ましい結果なのだ。浪岡北畠家の一角に影響力を及ぼせるようになり、流通の一角に食い込むことでその富は石川にも流れ込むだろう。浪岡と対立するのはあまりよろしくないというのは石川も変わりないが、今後を考えれば石川の影響力強化は、石川の津軽支配という意味ではプラスなのだ。
「……浪岡様からの書状も、その手当だとでもいうのか?」
晴政が小姓に指示すると、小姓は側に用意してあった四通の書状を晴政に差し出す。
「浪岡様が鶴殿に『慶』字を譲りたい、と明子と顕範殿のそれぞれの添状つきで書状が送られてきたぞ。なんだこれは?」
蠣崎殿の美しい笑顔のことを思い出す。
俺に『慶』の字を与えるという、浪岡御所様からの書状だ。
「同じ日にお前からも報告の書状も届いた。聞けば蠣崎殿が使者だったそうではないか。蠣崎殿は『慶』字を戴いた浪岡殿の猶子。まったくもってこれ以上ない人選だなぁおい」
どんどん晴政の言葉が荒くなる。
「浪岡様だけでなく明子からもだ。こんなもんが来たらワシは鶴殿を粗略に扱えぬ。高信! お前の謀事だろう。勝手もやりすぎるとこちらの面倒が増えるばかりなのだぞ!」
「いつも不出来な弟を助けてくれて助かってるよ兄者」
「なにが『助けてくれて』だ、殊勝振りおって!」
「息子を思う父親のおせっかいだ、許してくれよ」
なんか、晴政様も高信相手に随分気安いし、高信も晴政相手には常には見ない軽い振る舞いだ。
信直を横目で見ると、信直は困ったように肩をすくめた。
「いつものことだ、気にしなくていいよ」
(仲良さそうだな)
晴政が高信の不義理をののしり、それを高信が笑ってかわす。晴政がひとしきり文句を吐き出したのを見て、高信は笑みを深くして問うた。
「で、この話、受けるのか、受けないのか?」
「受ける」
晴政は断じた。
「浪岡御所様の一字を戴ければ、津軽支配のための良い名になろう。南部の枝流である石川の子が浪岡の一字を受け取るという不自然はあれど、御所様から贈られるとなれば幾らでも名分は立とう。それに『慶』字自体は我が家でも時折使われる文字だしな。本当は『顕』か『具』字の方がいいが……」
「『顕』字は北畠一族歴代の、『具』は今の北畠宗家の一字だ、我らが名乗ってもさほど意味は無かろう」
晴政はふんっ、と鼻を鳴らした。
「高信、それから鶴殿に対する咎めも今回はなしだ。だが、報告だけは今以上に密にせよ」
その言葉に俺達は揃って頭を下げる。
「太守様の御恩情、恐悦至極にございます」
「何が恐悦だ」
笑顔の高信に、憎々しげな晴政が唸る。
「我儘にやらせてくれていつも感謝しているよ、兄者」
晴政は大きくため息をついた。それに含まれているのは多分諦めの感情だ。
「近年は平穏と思っていたが、この通り津軽どころか奥国全体が不穏になってきておる。鹿角のことも然り。鶴殿、不測の動きが思いもよらぬ大乱になりかねないこと、肝に銘じられよ」
「ははっ、承知いたしました」
頭を下げる。
「鶴殿」
晴政は俺に声をかけてこちらに来るよう手招きする。
高信や信直と顔を合わせ、目線で許可を貰うと、恐る恐る側に行く。
晴政のそばまで行くと、彼はおもむろに筆を取り、傍らの書台でさらさらと紙に文字を書きつける。
「……鹿角の件は本当によくやってくれた。鹿角衆に叛意ありといち早く知らせてくれたことで、我らが先手を打てる。その功績は大と言わねばならん」
「ありがとうございます」
「幾つか褒美を取らせたいと思う」
「褒美、ですか?」
「ああ」
「……その褒美、こちらが望みを言うことは許されますか?」
晴政の言葉に、反射的に口をはさむ。
「……ほう、御身には何か望みがあるのか。高信の書状に書かれていた農事とやらのことか」
「はい、後で開陳させていただければ」
「よかろう、聞いてやる。まずはこれをやろう」
晴政は書き終えた書付を手渡す。
〈慶信〉
思ったよりも繊細で優雅な文字で書きつけられた書面の真ん中に、大きく二文字が書きつけられている。
よしのぶ
これは、名前だ。
「浪岡殿からの一字に加え、高信の『信』の字だ。『信』字は我が三戸家の一字でもある。両者の橋渡しを望まれた御身には相応しい名となろう」
「慶信、なかなか良い名前ではないか」
横から顔を覗かせた高信が、書状から目を離さない俺の背中を叩く。
「お前はこれより石川慶信だ。仮名は九郎の弟だから十郎でよかろう」
「石川十郎慶信。信して慶ぶ。いい名前じゃないか」
同じく近づいてきた信直が我がことのように喜んでくれている。
「石川十郎慶信」
声に出して名乗ってみる。
うん、確かに良い名前だ。個人的にしっくりくる。
「正式な元服の儀はこちらにいるうちにやろう。浪岡の当主から一字を貰い、南部の当主から一字状を下されるなど中々贅沢であるぞ。大事にされよ」
晴政の言葉に、改めてこちらは頭を下げる。
「良き名を与えていただき、本当にありがとうございます。この名に恥じぬ働きをしていきます」
これにより、石川鶴は石川十郎慶信となることが決定した。
「高信、烏帽子親に目当てはあるか?」
晴政が高信に問う。高信は肩をすくめた。
「今元服が決定したばかりで決まっておらんわ。だが、一戸の御当主に頼めればと思っている」
「ならちょうど良い、一戸殿はちょうど鹿角の件でこちらに来られるからな、その時に頼めばよかろう」
「鹿角の件で来るのか。ということは」
「ああ、出兵の相談だ」
鹿角への出兵。
その地名に、諱を得た高揚感がすっと落ち着く。
そう、今回はそのことも話し合うために来たのだ。




