第5話 飢饉の始まり
永禄二年(西暦一五五九年)三月
俺が数え年で十歳になった年。
史実の通り――干ばつが津軽の地を襲った。
その年は、春になる頃からおかしかった。
三月に入ってから、叩きつけるような大粒の雨が何日も吹き荒れていた。
その間、自分は城に籠るよう厳命されたが、外に出ていた者たちがびしょ濡れになりながら帰ってきた会話を聞いてしまった。
「駄目だ、平川が暴れている。これじゃあ川向うにも行けん」
「川舟なんか出したらあっという間にひっくり返るぞ」
「こりゃあ本当に動けんな」
「田にも水が流れ込んでる。今年は酷いことになる」
「漬けてた種もみもこれじゃあ……」
その会話にいてもたってもいられず、冷たい雨が降り続く中、少し雨脚が弱まったタイミングを見計らって、蓑をつけて外に飛び出した。
弱まった、とはいってもその雨粒は大きく、顔に当たるたびにバチバチと音を立てる。城内の者たちに見つからないよう物陰に隠れながら慎重に走り、城で一番高い場所――本丸の物見櫓にかけのぼる。
突然顔を覗かせた城主の子どもに、この雨の中でも職務を果たすために見張りを続けていた武士の男が目を剥いた。
「若様! こんな日にここへ来てはいけませぬ。はようお戻りなされ!」
「すぐ戻る! 川の様子だけ見たい!」
制止する武士の言葉をさえぎって、山下を遠望する。
石川城の下を流れる平川は――暴れ狂っていた。
堤防治水などまだまだされていない時代だ。普段一本の川筋は、今は大小何本にも枝分かれして、その茶色く濁った巨体は遠く津軽平野を蛇のようにうねっている。
いま、川になっている場所は、石川の農民たちが精魂込めて開き、もう少しすれば苗を植えるはずだった水田だ。
いったいどれだけの田んぼが、この洪水によって潰されただろうか。
雨の冷たさだけではない寒気に背筋が震えた。
確かに“予言”のような形で自分は年初の雨を語った。だが、この光景は想像以上だった。
「まるでヤマタノオロチだ」
「はは、スサノオでも呼んでくだされ」
見張りの武士は諦め顔で呟く。
「……自分の土地が流されるのを見ているだけだというのは、つらいですなぁ……」
武士を見上げる。彼は真顔のまま、じっと川の向こうを見つめている。
「あの川向うに、私の知行地があるのです。皆無事に逃げておればよいのですが」
言葉も出ず、武士の男の視線の先を追う。そこには濁り切った川が渦巻いている様子しか見えない。
今すぐにでも飛び出して行きたいのだろう。だが、川は荒れ果てて向こう岸に行く手段もない。
見張りと俺はしばし言葉もなく、ただその光景を眺めていた。
洪水の後は復旧作業だ。
まずは家を流された者たちの支援。仮屋を建てたり一時的に食料が出されたりする。
被害を受けた田んぼには、数十センチにも及ぶ分厚い泥が堆積する。復旧するには時間がかかりすぎるので、潰れた田は復帰する田と放棄する田に分けられ、埋もれた水路を村総出で掘り出して復旧する。芽出しの為に川に漬けていた種籾もほとんど流されたので、慌てて作業をやり直すことになった。
連日の雨がようやく止むと、今度は全く雨が降らなくなった。
流された田畑の復旧と並行しての田植えの準備等に農家は大わらわになったが、その間空は晴れ晴れとしたままで、五月の田植後(旧暦なので現代の暦に直すなら六月だ)の梅雨に入っても全然雨が降らなかった。
「こりゃいかんなぁ……」
雲一つないからりと晴れた空を見上げて、兵六はぼやく。
「干ばつになる」
気温は例年に比べて間違いなく高い。水田に水をためておかねばならない時期だというのに、水田には土が湿る程度の水気しかない。いつもは水が抜けずに難儀する湿田すら乾いていくありさまで、石川のみならず、津軽中でにわかに水を得るために井戸を掘る光景があちこちで見られた。
「鶴様の言うとおりになったなぁ……」
「こんなの、当たったって嬉しくないよ」
「この様子が続けば、今年は贄田を出しても厳しいかもしれねぇです」
「洪水でかなりの田がやられたのにさらに田を潰すのか……」
贄田とは、意図的に水を配分せず、その分の水を他の田に回してしまう“生け贄”とする田だ。
津軽はまだまだ開拓田や水利の悪い田が多く、灌漑設備が整っていない。水が配分できない場合、その田を休耕してしまうのも良く取られている手段だ。今年は洪水で使えない田が多いので、普段よりも耕作している田は少ない。それでも今年は危ないのだ。
「田に入れる水は最小限にしなければならねえが、それでどれくらい持つか、本当に今年は分からねえもの。そもそも水が足りるかも……」
兵六のため息が重い。
彼はこの地域の配水なども任されているひとりだ。どの田んぼにどれだけの水を入れるか、活かす田と殺す田を――そして最終的にはそれを耕す人間を――選ぶことになるのだ。気が重くもなろう。
「水の量も悩ましいすな。そったに多くは入れられないが、水を減らしたら減らしたで水の温度が上がって稲が煮えてしまうし。塩梅が難しい」
水温が高すぎると、それはそれで稲の生長が止まってしまう。下手をすれば稲穂が出てこない、という事態すらあり得る。
「今年は出来るだけ蕎麦を田に植えるといいと思う。蕎麦のほうが水は少なくて済む」
これは前々から考えていたことだった。米に比べて蕎麦のほうが水は少なくて済む。それを聞き入れてくれるかどうかが問題だったが、少なくとも兵六は俺の言った『予言』が当たったことで、俺の言葉に多少の耳を貸してくれる気にはなっているようだった。
「そうですな……しかし今から準備してどれほど間に合うか。それに、米を作らぬわけにもいかんので」
米は換金作物として安定して高値で売れる優秀な換金作物だ。つまり年貢として段銭を納めるにあたって、少しでも高く売れるものを作らなければ、段銭すら用立てられない可能性がある。
高信も今年の作柄に関しては考慮するだろうし、多少の減免はしてくれるだろうが、それでもよほどのことが無い限り、全額免除という事は無いだろう。
「……兵六、食酢はあるか?」
「酢、ですか? まあ、多少はあると思いますが……」
「酢を薄めて稲の上に撒いてみろ。多少は乾燥に強くなるそうだ」
「ははぁ、そんな話があるのですか」
水を与えない植物に酢酸を与えたところ、植物が乾燥に強くなった、という研究成果が出ていたのだ。稲にも効果があるらしいのだけれども、まだ研究段階でどれくらい結果が出ていたのかはまだ分かっていなかったはずだし、続報も聞いたことなかったからあまり……という話なのかもしれないが。
そんな不確かな情報、焼け石に水かもしれない。だが、少しでも何かしなければいけない、という焦りがそのまま出た。
「これはどれだけ信憑性があるか分からんけど。酢酸は防虫剤としても効果があるから、無駄にはならないだろう」
自然農法において酢酸は防虫剤としてポピュラーなものとして使われている。
「ま、物は試しですな」
兵六は苦笑した。その顔が泣きそうで、俺はなんと声をかければよいか分からなかった。
そして何より、彼の手伝いが何もできない自分が、なんとも惨めだった。
数日経っても天気は晴れ晴れとしたままで、相変わらず枯れ田は広がっていた。
こういう時の農家は、とにかく気をやきもきさせる。気温を確かめ、空を見上げては、雨雲が現れないか絶えず気にして、『いちいち気にしていられない』と思いながらもやはり空を見てしまう。そんな生き物だ。
今日もそんな風に廊下に立って空模様を見上げていたら、ガチャガチャと刀やら調度品を抱えた金浜が廊下の向こうから歩いてきた。
「金浜、どうしたんだ?」
「ちょうどよかった、これから市場にモノを売り払いに行きます。鶴様も行きませんか?」
「俺も?」
「最近、なにやら気鬱のご様子。たまには市場で何か買うのも気晴らしになりましょう」
と、誘われ、俺は金浜と共に出かける事になった。
「今年は凶作になるのが分かり切っていますからな、今のうちにこれらを売って銭に変え、収穫期に米を買う元手にするのです」
道すがら、金浜は我が家の窮状をこぼした。石川ほどの大家ですら多少なりとも家財を切り売りして備えなければならない事態になる、と予想しているという事だ。モノの値段が高くなっている今に売って、米の値段が安くなる(それでも例年に比べればかなり高くなるだろう)収穫期に米を買うつもりなのだ。
三斎市は、石川城下から少し離れた河原の近くにある。
不作が迫るこの時期だからこそなのか、市は人で賑わっていた。簡易の掘立小屋や屋台のようなものが軒を連ね、そこでは様々なものが売り買いされていた。
「では、商人と話してまいります。鶴様はここでしばらくお待ちくだされ。多少見歩いても構いませんが、お供たちを撒くような真似は絶対になさらないでくださいませ」
金浜はそう言い含めると、自分に護衛の侍を数人残して懇意の商人の元に向かっていった。うん、信用無いな。
といっても、個人的には欲しいものはあまり見つからない。武具にはあまり興味がないし、ね子さんに根付か髪飾りのひとつでも買おうか、くらいだけれども、御家が家財を売って倹約している時にそういうものを買うのも気が引けるし。
むしろ俺が欲しいものはこの世界に存在しない。トラクターとか田植え機とかビニールハウス用のビニールとか。いや、なんなら足踏み式脱穀機や中耕除草機とかでもいいから。
「そういうのも自作を考えないとなぁ」
そういうのが作って普及させられれば、農業の労力は大分軽減される。農業とは必要労働工数をいかに減らし、いかに余暇を増やしていくかの歴史だ。
と言っても、そういう機器は基本的な構造を理解しているくらいで再現できるかは試行錯誤になりそう。
そんなことを思いながら市を眺めていると、目につくものがあった。
市の隅に、壁の無い吹きさらしの小さな掘立小屋が建てられており、その下に数人、固まってうずくまっている。
いずれも自分と同じくらいか、それより年下の子どもたちだ。全員が粗末な服を着て、縄で繋がれている。その前には子どもを見張るように背の高い牢人がひとり、長い刀をつっかえ棒にしてだらしなく立っている。
子どもの一人がぎょろりとした目で俺を見る。ぞわぞわと、嫌なものが背を震わせる。
「終わりましたぞ……どうされました?」
戻ってきた金浜が、挙動不審になっている自分に気付く。
「あれは……?」
「ああ……あまり見るものではありませぬ。人買いです」
金浜は見たくないものを見た、とでも言うような声色だ。
「あの子らは、養えぬと思った親たちが売ったのでしょうな。哀れなことです」
なんでもない事のように言う。思わず金浜の顔を見上げてしまった。
金浜は俺を見下ろしてゆっくりを首を振った。
「この凶作では来年の夏には食う物が尽きます。飢えて死ぬくらいなら、今のうちに売って養ってくれる者に買ってもらった方が、生き延びれますからな。買った者には下人を養う義務がありますゆえ」
俺はどんな顔をして金浜を見ていたのか。
この時代に生まれて、“そういう”人の存在を知らなかったわけではない。石川城にだって買われてやってきた人が働いている。けれども、実際に取引される場所に居合わせたことはなかった。
そして、飢饉でいとも簡単に人が売り買いされるのだとまざまざ見せつけられたのが、あまりにショックだった。
金浜は諭すでもなく言う。
「子を売る親は残酷で罪深いものです、結局は子を見捨てて自分が生き残るためにやっていることですからな。ですが、子を飢え死にさせたくない、という気持ちも本心なのです。本心を言い訳にして子を売るのです。残酷で罪深く、悲しい事です」
「……あの子たちを、買う事は出来る?」
「慈悲のために彼らを買う事はなりません」
金浜の言葉は柔らかくも峻厳だった。
「慈悲だからとあの者たちを買えば、他の者も買わねば『石川様の息子は気まぐれに人を買う料簡無しだ』と領民に謗られましょう。石川の領内だけでも、ああいう風に売られたものは数十人と居りましょう。それに、貴方の持つ銭で、それを例え一年でも全員養えますか? 城に貯めた米ですら足りなくなるかもしれないというのに」
できない。
「な、なら、今年だけでも年貢を減らしたりとか」
「殿も今年の年貢は減らされることでしょう。ですが、全部年貢を無すことはできますまい。我らの下人や切米で養っている武士たちの生活がままならなくなります」
金浜は後ろにひかえる武士たちをちらりと見る。
それに、と金浜は言う。
「いまだ養われる立場の鶴様がそれを言ったところで、子どもの戯言にしか取られませぬ」
その通りだった。
それを言ってくれるだけ、金浜は優しかった。
「……用事も終わりました。帰りましょう」
金浜が自分を促す。
掘立小屋の下に、もう目を向ける事は出来なかった。
その夜。ただただ思考がグルグルして、長い間寝つけなかった。
いつもは全然気にならない鰯油の生臭い灯火の臭いばかりが鼻につく。
今日の出来事を、そしてそこで感じたことを、誰かと共有したかった。
だが、この時代の人に、未来の価値観や思考を持つ自分の感情や考えをどれほど理解してもらえるのか不安だった。
今日の出来事だって、この時代の人間からすれば―悲しい事ではあるけれども―当たり前に起こることなのだ。自分が知らなかっただけで。
(亀九郎なら、兄上なら、どう答えてくれるだろうか)
そう思ったら、寝床を飛び出して、文机で手紙を書きはじめた。
兄上。しばらく無沙汰をしておりましたがご挨拶申し上げます。田子の様子はいかがでしょうか。
津軽の地はとても暑いです。今年は洪水もあり、枯田ばかりで、今年の稲の出来は酷いものになりそうです。田圃は茶色に枯れた稲ばかりで、来年の事を考えると暗澹たる思いです。
津軽在の領主たちも、来たる飢饉の備えで大変なようです。石川の家も例外ではありません。
今日、三斎市に行きました。そこでは、今年の収穫を悲観して親に売られた子どもたちが売り物として繋がれていました。
そういう人たちがいる事は知っていましたが、実際に見てしまうと言葉がありませんでした。
彼らの生活をつつがなく守ることも領主の仕事であるのに、何もできない自分がとても情けなく思います。きっと来年になれば、餓人が出るでしょう。今の自分に出来る事が無いのが悔しいです。
以前大それた願いを口にしながら、このような体たらく、とても恥じ入る次第です。
元服して土地を任されるようになれば、やれることが増えるのでしょうか。彼らを救う方法があれば、今すぐにでも手立てを取るのですが、石川の家ですら来年に備えてそんな余裕はない有様です。
今自分がどうすればいいのか、立ち止まってしまっています。
愚痴のような手紙、大変申し訳ありません。
心の内をどうしても兄上に語りたくなり、こうやって無知をさらす真似をしてしまいました。
このような恥の限りの手紙です。読んだらすぐに燃やしていただければ幸いです。
兄上のご健勝をお祈りしています。恐惶謹言
追伸 今年採れた蜂蜜を送ります。皆様でお食べください。
七月二十四日
田子殿
木庭袋 鶴
何度も文面を書いては貴重な紙を捨てて書き直した書状の内容はとっ散らかった酷いものだ。こんなのを送られた信直の困り顔がありありと浮かぶ。
そもそも書状として送る内容ではない。この時代の書状というのはいわば衆目にさらされる可能性がある公文書でもある、こんな文章を読まれたら笑いものだ。
でも信直が、あの聡い青年がどう答えてくれるのかをただ知りたかった。
いや、理解されなくてもいいし、もしかしたら常識知らずの愚か者扱いされるかもしれないけど、今の気持ちを誰かに知ってもらいたかった。
今から思えば、まだ混乱していたのだろう。普段だったらこんなことはしない。だがその時は自分の状態を把握するような余裕はなく、翌朝には書状を所用で田子に行く用人に託し、冷静になって後悔した頃には、書状は既に信直の下に届くくらい日数が経っていた。