第49話 糠部の王
永禄五年(一五六二)三月十九日
田子で一泊した後、三戸へと出発する。信直も一緒だ。
初めて見る糠部の地は、津軽と違ってとても興味深かった。
津軽のような平野ではなく、山と山に囲まれた川の周りに平坦地が伸びる、狭い山間地帯だ。田畑も畑の方が多い。
山では時折、白い煙がたなびいている。焼畑だ。津軽の山地にも焼畑はあるが、こちらは山肌を見れば白い煙がすぐに目につくほどとても多くの焼畑が行われているようだ。
「この時期になると焼畑の野火は風物詩だな」
と教えてくれるのは信直だ。
「焼畑で作るのはやはり稗ですか?」
「いや、やはり大豆だな。初年度は大豆、次は粟や、稗、黍、あとまた大豆、畑を閉じる前に蕎麦などを年ごとに変えて、六年から十年で閉じる。稗はどちらかと言えば常畑で多い。常畑は稗・大豆・麦などを二年三作で育てている」
すらすらと説明する信直に思わずおおーっ、と声が出る。本気で感心していた。
「詳しいですね兄上」
「お前に教えるために詳しく学んだんだ。年貢を取る立場として多少は知っていたが、学ぶと世の仕組みがより詳しく分かって面白いものだな」
信直はにこやかに笑った。こちらの興味を理解して、その為にわざわざ勉強して解説役を買って出てくれている。本当にありがたいほど出来た兄だ。
寒く山がちな土地にありがちだが、糠部の地も米よりいわゆる雑穀の方が多く生産される地域だ。
この地の住民は決して米作一辺倒ではない。年貢であり、商品作物である稲を作る一方で、自給のため、販売のため、冷害等のリスク分散のため、こうして様々な穀物を多角的に作っている。
のちの時代に『津軽の稲作、南部の畑作』などと呼ばれる、南部地方の畑作優位は既にこの時代には形成されていたのだろう。
(これでもっと色々な作物が作れるようになればなぁ)
だが、まだこれでも作物の種類は少ない。気候とかの問題ではなく、単に戦国時代に伝来していない作物が数多くある。
ジャガイモ・トウモロコシ・カボチャ・タバコ、あとはこちらの地方では向かないけどサツマイモ等々、アメリカ原産の作物が本格的に伝来するのは一部を除けば数十年後の話だ。これらがこの北国の生産サイクルに組み込めれば、食糧事情も少しは改善するだろうけど、無いものは植えられない。
(……例えば、堺とかに行って南蛮人とかに頼んだら、そういう農作物とかも買い付けてくれるものなんだろうか?)
もうアメリカ大陸は見つかっているわけだし、向こうの穀物が欲しい、とか依頼を出したら持ってきてくれないだろうか。いやそれでも大陸から行って帰ってくるだけで数年がかりになるだろうし、望んだ形で持ってきてくれるかも分からない。
けどカボチャなんかはすでに九州とかで作られている可能性があるらしいし、九州までは無理でも京都に上洛したら手に入らないだろうか。
――などなど、俺は信直の心地よい声でタメになる説明を聞きながら、そんな空想を浮かべて三戸へ向かうのだった。
目の前に盛り上がった横長の山、まるごとひとつが城になっている――。
鹿角街道をひたすら進んでいくと、やがて川に突き当たる。熊原川、と呼ばれる川の対岸にある少し小高くなった川岸に、小さいながらも守りの固そうな城館がある。三戸という領域への入り口に当たる門――沼尻惣門だ。ここを警備する侍の許可を取って橋を渡り、木戸を越えてさらにもうひとつの惣門である金堀惣門をさらに過ぎて進んでいくと、目の前にこんもりと高まった山が見えてくる。
街道から見た時はまだ小高くも小さい山にしか見えないが、その横に回ると、その山が十三町(約千四百メートル)以上に及ぶ横長の山であることが分かる。馬淵川と熊原川には挟まれた独立段丘まるごとひとつが城だ。
百メートル以上ある横長の山の頂上部分を全て切り取って平場を作り、そこに段差のある曲輪を複数設けてそれを要害とする――ビジュアル的にもインパクトのある、三戸南部氏の、ひいては南部一族の頂点に立つ『家督』が座す城。
三戸城とはそのような城だ。
「でかいなぁ……」
街道からおのぼりさんみたいな素直すぎる感想をつい漏らすと、信直が苦笑した。
「石川城も大きいが、三戸城も凄いだろう?」
「はい、こんな風に山ひとつを改造してしまうなんて規模が大きくて凄いです」
木々が払われ山の地肌がむき出しになった山体の偉容をみると、『要塞』の趣を強く感じる。
一行は町場へと入っていく。人通りは驚くほど多い。
冬の内に減った食料を買いに来た農夫が居れば、農夫に米を売る女商人が軒で世間話をしている。背負子に売り物の木地物を山ほど積んだ木地師がいる。裸馬を数頭連れた侍はおそらく自分の私牧で育った馬を馬市に運ぶ途中だろう。服売りが道端に色鮮やかな服を広げ、子どもが道辻で遊んでいる。取り扱われる商品はどこも多様だ。
人と物の多さは豊かさの反映だ。石川だってここまでの豊かさはない。この豊かさを作り上げてきたのは、歴代三戸の当主なのだろう。
町人地の人垣は、石川一行が進むたびに二つに割れる。人々が跪き頭を下げる。南部一族の権勢の高さをいやおうなく感じる。
一行はそのまま在府小路――侍町に入っていく。
「そろそろ儂の屋敷だ。今日はそのまま休んで、明日登城する。各々、準備しておくように」
永禄五年(一五六二)三月二十日
翌日。
屋敷でしっかりと休んだ高信一行は、朝一番に三戸城へ登っていった。
突き固められてはいるがなかなか急な道を登っていく。
さすがに緊張する。昨日の夜の内に弁明の内容や諸々の準備はしていた。どんな問いがされて、それにどう答えるかもあらかじめ固めていた。気分は面接に行く求職者だ。
大手門から幾つかの曲輪を通過していくと、本丸に入る門が目の前に現れる。
見上げるほどに大きく、高い門だ。石川城の倍ほどはあるのではないだろうか。厳重に閉じられたその門の前で待つことしばし。門扉がゆっくりと開く。横にある小さな通用門ではなく、正面の門が開くのは、貴人を迎える時だ。
「さあ、行くぞ」
貴人――高信はまっすぐに歩いていく。その先にあるのは、城内でもひときわ大きな建物――昔のテレビ番組で見かけるような古風な瓦葺きの家を数倍にも広くしたような、大きな屋敷だ。
あそこに、南部晴政がいる。
屋敷に入って高信と信直、そして俺はすぐさま大広間に通され、そこで家督が来るのを待った。
上座は不在で、小姓の少年が二人、席の側に侍っているだけだ。
高信を前に、斜め後ろに信直と俺が座る。
「御家督様、御成りになられます」
廊下から別の小姓のひとりが現れ、それと共に上座に誰かがやってくる気配がした。高信と信直が頭を下げ、俺も習う。
上座――当主が座る席に誰かが座る気配がする。それが落ち着くのを待って、高信が口上を述べる。
「石川左衛門尉高信、罷り越しました」
「田子九郎信直、同じく罷り越しました」
俺はまだ口を開ける立場にはないので、そのまま頭を下げて時を待つ。
「面を上げよ」
穏やかな、強さのある低い声だった。
顔を起こして、俺は初めてその上座にいる人物を見る。
まず印象的だったのは、その目つきの鋭さだ。
半眼に細めた不機嫌そうな眼の奥は――勘違いでは無ければこちらを、高信でも信直でもなく、俺のことを皮肉気に見つめている。
顔立ちは、高信と似ている。がっちりとして筋肉質だが、高信よりは少し細面で、真っ白の髷や髭は綺麗に整えられ、若い頃はニヒルな美男とさぞ持て囃されたのではなかろうか。口元はうっすらと口角を上げており、俺はその笑みに言いようのない不安が走ってしまった。
獣は獲物を見る時に笑みを浮かべるとかいう話を思い出してしまったのだ。
上座の男は、視線を高信に移して億劫そうに口を開ける。
「久しぶりだな高信」
「おう兄者、一昨年の九戸殿の戦さ以来だな。今日は東殿はおられんのか?」
「東の奴は少々急な所用でな、席を外しておるが許せ」
「家宰殿もお忙しい身でしょうからな、仕方ありませぬ」
「ま、ワシとしては都合が良い。あいつ抜きで話したいこともあるでの。……で、その者が津軽の次男か?」
「おう、連れてきたぞ。兄者も会いたかったろう?」
俺は高信に促されて改めて頭を下げる。
「お初にお目にかかります。石川左衛門佐が次子、石川鶴にございます。御家督様に御目にかかれること、恐懼の至りです。よろしくお見知りおきのほどお願い申し上げます」
男は眉を上げてにこやかな笑みを浮かべる。
「南部大膳大夫晴政だ。御身にとって主君ということになっている」
糠部に蟠踞する南部一族。その頂点に位置する男は、楽しげに笑った。
「ワシも高信の次男にこうしてまみえることが出来て嬉しく思うぞ」
「恐縮です」
「噂は聞いておる」
その一言に知らず心が縮む。一体何を聞いているのか。一体こちらのことをどう認識しているのか。別に悪いことなどしたつもりはないが、目の前の男には緊張感をもたらす鋭さがある。
「鶴」
優しげな信直の声がこちらを呼ぶ。そちらを向くと、信直がこちらに笑みを向けている。晴政とは違う、柔らかな笑みだ。
(うん、落ち着け。いつも通りに)
「恐れ入ります。良い噂だと良いのですが」
俺は顔を上げる。晴政はこちらをじっと見つめていたが、ふむ、と眉尻を下げると脇息にのしかかり相好を崩した。
「御身の年にしては良い受け答えだ。此度の浪岡の件、御身がきっかけとなって起こしたと聞いた時は疑ったものだが、まんざら嘘でもないようだ」
「はっ……」
「早速だが、今回の浪岡の一件のことを済ましてしまおう。高信、鶴殿、幾つか聞くが、よろしいか」
高信と共に頷くと、晴政は指を一本立てて軽く俺を指した。
「此度の浪岡の件、その手立てについて御身が案を考えたと聞いた。それは相違無いか?」
「はい。ですが、私が作りましたのは五条の内の一部に過ぎません。政事に関する項目は父上と相談の上で決めました」
「だが、まず元の案を出したのは御身だと聞いた」
「その通りです」
「なかなか面白い条目であった。兵を藤崎に入れる手際も御身がまず思いついたそうではないか。なかなかよう出来ておったぞ」
「恐縮です」
晴政はぎょろっと目を見開いてこちらを見下ろす。
「それが浪岡との戦のきっかけになるとは思わんかったか?」




