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第47話 可能性はある話

 蝦夷地(えぞち)、つまり北海道での稲作とは、日本の稲作にとって大きなトピックでありテーマだった。

 北海道稲作の歴史は近世には始まったが、それは試行錯誤と失敗の連続でもある。日本人たちは蝦夷地に稲作を定着させようと幾度となく挑戦したが、そのたびに挫折してきた。その試みがようやく実を結ぶようになったのは、江戸末期、幕末になってからのことだ。

 その後、近代になって北海道が設置され、日本人が開拓民として入ってくるにあたって、彼らの一部は当然のように稲作を志した。北海道開拓の歴史は、一面において稲作北進の歴史ともいえる。日本人は北海道を開拓するにあたり、多くの資源を稲作栽培に投入してきたが、ここでも多くの失敗を重ねてきた。

 それは、蝦夷地の作物が必ず直面する理由故だ。


 目を丸くした一同に語る。

「津軽や南部の地よりも蝦夷地が寒いのは承知しております。数年で何とかなることではありませんし、出来ても収量も少ないでしょう。寒さに強い品種を探すことも必要です。ですが、やり方次第で出来ますよ。それが良いことか悪いことかは分かりませんが」

「それは――本当ですか?」

 慶広は確かめるように問うてくる。

「はい、最初は失敗することばかりでしょうし、冷害という危険と隣り合わせになりますが、根気よく続けていればいずれは定着しますよ。定着するまでの『損』に耐えられれば、ですが」

 〝現代〟の北海道は、日本でも有数の稲作地帯となっている。江戸時代に稲が作られなかった理由は幾つもあるが、そのひとつがやはり他地域よりも――津軽や南部よりも――寒さが早く到来して生育期間が取れず、また寒さに耐えうる品種が存在していなかったことだ。

 保温折衷苗代ならば、それをある程度クリアできる。

 保温折衷苗代で寒冷な時期でも苗を育てて必要な作期を確保することが出来る。ネックとなる部分の第一段階(そして最も大きな部分)はクリアできるのだ。

 耐冷品種についてはまだ課題があるだろうが、品種改良や、寒冷に比較的強い赤米の早生種などから選抜すれば、蝦夷地の稲作自体は、出来る。


「良いことか悪いことか分からない、とはどういう意味でしょう」

「『損』に耐えられれば、と申し上げました。稲作が定着するまでに時間と人と資源と銭がかかる、という事です。十年では済まないでしょう。成功するのに少なくとも二・三十年はかかると思います。その間は赤字を覚悟するべきです」

 重ねて問うてきた慶広に答える。

 時間はかかるだろう。だが、稲作の定着だけであれば、三百年を二・三十年に短縮することは出来るだろう。保温折衷苗代は、そういう技術だ。


 その言葉に慶広が浮かべた表情は――笑みだった。それこそ花がほころぶような、愛らしい笑み。え、なに、ちょっとドキドキする。

「良いことを聞かせていただきました。米数寄(こめすき)と言われる鶴様が言うのであればきっと正しいのでしょう。ぜひとも詳しく話を聞かせていただきたいのですが」

 ずずい、とこちらに近づいてくる慶広。おおう、押しが強い。

「蠣崎様は蝦夷地での稲作に興味がおありですか?」

「ええ、出来ないと思っていたことが出来ると言われたら、気になるものでしょう?」

 前のめりになる慶広に、高信がちょっと苦笑を浮かべて口をはさむ。

「蠣崎殿、この鶴が作らせている稲作技術の書付は、浪岡にも渡しておる。既に稲作を教える者も浪岡に送る算段だ。それでもって学ぶとよかろう。さすがに我々南部の者が蠣崎の者に直接教えるとなると角が立つでな」

 高信の態度に、慶広もおっと、と苦笑して身を引いた。

「お恥ずかしい、ついつい興味深い話でお役目を忘れそうになることでした」

 高信と慶広の会話を聞きながら、米数寄というあだ名が他領にも広まっているのを俺は知ったのだった。



「鶴、蝦夷地で米が作れるというのは本当か?」

 慶広が退出した後、俺は困惑したような顔で問われた。

「はい、理屈上は作れますよ。この土地よりも条件はさらに厳しいですし、越えなければならない問題はとても多いですが、やるだけなら多分出来ます」

「そうか……」

 断言すると、高信とそれから金浜は揃って大きくため息をついた。

「……親父殿は、蠣崎殿に蝦夷地で米が作れることが知られたくなかったですか?」

 確認をすると、高信は首肯する。――内心、高信が考えていることは予想はつくのだが。

「うむ……蝦夷地で米が作れれば、蠣崎氏にとってさらなる富を得るかもしれん、と思ってな」

 高信は顔をしかめる。


「蝦夷地で米は作れぬ。稗もわずかにしか作れぬ。では、蠣崎殿や蝦夷地の住人たちは、どこから五穀を買っている?」

「秋田でしょう。秋田は安東殿の御領分です。あと浪岡からも米を買っていると聞いていますが」

「そうだな。米が産しない蝦夷地は秋田や浪岡から米を買っている。他に売り手がいないから、米は三倍から四倍の値段だそうだ」

 へー、それは知らなかった、そんなに高いんだ。うちの米を売れたら相当の利益になるなぁ。 


「鶴……松前ほどの広さの土地で田を拓いたら、何万石になると思う?」

 高信の質問に思案する。

「そうですね、箱館の周囲には平野があると聞きます。そこを拓けば、二・三万石程度にはなるんじゃないでしょうか。蝦夷地全土だともっと凄いことになるでしょうが」

 ちなみに〝現代〟の北海道全体における稲の収量はたしかだいたい五十五万t位だったはず。石高にして約三百六十七万石位。仮に収量をこの時代並みに四分の一くらいにしても九十二万石なので、加賀百万石に少し足りない位の国が出来る。――それが出来れば、だが。


「三万石か……。三万石もの富を積み増した敵国が、海の向こうに生まれることはあるのだな?」

 蠣崎氏は下国安東氏の配下という立場だ。つまりは準敵国ということになる。その敵国の一部が強大になるのであれば確かに気にしなければならないことだ。

「蝦夷地は米が取れん。蠣崎殿はそれが足枷になってきた面がある。米が作れるとなれば、その足枷を外しかねんのよ」

 蝦夷地蠣崎氏は、稲が取れない。稗などの収穫はあるが、それもほんのわずか。代わりに、蝦夷人との交易によって巨利を得ており、その実勢は四~五万貫文とも言われる家だ。その家がさらに数万石の力を得たらどうなるか。高信の心配はそこだろう。


 だが、俺からすればそんな心配は『もう遅い』話だ。


 俺は高信たちを安心させるように言った。

「まず、蝦夷地でそこまで米を作れるようになるのは、時間がかかります。小規模な水田を拓くだけならともかく、万石規模の水田を拓くには数十年かかりますし、それに費やす財も膨大なものになります。可能であることと、出来ることは違います」

 数十年間赤字を出しながら、失敗を繰り返して事業を維持できるか、と問われれば難しい。この時代、蝦夷地で稲作をやるのはその位のハードルがある。

「それに、今蝦夷地で稲作が出来たとしても、事業として続かないですよ、多分」

「どういうことだ?」

「簡単なことです、米を買う人口が、蝦夷地ではあまりに少ないんです」


 蝦夷地の日本人人口は、この当時おそらく一万人程度だそうで、加えて蝦夷人向けに輸出する米がいくらか加わる。蝦夷人向けの量は分からないけど、多分数千石程度。

 〝この程度〟の人口を養うならば、地場で一からインフラを整えて、大した収量も得られない、しかも本州よりも冷害の危険のある不安定な作物を栽培するより、たとえ米が三~四倍の値段であっても、秋田などから米を移入した方が結果的に安全でかつ結果的に安上がりなのだ。ようは採算が取れない。


「現状、蝦夷地でなら稲作をするよりも漁業をした方が儲かるでしょう。さらに言えば、蝦夷地の漁業はちょうど稲作の作期と最盛期が被ります。いわば、人手が漁業と稲作で奪い合いになるんです。奪い合いになれば、より稼げるほうに人が行くのは人情です」

 これは史実で起こったことだ。ニシンなどの群れが南下し、それを得るために松前の民はこの時期になると漁民であるなしを問わず、魚を得るために浜に向かう。そしてそれは、ちょうど稲作が田植え準備で忙しい時期と被るのだ。


「あとは、そもそも稲作が出来る人間も蝦夷地にはまだいません。あと百年ほどはきっと大丈夫ですよ」

「……百年とは気の長い話だがその根拠はなんだ?」

「稲作が出来るようになれば、人口も徐々に増えるでしょう。全てが上手くいって、米を作っても儲けが出るくらい蝦夷地の人口が増えるのがだいたいそれくらいかと考えます。その前に、定着するかどうかが難しいのですが」


 〝現代〟における北海道の稲作は苦難の連続だった。それをまだまだ高度な技術の無い中世で簡単にクリアできるとも思えない。稲作の北進というのはそれほどの難事業だった。

「あとこう言うのは僭越ですが……蠣崎氏の枷が外れるということは、我々よりもむしろ安東氏にとって憂慮すべきことと思います」

 その言葉の意味を高信はすぐさま理解した。

「米が作れれば、蠣崎が安東から高い米を買う必要もなくなり、その枷から逃れることも出来るかもしれないと?」

「安東は米を供給することで松前の地の命脈を握っているともいえます。米が自給できれば蠣崎はその命綱を自分で握ることが出来ます」

「……そう簡単なことではないぞ。蠣崎の職は安東氏に由来するもの、それを絶ち切れるものがなければ、幾ら米を自給出来ても難しい」

「分かっています。ですが、その端緒となる可能性はあるでしょう」


 あくまでこれは経済的な話に過ぎない。政治的に蠣崎氏が安東氏から離れられる可能性は低い。

 それは、蠣崎氏の蝦夷地支配の正当性は安東氏の『蝦夷管領』という職に由来するからだ。蠣崎氏は形式上、安東氏が持つ職権を元に蝦夷地支配を委任された代官――という立場なのだ。実態がどうあれ、これを蠣崎氏が克服するのは容易ではない。

 だが、経済的な自立を果たせるなら、政治的な自立も多少なりとも容易になる。米が作れる、とはその程度の可能性の話なのだ。

「逆に言えば、蠣崎氏が政事的にも自立できるような状況が整った時、食料の問題も解決できるなら、蠣崎氏が安東から自立する可能性は高まるかと」

 例えば、天下統一をした豊臣秀吉に直接臣従して、安東から独立した史実のように。

「蠣崎を、政事的に自立させる……」

 高信は興味深げに俺の言葉を反芻している。何か琴線に触れたのだろうか?


「ともかく。蝦夷地で米が作れるからと言って、それがすぐさま問題になるわけではないと思います。それに、蝦夷地で三万石取れるようになる数十年後には、こちらの収穫はもっと凄いことになっていますよ。そうそう負けません」

 軽口を叩くと、高信と金浜が苦笑する。

「お前は数十年の単位で稲作を考えているのだな」

「? そりゃそうです、稲作は一年にしてならずです。蝦夷地の稲作となればそれくらいの時間で考えないと」

 当たり前のことだと首を傾げたら、二人は更に苦笑を深めた。いやなにその顔。

「そりゃそう、なぁ……」

 高信の顔は曇ったままだ。

「……なあ鶴よ、この技術は広まる、と前に言ったな」

「はい、浪岡に教える以上蠣崎にも広がり、蠣崎に伝わる以上安東にも伝わります。そういうものです」

 それは、以前浪岡に技術を伝えると決めた時に伝えたことだ。


 浪岡には安東と独自の交流があるし、乳井修験たちは国境を超えたネットワークがある。そこから情報が漏れるのは、そもそも最初から分かった上でやっていることだ。

 技術は止められない。石川という、津軽の内陸部や秋田・南部と繋がる交通の要衝にある土地で稲作をする以上、技術の伝播は止められるものではない。それ自体は高信や金浜にも説明済みだったし、了承も得ていた。

 そうしなければ、飢饉が来るまでにこの技術群やノウハウを出来るだけ普及させる、という目標をクリアできないからだ。

 惜しくなるのは分かるけれども、多少の技術流出など構っていられない。


「親父殿は、この技術を隠したいとお思いですか?」

「……いや、無理なのは理解している。だが、お前の技術は、儂が思った以上に早く広がるかもしれん、と思ったのだ」

「と、言いますと?」

「蠣崎が米の生産が出来るようになれば、国同士の関係すらも変わりかねん、と今言ったばかりではないか。この技術はそれだけの影響があるということだ。そんなの力があるなら、きっとこの技術をどこも取り入れたがるだろう。そしてそれが広まった時に何が起こるのか、いささか想像しかねるのだ」

 高信の言葉は歯切れが悪く、困惑があった。

「南部だけではない、秋田や仙北、更には奥羽の諸国がこの技術の恩恵を受け、人を増やし、国を大きくした時に、国が豊かになるだけで済むとは思えんようになってきたのだ」

 自分の技術が広がる。元々それを目指してやっているわけだけれども、それが地域にどういう影響を及ぼすか、考えなかったわけではない。

 きっと良い影響ばかりではない。高信は多分それに思い至ったのだろう。

 けれども、それを今は気にしてもいられない、というのも偽らざる気持ちだ。


 大飢饉はあと三年後に迫っている。そこで出る人死にのことを考えれば、ここで止めるわけにはいかない。

 もちろん、社会に混乱が広まることも望まない。だからこその〝普及〟活動でもあるのだ。

「自分の技術が他に渡ったからといって、すぐさま社会を変えるものではないですよ。それに、まだこの石川でも始めたばかりなのですから、心配するのはまだ早いと思います」

「だが、お前は技術が広がるのを早めたがっているだろう?」

「はい、ですが、それには限界があるのも分かっています」

 保温折衷苗代だけに絞るならまだしも、その他の技術が全てが全て一足飛びに広がるなんてことは多分無い。それらは道具と技術と知識が組み合わさらないと意味をなさなかったり、大規模な土木工事が必要なものだったりするものだからだ。簡単に広がるなら苦労はない……ないんだよ本当にさ!


「それに、その混乱を最小限に抑えるために俺はこうしてやっているのです。技術の伝授は、無理やりには出来るものではないですしね」

 その言葉に高信はまた目を丸くし、それから今度は楽しげに苦笑した。

「そこも考えておるのか……やはりお前は、気味が悪い米数寄だな」

「なんですかそれは、失礼な」

 本当に失礼だな。

 だが高信は満足げに笑うのだった。



 そうして様々な準備を期日内に無事終えて、俺たちは糠部――南部氏の本拠地に旅立った。


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― 新着の感想 ―
前話の引きで「蝦夷で米を作る展開になっちゃうの?」と不安でしたが 今回の話で、採算が合わず尚且つ長い年月が必要なことや、人口や漁業との兼ね合いについて説明した上で、事業として続かないとされていたのは流…
更新ありがとうございます。 いつも楽しく拝見しています。 他の方も書かれていますが、採算ラインはアレなので、素直に採算の境目、とかでいかがでしょうか。 分水嶺とかも、稲作に関係して良さそうですね。
いろいろ気になる部分はありますが、会話文で採算ラインはさすがにちょっと。
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