第46話 さらに北から
永禄五年(一五六二)三月十四日
翌日。浪岡からの使者が訪れた。
流麗、と言うのだろうか。どちらかと言えば可愛らしい面貌を引き立てるような明るい華やかさと、それと相反するような寒菊のような涼やかさが、彼にはあった。
「蠣崎新三郎、慶広と申します」
石川城の対面の場、高信の一段下に座る俺に対して、鞘に波模様を思わせる文様を掘り込んだ刀と、美しい石を嵌めた耳飾りをつけた美少年はそう言ってにっこりと笑った。
その所作もさすがに公家の一員たる浪岡で習ったものか、年の頃十五ほどとは思えないほどに堂々としたもので、美しい振る舞いに顕れる一種の色気すら感じられる。
「石川高信だ。蠣崎殿、浪岡からここまでお役目御苦労であった。こちらは我が息子、鶴だ」
高信はうむと頷き、こちらをうながした。頭を下げる。
「石川鶴です。蠣崎様におかれましてはお初にお目にかかります。……蠣崎というと、蝦夷地の」
そう話を振ってみる。慶広はにこりと笑う。うっ、その笑みもいちいち可愛らしいなこの男。
「はい、我が父は蝦夷地松前の島主・蠣崎季広です。今は縁あって浪岡家に仕官しております」
蝦夷地――〝現代〟でいう北海道の南の渡島半島に勢力を広げたのが蠣崎氏だ。安東氏に仕えてはいるが、半ば自立した勢力として地盤を築き、米の取れない蝦夷地にあって、エゾ人との交易で巨利を上げているという、特異な日本最北の武士団だ。
「蠣崎殿は浪岡殿の猶子でもあらせられます」
側にいた金浜が補足する。猶子、というのは他家同士で結ばれる親子関係だ。養子に似るが、それとも違う。
「はい、浪岡の通字である『慶』の字を戴いております。此度は浪岡御所様の使者として罷り越しました」
〝慶〟の字を強調して、こちらを、鶴のほうに楽しげな視線をじっと向けてくる。なんだよその視線。ていうか美少年にそんな目で見られると落ち着かないんだが。
「此度は、先日石川様からご提案された件の返答をお持ちしました」
慶広はそう言った。高信からのご提案? なんだそれ。
さっぱり事情が呑み込めず高信を見上げると、彼はいつもの楽しげな、いたずら気な笑顔を浮かべた後、慶広に向き直った。
「おおそうか、浪岡様からはなんと?」
慶広は懐から書状を差し出し、準備された盆に置く。高信の小姓が盆を持って経由し、まずはこの場では高信の家臣として金浜が受け取り、それから高信に渡す。
高信が書状の包紙を剥がし、中の書状に粗々と読む。さほど長い内容でもなかったのだろう、すぐさま手紙から視線を外した高信は、嬉しそうに慶広に声をかけた。
「大変結構、浪岡様には、我が本意を遂げ大変祝着、とお伝えくだされ」
慶広も笑う。
「私からも、浪岡様からの御伝言をお伝えします。『『慶』の一字、よろしくお使いくだされ』と」
え、慶の字? どういうこと?
首を傾げるこちらに対して、高信は抑えきれなくなったのか軽く吹き出した。
「どういうことなのですか、親父殿」
「いやすまんすまん。実はな、浪岡様に、お前に関してひとつ頼みごとをしていたんだ」
「頼みごと?」
「石川様が先日、ご提案されていたのです。鶴様が近々元服されるにあたり、浪岡の一字を使えないかと」
慶広が補足するように言う。
「お前の元服に際して、『慶』の字を使いたいと思ってな。それを浪岡様にも諮っておったのよ」
「え、え、え?」
浪岡の通字を、俺に使う?
「それって可能なのですか?」
まず頭に浮かんだのはそのことだ。
元服に際して上位者から一字を賜る。それ自体は通例と言っていい。だが、従属関係に無い家から一字を貰う、というのはほとんど聞いたことが無い。
いくら浪岡北畠家がこの日本の奥の世界において最も権威高き一族と言えども、石川家という南部家の一門の者が、浪岡という他家の当主から一字を貰う、という行為自体が、石川家の子息が浪岡に従属した、と見られかねない、ということでもある。
「いささか搦め手ではあるが、別に変なことではないぞ。こう言うてはなんだが、浪岡は津軽においては我ら南部が奉じる一族、という面もある。津軽のいと高き一族より、南部で郡代を務める男の子息が一字を貰うのは理にかなっているとすら言える」
高信はそう言った。確かに浪岡家は南部氏の支持の元津軽に入部したとも言われており、その意味では一字を貰うのもおかしくはない、という理屈も通る。
「一字を貰ったとて、浪岡の意に沿って動けというわけではない。名を戴くことにより津軽の者どもに、我ら石川ひいては南部と浪岡が良き関係にあると示すことが、両家にとって良いことであると浪岡様と話し合ったのだ」
なるほど、とは思う。津軽の諸氏は南部系非南部系を問わず、浪岡に対して一定の敬意を払っている。石川の子が浪岡の許可の元、『慶』字を戴くことで、彼らに対する影響力を行使できる、と高信は算段したのだ。
「しかし、それはその、南部の御家督様の許可が必要なのでは……」
さすがに他家との関係に関わる事柄だ。さすがに石川だけの独断で進めるのは不味かろう。
「実は、三戸にもこちらと同様の書状を送っております。別の者が使者として出向いています」
そう言ったのは慶広だ。
「既に打診はしている旨は伝えているぞ。これから俺が添状を書いて送る。今回の浪岡との境目争いと合わせて、話をつけるつもりだ。なに、境目争いと比べれば些事みたいなものだ」
なんというか、それは不意打ちというか謀事に近い類の行為なのではなかろうか。
正直、それでいいのか? と思わないでもないが、いずれにせよこれから俺の名前に『慶』の字がつく可能性はかなり高いらしい。
それにしても、元服か。今年で数え年十三才なので、少し早いが一般的な年ではある。
慶広はにっこりと笑って言った。
「同じ具運様より『慶』の字を戴く者となれば、我々は血縁も同じと思っております。私めも、ぜひこれから良き付き合いをお願いしたく思います」
慶広はそれから話題を変えた。
「それにしても、石川様が河原御所様の後見に入られたこと、浪岡の中でもなかなか物議を醸しておりますよ」
「ほう、ぜひ聞かせてほしいものだな」
高信は興味をひかれた、という風に眉を動かした。
「浪岡の家臣たちは、石川の横やりで浪岡の御所様が河原の御所様と手打ちになったことを訝しく思っております。いや、訝しく、というと角が立ちますな。困惑している、というのが正しいでしょうか。何分急にまとまった話ゆえ、まだ浪岡の侍たちはなんぞ事情でもあったのかと当惑しておるのですよ」
「なに、河原様に相談されたものでな、それが我らにとってちょうどよかった故、乗らせてもらったまでよ。浪岡の者たちには驚かれただろうが、浪岡に隔意はないゆえ、許されよ」
本当の所は、鹿角情勢の変化によるものなのだが、表向きはあくまで『そういうこと』になっている。鹿角情勢についてはまだ口外は出来ない。浪岡についても、鹿角に関しては具運と具信の周辺のみ知ることで、その情報を漏らさない――そういう約束だ。どこまで守られるか分からない約束だが、慶広の口ぶりを聞く限り、今のところそれは守られているらしい。
慶広はあけすけに語る。
「浪岡の者たちは、特に藤崎の城が修築され、そこに南部の兵が入ることを不安がっております。もちろん、浪岡と石川が結んだ約定に口を出す気はございませんが、その不安をご留意いただければ、と」
「なるほど、あいわかった。御所様とは誓紙を交わさせていただいたが、儂としても浪岡の御家臣方を不安にさせたくはないでな、何か手当を考えてみよう」
「ありがとうございます、その言葉を戴けただけでも、浪岡の者たちをなだめることが出来ます」
そして側においていた大小二つの木箱をこちらに差し出す。
「これは浪岡様からと、私個人からの献上になります。宜しくお納めくださいませ」
大きな箱の中に入っていたのは、白と茶の文様が鮮明な大きな毛皮、小さな箱に入っていたのは鳥の羽根だ。
「ほう、ラッコの皮に矢羽根か」
高信が感心する。ラッコの皮と言えば高級品と珍重され、上方では相当の高値で取引される商品だ。矢羽根も、蝦夷地で採れるものは上品と呼ばれ格が一つ上がる代物だ。
「私めはこのお役目が終わりましたら、浪岡を辞して蝦夷地に戻ることになりました。けれども、〝蠣崎家〟としても今後石川様とはお付き合い願えれば嬉しいです」
慶広の言葉にふと、ある記憶を思い出す。
「慶広殿は御嫡子になられるのか?」
何気なく言った言葉に慶広は今までと違う反応を――目元に少し驚きを乗せて、それから笑顔に静かな穿鑿の色を乗せて、こちらに問う。
「何故そう思われましたか?」
わずかに固くなったその言葉に気圧される。
「いえ、その……慶広様の兄君は病床にあると聞いております。もしかしたら、兄君に代わり蠣崎をお継ぎになられるのかと。いえ、大変失礼な話題でした、申し訳ありません」
なんとかごまかして頭を下げる。そういう風聞を浪岡から――具体的には具信から聞いたのは事実だった。
曰く、『蝦夷地蠣崎家の嫡男が病床にいる』と。
実のところ、病床にあるどころではなく、慶広の同母兄二人――舜広と元広は、姉の南条夫人に毒殺されている。
舜広は去年毒を飲まされて死亡し、元広は一命を取り留めたものの、回復せず今年死ぬ、はずだ。これは〝現代〟の歴史書に書いてある事柄だ。
――いや、慶広の様子からしたら、元広ももう死んだのかもしれない。
「……いえ、おっしゃる通りです。……先日、長兄の舜広に続き、次兄の元広が亡くなりました。男子の中で正室の血を継ぐのは私のみになりましたので、私が蠣崎を継がねばならなくなりました。当主ではなくまだ嫡男ですが」
穏やかに、だが悲しげに首を振る慶広は、酷く痛々しく見えた。そしてその姿すらなにやら美しさがあるのだから、本当の美男とは凄い、と思わざるを得ない。
「それは……お悔やみ申し上げます」
「儂からもお悔やみ申し上げる」
「ありがとうございます。……厳しくも楽しい他家勤めもこれで終わりと思うと、少々名残惜しくはあるのですが」
そう言って彼は寂しげに笑った。その姿は気丈にもはかなげにも見えて同情を誘う。
「蝦夷地に帰って落ち着いたら書状でも送ってくだされ。こちらとしても、知遇が御嫡になられるのであれば祝儀を送りたいと思いますゆえ」
高信は言った。いや、蠣崎氏は一応下国安東氏に従う被官なんだけどそれはいいのか。いや、だからこその提案か。
蠣崎氏は石川ひいては南部との縁を得たいと思っている――ということなのだろう。高信も蠣崎氏の嫡男――次期当主と繋がれるならばよい縁だと思っているようだ。加えて考えれば、浪岡の使者という立場で来ている以上、浪岡も同意の上と考えたほうがいい。
有力領主との交際は様々な面で家の力となる。お互いがそれを求めているのだろう。
「蝦夷地には、いつか叶うならば一度行ってみたいものです」
まあ、これくらいなら言っても構わないだろう。
「あはは、蠣崎の立場としては『いつ来てもかまいませぬ』とは言えませぬが、その時が来たら歓迎しますよ。そういえば、鶴殿の御母堂は葛西木庭袋の係累とお聞きしましたが」
「はい、そうですが……」
急な話題に首を傾げる。母のね子さんは確かに津軽地方に多くいる葛西一族の分流・木庭袋氏(喜庭・鬼庭袋とも)の出身だ。と言っても、その立場は本家筋から早くに分かれてもはや先祖の名前も分からないほどの遠縁で、身分はギリギリ武士身分という程度で、身代もちょっと豊かな農家程度のものだが。
「はい、私の姉は葛西木庭袋の一族である喜庭殿――最近は苗字を改められて小笠原信清殿に嫁いでおりまして。ということはその係累の御子である鶴殿も我ら蠣崎と縁がある、ということです」
「ははは、理屈はそうなりますね。いささか遠縁ですが」
少々無茶がある理屈につい苦笑してしまう。
喜庭殿こと、小笠原信清は、今は大浦氏に仕える葛西木庭袋一族だ。津軽の木庭袋氏は本家が絶えて久しいが、その中でも一番血筋が近く、一番勢力があるのが信清の木庭袋(小笠原)家だ。ただ俺とはほとんど没交渉である。ね子さんの父――自分から見て祖父である木庭袋一心斎様とは多少の交流があるらしいが、それにしても縁があると言っていいのか。
だが、ほんの少しの繋がりでも、先祖を同じくする一族である、という意識はこの時代とても大きいのも確かではある。
「遠縁であればこそです。最初は小さな縁であっても、後々大きく育って実を実らせたりするものです。私はそれを大事にしたいのですよ。石川様とも、鶴様とも、今後仲睦まじくしたいものです」
慶広は大人びた笑みを浮かべて言う。なんというかこの少年、かなりあけすけなことを言っているのだが、人柄ゆえか、それが嫌味にもならないし、人としてのえぐみにもならない。相手に好感を与える振る舞いが身についている。
そして自分も、それにほだされているのが分かる。
「では、この御縁、しっかりと育てねばなりませんね。拙者はいささか米を育てていますが、どんな稲もきちんと手を入れなければ育たぬものです。稲を育てるよう、縁も育てるように今後おつきあいできればと思います」
「鶴様の米作り、浪岡でも耳にしております。寒い蝦夷地では稲作は無縁のことゆえ、ご教授を賜れないのは残念ではあるのですが」
「? 蝦夷地でも稲は育ちますが?」
素でそう言うと、慶広と、それから高信と金浜も目を丸くした。




