第44話 今年の計画
永禄五年(一五六二)三月十三日
その日、俺は田んぼの一面を使って米のもみ殻を燃やしていた。
そばでは護衛として森宗弘宗が周囲を警戒している。
圃場に広げたもみ殻をガンガン勢いよく燃やす。もうもうと上がる白い煙が風にたなびくのを眺めながら、俺は燃えるもみ殻の匂いを嗅いでいた。
津軽平野もようやく雪が解け始め、濡れた圃場が太陽で徐々に乾いてきたので漸くこの作業が出来る。
「良い天気だなぁ」
「そうですね」
平野に吹く風は冷たいが、日は温くなってきた。冬の終わり、春の始まりだ。
そうやって、もみ殻をひたすら焼いては灰をまとめる、という比較的ゆったりした時間の取れる作業で一息ついていると、畦の向こうから兵六・利助・ヨシが歩いてきた。
「あー、鶴様。お疲れだぁ」
「鶴様、来たぞ」
「鶴様ー!」
「やあ皆。お疲れ様!」
「鶴様、何日ぶりだかな?」
兵六が笑う。俺は一番に頭を下げる。
「うちの田んぼを丸投げしていて本当にごめんね、一応何度か様子は見に行ったんだけど、やっぱり皆に集まってもらってお互いに話を通さないと、と思って」
「なんもなんも、鶴様もお武家様の仕事をするようになったんでしょ? お武家様は忙しいもの」
「今日の作業は武家というより農家のものだけどね」
「武家と農家の二足草鞋は大変ですね、鶴様」
「鶴様の場合、自分から苦労を買って出ているんだ、自業自得だよ」
と、ヨシがしみじみと呟き、利助が呆れたように言う。いつもの態度にこちらも楽しくなる。
今日利助たちを呼んだのは、兵六に任せていた自分の田んぼに関して話を進捗を確認するためだ。既に保温折衷苗代などある程度の技術を習得し実践している彼らなら心配はないのだが、だからと言って放置していいものではない。兵六には赤米の選抜も行ってもらっているので、手が回らないとはいえ様々なことを確認せず任せきりにしているのはプロジェクトの管理人としてはいかにも不味い。
「ところで、何やってんのす?」
兵六が煙を上げるもみ殻を眺めながら言う。
「もみ殻灰を急いで作ってるんだ」
もみ殻灰は貴重な肥料だ。今年は肥料を希望する家も多く、彼らに配るつもりで作っている。
「そんなの、自分たちに作らせればいいんでねえの? そったに難しい作りでもねえでしょ?」
「もみ殻を貯めていなかった、って言うからね。苗代用のもみ殻燻炭だってギリギリだったからね」
首を傾げる兵六に苦笑する。まだ始めたばかりで意外な資材が足りなくなるのはよくあることだ。そこも最初はフォローしておかないといけない。〝現代〟だって普及初期は役場や農協が資材を売ったり貸したりしていたのだ。
「……それにしたって多くないかい?」
「肥料として畑の全面に撒くからね。これでも足りない位だ」
「刈敷を灰にする――ってのはよく聞くけど、もみ殻だけってのはあまり聞かないな」
首を傾げる利助に俺は説明する。
「もみ殻の灰は稲が倒伏しづらくなったり、病気に強くなったりする栄養が入った、結構重要な肥料なんだよ」
イネ科の植物にはケイ素が多く含まれている。特にもみ殻はケイ素の含有量が多く、また利用方法があまりないので火にくべて燃料にしたりしているわけだが、ケイ素は稲の幹を強くして倒伏に強くなったり、病気にかかりにくくなる効果があり、冷害対策を考えても重要な肥料なのだ。こちらは量が必要になってくるので、もみ殻燻炭のような炭にはせず灰にしている。
こういった肥料の準備も大変なので、積極的に教えて自分たちでやってもらわなければならないけど、効果を上げなければ皆はついてこないので、今年は条件を一緒にしたうえで灰化もみ殻を撒いた圃場と撒かない圃場を作るつもりだ。予想ではもみ殻を撒いた圃場の方がよく成長する。そしてその“絵”を見せるのだ。肥料などの効果は見た目ではわかりづらいからこそ、視覚に訴えるのは大事だ。その上で、数量的なものを同時に計って数字としても出すことで文章としても残し、普及の手助けにする。〝現代〟なら研究所とか大学とかがやってるようなことの真似事だ。
肥料ひとつの普及にも時間がかかる。使えるツールを作るのにもひと手間だ。
「今年は肥料や土作りに関して頑張ってみたいと思っているんだ」
四人に抱負をこぼす。
この世界には、窒素とかリンとか、そういう概念・区分がまだない。その存在を広めるためには〝近代科学〟という下地がどうしても必要だけれども、それをこの時代に確立するのはさすがに自分には無理だ。
なら次善の策としてやるべきは、何の肥料がどのような効果をもたらすかを細かく分類することだ。
稲を丈夫にするには(ケイ素が多く含まれる)灰化もみ殻を。
稲全体の生長を促すなら(窒素が多く含まれる)大豆かすを。
稲の葉や茎数を生長させるには(リンが多く含まれる)鳥糞を。
といった具合になるべく肥効を細かく分け、メリットとデメリットを提示することでなるべく使うに際して使いどころを間違えないようにしていきたい。
〝現代〟の冷害時に窒素肥料を多く施用し、かえって稲がひ弱になって皆無作になった――なんて事例も多くある。冷害時にも肥料の使い分けは重要なのだ。
肥料の使い分け自体は江戸時代の農書でも行われているし、彼らの鋭い観察眼から当を得ている事も多いのだけれども、近代科学の知識を持っている分、自分の方では違う切り口で多少は正確に分けられると思うのだ。肥料にどれくらいの窒素が含まれているか、とかそういう定量を把握できないのは大変だし、肥料作りは時間も必要だからおいおいにはなるが、やっていこうと思う。ただでさえやることが山積みなのだ。
(まずは福王寺様に依頼している〝アレ〟が見つかってからだな)
「肥作りか……」
利助が嫌そうな顔をする。まあ気持ちは分かる。
「肥を作るのって臭くなるものな」
この時代、肥料となるのは糞尿の類だったり、草木灰だったりで、まあ作るのに臭うものばかりだし、作るのに人力をかけるとなると重労働だ。肥料作りと似た行程をする火薬床作りを見ればわかるが、糞尿や土を混ぜて何度もかき混ぜて新鮮な空気を入れたりしなければならないので、真面目に肥料を作ろうとするととても大変なのだ。嫌がるのはまあ仕方がない。
「臭いを厭うてたら良い肥は作れねえですど」
兵六が俺と利助を軽く叱って、利助が渋い顔をさらに渋くし、ヨシがそれを見て笑った。
「じゃあ、まず森宗」
「は、はい」
話を振られると思っていなかった弘宗が目を丸くする。
「農具の製作で何か報告はある?」
我々にとっての農具担当である弘宗は、少し考えてから話し出す。
「はっ……そうですね、雁爪と中耕除草具、それから鎖型除草具は野鍛冶にも頼んで数が少しずつ揃っています。鶴様が積極的に貸し出したおかげで、少なくとも領内では農具の存在や使い方も広がっております。ただ……」
「ただ?」
「まだ売れ行きとなると芳しくはありません。雁爪と鎖型除草具は手頃で買う者もいますが、中耕除草具となると安い太刀ほどの値となりますので、効果があると分かってもなかなか手が伸びないようで」
「そっかぁ。まあまだ出たばかりの道具だからな」
「中耕除草具は正条植以外だと使いにくいんだよ。正条植をして整然と植えないと使えないから、乱雑に植えた圃場では使えないし」
「逆に言えば、正条植を実施している家では価値を認めて購入する家は多いです。しゃがまずに除草が出来るのはやはり大きい」
利助が口をはさみ、弘宗が補足する。いちいち尤もな指摘だった。
新しく出た道具は需要にマッチしなければ早々すぐに普及するわけがない。中耕除草具は正条植があればこそ効果を発揮するわけで、正条植が普及しないと広まらない可能性がある、という事だ。まずは需要を作るための下地を作らないといけないわけだ。
まず最初は雁爪などで資金を貯めつつ、中耕除草具は正条植を広めながら抱き合わせで販売や貸し出しをしていくしかないだろう。
「あとは鶴様の指示で幾つか試作したものがそろそろ形になるので、後で確認してください」
「あ、出来たの? あとで行くわ」
思わず声が弾むと、弘宗は「鶴様の要望通りに作るの、結構大変だったんですよ……」と疲れたようなため息をついた。色々な農具の形状に対してあーでもないこーでもないと細かく口出しをした自覚はある。そのたび作り直しをしてくれたのだが、さすがにストレスが溜まったようだ。ゴメンて。
雁爪や中耕除草具以外にも作りたい農具はある。あんまり色々作っても仕方ないけど、試作はしておいて、いざという時に生産できるようにはしておきたかったんだよ。
ごほん、とごまかした。
「とりあえず農具のほうは分かった。あとは兵六、利助、ヨシ」
と、話を農家組に戻す。
「さっそく確認するけど、自分たちが担当している保温折衷苗代の進捗はどう?」
そう言うと、兵六たちは顔を見合わせ、それから笑顔を浮かべた。。
「うちの折衷苗代が今日出葉したよ。良い芽出しだよ」
「! そうか」
折衷苗代で蒔いた種籾が、今年も芽吹いたようだ。
兵六はいつものような穏やかな微笑みを浮かべて頷いた。
「この折衷苗代、芽出しが良くて水苗代に比べて半分で済むから、播く用の米が余るくらいだよ」
「発芽率が高くなる分、薄蒔きでいけるからね」
「そうは言うけど、いつも不安で厚蒔き気味になるんだよな」
利助が難しそうに言う。苗代づくりには厚播き薄播きがある。この時代は、〝現代〟と比べると、総じて厚播きだ。農家は厚播きという認識もあまりないだろう。
厚く撒くと当然ながら生える量が増える。生える量が増えるということはその分だけ一本一本に栄養が行きわたらず、ひょろひょろの苗になってしまう。それでも厚播きを行うのは、発芽率が低い為になるべく多くの苗を作らなければならないためだ。それ以外にも厚薄を決める基準はあるが、今まで厚播きに慣れていると、薄播きだと不安になって厚播き気味になるのは仕方ない。これも品種ごとの発芽の良しあしを見極めつつ、『薄播きでも大丈夫』だと見せていくしかない。
「あとはなにか困っていることはある?」
そう問うと、あ、と利助が思いついた。
「去年今年から折衷苗代を始めた連中なんだけど、上手くいかないとこっちに相談が来るようになってきて」
利助が困ったように言う。あー、そっちにも人が向かうようになったか。領主の息子には聞きづらいので、既にある程度の技術を知っている兵六・利助・ヨシに聞きに行く、というのは正しいけど、それで役目を与えている利助たちの手がふさがっては大変困る。
「後でその家を教えて、行けるなら直接行くし、無理なら俊加殿の手の者にお願いするから。もし話を聞かれてもどちらかに振ってくれて構わない。ヨシは、申し訳ないけど指南書をもう幾つか作ってほしい」
「大丈夫なのか?」
こちらを気遣うように利助が顔を曇らせる。
「……去年みたいになったら、鶴様今度は本当に倒れちゃいますよ」
利助とヨシが心配そうに言う。
「去年みたいな忙しさにならないといいんだけどね」
こればかりは蓋を開けてみないと分からない。忙しくならないと、いいなぁ……。
「まあ、興味を持ってくれている人が増えている、ってことだから良いことだよ。これからそういうことは増えると思うから、その時には俺に報告して、出来ないなら俊加殿と相談して」
逆に言えば、技術の教授が出来ると思われるくらい利助たちが知識を吸収してくれている、ということでもあるので、それは喜ばしいことでもある。
早く自分だけが知識を持っている状態から、周りが知識と技術を習得し彼ら自身の判断で農地を経営していく形にならなければ意味が無いのだから。
それから、と俺は話を変える。
「あとは今年作付けした稲について。利助、今の進捗と予定を教えてくれ」
利助に話を振る。圃場に何を作付けるかの権限は多くの場合は、小さな知行地の場合は所有者や知行主――この場合は俺こと鶴だ――や、大知行主の場合はそれぞれの圃場を管理する農民が決めるが、今年は兵六以外の作る赤米以外の圃場の作付けは、利助に任してある。それぞれの圃場の作人の意向も聞きながら、利助は植え付ける稲を割り振った。
「分かった。これは圃場を見ながら説明してもいいか?」
五人で圃場を歩きながら、利助は一つひとつ圃場に植える予定の稲を説明していく。
今年苗を作るのは
・越比寒立(白米・越比一号の変異種選抜):一反
・越比一号(白米・越前白坊×比内奥稲の交配種):二反
・越前白坊(白米・選抜):二反
・比内奥稲(白米・選抜):一反
・遠野五郎(白米・選抜):一反
・東日流早稲(赤米・選抜):二反
・三戸早稲(赤米・選抜):一反
これらをそれぞれの圃場に植える予定だ。既に保温折衷苗代に播種を終えている。そのうち、越比寒立と名付けた越比一号の変異選抜種――水口で育てた短稈の選抜種――は、半反を普通の圃場に、残る半反分を実験用の冷水田に植えこむ。冷水田に植えるのはこれに加えて越比一号と遠野五郎をそれぞれ四分の一反。遠野五郎は病気に強い特性を伸ばせるか、あるいはどこまで寒さに耐えられるかを試すためだ。
肥料は刈敷やもみ殻を灰にして施用する。また冬季湛水をしていた圃場には越前白坊と越比一号を一反ずつ植え付けて、他の圃場と成長度合いを確認する。
「今年はこんな感じだ。植え付けの時期は苗代の成長を見ながらやることになると思う」
「分かった」
「オレの任された田では東日流早稲と三戸早稲を苗代に播いたよぉ」
引き取って言ったのは兵六だ。どちらも赤米の早稲種だ。
「去年の赤米の収穫は去々年に比べてだいたい……どちらも全体的に三日位早くなってるね」
利助が作成した帳面――去年・去々年の稲の生育記録を見ながら確認する。種籾選別から発芽、出穂から収穫、脱穀までの折々の変化と期間、天候を記録したものだ。
こういう記録をつけて、年次ごとの成長を比較することが出来る。そうすることで、なかなか体感しづらい年ごとの生長の違いを理解できるようにしなければならない。
「鶴様の言うとおり、早めに成った稲を選んで種もみにしたけど、三日程度ならお天道様の機嫌次第で変わるものだしねぇ」
「まだ二年程度だからね、効果が出てくるのはこれからだよ。赤米は冷害にも比較的強いからね、しっかり育てておかないと」
赤米の良点は比較的寒さに強い稲が多く、低温でも発芽しやすく、新田などの粗い水田にもしっかり根を張り、かつ早稲が多いので早く収穫できるのが大きい。ただし収穫は少ない。あと不味い。常日頃の栽培ではあまり好かれない赤米だが、飢饉対策には必須の稲であるのだ。
どちらの赤米も名にあるように早稲なのだが、早稲をより速く収穫できるようになるなら、それだけでも飢饉に対するアドバンテージになる。
どの米が飢饉に生き残るか分からない。その為にもいろんな米を作って対応できるようにならないといけない。
こうして、現状の報告を聞き終えて、俺は皆に頭を下げた。
「皆、こうして事業が形になってきているのは皆のおかげだ。そしてこれから田植えの時期になる。今年もよろしく」
俺のまとめに四人が思い思いに返事する。
これでお開きとしたが、弘宗が聞いてくる。
「鶴様、この後はどうしますか? 農具でも見に来ますか?」
うーん魅力的なお誘いだけど、少し思うことがあり、俺は首を振った。
「それなんだけど、このもみ殻焚きが終わったら少し付き合ってくれないか、鍛錬に」
その言葉に弘宗は首を傾げた。




