第42話 事後のほうが大変
時間は、植物の生育は人間を待ってなどくれない。
今回の件で稲作の準備も自分では手が回らなかった。大半の事は利助やヨシや兵六に頼んでいたが、それでもやらないといけないことは山積していて、その遅れを取り戻すために走り回る羽目になった。今回の件は自分から発案したことなので自業自得とはいえるのだが、後悔はしていない。
幸い、農家への技術伝授は乳井福王寺の修験者の協力者たちが今年から手伝いに入ってくれたおかげで、去年よりは余裕が持てそうだった。というか去年がやばかった。
そうこうするうちに、浪岡での一件がほぼ合意に至り、自分がすることも少なくなったのだが、だがまだやらなければならない事というのもある。
そのひとつが、乳井の福王寺玄蕃に対する依頼だった。
「これが、ちいず、か」
乳井福王寺の堂内。
福王寺玄蕃はしげしげとチーズの塊を眺めてから、それを口の中に放り入れてもしゃもしゃと食べる。
「……ふむ、なかなか美味いな、嫌いではないぞ」
「滋養も多く、体を作るためにも必要な栄養があります。この食物を増やそうと考えております」
「ほう、稲も作って今度は牛の乳か。……まあ何ぞ思案のある事なのだろう」
福王寺玄蕃はいまいちよくよく分からない、という風に首を傾げた。まあ、いきなり牛の乳で食い物を作りますと言われても、だからどうした、という話だとは思う。
「で、お前の願いというのはなんだ?」
「このチーズ、いえ、蘇や醍醐を宣伝していただきたいのですよ」
「宣伝?」
「より正確には、この蘇や醍醐が功徳のあるものだという論理を作る協力をしてほしいのです」
要領を得ない、と首を傾げる福王寺様に説明する。
「牛の乳から生まれたこの食べ物を忌避する方は残念ながら多いです。その状況を変えたいのです」
明治維新になって牛乳やチーズ、牛肉が導入された時にそれなりの抵抗があった。〝現代〟だって乳臭さが嫌いな人はいた。この中世の時代は『牛から出てきた乳を飲む』という事自体に嫌悪感を抱く人も普通にいる。こういうものは理屈ではない。他の動物から得た分泌物を口にするのが嫌、という感情は否定できない。
宗教観から代えていくことでその感情を薄め、嫌悪感を払拭していく。そしてその宗教観を変えるにはこの時代では、やはり教団の力を借りなければ難しい。
「この食べ物が受け入れられやすくなるように、言説を作り、それを広めてほしいのです」
やっていることはいわば新商品のキャンペーンなのだが、それに寺社の強力な影響力を使おうというのだ。
「物を売るでもなく、理屈を作れと言うのか。食い物の為に理屈を作れなどと、初めて聞くわ」
「ええ、嫌うならまだしも、仏道に反していないのにまるで反しているかのように語られているものは、払拭されるべきです。お釈迦様が認めているものを、なぜ我らが否定できるのでしょう。食べられるものを増やすことで、飢えても食べられるものを増やし、餓人を減らすのです」
飢饉に際して、目の前に食べ物があるのに、食べ方を知らなかったり、宗教的な禁忌で食べられない事で飢え死にする、なんていうのは悲しい事によく起こっていた。チ―ズなどの乳製品も事前に慣らすことによって、そのような不幸が起こらないようにしたい。これもまた飢饉対策の一環だ。
「福王寺様は肉食を行い、鶏卵も食べるとお聞きしています」
「おぉ……お前、俺の悪評をなんでいきなり本人に語ってきおった」
唐突のdisにちょっとびっくりしている。
この福王寺玄蕃、肉食妻帯を行い、肉や卵も平気で食べる僧侶として、仏教徒としての評判はあまりよくなかったりする。彼が率いる乳井福王寺は山伏大名などと呼ばれ、津軽領に威勢を広げている一大勢力でもある。一地域勢力である以上、他領との争いもあるし、当然殺生だって行う。
禁忌を軽んじ、殺生すらも行う彼の振る舞いは、僧侶という立場からは白眼視されているのだ。
不機嫌そうな顔になる福王寺にフォローを入れる。聞いてくれ、必要な事なんだ。
「肉も卵も、俺は食べるべきものだと思っています。どちらも人の体を作るためにはとても重要な食べ物です。ですが、禁忌であるとして食べることは推奨されておりません。そういう食べ物を増やすべきではないと、俺は思うのです」
一度宗教的な禁忌がついた食べ物は、たとえ為政者が推奨してもそうそう広まらなくなってしまう。
ジャガイモは聖書に書かれていない食べ物だから、という理由で当初忌避された。それが無ければ、もっと早く広まったかもしれない。
先んじて宗教的な位置づけをすることによって、その食べ物に対する忌避感を薄めることが出来れば、普及という点でも効果的なはずなのだ。
「福王寺様も肉や卵のことでとやかくと言われておりましょう? そういう手間を、ます初手で減らしたいのです」
〝現代〟の人間からすれば迷信かもしれない。だが、宗教的に〝認められた〟という太鼓判は、宗教を深く信じる者が多いからこそ効果的だ。
「往古の仏教儀式でもこのような乳製品は膳に供されていたと聞きます。この蘇や醍醐――チーズなどの乳製品が仏道に適うものであると知れば、多くの人が口に出来るようになります。いざという時に食べられるか食べられないか、というだけでも違うのです」
「本当に突拍子もない事を考えるなお前は」
福王寺玄蕃は呆れたように言う。
「お前、凄い事を言っている自覚があるか?」
福王寺はわざとらしく眉をひそめてみせた。
「お前は肉食やら卵食いを禁じる仏道が間違っているのだと公言しているのだぞ」
「来世の前に、現世の人をまず救ってこその仏道です。食えるものを食うなと説いて危地にある者を飢え死させる方が、お釈迦様の道に背いています」
「お前……」
福王寺はこちらをじっと見つめて、いや、睨んできた。
しばらくの間、無言の時間が続く。それから福王寺はため息をついて見せた。
「……お主の変さは今更か。分かった。考えてみよう」
ちょっとdisられた気がするけどまあいいや。
「ありがとうございます。それからもうひとつ、こちらは稲作に関してなのですが」
「俊加から聞いているぞ、順調との事ではないか」
「いえ、まだまだ問題はあります。それでもう一件、お願いしたき儀が」
「またか……いったいなんだ?」
「良い山師を紹介して頂きたいのです」
「山師だと?」
山師、つまりは鉱脈を見立て、掘り当てた鉱山を経営する者たちだ。そして彼らは山を歩く修験者たちと重なり合う者たちでもあり、寺社はそういった技術者を多く抱え持っている。
「山師? なんだ、金でも掘りたいのか?」
金山かぁ。それも魅力的だけど。なんだったらある程度の場所も知ってるけど、今はそんなのはいらない。
「いえ、欲しい土が幾つかあるのです」
「土だぁ? 土ならそこらへんにいくらでもあるだろうが」
「いえ、土にも色々な種類がございます。俺が探している土は少々特殊で、その辺では採れません」
福王寺は苦笑を浮かべた。
「……おぬしは初めて尽くしばかりだな。金銀を探したいから山師を貸してほしいという横着な領主はけっこういるが、土が欲しいというものは初めてだぞ。……山師を貸すのはまかりならんが、我らを通してその土を探させてやる。それならどうだ?」
「ありがとうございます。土の詳細は――」
俺はその土の詳細を説明し始めた。福王寺は呆れ顔ながらもその話を聞いてくれた。
そろそろ夕刻に差し掛かる頃、話し合いを終えて石川城に戻ると、高信がこちらに近づいてきた。
「おう、精が出るな」
「親父殿、どうされました?」
高信が実に楽しげな笑みを浮かべている。……すげえ嫌な予感がよぎる。
「お前、人気者だな」
「……どういう意味ですか?」
まあ話そう、と高信の部屋に案内される。
部屋では出された酒とともに、高信はさっそくチ―ズを食っていた。気に入ったなこれ。
「今回の浪岡の一件、三戸にも報告している」
「はい」
「三戸宗家としても浪岡に手を突っ込むのは慎重だった。だが、我らが突っ込んだ。それ自体は多分追認という事になるだろう」
高信の言葉に内心ホッとする。石川は独立性が高いとはいえ、あくまで南部家の一分家だ。むしろ独立性が高いからこそ、本家との関係は常に考えなければならない。
宗家・三戸南部家は下位領主間での武力抗争が発生した場合でも仲裁に入らず、基本放置だ。武家としてどうかとは思うが、南部氏という巨大な領主の連合体だからこそそういう形態なのだろう。
だが、今回は浪岡という南部外の領主との対立だ。なので三戸宗家が出張ってくる可能性があった。
武力抗争の前の段階でおさまったから良かったものの、石川と浪岡が干戈を交えることになれば、三戸宗家が介入してきた可能性は確かにある。
……我ながら危うい橋を渡った実感が湧く。自分が、戦争の引き金を引きかねない事をしたのだ。
いや、そういう選択はこれからも起こるだろう。その時に、自分の力ではなく親父殿の、石川高信の力を借りざるを得なかったことが、自分の中で引っかかった。
(権力が、きっと必要なんだよなぁ)
語る高信の姿を見ながら思う。津軽郡代である父の姿だ。
捨て扶持だけ得て米さえ作っていられればよいと思っていた。けれども、今回の件はそれでは解決しなかっただろう。
もちろん権力を得たからと言って、解決することは限られるだろうし、それに伴う役目も果たさなければならないだろう。だが、それでも。
「おい鶴、聞いておるか」
「っ! すみません、ぼんやりしておりました」
高信の軽い叱責に我に返る。いかんいかん。
高信はこちらを訝しげに見ていたが、まあいい、と説明に戻る。
「で、今回の件は宗家にとっても重大事だ、その顛末を宗家の方で直接説明して欲しいとのことだ。御家督直々にな」
唐突に告げられたことに、回っていなかった頭が意味を徐々に理解する。
御家督。三戸本家の御家督。それに説明をしなければならない。それはつまり。
明らかに顔色が変わったであろう俺を楽しげに見て、高信は逃げ道を断つように言う。
「我らが御家督から呼び出しだ。直接お前の名前を出しての呼び出しだぞ? 御家督にも目をつけられたぞ」
(ああ……やっと米作りに専念できると思ったのに)
戸の外を仰ぐ。空は美しいほどに赤い夕焼けだ。
こうして俺は、三戸南部家の第二十四代当主・南部晴政と対面することに相成った。
ここでいったん打ち止めです。
またしても予定は未定ですが、今回は政治廻りの話が多くなったので、次は農業の話に戻りたい。
読んでいただきありがとうございます。




