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第4話 兄との親交、今後の歴史

 兄弟の間で領地を巡る争いはよく起こる、残念なことながら。

 自分と俺が争うかもしれない可能性を考え、弟にどんな存念があるのか知るために、彼はここに来たのだ。


 誰だって自分の領土が欲しい。この時代の武士ならだれでもそうだ。それなのに対立するかもしれない弟はあまりにあっけらかんとしていて当惑したかもしれない。

「正直な話、自分はあまりそういう気持ちはないんです。そりゃ身を立てられる程度の領地は欲しいですが、石川のような大領は器量のある方が治めるべきです。それに、俺には他にやりたいことがありますから」

「やりたいこと?」

「ええ、なので、それが出来るなら大人しく部屋住みになりますよ」


 俺は立ち上がって兄に笑いかけた。

「それに今日兄上に会って確信しました。兄上とはきっとうまくやれるって」

 子供の戯言にしか聞こえないだろうけれども、本当に自分は信直と対立する気はなかった。

「そうか……そう言ってくれるなら、心強い。私も、鶴とは仲良くしたい」

 信直は、バツが悪そうに笑った。内心を見透かされているのに気づいて、気が咎めたのだろう。 

(ああ、良い子だ)

 ふと、自分が転生する前の家族を、妹を思い出した。

 妹はこの子みたいに素直じゃなかったけれども、ちょっとばつが悪いことをするとよくこんな顔をしていた。ちょっとした懐かしさを覚えて俺は立ち上がる。


「兄上、では、自分のとっておきを教えます」

「とっておき?」

「こちらです」

 俺は郭のはずれにある板蔵に兄を誘った。板蔵の番をしていた家人に断りを入れて中に入り、棚のひとつに置かれた壺を取り出した。

「それは?」

「はちみつです」

 木蓋を抜けば、金色のとろりとした液体が満ち満ちている。

「蜂の巣を湯で煮込んでそれを絞ると、蜜蝋というものが出来ます。蜜蝋をこうやって枡のような入れ物の内側に塗って、女王蜂をこれに入れてやると、巣を作るんです。そして居ついた蜂がどんどん巣を大きくするので、それに合わせて枡を積み上げていけば、あら不思議、はちみつを取り放題」


 いやまあ実際はそんな簡単な話でもないけど。養蜂(ようほう)は昔副業でやったことがあるだけで正直専門外だったのだが、結構上手くいった。偶然、分蜂(新たな女王蜂が巣だって新しい巣を作る行動とその群れ)を見つけてそれを捕まえて以来、それを育てることが出来たのだ。

 木庭袋家ではこうやって蜂蜜を売って望外の儲けを出していた。今では家計を支える大事な大事な稼ぎだ。

 とはいえ、あまり大々的には出来ない仕事である。ただでさえ山賊夜盗が出るこの時代、城の外は養蜂箱をポコポコ置いておける環境ではない。木庭袋の実家では養蜂場を設けてそこに見張りを立てているが、ここではせいぜい城の片隅に置かせてもらうくらいが関の山だ。ま、城が広いからそれでもそこそこの量が作れるのだけれども。


「これは……御家の大事な稼ぎではないのか?」

「はい。ですが、これを発案したのは自分ですから。そのご褒美に、この瓶の分だけ私の取り分として食べる事を許されているのです」

 養蜂箱の名義だけは自分にして、実際に管理しているのはね子さんだ。そこで上がる数十貫もの売り上げも彼女が管理している。

「これは……鶴が作ったのか?」

「はい! なかなか凄いでしょう?」


 二人で炊事場に移ると、部屋の片隅においている自分の食糧箱の中から、今朝作ったばかりのきつね色の塊――パン生地を取り出し、火で炙り、はちみつを塗った。 

「小麦を挽いて練ったモノに酵母を混ぜると、膨らんでこういう風に柔らかくなります。はちみつと一緒に食べるとぴったりなんですよ」

 パンを作るのに合う小麦はこの時代の日本には自生していないので大変だったが、麺向けの現代で言う中力粉程度の小麦を見つけ、酵母には梅酵母を使った。梅ならすぐ手に入るからやりやすいのだ。触感は硬めだが、悪くないものが出来たと思う。


 パンをさしだすと、その見慣れぬ食い物をじっと見つめてから、兄上は一口ほおばり、そのずっしりもっちりした触感を口で反芻するように噛んでから、残りを食べてしまった。さすがに時間が経つとフランスパンみたいに固くなってしまうのだけれども、作りたてならまだ柔らかい。お口に召したようだ。

「美味いな。少し酸いのも良い」

 兄上は微笑んだ。果実酵母なので少し酸っぱいパンなのだが、そこも気に入ってくれたようだ。

「おぬしは、とてもよく物を知っているのだな。蜂の巣といい、よくそのような理に気付いたな」

 本当は気づいたわけではないのだが、それを言っても理解はされないだろうから黙っておく。

「いえいえ、そんなに詳しくないですよ。自分が知りたいものの理はさっぱり分かりませぬ」

「知りたいもの?」

「米です」


 心持ち力をこめて言い切る。

「米とはとても奥深い作物です。作っても作っても謎が尽きる事がない。その育ちを眺めているだけでも飽きる事がありません」

「そ、そうか……」

「人生五十年、たったの五十回、仮に倍の百年生きても百回しか米は作れないのです。それに、あちらの土地で良かったやり方が、こちらの土地では出来なかったりする。天気や水や土や数多の品種によって変化する稲の理を、わずか五十回で理解しなきゃならない。とてもそれは難しく、そして考えがいがあるのです」


 兄上は面食らっていたというか引いてた。いかん、熱が入っていた。

 こほん、と俺は咳払いをして、ちょっと真面目な口調をつくった。

「兄上、知っていますか? この津軽は、いや、この陸奥国は、他と比べて米を作るのに向いていません。何故だと思いますか?」

「……いや、考えたこともなかった」

「他国よりこちらは寒いのです。より正確に言えば、寒い時期が長いせいで生育期間が短く、稲の熟す時間があまりに短いのです」


 江戸時代の稲の生育期間を調べると、陸奥国のそれが約一二〇日から一五〇日なのに対して、西日本は一四〇日から二〇〇日も取ることが出来る。その生育期間の長さは、そのまま収量に直結する。

 稲作は様々な制約に縛られる。その中でも大きく厳しい制約があるのがこの陸奥国なのだ。

「ですが、それを変える方法はあるのですよ、兄上」


 この時代に来てから、何が出来るかを考えていた。農家の倅でしかない自分が何をすればいいのか。

 武士になり一通り武芸にも触れたがそちらの才能はどうも無いようだった。ならばやはり、俺には農業しかない。

「この寒さが長いこの土地でも、もっと収量が多く、安定して米を作る方法があるのです。それを実現できれば、この地はもっともっと豊かになる」

「そうなのか?」

「ええ、これから自分はそれを試すのです。そしてこの津軽を、いえ、この奥国を豊穣の地にするのです」


 現代の技術をこの戦国時代にそのまま持ってくるのはなかなか難しい。だが、上手くこの時代に合わせたやり方に改変できれば、きっといけるはずなのだ。

 こっちでもやれることはいくつでもある。武士だからって田を弄ってはならないなんて法はない。むしろ半農半士の者だって多い。来年か再来年になったら、田を借りれないか頼んでみる心算を既に立てていた。何か祝いの席を狙って高信に頼む。高信でなくても、母やその父に頼めば触らせてはくれるはず。それで色々と実験してみるのだ。


 信直は、目を丸くしていた。

「壮大な夢だな」

「武家らしくないでしょう?」

 俺は苦笑した。この時代の武士に理解が得られる考えとは思っていない。金浜叔父やね子にこの話をしてもいまいちピンとこないという顔をされたものだ。兄も、信直もそんな顔をしていた。

「かもしれない。でも、俺は好きだぞ、その夢」

 信直はそう言った。

「お前がやれば、稲がもっともっと健やかで強く実るのだろう? この景色が、もっと豊かになるのだろう? なら、俺もそれを見てみたい」

 それは、自分が思い浮かべていた景色と全く同じだった。


「来年か、俺は元服して田子の領地を貰うだろう。鶴丸、その時にその夢で何か力になれる事があったら言ってくれ。何が出来るか分からないが、出来る事なら手伝おう」

(あ、嬉しい)

 不意の言葉に心を突かれて、心の底からそう思った。

 十三歳の少年からそんな大人びた言葉をかけられるとは考えていなかったし、応援をしてくれるなんて言ってもらえるとは思ってもいなかった。

「……ありがとう兄上、そう言ってくれるのは、嬉しい」

 いまちょっと鼻の奥がツンときちゃって涙声になってそうだ。いかん。


「……兄上は、大人になったら何をしたいですか?」

「俺か? 俺は……」

 信直は虚空を眺めて言葉が途切れた。

「……いや、ダメだな。俺は鶴丸みたいに、これという目標はまだ見つけられていないんだ」

 はは、と信直は笑った。

「石川の、ひいては南部の家のために働きたい。そう思ってはいるのだが、具体的にどうしたいのかは決まっていないんだ。恥ずかしいな、一応兄なのに」

「……そんな事はないです」

 それは違う、と自分は知っている。


「兄上、兄上は真の棟梁となられる力がある人です」

 俺は断言した。

「父から何度も貴方の話を聞きました。文も武も年より秀でていて、とくに凄いのは、よく物事を見定める目を持っていると」

 高信から聞く兄は、聡く辛抱強い子だとよくほめていた。自分はそれを不思議な気分で聞いていたものだ。

 歴史上の人物(高信)が歴史上の人物(信直)を、俺の兄弟の話として語っているのだ。それでも、悪い話は聞かなかった。良い兄なのだろう、と想像を膨らませてもいたのだ。


「兄上、兄上にはこの国を背負える才があります。その才があれば、どんな目標でも達成することが出来ると思います。きっと、後は目標を見つけるだけなのです」

 この少年はこの後、幾多の困難を経て南部家中興の祖として名を残す。この人に「力」があるのは歴史が証明しているのだ。

 そんなことを言っても伝えられないだろうけれども。


「兄上の目標が出来た時は教えてください。俺もそのお手伝いがしたいです」

「……そうか、ありがとう。その時は、力を貸してくれ」

「約束です」

(せめて、すこやかにあってほしいなぁ)

 微笑む亀九郎を見ながら思う。この実直な少年が未来で酷い目に合わないでほしいと、なんとなく思ってしまった。



 信直は数日間津軽に滞在し、高信と共に津軽を巡検した。自分はそれに付き合ったり留守番をしながら、この時代の兄弟との交流を楽しんだ。

 帰りの日は瞬く間にやってきた。

「鶴、また会おう」

「兄上、今度おみやげに蜂蜜でも送りますね!」

 信直はお供の武士たちを連れて石川城から去っていった。


「ずいぶん仲良くなったようだな」

 一緒に見送った高信が笑う。

「あの兄上なら忠義を誓えると思えましたよ」

「生意気言うな……だが、そう思えたならなによりだ」

 高信が安堵するように言う。

「兄弟仲が良いのは良いことだぞ。俺たちくらいの身代になると、一族や兄弟との喧嘩が即、国を割りかねないからな」

「父上の兄弟は仲が良いのですか?」

「それなりにな」





 兄と別れを済ませて、自室に戻る。母に無理を言って獲得した一人部屋だ。

 葛籠の奥の奥に隠した巻物を引っ張り出す。石川城の麓に建つ三斎市で売っていた紙を継ぎ足し継ぎ足しして作ったお手製の巻物だ。各所に大量の付箋が張られ読みづらくなっている。


 ずらずらと書かれているのは、年表だ。

 自分が記憶する限りの、北東北でこれから起きる出来事を箇条書きにしたメモだ。

 その永禄元年の項に付箋して朱筆で『元服前の南部信直、石川高信と共に津軽へ来る。記録には無い行動。俺がいたせい?』とメモを書き込む。

「改めて見ても、厄介だよなぁ」

 永禄から先の記述を改めて見ながらため息をつく。すすす、と指を向けてぴたり、と止める

 指を止めた項には、こう書かれている。



・元亀二年(一五七一)五月五日 大浦為信(おおうらためのぶ)が挙兵し、石川城を攻め落とす。石川高信戦死。翌日、和徳城(わっとくじょう)も陥落する。



 ――少しだけこの後の歴史の話をする。

 この北奥の地で戦国時代を生き残って領主として成りあがるのが、南部氏と津軽氏だ。彼らは南部藩と津軽藩となり、江戸時代を通じてこの地を支配していく。

 津軽地方においては、南部氏の旗下にいた津軽氏(戦国時代は大浦氏を名乗っていた)が、南部氏からの独立を目指して反抗の旗を上げ、石川氏、大光寺(だいこうじ)氏、浪岡北畠(なみおかきたばたけ)氏など津軽の諸勢力を下してついに津軽を手に入れるのだが、後世の歴史で一つ問題となる事がある。


 統一の時期や経緯などの時系列が、南部藩の歴史書と津軽藩の歴史書ではまったく違うのだ。


 南部氏の後裔である南部盛岡藩が描く歴史では、津軽為信が挙兵して津軽を占領するのは天正十八年(一五九〇)とされる。

 一方、津軽弘前藩が描いた歴史では、津軽為信が挙兵するのは元亀二年(一五七一)で、その後為信は津軽征服を進め、天正十三年(一五八五年)に統一を完成させる、というのがその筋立てだ。

 さらに正確に言えば、俺がこちらに来る直前の最新研究では、両者の歴史書とはまた違う様相が見えるのだけれども、まあそれは今は置いておく。


 そしてその歴史の齟齬は、石川高信の死去年にも関わってくる。

 津軽藩の歴史書では、石川高信は元亀二年(一五七一)五月五日、ちょうど端午の節句に大浦為信によって城を落とされ、殺されたとする。

 だが、南部藩の歴史書では、石川高信は天正九年(一五八一)に老衰で死去したとしているのだ。両者の説の差は十年以上。

 これのどちらが正しいのか、現代に至るも分かっていない。研究史的には元亀二年説のほうが有力視されているけれども、こちらの説も根拠となっていた書状の年代がもっと後の時期のものだと調べ直されたりしているので天正九年説も可能性があり、どちらとも言えない状況だ。

 これに南部氏の家督騒動や津軽氏による津軽制覇の話をしていくともっとメンド……もとい複雑なのだけど、その辺は閑話休題。


 まあつまりは、石川高信がいつ死ぬか、かなりあやふやなのだ。この時代に来て頭を悩ませたのがそこだ。

 ありていに言えば、この事件は自分が一番影響を受ける可能性が高い事件だ。今の自分は石川高信の息子(そして南部信直の弟)で、石川城に住んでいる。ありていにいって、為信の最重要ターゲットのひとりになるわけだ。


 もしこの事件が起きるなら、今から十三年後、数え年二十二歳で俺は死ぬ可能性が高い。

 それなのに、事件が起きるか起こらないか分からない――未来をある程度知っているにしても、それに定説がないのだ。別の日本史で例えて言うなら、桶狭間の戦いが起こるか起こらないかそもそも分からないようなものだ。


 仕方ないので『全ての事件が起こることを前提に』動くようにするしかないのだけれども、どうやって対応すればいいかも正直分からないわけで。

 とりあえず死ぬのは嫌だ。なので元服したころを狙って石川以外のどこかに領地を持って自衛できるようにしたい。出来れば津軽以外の場所だといい。そこで米を作って生きていきたい。今の望みといえばそれだけだ。


 もちろん、今の父親である高信には死んでもらいたくない、という素朴な気持ちはある。だがそうなると大浦為信と対立することになるだろうし、武人としての才能が無い自分の力には正直手が余る。元亀二年に至るまでにも南部家では色々な事件が起きるから、この件はもうちょっと考えてから決めよう――。

 その時の自分は、そう悠長に考えていた。

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