第38話 仕込み
永禄五年(一五六二)一月二十五日
津軽の一月は道もなくなるほどに雪深い。街道ぞいには雪避けの木々が植えられるが、それも風が吹けば吹雪の勢いを止める事は出来ない。たとえ吹雪が止んでも、雪の積もった道を歩いていくのはやはり疲れるものだ。積もった雪が厚ければそもそも歩けなくなる。
鶴は『道に木じゃなくて雪避けシャッターを設置したいわ』とぼやいていた。金浜信門は〝しゃったー〟なるものを知らなかったので聞いてみたら、開閉式の防風柵のことだそうだ。街道沿いに防風柵を並べるなどなかなか贅沢だが、雪を漕ぎながら歩く位なら確かに便利かもしれないと思う。
そんな雪の道中を押して、石川鶴の家臣・森宗弘宗と金浜信門は浪岡御所を訪れた。
「斯様な日によう参られた」
悪天候の来客に、ちょうど正月儀式が終わって一息ついていた浪岡具運は快く受け入れた。
少々体を温めた後、正装に着替えた弘宗と金浜は浪岡御所の前に伺候した。
「本日は何用かな」
「ははっ。本日は我が主君、石川左衛門の言づてを伝えに参りました」
「ほほう、石川殿から。承ろう」
「まずは一件ですが、近々、藤崎の城に兵を集める調練を行いたく考えております。浪岡様にもお伝えせねばならぬと」
「藤崎で調練とな?」
藤崎は南部氏の直轄領であり、石川高信の管理下にある。その中心である藤崎城は今は使われていない廃城だが、平賀・鼻和・奥法の津軽三郡の境が接する場所にあり、戦略上重要な場所である。郡としては浪岡の領分である奥法郡に属しており、浪岡とも関係が深い場所だ。
「はい、参加する兵は百名ほど。川と道を使い緊急時に集結する訓練をしたいのです」
「近々という事は、このような季節にか?」
具運は眉をしかめて外を見た。ギシギシと建物がなるほど強い風と雪が吹き荒れており、行軍するだけで落伍者が出そうな天候だ。
「このような季節であればこそです。我が主君はどんな時でも戦えるように、様々な下調べをしたいと仰せです」
「戦いの準備を藤崎でとは、穏便ではないのう」
具運は今度ははっきりと眉をひそめた。聞きようによっては、浪岡相手の戦の準備をしようとしているとも聞こえる。
金浜はさらに深々と頭を下げる。
「これは我が主君の言葉としてお聞きくださいませ。この調練は、河原御所様への態度の表明であると」
「……ほう。詳しく申せ」
「我が主君は浪岡様との関係を重要なものだと考えております。それを壊すようなことは、一切望んでおりません。我が家中の者が浪岡の家中に無理に関わることもです」
それは言外に、鶴の行動の事を示していた。
そして石川高信は、石川鶴の行動を支持しない、と。
「なるほど、石川殿がそれを表明してくださるのはありがたい事であるな」
「藤崎の隣にある溝城は川原御所様の所領です。我が軍勢が藤崎に屯して藤崎と河原御所様の領地の境ぎりぎりまで出てくれば、河原御所様もその意味を察しましょう。石川は浪岡の味方であると、改めて示しておきたい、と我が主君は考えております」
藤崎は浪岡具信の領地と境を接している。そこに石川の軍勢が武装状態で出て具信領を威圧すれば、石川が具信の味方をしないことを表明することが出来る。百名程度なら脅威にもならないが、示威には十分だ。
高信は具信を切るのだ。
「石川殿の御子息は具信殿と懇意であるな」
具運は確認すべきことを問う。元々具信に協力しようとしていたのは鶴だ。金浜はすらすらと答える。
「鶴様は主君の命によって謹慎しております」
「謹慎とな」
「はい、浪岡様にご迷惑をおかけしたことを、我が主君は重く見ております。しばらくの間は外に出られないよう、きつく言い聞かされております」
「それはまた、思い切ったことをなさるの」
仮にも息子に対して謹慎を命じるなど、なかなか重い沙汰だ。農家を飛んでまわっている鶴自身にとってもかなり厳しい処分だろう。
これは浪岡側に対する明確な手打ちだった。具信と関係が深い鶴を謹慎させ、具信と協力することが無いことを態度で示したのだ。
鶴の守役である金浜が使者となり、森宗弘宗をこの場に連れてきたのも、高信が鶴の回りを掌握していることを示すためだ。
「いやいや、迷惑などとは思っておらんが、石川殿も殊勝なことだ」
具運は満足そうに頷いた。
「だが、そのような事情であれば反対することはない。調練の件、承ったと石川殿に伝えておくれ」
「御所様のご深慮に感謝いたします」
金浜は付け加えた。
「僭越ながら、浪岡様におかれましては、この調練の件を他言しないで頂ければ幸いです。何も知らずに事が起こればこそ、それが起こった時の驚きは大きくなります。河原御所様にもそれを感じてもらった方が良いかと愚考します」
「なるほど、道理じゃの。良かろう、他言無用じゃ」
「ありがたき幸せ」
それから最後に、金浜は命ぜられていたこととは別の用件を切り出した。
「これは、石川鶴の守役としてのお願いにございますが」
「どうされた?」
「我が領は八戸様から白土というものを買っております。ですが先年、それを止められてしまいました」
「ほう、それは御難儀なことだ」
具運はうっすらと笑みを浮かべたまま頷いた。止めたのは他ならぬ具運なのだから白々しくも感じるが、金浜はそう思ってもおくびにも出さない。
「浪岡様は八戸殿とも御関係が深いお方、もし問題が解決しましたら、ぜひ八戸殿への御口添えをいただきたく」
その言葉に具運はほう、と感心するように笑う。
「守役とは二人の主君に仕えているようなもので大変だろうが、そなたはよく折り合いをつけておられるようだな、金浜殿」
「……何が二人にとって最善なのか考えるのが臣の務めと考えております」
「鶴殿は周りに恵まれておるな。息子を良く考える親、主君をおもんぱかる家臣がいて幸せ者よ」
金浜の返答に、具運は満足げに笑った。
「問題が解決したら考えておこう。金浜殿、今回の事にめげず、あの者がよく成長するよう、しっかり支えるのだぞ」
「ありがたきお言葉」
「森宗」
具運は今まで黙っていた弘宗に声をかけた。
「お主はここに残りなさい。なに、時間は取らせぬよ」
「……ははっ」
金浜が退出し、具運は弘宗と向き合った。
具運が弘宗を残したのは、彼の口から何か裏が無いのか、その確認だ。
「さて、石川殿のご意志は金浜殿の言上で相違無いか?」
弘宗は神妙な面持ちで頷いた。
「はい、石川様にとっては、津軽の安定の為に御所様との関係を大事にしたいようです」
「鶴殿はどうであった?」
「鶴様は素直に受け入れました。白土の件が堪えたようです」
「効果があったようで何よりだの」
「最近は、私は警戒され避けられるようになりました。仕方ない事ではありますが」
「ははは、悪い事をしたの」
具運は弘宗の愚痴に笑う。鶴にとっては弘宗が場合によっては味方ではない、と改めて知らしめられたことも身に堪えただろう。
「それにしても軍勢を出すとはなかなか思い切った方法を考えるものだな」
「石川様は、自分の息子が具信様と交わって浪岡と対立しかねない事を強く懸念しておいででした。石川高信には底意はないこと、よくよく御所様に知らせてほしいとおっしゃっておりました」
「あの南部の荒武者が困るとは、息子にずいぶん手を焼いているようだな」
「いえ……」
「石川殿は他に何か言うておったかな。例えば周りの地域のことなど」
「? いえ、特には」
弘宗は首を傾げ、横に振った。
「……左様か、ならばよい」
(嘘は、無かろう)
具運はそう判断した。
武断を以て鳴らす石川高信はその実、大変に慎重な男だ。そして同時に、津軽の安定に心を砕く男でもある。浪岡御所は高信の言動に常に注意しており、高信が浪岡との関係を壊したがらないのも、その言動の範囲内だ。
それが崩れるとしたら、周辺の情勢が変化した時だが、弘宗などの報告も含めてそのような兆候はない。
「石川殿は津軽や南部全体の事をよく見ておられる。鶴殿もそこを学んでくれるかの」
具運は目を細めた。
「特異な才を発揮する時でも、政事が絡む時は必ず来る。鶴殿の年でそれを良く知れたのは良い事じゃよ」
目を細める具運に、弘宗は何も感想を述べることなく、ただ頭を下げた。
金浜と弘宗が帰還するのを待って、石川高信はまず藤崎城に建材を送り込んだ。藤崎城は現在ほとんど使われていない城だ。城で兵を休ませようにも建物に限りがある。
さらに、忍びと使者を使い、河原御所・浪岡具信の動向を探らせた。具信はこの冬は浪岡城下の河原御所の館ではなく、領地の溝城に入っており、動く様子がないという。
その情報を待って、石川高信は軍勢を招集した。
永禄五年(一五六二)二月十日
あらかじめ根回しを整えていた軍勢は、雪道を押してあっという間に石川城に集結した。集結を命じた日が、風もなく晴れていたのも良かったのだろう。
夜が明ける頃の石川城は、兵が集まった時のざわめきに満ちていた。
集まってきた兵たちは、蓑帽子と厚手の藁笠に藁靴に身を包み、少し豊かなものは厚手の陣羽織を羽織って少しでも寒さを和らげようとする。深雪でも歩けるようカンジキを持参したその軍勢は、旗印や腰に刷く刀を見なければまるで軍勢には見えない。
だが、それは紛れもなく軍勢であった。
数日前とはうってかわって、雲ひとつない快晴だ。吹雪だったらさすがに難渋しただろうけれども、この天気なら進みやすい。調練としては吹雪いていたほうが実践的で良いのだろうが、今回の件は調練ではない。あえて言うなら、政治だ。
俺は準備が進む軍勢の片隅にいた。謹慎しているはずの自分が目立ってしまってはいけない。どこに誰の目があるのかわからないのだ。
気がかりなのは、運んできている荷物だ。
「弘宗、荷物の様子はどうだ?」
数頭の荷牛の前で荷物を点検していた弘宗に問う。
「普段よりは行軍も遅くなりそうなので、大丈夫かと思います。荷牛のほうにも着くまでに寒さで体調を崩すこともないかと」
一頭の子牛の顔を優しく撫でてやりながら弘宗は頷く。
「懐かれたな」
「やんちゃでついてこないか心配ですよ」
「連れていくか?」
「さすがに無理です。母牛も連れて行かなければならなくなります」
「そうか、ならいい。荷牛には特に気を付けろよ。頑丈なものを選んでもらったけど、万が一ってこともあるしな」
今回の件では具信に幾つかの『提案』をしなければならない。その為の荷物は大事にしなければならない。
「……鶴様」
弘宗は鶴の乗る馬の脇に立ち、こちらを見上げてきた。
「……私はこれで御所様を欺いたとして、浪岡には居られなくなりましょう」
「そうだね。それは申し訳なく思っているよ」
「いえ、鶴様が申し訳なく思うことなどありません。元より二君にまみえる立場だったのは自分です。このような事が起きるのは仕方のない事でした」
これから石川高信と鶴たちが行う事は、浪岡に伝えた調練とは全く別の事だ。
事が露わになれば、本来それを伝えるべきだった弘宗は浪岡側に糾弾されるだろう。沙汰次第では、領内に戻ることは出来なくなるかもしれない。
だが、弘宗はそれを選んだ。浪岡に報告に言ったあの日、何も喋らない、という選択肢を取ることで。
弘宗はこちらに向き合った。
「……鶴様は、自分がありたい武士の姿があるならその実現に手助けする、とおっしゃってくださいました。その事は、大変嬉しく思っています」
「そう……どうしたいかは、決めた?」
こちらの問いに、弘宗は首を横に振った。
「いえ。自分はまだ、こういう武士でありたい、という以前に、鶴様に忠義を示す事すら出来ておりません。あまつさえ御所様が白土に口を出すのを手助けし、それを止めることも出来ませんでした。それでは武士として半人前です。今はまず、自分の持てるもので本分を尽くすべきだと思います」
弘宗は置いていた荷物の中からそれを持ち出し、恭しく跪いてそれを、一振りの太刀を差し出した。
「今の自分の渾身の技術を籠めて打った一振りです。鶴様に献ずるにはまだ未熟かもしれませんが、この出来ならばかならずや御身の役に立ちましょう」
差し出された太刀を手に取り、無垢の鞘からすっと抜く。
自分には刀の良し悪しはそこまで分からない。だが、ムラなく素直に伸びた刀身は、美しく雪の照り返しに輝いていた。
「私の」
弘宗は顔と手に出来た無数の火傷痕をゆっくりと撫でる。鍛冶をする時に飛び散る火花や鉄滓で出来る、鍛冶を業とする者に必ず出来る痕だ。
「鍛冶の技は誇るべきものだと、武士には様々な形があるのだと、鶴様は気づかせてくださいました。今は、その可能性を伸ばしていきたくあります」
「そっか。なら、良かった」
俺はその刀を腰に佩く。自分にはまだ少し大きいが、なかなかサマにはなっているのではないだろうか。
「似合う?」
「まだ少し刀に着せられていますね。でも、もうすぐですよ」
軽口にお互い笑いあう。
「森宗弥次郎弘宗、そなたの忠義、確かに受け取った。これからよろしく頼む」
「はっ!」
そのまま準備を滞りなく終えて、その報告をするために高信の元へと行く。
ガタイの良い体にさらに甲冑と防寒具を羽織っているので、いつもよりもさらに一回り大きく見える。
奥亭の前で家臣たちに指示を出していた高信は、手にした書状に目を落として珍しく困ったような顔をしていた。
「どうかしましたか?」
首を傾げると、高信はこちらを見て、おう、と手招きした。
「鶴か、ちょうどいい。これを読んでくれ」
と、手にした書状を示した。
「石川の境目を警備している者からの連絡だ。お前の報告があってから国境の警備を厳しくしていたんだが、間道のさらに道はずれを抜けようとした者が引っかかってな」
鹿角衆の安東内通が報じられてから、高信は秋田境を始め、津軽境の各地に兵を送り込んで人の出入りの監視をひそかに強化している。南部本国からの支援も既に入っており、その情報は高信にも上がるよう手配され、現在高信の元には様々な情報が入るようになっている。
「なかなか奥深いところでな、普段なら見逃すところだった。この情報、お前はどう思う」
手渡された書状を一読し――俺は思わず天を仰いでしまった。
それは、〝史実〟には残っていなかった情報だ。だが、未来の展開を知る自分にはその意味が分かってしまった。そういう類の情報だった。
けど、これを知れたのはあまりに大きい。
「……親父殿、これは奇貨です」
俺は高信を見上げる。
「これでおそらく、具信様を説得できるかもしれません」
「……何故そう言える? そこまでの情報か?」
「この情報こそが具信様の急所になるかもしれないからです。……ひとつ調べてもらいたいものがあります」
「なんだ?」
「この者がどこを歩いて津軽まで来たのかの経路を」
具信様の事を考える。あの時涙を流した時から既に心を決めていたのだろうか。
浪岡家を滅ぼす決意を。