第34話 時期
「何か分かりましたらすぐさま権四郎を遣わします。面白い話が出ればいいのですがね」
楡は数日後、準備を整えて旅立っていった。
彼らからどんな報告がされるか、あるいはされないのか、待つしかない。
その間にこちらも様々な事を進めておかないといけない。自室にこもり、書付を作っていく。
まずは、具信に提案する案を早急に詰めなければならない。説得できる材料が来た場合と、こなかった場合の案をそれぞれ作り、備えないといけない。
それまで高信にはバレてはいけない。あくまで『自分と懇意の商人が商い先で鹿角衆の内通を知り連絡してきた』というていを取れるなら取りたいし。未来の知識で行動しました、なんて説明できない。そこがかなり難しいのだが。
同じ理由で金浜にもばれてはいけない。金浜に話すのは情報が入ってきてからだ。ただ、高信が介入する以外の部分、純粋な農業関係の支援内容で同意を得ておく必要はあるかもしれない。
あと注意しないといけないのは、弘宗だ。
彼が浪岡御所と繋がっているのは公然の秘密だ。弘宗経由で具信に対する計画が漏れる可能性がある。
彼に今回の、鹿角郡を探っていることが漏れるのはちょっと不味い。
彼の奉公振りにはとても感謝している。けれども今回の件に関しては彼を関わらせる事は出来ない。
その為には弘宗と接触しないことが必要だが、普段日常的にやりとりしているのに、下手に突き放すのは不自然だし、そこから浪岡に勘ぐられたら目も当てられない。不自然にならないように、金浜と同じ程度の情報を漏らす事は必要かもしれない。
楡からの返答が来るまでの間、どこかに出張してもらうか。用事は思いつかないけれども、用事が無ければ用事を作るか。少しの間どこかに何かの買い付けでも依頼して、ちょっとの間石川から離れてもらえばいいのではないか。
しかし、買い付けが必要なものなんてあったかな……。
「まあ、俺が変なものを買い付け命じても誰も疑わないだろうしなぁ」
とはいえ無駄遣いは避けたい。貰っている予算だって無限ではないし。
それとは別に具信の領地の改善案もちゃんと考えなければならない。稲作技術の提供はするとして、他に何か得になる方法があるかどうか。
考える事が多すぎる。どうにも煮詰まってきて、部屋を出て廊下から外を眺める。
ひゅうと風が吹く。冬の冷たい空気の匂いがする。もう少しで雪も降るだろう。
この時代の農家は、家にこもって家仕事や保存食を作ったり、山立――あるいはマタギと呼ばれる男たちは山に入ってシカやクマを取ってくる季節だ。こうした肉は、冬場になると市に出てくるようになり、食糧が不足しがちな冬場の貴重な食料源となる。この時代、肉食禁忌が強いとはいえ、こうした猟で取られた肉は公然と食べられていたりする。
「……昔は冬場は何をしていたっけなぁ」
農閑期の農家は〝現代〟でも出稼ぎの時期だ。自分は建設会社に勤めていたので、この時期は除雪車で雪かきをしたり、工事現場があれば出かけたり。仕事が無い時は父の酪農の手伝いをしたりもしていた。農閑期は本業が無いなりに忙しく働いていたもので、これは雪深いこの土地ではいつの時代も同じなのだろう。
「あ」
ふと、かつてしていた仕事を思い浮かべた。そういえば、あの仕事はこの時代でも実践出来るだろうか。
脳裏に浮かんだ仕事をじっくりと考える。……いけるかもしれない。
永禄四年(一五六一)九月二十四日
「手助けは、今は控えたほうがいいでしょう」
石川城の奥亭で、具信に対する支援を考えている、と切り出した時に帰ってきた金浜の言葉だ。
そばには弘宗もいる。洩らせる情報を先んじてこちらから伝えたほうが怪しまれなくていい、と判断した。それに、純粋に浪岡家中の立場から見て自分の動きがどう見えるか知りたかった。
漏らすのはあくまで具信に対する支援を考えている、という事、そしてその内容はあくまで自分の領分である農業に関わることだけ、という点だ。具信を救うための〝政治的な〟施策や、安東が調略を進めているとかは漏らさない。
「具信様が鶴様に何を伝えたのかは存じませんが、想像は出来ます。おそらく、浪岡御所様に対する不満めいたものを聞いたのでしょう」
当たり。まあそれくらいは想像できるか。
「ですが、その対立はあくまで他家の事情、浪岡家中の問題です。仮にも御所様という身分高き家の騒動に口を挟む可能性があることは止めておいた方がいいです。下手をすれば石川家と浪岡家の争いになりかねません」
「別に両者を仲裁するわけじゃない、ただ農事の事で手助けするだけでもそうなる可能性はある?」
「ありますね。特に立場が危うい側にわざわざ手を差し伸べれば、浪岡側は鶴様の意志ではなく石川の意志とみるでしょう。そうなれば浪岡側は、石川による浪岡への侵犯とみなしてくる可能性があります」
「そうかー」
「浪岡の御所様も、鶴様に忠告めいた事をおっしゃっておりましたよね。おそらくですが、具信様との距離を取ってほしいのでしょう」
薄々思ってはいたのだが、金浜の言葉で改めて認識する。
二年前と違い、浪岡と河原の対立がさらに高まったという事なのだろう。その状況で、こちらが支援をすることは政治的な含意が出てしまうのだと、具運様も遠まわしで知らせたかったのだろう。逆に言えば、わざわざ忠告してくれるあたり、具運側の好意とも言える。
「今、津軽は比較的落ち着いております。そこをみだりに波立たさせるのは、高信様は望まないでしょう」
金浜は首を振った。それから弘宗が遠慮がちに口をはさむ。
「……具信様は、浪岡家中では孤立気味です。御所様との対立は、先日境目争いで負けた事で具信様が屈服したと浪岡家中で思われています。それを今から手助けすることは、御所様は快く思わないと思います」
「自分が金を貸してもらった時は具運様も認めていたんだけどなぁ」
「この二年で、情勢が変わったという事なのだと思います。それに……」
「それに?」
「鶴様の技術についての概要は、私も伝えています。御所様は鶴様の技術が実際に効用があり信用に足りるものだと判断されたのだと思います。それを河原様に提供するのは、あまり喜ばないでしょう」
なるほど、別の言い方をすれば、具信を手助けできる程度には脅威になる技術だと思われているか。
ちょうどいい機会だ、聞いてみたかったことを金浜に問うてみる。
「……浪岡は最近街道整備をしているよね。親父殿や金浜は、浪岡が街道整備で何を目指しているかは知っている?」
具信が声を荒げて批判していた、安東と繋がる街道の整備構想。あれは南部氏や石川にとっても好ましいものではないはずだ。そして別に隠しているわけではないので、高信とてある程度の事情は知っているはずだ。何故高信はそれを黙認しているのか。
「もちろん存じております。あれが彼らの自立を目指して行われている事も、安東との協力も視野に入れていることも。高信様はご承知の上です」
金浜は頷いた。
「南部としては、浪岡に力をつけてもらいたくないんじゃない? 彼らは安東とも好を通じている。南部から自立して安東と結んだら危険だと親父殿は考えていないのか?」
「確かに南部に取って浪岡があまりに力をつけるのは望ましくありません。ですが、まだ許容範囲内です。浪岡殿は立場上、安東殿との手も切れないですし。下手に浪岡家中に手を出していらぬ敵を抱えるほうがよほど危険です」
金浜は講義する教師のようにすらすらと説明をする。なんか久々に守役っぽいところを見ている気がする。
「浪岡は決して敵ではありません。津軽という地域が安定しているのはかの家の存在も大きい。彼らの街道整備は、その安定をさらに盤石にし、津軽全体を豊かにする事にも繋がります。その安定と富貴は南部にとっても理のある事。高信様は郡代という立場として、そうそう浪岡家と争うわけにもいかないのです」
それに、と金浜は言葉を繋げる。
「今の所、浪岡は我ら南部との友好関係を壊すつもりはないと、奥方――明子様を通じてしきりに伝えてきております。南部としてはそれを尊重する必要があります」
「でも、浪岡は南部方の浅瀬石の千徳様や新屋殿も取り込もうとしていると聞いた。それはいいのか?」
「そこは千徳様らの判断になりましょうが、普段友好を深めるのは良い事です。石川や南部が健在な状態なら、彼らがあえて南部から離れることもないでしょう。浪岡よりも、南部の方が怖いですからね」
納得だった。高信の立場ならそうする他ないのだろう。
黙認をした方が津軽の安定のためには良いというのも、分かりやすい理屈だ。多少南部方の武将が浪岡になびこうとも、最終的に逆らうことは無い、という見立てなのだ。
津軽支配は、石川と南部本国が一体となって進められている施策だ。津軽に反乱があれば、石川と南部本国が一体となって対処する。その体制が維持される限り、浪岡の拡大も限定的なものに留められる、という事だろう。
その体制の大前提である鹿角郡が陥落する、という未来を知らないのであれば、確かに現状維持はベターとも言えた。
つまり、その体制が崩れるような何か――例えば鹿角の失陥や石川の敗北――が起これば、事情は変わる、という事でもある。
……思えば、石川が浪岡の体制に介入せず静観する、という状況は、具信から見れば誰からも手を差し伸べられることはないという事でもある。浪岡はもちろん、石川も、南部も安東も、誰も自分を助けない。その孤立感があの謀反に繋がるとしたら。
「……なら、浪岡と石川が争うとしたらどんな状況なんだろう?」
「そうですね……先ほど言ったように、どちらかがどちらかの家中に肩入れしてそれが火種となった場合」
うわ、クギを刺してくる。こちらの表情に金浜は苦笑する。
「ま、お互いが対立したくないと思っていてもひょんなことが原因で対立が燃え上がることはよくあります。領民同士が用水を巡って争いをしたり、隣領の領主が庇護を求めてきたり、火種は枚挙にいとまがありません」
そうだよなぁ、と深々とため息をつく。この時代って戦争なんて本当にそんな些細なことから起こる。しかも誰も止めないからすぐに大ごとになる。
自力救済社会。警察も裁判所も極めて弱い力しか持たず、最終的には自分が自分を助けねばならない社会。そういう社会では誰もが権力を持った組織や集団の後ろ盾を求める。それがゆえに、個人の争いが容易に組織の争いにヒ―トアップする。行きつく先は国同士の戦いとなる。戦国時代とはそんな時代だ。
そして、お前がその些細なきっかけになるかもしれない、と金浜は言っていた。
「あとは……浪岡が南部の脅威になりえると判断された場合、ですね。その場合はたとえ火種が大きくなろうと、高信様も、それから御家督様も戦いを躊躇わないでしょう」
「浪岡が本当に安東と手を組んで敵対してきたら、脅威になりえると判断しない?」
「その時は潰します」
さらっと表情も変えずにいう金浜。微妙に答えになってないし怖い。そういえばこいつも武士だった。
「安東は確かに最近威勢高い家ですが、津軽を奪えるほどの力はまだありません。浪岡と安東が手を組んでも、石川の力があればそうそう敗れはしません。石川単体で滅ぼせずとも、糠部本国からの援軍が来ればひとたまりもありません。安東と浪岡ふたつ両方を相手取ったとしてもです」
その援軍も、鹿角と津軽への街道が維持されていれば、だけどね。
それにしても、弘宗を通じて浪岡側にも伝わるんだぞお前、あまり物騒な事を言うな。
……いや、浪岡側に伝わるように言ってるのかこれ。
「今年九戸殿が戦を起こしたくらいで、最近は周辺の国々も安定しております。南部領内に刃向う動きも見られないですし、他国も干戈を向けてくる様子もない。この無事を維持するのも大事な事です」
その〝動き〟が起きているんだよなぁ……今ここでは言えないけど。
「いずれにせよ、具信様をお助けなさることは、今は止めておくのが宜しいでしょう」
妙なほど気遣わしげに金浜はこちらを諭すように言う。きっとこちらが、具信を救えないことに不満と落胆を抱いていると思ったのだろう。彼は俺が具信に恩義を感じていることを良く知っているから。
「……鶴様は、何をそんなに急いておられるのですか?」
金浜の言葉にどきりとする。
「今この時に具信様を手助けするのはいかにも不味い。ですが、ほとぼりが冷めればいずれ具信様と手助けする機会もやってきましょう。具信様に半年で案を出す、といったその約束は破ることになるかもしれませんが、まことに具信様を助けたいのであれば、待つのも必要でありましょう」
正論だった。情もある。安東氏の未来での動きを知らなければ、未来で起きる川原御所の乱を知らなければ、確かにその判断も良いと思っていたかもしれない。でも、そうではないのだ。
話が終わって鶴が去った後、弘宗は金浜と共に仕事へと戻る途中の廊下で少しばかり話をした。
「森宗殿は、これから浪岡に?」
「はい、鶴様から買い付けを命じられまして」
「買い付け、ですか……また変なものを買ってくるのではないでしょうね?」
たちまち渋い顔になる金浜に苦笑する。何を考えているか手に取るようにわかるのは、それなりに付き合いが長くなってきたからだろうか。
「そんな変なものでもないですよ。農具――犂や、それを運べる運搬用の牛を何頭かですね」
「犂に牛、ですか? 確かにこちらではなかなか見ないですが」
この地方では牛馬に、特に牛に犂を牽かせることはまれだ。無いわけではないが、そもそも牛が少なくてあまり一般的な農法ではない。
「ええ、私もあまり見たことは無いですが、浪岡の城下なら売っているかもしれないので。牛は浪岡にある牛市で吟味してほしいと……それで、金浜様」
弘宗は改まった態度になり、頭を下げた。
「金浜様、先ほどはありがとうございました」
「ん? 何の事でしょうか?」
金浜は首を傾げる。本当に何故感謝されるいわれがあるのか、分からないようだ。
「いえ、その、鶴様を止めていただいて」
「と言いますと?」
森宗は少し迷いながら言った。こんなことを感謝するのは本来お門違いなのかもしれないが。
「鶴様が、御所様と対立するのはあまり好ましいことではありません。御所様も、恐らくそう思うでしょう。それを諌めてくださって」
それから、弘宗は感情が乗らないように、淡々と言った。言ったつもりだった。
「浪岡出の私が言っても、おそらく鶴様は耳を貸さないでしょうから」
具信に関することでは、浪岡に繋がる自分が何を言っても鶴は素直には耳を貸さないだろう。第一の家臣であり、守役であり、南部氏・石川氏の立場でものを言える金浜だからこそ、鶴にもきちんと言葉が届く。
浪岡御所と鶴が対立するのは、鶴にとってきっと良くない。具運や明子と対立したら鶴も動きづらくなろうし、もしかしたら蜂蜜の販路も失って今の銭算段も立ち行かなくなるかもしれない。
金浜は返事をすることなく、眉をしかめて弘宗をじっと見つめてくる。
あらためて年上の――練達の武士から監視されるような視線を受けて、弘宗は酷く落ち着かない気分になった。どこにいても目をつけられているような、相手の手のひらにいるような、心もとなさだ。
「何を言うかと思えば」
金浜ははぁ、とため息をつく。
「貴方は少々特殊な立場ゆえ、浪岡の件で鶴様が自分を信頼していないのではないか、と不安になっておられるだけでしょう」
ぎょっとする。それは、さほど意識もしていない弘宗の内心への指摘だった。
「鶴様は貴方のことを高く評価しております。少なくとも、他には誰も渡したくない、と思う程度には。それくらい貴方は信を得ております。そこは自信を持ちなされ。それに、鶴様が森宗殿をこの場に同席させたのは、浪岡の事で意見を聞きたかったからでしょう。鶴様は、貴方の言葉に耳を貸さないほど狭量ではありませぬ」
そう、なのだろうか。
弘宗は、今の立場としては十分厚遇されている方だとは思っている。だが、それはあくまでこれの技術を持っているからで、信頼されているともまだ思えなかった。
だからこそ、鶴自身から『今後どうしたい』などと問われたのだろう、と思っている。
自分の心持が定まっていない事を、鶴はきっと見抜いていたのだろう。
「貴方が不安になられるのは、ご自身のお役目と立場に何か懸念を持っておられるからでは?」
金浜の一言にまた心臓が跳ねる。まさにその通りだからだ。
「あと勘違いなされるな。拙者は確かにさきほど鶴様を諌め申した。しかし、それでも鶴様が具信様を手助けしたい、と決めたならば反対は致しませぬ」
と金浜は弘宗に向き合って言った。
「鶴様の道行きは鶴様が決める事。私は判断の材料は提供しますが、それをもって決めた事に逆らう気は今はありませぬ」
そういえば、最初に会った時、金浜は同じことを言っていたのを思い出す。
「……それが、鶴様にとって悪い選択肢であったとしてもですか?」
「無論。もし鶴様に害があったとしても、拙者は鶴様を身命を賭してお守りするのみ。鶴様が元服なされ、拙者が守役ではなくただの家臣のひとりとなる時までは、そう振る舞うつもりです」
金浜は言う。
「彼を良き武士にすることが拙者のお役目ですが、鶴様は様々な事を試して経験させたほうが花開く方だと考えております」
心もち弾んだ声で、金浜は空を見上げる。
「最近、拙者は少し楽しみなのです。正直、鶴様は自分の理解の範疇を超える方ですが、その鶴様がどのように成長されるのか。彼がどんな武士になるのか。それをよく考えるのです。もう少し武士らしくあってほしいとは思うのですが、それとは別に、自分が見たことのないような武士になるのではないか、と、ほんの少し、ほんの少しですぞ? 期待してしまうのです」
ま、正直大変だと思う事もありますがね、と金浜は苦笑気味に笑った。
「森宗殿はどうですか?」
金浜は問いかける。
「今の森宗殿の言葉は、忠義の大本が浪岡に向いておられるように見えるが、鶴様にも少しは恩を感じておられるようにも見受けられる。森宗様の忠義はどこに向けるべきなのか。忠義を向ける二人が対立した時、森宗殿はどちらにつくのか、もう決めておられるか?」
弘宗は、言葉に詰まる。今ここですぐに答えられることではなかった。
金浜も答えを求めているようではなかった。ただただ、淡々と言う。
「拙者としては、鶴様の側に侍る人間がそのような料簡では不安なのですよ」
金浜は念を押すように目を細めて言う。
「鶴様に共に仕える同僚として、いざという時に迷われては困ります。今のうちにそれだけでも良く考え決めておいていただきたい」
では、と金浜はぽんと弘宗の肩を叩いてその場から去っていった。
弘宗は、しばらくの間そこから動くことが出来なかった。




