第33話 商人
永禄四年(一五六一)九月十九日
待ちわびたその人物――楡喜三郎は、いつもよりも正装をしていかにも富裕な商人のようないでたちで城に来た。
「お呼びに従い参上しました」
うさんくさい笑顔を浮かべて最大限慇懃にふるまっているその姿は、いつもの彼らしい諧謔みに満ちていた。
「久々だね、待っていたよ。こちらに戻ってきたのはいつ?」
「つい数日前ですな。文をいただいて大変驚きました」
「ちゃんと届いてよかったよ」
商いのために上方に帰っていた楡がちょうど戻ってきたのは、こちらとしてもとても良いタイミングだった。色々と頼みたいことがあったのだ。
さっそく用事を言いつける。
「まず、これは石川家からの依頼になるんだけど、鉄砲を買い付けることは可能かな?」
「鉄砲ですか? おそらく出来ますが、いかほどご必要ですか?」
「ひとまずはうちの石川家全体で三十挺。ただこれに関しては親父殿が他の伝手を使って買い付けるから、出来る範囲で何挺でもかまわない。買いきれなかったら他の家も紹介するそうだから、損にはならないと思うよ」
三十挺というと少なく感じるかもしれないけどたかがと言うなかれ。現在の鉄砲の金額が、標準の六匁筒で一挺につき十二貫文程度だそうで、それが三十挺だから三百六十貫文。これに輸送費等の経費がさらに上乗せされる。いかに石川や田子、岩手にも所領を持つ石川高信であっても、なかなか大きな買い物なのだ。というか高いな鉄砲。予算半分くらい分けてほしい。
「まあ、それなら出来ますな。頭金は欲しいところですが」
楡はニコニコと笑みを浮かべて答えた。
「助かる。あとは鉄砲の買い付けとは別に、俺のほうからひとつ頼みがある」
ここからが本題だ。
「と、言いますと」
「楡殿は秋田に伝手はもっているか? あと、鹿角に縁はある?」
「秋田ですか? 能代湊や秋田湊ではよく買い付けを行います故、幾人かは懇意の者もございます」
楡はにこにこと言う。
「鹿角ではよく人を売り買いしております。あそこの者は働き者で質が良く、安く買えるし高く売れるのですよ」
「そうか……ここからは他言無用だ、いいな?」
声を潜める。不穏な空気を感知した楡の目じりが鋭くなる。
「おや、ずいぶんと穏やかではないですな」
「聞いて不都合があるなら頭の中から消してほしい。依頼金を出してもいいぞ」
しぶそうな顔をした楡は、それでも頷いてくれた。
「承知」
「下国安東殿と鹿角との繋がりを探る事は出来るか?」
「……と、言いますと?」
「鹿角の国人衆の動きが怪しい」
「それは、なんと……」
「まだすぐ動くという事ではなさそうだ。ただ、下国安東方から鹿角の国人たちが誘いを受けているという話があるのだ」
嘘だ。そんな話はない。この時期既に調略が行われているという未来の記録が根拠の話だ。
「ただ、まだ確証が取れなくて俺の所で話が止まっている。それが事実か虚実かどうかを知りたいのだ」
楡は細い目をさらに細めた。
「……石川様は、ご存知なので?」
「いや、まだだ。これは親父殿にも内密にしてくれ」
高信に話を持っていくのは、証拠が固まったらだ。そもそもその兆候が掴めないなら意味が無いし。
「楡殿、もし秋田に伝手があるなら、彼らの動きを探る事は出来るか? 鹿角衆周りの噂を拾うだけでもいい。もちろん報酬は払うし、活動資金もある程度払おう」
「……そうですな、鹿角のご領主に直接の伝手はありませぬが、その下のご家臣になら下人を売ったことはありますな……探るくらいなら、出来なくはありませぬ。ですが」
「誰に売ったんだ?」
「花輪伯耆守様の手の者にて」
大物だ。鹿角四頭と呼ばれる鹿角の四大氏族のひとつ、阿保氏の最有力氏族であり、鹿角郡の中央部である花輪を領して今も勢威を維持する家だ。
そして、安東愛季に内通したと記録される者のひとりでもある。
楡は顎をさすりながら、笑っているのか睨んでいるのかいまいち分からぬ顔をした。
「危険ですな。下手に勘ぐってこちらが疑われでもしたら、商売にも差し障りが出ます。私は安東殿の御領でも商いをしている身、受ける利があまりありませぬ」
彼はそれから、いつもの剽軽な態度でこちらをあてこする。
「それに、少々軽挙でございましょう。御家の叛意に関する話など、人買いごときに軽々に話すべき事とは思えませぬな。この楡には石川の御家に義理も恩もございませぬ。秋田方にこの話を漏らすかもしれませんぞ」
「けど、楡殿は商売には誠実だと知っている。他言無用と言うたら、それを守ってくれると確信しているからね」
「人が良すぎますぞ、この戦世では詐術もたしなみのひとつ。そんな事では武士に向いていないのではありませんか」
武者に向いていない。確かに、と思わず笑ってしまう。
「詐術がはびこる世だからこそ、信を貫けるのはこの時代にとっての稀有だよ。その意味で、楡殿は稀有な方だ」
「人買いに信などと」
楡は嗤った。
「人買いの爺など、褒めるものではありませぬ。それに、信を貫いて騙されては愚人の証、褒め言葉ではありませぬな」
楡は鼻を鳴らした。俺も苦笑するしかない。
「でも、仕事に信が必要なことを楡殿は知っているだろ」
「戯れごとはおよしなさい。……もちろん、銭を払ってくだされば物を買いに行くのは商いの基本であります」
「なら、どれくらい報酬を積めばやってくれるかな?」
「そうですなぁ……生半可な報酬では足りませんぞ」
そうなるよなぁ、吹っかけられた金額次第では諦める必要があるかもしれない。
正直、かなりリスクがある行動をしているのは自覚している。けれども、この証拠が集まれば、具信殿を救う方法に繋げられるかもしれないのだ。
「……俺が払えるものなら、という言い方になってしまうな」
「きっと払えましょう。私も、一度しか商売しない相手ならともかく、何度も商いをさせていただく方の懐を全て奪うような真似はしませぬ」
「そう言う商人の方が怖いんだ、俺は知ってるぞ」
楡はほほ、と笑うと、居住まいを正した。
「こちらが望むは、この私めを、貴方様の御用商人にしていただくことにございます」
正直、想定していなかった要求にこちらの思考が止まる。御用商人?
楡はこちらの様子を面白げに眺めて続けた。
「この楡、既に齢四十を過ぎてようやくこのような木端商人として身を立たせることが出来ました。が、それ以上は望めないと諦めもしていたのです」
その言葉には、酷く陰惨なものがまとわりついているようだった。人買いなどという尋常ではない商売をしているのだ、彼の人生はこちらが想像出来ないほど、労苦と暗闇にまみれていたのだろう。
「ですが、貴方様についていくならば、ただ人間を売るより、残りの人生をもっと有意義に、さらに立身を望めるのではないか、と感じたのですよ」
「そんなに面白そうかな、俺?」
そう聞いてみれば、楡は嬉しそうに笑った。
「貴方は商人から見ると、色々な職の種をまいておられるように見受けられる。話に聞く農業や紙作り、鉄砲の購入も、多分それに繋がっておられましょう」
ぎくりとする。鉄砲の購入は高信の命であり、硝石の製作は機密だが、この商人はそれをどこかで感づいているのではないか、と少し怖くなる。
「どれが芽吹き大樹となるかは分かりませぬ。しかし、貴方様はその点失敗すると思っておられない。あるいは、失敗しても取り戻せると確信しておられる。そこに商人としては大変惹かれるのですよ」
「失敗しないとは思っていないし、失敗していいとは思っていないよ。失敗して自分の知識が広められない事の方がよほど怖い」
未来の知識、特に稲作に関しては、その発展において何が障害になったか、何がトラブルになったのか少しは知っているから、それを避ける方法が幾つか思いつくだけで、失敗しないとはみじんも思っていない。稲作は奥が深いのだ。
いくら未来の知識を持っているからと言って、この時代の成功が約束されているわけではないし、現実問題、失敗して数百貫文もの借金を背負うようなことになれば例え領主の子でも呻吟するのは分かり切っている。自分もそれなりに必死のつもりなのだが。
「鶴様はさっぱり自分の栄華を求めておられぬように見えます。お武家様には銭など穢れたものなどと言うて嫌う方もおられますが、貴方様はそういうわけでもなさそうだ。商人としては大変不可解ですな」
「別に利益を求めていないわけじゃないぞ」
「けれども、こだわっているわけでもない。ただ自分の目的が達せられることの方に重きを置いておられる」
楡はにたりと笑った。
「そういう方は、向いた方向が合うと商人ととても相性が良いのです。貴方様が我らを使う事で我らは潤う、我らが貴方様に手を貸すことで貴方様は目的に近づける。そういう関係を築けるのですよ。……私は、貴方様の目的へ進む道行きの、良き先達になれると思いますぞ」
そう言って楡はまた深々と頭を下げた。
先達。遠くへ巡礼に行く際に皆を案内し世話をする仏僧の事だ。
――彼が紙職人の崎部殿を見つけてきてくれたり、楮を買ってきてくれたり、こちらの変な求めにも応えてくれている。そして今、無茶な仕事を頼んでも報酬次第でやってくれようとしている。こんな人物は、今の自分にとって得難い存在なのだ。
頭を上げるよう促してから問いかける。
「俺はまだ元服前の小僧だぞ、すぐさま御用商人にすることなんて約束はできないし、今与えられるものは無いが、それでもいいか?」
「かまいませぬ、出世払いを期待しておりますよ」
「じゃ、いいよ、将来、貴方を俺の御用商人として正式に雇おう。その代わり、条件がひとつ」
「なんでしょうか?」
「将来的にでかまわない、人買いの商売を止める事だ」
……彼ひとりが人買いを止めた所で、何が変わるというのか、という話だ。人が売られなければならない世が変わらなければ、彼とは別の人買いがまた出てくるだけだ。
けど、それでも。そう言わずにはいられなかった。
こっちの内心を知ってか知らずか、楡はまた、ほっほ、と笑った。
「それは、鶴様が私めをどれだけ稼がせてくれるか、によりますな」
「それでいい、じゃあ依頼を頼むぞ」
「承知しました」




