第32話 敵の遠謀
永禄四年(一五六一)九月十二日
「とまあ、大言壮語を吐いたはいいけど」
石川城に帰って自室で寝転がりながら、ごろごろと考える。
彼が謀反に至ったであろう不満の一端を聞くことが出来たのは良かった。
しかし、弱った。
「自分が持っている知識じゃ、具信様の悩みを解決は出来ないなぁ……」
彼から聞いたことは、正直自分の手に余る。
彼の悩みは多岐にわたる。浪岡家中における冷遇、現在の浪岡の安東重視方針に対する異議、自身の領地の衰微、それに伴って彼自身のプライドも傷つけられているだろう。
そして、それらを解決する方法は、今の自分には無い。彼の問題を解決するには、どうしても政治の力がいる。自分にはその力が無い。
出来る事と言ったら、領地を少しでも富ませるために技術を提供する程度だろうか。
しかし、それだけでは事前に謀反を翻意させることが出来る気がしない。問題の根は、現在の浪岡御所の方針にあるのだから、それを変えなければならないけれども、やはりそこは政治の話になるし、他家に介入する、というだけでもハードルが高い。
「……謀反が起こる日は絞れているんだから、翻意させるのが難しいのなら、事が起きる直前に無理やり止めるしかないか?」
それも出来るだろうか、はなはだ疑問だけれども、やるしかないのだろう。
具信の立場も難しい。彼には死んでほしくない、が、彼が生き残ったからといって、具運との対立は解消されないままだ。その点を解決する方法は、正直無い。あのままだと仮に彼を止めたとしても対立が再燃する可能性がある。
自分が出来るとしたら、自分の持つ知識と技術で領地をある程度豊かにすることだが、それだけでは問題は解決しないし、彼が謀反を起こすことも多分止められない。
「どうしたもんかなぁ……」
何か打開策が思いつかないか、と具信から聞いたあの地図を思い出しながら描きだす。
地図を――津軽を簡易に描いた地図を描き、街道を思い出しながら引いていく。津軽に張り巡らされた線は、やはり見事に考えられている。
「ここから海で秋田に繋がると」
指先で城と寺社を繋いだ線をつらつらとなぞって――電撃のように脳裏に記憶がきらめいた。
「……いや、待て、ちょっと待て、待て、待て……」
動悸がする。冷たい汗が垂れる。
慌てて葛籠の奥から巻物――未来の事を書いた巻物を引っ張り出し、該当の記述を探す。
・永禄七年 檜山の安東愛季が南部領鹿角郡の諸領主に廻文を回す。鹿角領主たちの過半がこれに同意する。
・永禄八年 檜山の安東愛季、鹿角郡に侵攻を開始する。
・永禄九年 安東愛季により鹿角郡陥落する。
・永禄十一年(あるいは十年)安東氏により占領された鹿角地方を南部氏が奪還する
今から三・四年後、秋田の下国安東氏が鹿角を占領する、という記述だ。
俺は地図に紙を足してさらに秋田や南部――ちょうど北東北三県分くらいの地図を描き増やし、浪岡氏が進める街道整備の線を朱筆でまず南部領鹿角郡に伸ばしていく。
線は鹿角を超え、西に曲がって秋田領に入り、比内郡を越えて下国安東氏の城である檜山城まで伸び、さらに檜山城の西にある秋田の要港・能代湊へ。そこからさらに線を海側に伸ばして海路で鰺ヶ沢に繋がる。鰺ヶ沢から今淵、油川に繋がり、北に海を突っ切れば、安東領である蝦夷地へ。
――津軽と秋田、さらに蝦夷地を結ぶ流通の大動脈の輪が、地図上に完成した。
「……これ、ヤバくないか……?」
この流通路は、やばい。別に流通とか交通は専門でもなんでもない素人なんだけれども、この危険性は視覚的に分かってしまった。
南部領鹿角郡は、南部氏が津軽を維持するための主街道が通る、重要地域だ。
安東氏の領土に接しており、さらには最大の街道である奥大道を通じて津軽にも繋がっている。ここが安東氏の手に落ちると、石川などの津軽の南部氏領のみならず、脇街道を通じて南部氏の本国である糠部の後背まで狙うことが出来る。いや、それどころか南部氏の領地である浄法寺や岩手方面にまで軍を派遣することが出来る。南部氏にとってウィークポイントとも言える場所だ。
この地方は盆地なのだが、奥羽山脈によって糠部と隔てられ、逆に米代川を通じて安東側に行き来がしやすく、南部にとって攻めにくく守りにくいというかなりやりづらい場所だ。また、鹿角四頭と呼ばれる領主たちの内、多くは南部氏に対して決して心から服している者たちは少なく、生き残りの為にいつ背くかもわからない者たちが多くいる。実際、安東氏も調略の手を伸ばしていると後世の歴史書では記録されている。
逆に見るならば、南部氏は鹿角を抑えていることによって南部家の後背を守り、安東氏の領域にいつでも踏み込める状態となり、ひいては街道を通じて津軽を抑えている。浪岡が街道をいくら整備しようと、鹿角方面から津軽に続く街道を抑えている限り、南部氏の津軽支配は揺るぎないのだ。
鹿角郡が史実通りに占領され、さらに浪岡の流通路が完成して、浪岡北畠氏と安東氏と繋がると何が起こるのか。
それは、南部本国と、津軽地方に向かう主要街道が安東と浪岡――〝敵〟によって遮られ、それどころか軍事的にも社会的にも経済的にも急所を握られてしまう、という事に他ならない。
浪岡北畠氏が北と南の津軽の諸街道を塞ぎ、安東氏が南の街道を塞いで南部の支援路を断ち切ってしまえば、残る南部氏の主要交通路は酸ヶ湯などを経由して浅瀬石・黒石に出る山越えの間道くらいになってしまう。そこは冬期には完全に雪にふさがれ、まともな行動も出来なくなる程度には交通の難がある場所だ。
逆に安東氏は、安東方の領主に対して陸路と海路の両方から安定した支援が可能になる。
津軽平野は安東の掌中に陥る。
さらに言うならば、その山越え街道の出入り口を抑える浅瀬石千徳氏は、浪岡とも良好な関係にあるし、南部氏の庶流にして津軽の一角を支配する大光寺氏も、安東と好を通じた記録があるので、どう転ぶか分からない。
この街道沿いの領主が、もし浪岡や安東になびいてしまえば。
奥大道沿いの領主たちが浪岡になびいて南部方から離反したら、津軽の南部氏諸勢力は孤立し、安東氏の格好の標的になりえてしまう。
浪岡北畠氏は安東氏と街道が連結することで軍事的・経済的な自立性をさらに高め、これら小領主たちに対する影響力を増していく。
そして、そうなった場合、安東と浪岡にとって最も邪魔で狙うべき存在は、南津軽平野への出入り口を抑えるこの石川城と石川高信に他ならない。
「これが天秤が安東に傾く、ってことか……」
思わず感嘆のため息が出てしまう。
史実では、南部氏は最終的に奪われた鹿角郡を奪還して、安東の侵攻は失敗に終わる。この街道整備も最終的に問題にはならなかったという事ではある。
おそらくだけど、史実ではこの流通路は他ならぬ浪岡北畠氏の衰退によって機能することなく終わったのだろう。奥大道沿いの南部系領主も浪岡になびくことは無かった。これらの街道の支配は、浪岡北畠氏の威光と実力によって初めて機能するものだからだ。浪岡北畠氏が力を失えば、そのような封鎖も出来なくなる。
そして〝史実〟の永禄鹿角合戦の時、浪岡北畠氏は河原御所の乱で既に衰退していたのだ。
だが、もしここで史実を変えてしまったら?
仮に具信の暴発を止めて、浪岡衰退の原因となった河原御所の乱が起こらずに、浪岡が力を維持したまま安東と手を繋いだとしたら。
解決策は、ある。
南部氏としての最適解は、このまま史実を変えずに浪岡に衰退してもらう事だ。
河原御所の乱の勃発を放置して、具運・具信など浪岡の主要メンバーが死ぬに任せる。そうすれば、浪岡は混乱したままで安東と強く連携できず、仮に鹿角を奪われても問題は起こりにくいだろう。
杯を睨んだまま、涙を流した具信を思い出す。
「――放置は、しない」
具信を止めると、生き残ってもらうと決めたのだ。
南部の人間としては、この計画は看過できないものだ。ぜひ止めなければならない。浪岡の街道整備に関しても、何らかの掣肘をしなければならない。
その上で、具信にも生き残ってもらう。
やはりこれは、自分の手には余る。誰かの助けが――具体的には権力の助けが必要になってくる。具信を救済するには、彼の政治的な立場をどうにかする必要が絶対ある。
自分が頼れる権力は石川高信しかいない。彼を巻き込むしか、今の自分には手立てがない。
彼なら、鹿角での安東氏の動向を伝えれば動いてもらえるかもしれない。鹿角郡に危機が迫っており、浪岡の街道整備がそれにも関わっている可能性を伝えれば、浪岡に対しても何らかの手当てが必要となるだろう。そこに、具信の救済もねじ込む。
しかし、それをするには証拠が足りない。具体的には、鹿角郡が安東氏の危険にさらされているという証拠だ。それがなければ、幾ら高信に危険を言っても相手にされないし、話に説得力も出ない。
〝現代〟の記録によると、安東氏はこの時期、鹿角の小領主たちに既に調略を仕掛けている可能性が高い。なので、今探れば何か出てくるかもしれない。
その探る方法をどうするか首をひねって、ひとりの人物が脳裏に浮かんだ。