第30話 河原御所の事情
場所を変えて話をすることとなり、その前に金浜と弘宗に話を通しておく。
俺は弘宗に依頼する。
「弘宗は席を外しておいてくれ」
「何故ですか?」
「弘宗がいると、具信殿は多分胸襟を開かないだろうから。護衛は金浜に任せる」
弘宗が浪岡御所と直接繋がっているのは公然の秘密だ。それは浪岡家中にいる具信様もおそらく知っている。
どんな話がされるか分からないけれども、少なくとも予想される話の内容からして、浪岡御所への不満が出てくる可能性は高い。その場合、きっと弘宗が居ては具信様も警戒して話したいことが話せない。こういう事は、利害が離れた者のほうが話しやすい。
「……承知しました」
「金浜も、もし話が聞こえたとしても口外無用だ。親父殿にも、話すな」
金浜は少しだけ眉を動かして、それから珍しくそのダンディな顔に笑みを浮かべると頭を下げた。
「承知しました。鶴様が報告しなければならないと思ったことだけ、お話しいただければと思います」
具信の私室に誘われ、俺は対面で酒を酌み交わす。
具信は、さすがに酒豪の飲み方だ。
枡でひと飲みして、飲み干せばまた枡を満たして酒を飲み飲み。思わず感心してしまうほどのハイスピードで酒が空けられていく。いくらアルコール度が低いこの時代の酒でも悪酔いしないか? 痛風になりそう。
こちらはまだ元服前なので酒はほどほどに収めながら(この時代は年齢制限がないので酒は飲める)、出てきた川魚をつついて、何杯目かに具信の開けた杯に「具信様、こちらをどうぞ」と持ってきた酒――蜂蜜酒を注ぐ。
「おお、みいどか。相変わらず、甘くかぐわしい酒よ……」
こちらは一気に飲まずに、ちびり、と舐めるように味わう。それを何回か繰り返して、具信は枡をことりと置いた。
「――恥を晒すが、我が領内は窮しておる」
「領内、とは?」
「儂の本領である溝城のことだ」
具信はごそごそと棚をあさり、地図を持ち出してきた。
〝現代〟の人間から見ると、ひどく簡略な津軽の地図だ。だが、位置関係はかなり正確なように見え、幾つもの地名が書き記され、さらにいくつもの川筋と、土地土地を繋ぐ街道が書き記されている。余白を埋めるように大量の書き込みがびっしりといれてある。その書き込みに目を引かれる。
(この地図、凄いな)
その書き込みの主だったものは、各地域・各村の領主名と、それから産物だ。浪岡各領地の各地で採れる様々な産物、さらに様々な職人も各村や各城ごとに書き足されており、さながら領内産業地図の様相を示している。具信は、これらに関心を持ち、こんな地図を作り上げてきた、という事だ。
具信はこちらの関心に気付くこともなく、ある街道の一点を指差す。そこには『溝城』とひときわ丁寧な文字で書かれている。
「昔は人通りも多く、銭もよく落ちた土地だった」
懐かしむように、具信は目を細める。
「一昨年に自分が浪岡に行くときに使った道ですね」
「おおそうか。だが、往時はもっと繁盛していたのだ。岩木川の南を望む要地としても重要視されていてな、儂が河原の御所を名乗ることを許され、この領地を父上から分け与えられたのがなんとも誇らしかったものよ」
地図を見る。溝城は津軽平野の中央に近く、岩木川と川の合流する拠点にある藤崎と、浪岡領の首府である浪岡城を繋ぐ街道のちょうど中間地点に位置する。確かにこれは重要な領地と言っていいだろう。
「では、何故、そこが窮しておられるのですか?」
そう言うと、途端に具信は口ぼったくなった。もごもごと不明瞭な言葉を口の中で転がした後、ぽそりと不機嫌そうに言う。
「……色々理由はある」
「田畑の育ちが悪いとか?」
「……一昨年の被害はそれなりに大きかったが、幸い飢え死にを出すこともなく済んだ。ただ、立て直しはまだまだでな、領民も窮している。だが、それだけではない」
「――具運様と折り合いが悪い、というのも理由ですか?」
瞬間、具信はぎろりと凶悪な眼光でこちらを睨みつけてきた。凄まじいほど濃密なそれは、殺気だ。
前世だったら、きっと腰を抜かしていた。でも今の自分は元服前とはいえ武士の子だ。武術の調練でこの手の殺気は散々あびせられてきた。
跳ねる心臓が落ち着くのを慌てずに待ち、じっと具信の目を見て、慎重に口を開く。
「……具信様。俺は、貴方が話したくない事を聞くつもりもありませぬ。しかし、窮している理由を聞ければ、なにがしかの案はご提案出来るかもしれませぬ。先ほども言いましたが、口外は致しませぬ。もし聞けるなら、お聞かせ願えないか」
――カマかけは、どうやら当たりだったようだ。
「愚痴は、誰かに聞いてもらうだけでも楽になるものです」
「……童が聞いたようなことを抜かしよる、気に食わぬ」
具信は肴をバクバクと口に放り込んで豪快に噛み砕く。「少ないな、何か持ってこさせよう」と戸の外にいる小姓に適当な食事を持ってくるよう命じる。
「溝城の隣に、滝井という領地がある」
行儀悪く酒をあおりながら(いつの間にか蜂蜜酒は飲み干していた)、地図の上にある溝城の隣を指差した。
「ここが滝井だ。元々、滝井は儂が父上の代官として治めておったのだ。中々広くてな、地味も肥えてて良い土地だった」
具信はまたいらだたしげに枡になみなみ酒を注ぎ、あおる。
「だが、具運が当主になってから、代官職は取り上げられた。まあまだそれは良い。だが、具運はその滝井に顕範を入れてきおった」
顕範、具運の弟さんだ。一昨年に謁見の間で言い争いを仕掛けていた光景を思い出す。
「あやつが代官になってから、境目を巡って紛争が起こった。元々そこは我らの土地だ。だというのに、浪岡の連中は顕範に境目の理ありとした。非理じゃ。奴らは、儂らの面目を潰し、力を削ぎたいが為に境目を奪ったにすぎぬ。非理じゃ!」
気分が昂ぶってきたのか、飲み干した枡を床に乱暴に置く。
「面目を潰された者は侮られる。儂の家中での立場はどんどん悪くなる一方になっておる。何をやっても、良いほうに向かわぬ。このままでは、我が家は浪岡での立場を無くすじゃろう」
具信は、ふうふう、と深呼吸して落ち着こうとする。
――やはり未来の謀反の原因はそこにあったのか、と納得と言えば納得の話だった。
境目争いはこの時代の領主の争いでも、もっともありふれて頻発するトラブルだ。それがエスカレーションして国同士の争いになる事だってある。謀反の理由としてはありきたりだが、十分だろう。
小姓が食事を持ってきて二人の前に並べていく。小姓が去るのを待って、具信は言う。
「……だが、勘違いするな、儂と具運たちとの折り合いが悪いのは、溝城の衰えの一因であっても全てではない」
「……と、言いますと?」
「富と銭を生み出す人と物の流れが、溝城から離れたのだ。これに具運たちとは関係が無い。いや、無いわけではないのだが、衰退を呼んだのは具運ではない」
具信は怒りの色をぬぐい、再び地図を指示した。
「富というのは不思議なものでな、ちょっとしたことで流れ込むし、ちょっとしたことでその流れを変えてしまう。まるで洪水のたびに流れを変える川の様なものだ」
赤ら顔に真剣な色を備えて具信は語る。
「富を呼び寄せるには、領地を盛り立てるだけでは足りぬ。浪岡全体の道を整え、物を管理するすべを知る役人を揃え、人が集まる仕組みをしっかり仕立ててやらなければならない。だが、それをしても富は掴みがたい」
具信は津軽の幾つかの場所を指差す。そこには、いずれも寺社の名前が書きこんであった。
「鶴殿、浪岡は最近、寺社の修築や再興を進めておるじゃろう。あれもそうよ」
寺社? と鶴は首を傾げる。
「先年、浪岡八幡宮が修築されていたのは聞いておりますが、それ以外にも?」
「何だ知らんのか? 我が浪岡は先年より浪岡八幡宮をはじめとして、油川八幡宮や新屋八幡宮、乳井福王寺の八幡宮、今淵八幡宮と鰺ヶ沢白八幡宮の修築・造営を一斉に行っておる。それに伴って、順礼のための街道も整備しておるな」
それは知らなかった。しかし、それがなんなのだろう。
「あの寺社修築は先年の供養ではないのですか」
飢饉が起こり、餓死者が多数出た年に寺社が修築されるのはよくあることだ。それは、飢饉で無念に死んだ人々が、きちんと供養されてあの世に行ってほしい、という遺族や社会のニーズが大きく存在しするからだ。
貧しい人々は仏僧にかかる事すらできず、供養も出来ないことが多い。死者が多ければなおさらだ。
無念をもって死んだ人々は放置すれば悪霊となり祟りをなす。その祟りとは自然災害であるとか、疫病であるとか、現実の脅威として具現化する――そう考えられているのだ。それを防ぐためにも寺社の興業は行われる。
現代的な視線から見ると、寺を建設する余裕があるならその銭で餓人救済でもした方がいいだろう、と思ったりしてしまうのだけれども、死者が安寧にあの世に旅立ってほしい、と考える人々の願いは、あの世の実在が信じられている中世では切実な願いであり、領主たちにとっても、『死者をきちんと供養する』ことをアピールし、祟りを鎮めて社会を安定させるための寺社興業は、人心を安定させるための不可欠な事業なのだ。
「甘いな、鶴殿。あれはな、富を浪岡に呼び寄せるために行われるものだ。寺を建てる銭を皆が使えば、それを売る者が呼び寄せられ、土地は富む。由緒ある寺社が新しくなれば、人々が参詣する。市が立つ。そうして富を呼び寄せる。富はさらに富を呼ぶものだ。これがうまく軌道に乗れば、浪岡がさらに豊かになるのだ」
〝現代〟における公共事業、産業政策の様なものだ。そのような意図があるのは想像ついたが、浪岡はそれを計画的に、大規模に行っているようだ。
「さらに言えば、これは浪岡が南部から自立するための手立てのひとつよ」
「どういう事ですか?」
政治の絡む話になってきて、警戒心が増す。具信はこちらの視線を楽しげに受け止める。
「はは、気になるようじゃな」
具信は筆を取り、朱色ですらすらと街道上に線を引いていく。
「ここが外ヶ浜の油川、そこを繋ぐ山越えの街道を通って浪岡に至る。そこから新屋八幡宮、そこから奥大道を通りさらに乳井福王寺を経て、最後に我ら浪岡の家臣である三ツ目内殿の飛び地を通れば、南部の支配する道をさほど通らずに秋田、つまりは安東殿の領地へ繋がることが出来る」
朱筆の線は陸奥湾沿いにある浪岡氏の湊町である油川から浪岡に繋がり、そこから津軽の東側を縦断するように、南北に一本の線が引かれる。
「なるほど……ですが、その道は往古より津軽の街道のひとつとして重きをなしてきた道です。その街道沿いを整備するのは、浪岡としては不思議ではないのでは?」
具信があげた土地は、いずれも奥大道――古来からの主要街道が伸びている場所だ。浪岡が自家の権力強化のために、その街道沿いを整備するのは、別に変な事ではない。
「それだけではないぞ、浪岡を起点に油川へ行き、船で今淵八幡宮と鰺ヶ沢白八幡宮とを繋げば、そのまま秋田の能代湊まではすぐそこだ。鰺ヶ沢から浪岡を直接結ぶ街道も計画している。陸路だけではなく、海路でも安東との繋がりを強化する腹積もりだ。
これらが完成し、千徳殿や新屋殿など、この街道沿いの領主たちが浪岡の手の者になれば、浪岡の力は飛躍的に高まる。それこそ南部など必要ないほどにな。具運が奥大道沿いの諸領主を取り込もうとしているのもそれが理由よ」
油川から海路で海峡に出た朱線は、津軽半島を大回りして西側の海岸にある鰺ヶ沢をへてさらに南の秋田へ。鰺ヶ沢から浪岡までは点線で線が引かれる。
描かれた線と線を結べば、それは浪岡を中心として津軽中に広がる交通網が見て取れる。
「しかし、この街道が通る外ヶ浜には石川や三戸南部氏の直臣が居ます。彼らがそうそう浪岡に下るとも思えません」
「儂はそうは思わんが、外ヶ浜がなびかずとも、まだひとつ道はあるぞ」
と、具信は地図の上にある川を指でなぞり始めた。津軽を縦貫する岩木川だ。
そして岩木川の河口付近で指を止める。
「今は滅んだ町が、ここにある。かつてここには、十三湊という大湊があった。もし外ヶ浜が南部に抑えられても、この十三湊を復興させれば、南部に邪魔されることなく浪岡は秋田や蝦夷地に繋がることが出来る。具運はこの湊の復興を計画しておる」
十三湊。〝現代〟でも語り継がれる、中世津軽の大湊だ。ここを本拠とした安東氏は、蝦夷地などとの交易を通じて空前の繫栄を遂げたと言われる。南部氏の侵攻や、飛砂の堆積によって町は滅んだが、そこを復興するというのであれば。
「浪岡城の前を流れる浪岡川を下っていけば、十川に合流する。その合流地点にあるのが滝井だ。そのまま十川は岩木川に合流し、十三湊へ出ることが出来るのだ。我が甥はなかなか壮大であろう?」
肌がぞわぞわする。つまりこれは彼ら主導で行われる、政治的・経済的な交通網の再編だ。
作図が雑で荒いのは懐かしのword作画なのでご勘弁ください。




