第3話 父への訴えと出会い
昼時が過ぎてしばらくして、馬に乗った武士の一団が山道を進んでくるのが本丸から見えた。
一団は大手門に回り、そのまま坂道を上って本丸へ。俺とね子さんと金浜はそれを出迎える。
「おかえりなさいませ、殿」
「おう、帰ったぞね子!」
二メートルはありそうな大男が馬から飛び降りる。そろそろ老年を迎えようというのになお張りのある胴間声で帰宅を告げるその男――石川高信はね子を子供のように抱き上げた。
「きゃっ! と、殿?」
「はっは、見違えたぞ、今日も一段と美しいな!」
「ちょ、恥ずかしいですから!」
「はっはっは、そう照れるな」
高信は満足するまで母を振り回し、それから今度は俺を捕まえた。
「鶴丸も息災だな! 今日は逃げなかったか」
「あ、はい……」
はっはっはー! と体を持ち上げてぶんぶん振り回す。ちょ、怖い怖い!
「ほーれ!」
と高信は高い高いの要領で俺を空に放り投げる。高い高い高い!
数メートルの高さに放り投げられ、何度も高信に受け止められてはまた放り投げられ、そのたびに俺は生きた心地がしない。
「殿、そんな無体な」
「殿、そろそろ」
ね子さんと金浜が止めてくれて、ようやく高信は高い高いをやめた。
「すまんな、喜びが高ぶってしもうた」
俺はといえばもう涙目。
「童といえばこれをやれば喜ぶのだがなぁ」
ワシャワシャと乱暴に頭を撫でられる。俺は精神年齢としては三十をとっくに超えてるので勘弁してほしい。
「留守中、変わりはなかったか金浜」
「は、何事もなく済ませております。……いかがでしたか、桜庭の戦況は」
「ようやく一息つきそうだ。九戸殿はやはり手ごわい」
やれやれ、と二人は肩をすくめた。
今南部では紛争が起こっている。我らが三戸と、その南にいる九戸との争いだ。
そしてそれは、津軽にも絡んでくるのだけれども……実際にどうなるのか、ちょっと気になる。
「鶴はどうだ、何か変わった事はなかったか?」
よし、と俺は腹を決めた。
津軽の領主であり、普段は石川城にいない高信に飢饉の事を伝える機会を、俺は待っていた。
「聞いてくださいませ父様! 鶴はこのひと月、酷い夢ばかり見るのです!」
「夢だと?」
「どうやら鶴様、津軽が干ばつに見舞われる夢を見たそうで……」
金浜が補足する。
「はい……来年の初めに平川や岩木川が大雨で荒れるのです。その後、田植えの時期になると今度は雨が一滴も降らなくなるんです。小川は底を見せ、田んぼはひび割れ、植えた稲は茶色く枯れ果て、そんな景色が津軽の平野一面に広がっているのです。村々は飢え死にした者たちが倒れている……酷い夢でした」
「ふむ……」
「そんな夢を、このひと月毎日欠かさず見るのです。これはおかしいと思います」
「毎日か、なるほど……」
「……父上、これが神様のお告げなら、今から何か手立てを打てないでしょうか。飢え死にする人を私は見たくないです」
「我らもけっしてないがしろには出来ぬ事とは思いましたが、いかようにしていいか分からぬもので……」
金浜が困ったように言う。土地の留守を預かる身としては確かに困るだろう。
高信は俺を抱き上げたまま、静かに考えているようだった。
「……昔俺も津軽に攻め込んだ時、夢を見てな。合戦の前の晩だった」
高信は唇の上から歯を押さえる仕草をする。
「自分の向かい歯がポロポロと落ち、大きな門柱が倒れる夢だ。いかにも不吉な夢だと思って金浜円斎――金浜の親父に夢見占いをしてもらったことがある。円斎はそれは「『向かえば落ちる』、つまり戦いに勝つ吉兆だ」と夢解きしてな、その時の戦に勝ったものだった」
高信は俺の頭を撫でた。
「鶴の夢見が吉兆とも凶兆とも分からんが、軽んじるまい。ま、来年の天気の事をどうこうは出来んが、どっちにしても日々の蓄えは確かに大事だしな、領内にも来年に向けて蓄えを備えるよう、伝えておこう」
「――ありがとうございます。それで、少し思いついたのですが」
あ、あとこの提案も、さりげなく、子供らしい思いつきのていで言う。
「今年は税の一部を銭でなく、物納を増やしたらよいと思います。そうすれば、機に応じて食べたり売ったりできると思います」
戦国時代は米を税の基準とする石高制ではなく、一反(段)ごとに銭を徴収する段銭というのが税の基本だ。物納もあるがあまり主流ではない。だが、銭があっても高騰して買えなければ意味がない。
「なるほど、賢いな。物納を望む者にはそれを許可するのもありだな」
高信はよしよしと俺の頭を撫でた。割と好意的な反応だ。
よし、凶作が起きても被害を抑えられるかもしれない。少しでも飢え死にが減ればいいのだけれども。
他にも打てる手があるかもしれない。色々やっていこう。
高信は空気を換えるようにぱんぱんと手を打った。
「積もる話は色々あるがな。その前に、ちょっと顔を合わせなければならんと思ってな」
ほら、と高信は後ろに控えていた少年を前に出した。
おそらく十三~十四歳くらい、自分よりも三歳か四歳は年上だろう。生真面目そうで、少しの緊張と、少しの高揚で顔がちょっとこわばっているのが可愛らしい。
高信はにやりと笑った。
「お前の兄、亀だ」
「はじめまして。亀九郎と申します」
ちょっと緊張気味の外行きの声。
腹違いの兄――未来で南部大膳大夫信直と称せられ、南部家の当主となった男と、俺は予期せぬ対面を果たしたのだ。
高信は子ども二人を残してさっさと政務を行う表亭へと去っていった。
とりあえず挨拶を交わした後、信直――いや、亀九郎は奥亭の縁側に移動した。まずは顔合わせ、子供同士で仲良くしろという事なのだろう、お互いの御付きも少し離れてこちらを見守っている。
俺はと言えば――ぶっちゃけ、興奮していた。
だって、後の南部家中興の祖が目の前にいるのだ、今まで書物の中でしか会えない物語の登場人物が突然目の前に現れたようなものだ。
この世界に来てから、歴史書で名前を見た人間とは(父を含めて)何度か会ったことがある。南部信直は、その中でも一等気になっている人だった。
「亀九郎様、兄上と呼んでよろしいですか?」
「ああ、いいよ。俺は鶴と呼んでいいかな?」
「はい!」
よし、名前呼びを得たぞ。
「兄上は岩手の一方井のご出身と聞いています。あちらはどのような場所なのでしょうか?」
「ん? 岩手に興味があるのか?」
「はい! あちらの米がどんなものか、見てみたいです!」
「米? すまん、米の違いはよく分からないが、景色はこちらと大きくは変わらないよ。そうだな、あの――」
亀九郎は遠くの山を指差す。まだ真っ白な雪をかぶって津軽の平野に傲然とたたずんでいる山。津軽の母なる山、岩木山だ。
「あの山のように立派な山が岩手にもある。岩鷲山、あとはたんに岩手の御山と呼んでいるな。あの山も綺麗だが、近くで見た時の岩鷲山はそれはそれは見事なんだ」
ニコニコと嬉しそうに彼は語る。
「近くには北上の大河の源泉があってな、一方井の御坊――修験を務めている母の一族が、よく連れて行ってくれたものだ。八幡太郎ゆかりの泉でな、その時代からあるという巨木が何本もあって、それもまた立派なんだ」
若干緊張していたようだが、話を振れば亀九郎はよく喋ってくれた。年下の弟と軽んじる事もなく、つまらないと思えるような質問にもとても丁寧に応えてくれる。人柄の善良さがにじみ出るような好青年ぶりだ。
「今年、実の弟か妹が生まれる予定でな」
「ということは、俺の弟でもあるのですね」
おそらく弟だ。それは信直の“本来唯一の”弟である政信だろう。史実では彼が石川家の家督を継ぐことになる。
というか親父、こっちに来る前は岩手でやることをやっていたらしい。おっさんになっても若い。
「ああ、そうだ。実を言えばな、今回ここに来たのは、ちょっとした悩みがあったからなんだ」
「と、言いますと?」
「俺には母の兄――伯父上の息子である安元殿が兄代わりだが、あちらに年下はいなくてな、弟か妹にどう振る舞えばよいのか、はたと悩んでな。考えてみれば津軽には母が違う弟がいる。だから一度会ってみたいと父上に頼んだのだ。津軽の地も、一度見てみたかったしな」
信直は苦笑してみせた。
「なかなか仕方もない理由だろう。それに鶴をダシにした。悪いと思っている」
「いえ、私も兄上には会ってみとうございました。こちらまでお越しくださったのは本当に嬉しく思います」
「……私の弟はなかなか大人びているな」
「兄上が元服したら、いずれ親父様の家督は兄上が継ぐのでしょう? なれば、御領である石川や、そこにいる俺を見ておきたいと思うのは自然なことだと思います」
まあ、実際は信直が将来継ぐのは石川家ではなく、南部宗家そのものになるのだけれども、さすがにそれは言えない。
俺の返答を聞いた亀九郎は――妙な顔をしていた。
「……こう言ってはなんだが、お主はそれで納得するのか?」
はて、なにが? と首をかしげると、信直は言いつのる。
「津軽はお主の故郷だ、故郷の領地を統べたいとは思わないのか?」
「そりゃ捨て扶持くらいいただければありがたいですが、別に津軽でなくても構わないですよ? 家を継げなければどこぞの家に婿入りすることだって出来るわけですし」
戦国時代の、そこそこ有力とはいえ次男坊に過ぎない男なんてそれくらいが関の山だ。
あれ、けどそういえばこのまま史実通りに進めば、信直は宗家の後継者になるわけだから、石川家の家督は次男である自分が継ぐ可能性もあるのか? 面倒くさそうだなぁ。政信に押し付けられないかしら。自分はそんな大きい領地とかいらないから。
「欲が無いな……望めば石川の城くらい得られるかもしれんだろ?」
どこか力が抜けたように呟く。そこに含まれる意味に一瞬遅れて気づき、ああ、と俺は笑ってしまった。
「兄上は、私がこの石川の御領を欲しがって、自分と争うかもしれない、とお考えなのですね?」
あまりに直接的な物言いに、信直は絶句した。
なるほど、この人はこの年でもう一端の『武将』なのだ。