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第28話 今年の成果

永禄四年(一五六一)八月四日



 もう数日もすれば、刈り入れが始まる。そんな快晴の秋の朝。

 その日は利助(りすけ)とヨシを連れ、バタバタして出来ていなかった自分の田の巡回を行っていた。

「あっちだ」

 帳面を持った利助が先導して田をかき分けて目的の株に案内する。今廻っているのは、今年新しく植えた『遠野五郎(とおのごろう)』の圃場だ。

 帳面には田一枚一枚を上から見た図と、チェックをつけた株の場所がマークされている。さらに出穂日や長さ、草の茂り具合などなど、稲の様子も別添えでメモされており、まさしく生育記録だ。

 今日はそれを最終的に確認し、『選抜』する。新しい品種を作る為の育種用の種籾にするかどうかを決めるのだ。

 そうした株が圃場(ほじょう)には幾つかあり、そのうちのひとつにたどり着く。


 目的の稲をじっと見る。籾がしっかり実った、収穫直前の良い稲だ。稲の中程にはこよりが結ばれている。

 『遠野五郎』は耐冷性が比較的強く、なにより病気にも強い、という良質がある。目の前の稲は確かに稲稈(いなかん)も固くしっかりとしていて、いかにも健康そうだ。ただ収量は少なめ。それを他の種類と掛け合わせて成長させられないか検討中だ。

 目的の株を幾つか見て、それから生長の様子や出穂日を確認する。出穂日がなるべく早いものの方が、生育期間が伸びる。

「……良いね、形質は結構安定しているから、これとこれとこれは純系選抜用の種籾にしよう」

「分かった。じゃあこれは収穫の時に注意する」

「じゃ、次に行こうか」

 利助は帳面の株に大きく丸をつけて帳面を閉じると、次の圃場へと歩いていく。

 これを数日中に一町(十反)分、全部回らなければならない。利助とヨシが目星をつけてくれているとはいえ、正直しんどい。


「しかし、今年はしっかり生長したなぁ」

 感慨深く頷く。今年は天候に恵まれたほうで、石川領全体でも例年より少し多めの収穫が期待できそうだ。

「鶴様、今年はあまり田んぼ見てなかったもんな」

 利助がちくりと刺してくる。う、それを言われると何も言えない。

「今年は外回りをし過ぎたよ……」

 歩きながら愚痴る。今年は本当に指導ばかりにかかりきりだった。技術を教えるために出かけ、何か問題があったり乞われれば出かけ――を繰り返していた。今だって正直、起きたばかりなのに疲れが抜けきっていない。健康な子供体力でこれなのだからさすがに働き過ぎだった。ちなみに昨日は石川領の田んぼで木酢液の使い方講座をしていた。

 けど、おかげで石川領の農家とは割と打ち解けれたと思う。


「大事な時期なのは分かるけど、こっちに任せきりにされても困る、鶴様」

 利助は手に持った帳面をぱらぱらとめくりながら、こちらに目を向けずに言う。

「はい誠に仰る通りです……。二人には大事な仕事を任せきりになって本当に申し訳ないと思っています……」

 利助の生意気そうな言葉に頭を下げるしかない。こちらが不在の間、利助とヨシは圃場の状態を見ながら、そこに生えた稲の様子を一株一株見ながら、記録をつけていたのだ。

 大人でも根を上げそうな地道な作業だ。そんな作業を同世代の子どもである彼らは、田んぼの世話と並行して黙々とこなしたのだ。正直苦痛でもあったろうに、鶴が教え込んだそれを彼らは愚直にきちんとこなしてきた。本当に根気がある。

「まあまあ……」

 同じように帳面を抱えるヨシになだめられて、利助は多少は溜飲を下げたのか、心配そうに眉根を下げた。

「けど鶴様、本当に駄目なくらい疲れてたらちゃんと言えよ。お武家様だって疲れ果ててよい奉公は出来ねえだろ」

「そうだねぇ、ま、大丈夫だよ。収穫が終われば、少しは休めるだろうしね」


 実際のところは収穫が終わったらまた地廻りをしなければならないからちゃんと休めるか微妙なんだけどね。石川領で行った保温折衷苗代の成果を直接確認しなければならない。

 評判は――今のところかなり良い。一部の圃場を除けば、どの稲もしっかりと生長し、収穫も例年以上に増える見込みだとのことで、かなり弾みがあった。折衷苗代以外の技術に関しても、聞こえてくる評価は悪くない。カメムシ対策に使った木酢液や石灰の評判も上々。一部で否定的な反応があるのはまあ予想済み。


 なので今回はさほど成果を上げられなかった一部の圃場を重点的に回るつもりだ。成功しなかった理由を探り、次に繋げるためだ。既にヒアリングはしているのだけれども、上手くいかなかった原因がまだ分からないものもあるのでそれの分析もしないといけないので時間がかかりそうだ。

 あ―、ただただ田んぼを作れていればよかったはずなのに、えらいことに手を出してしまったなぁと我ながら思う。これを続けていたら本当に倒れるかもしれない。


 けど、と田の景色を眺める。

 広がる景色は美しいものだ。

 秋晴れの柔らかな陽光と、もうちょっとで肌寒く感じるくらいの心地よい空気。色とりどりの穂が並ぶ水田。空に舞うトンボの大群舞。どこかから聞こえてくる歌垣の音色。少し離れた田では、早稲を収穫する農家の姿も見える。

 この景色の一部を自分も作ったのだと思うと、少し気分は良い。

 そうして秋の景色を楽しみながら圃場を回り、白米と赤米両方の選抜を続け、太陽が中天に上がる少し前頃に、『越比一号(えっぴいちごう)』の圃場にたどり着いた。

 圃場のその一画に植えられた、わずか二十株の『越比一号』は、良く成長していた。

 『比内奥稲(ひないおくいな)』譲りの芒が生えた大きな籾に、『越前白坊(えちぜんはくぼう)』譲りの固くしっかりとした茎が伸びた立ち姿。ふたつの特徴がよく出た稲に育っている。これくらいしっかりしているなら倒伏にも強そうだ。

 思った以上に素性の良い稲が出来たのではなかろうか。


 品種改良をしたとしても、良い稲が誕生するとは限らない。だから品種改良する際には改良種を並列して進行させるのが〝現代〟では普通だ。だが、今の立場ではそんな余裕はありはしない。品種改良した稲を作るにしても、現状では一年に一品種交配できればいいくらいだ。

 だから、これからこの稲が成果を出せたならば。品種改良の技術もまた広く開放しなければならない。品種改良が盛んになり、他の農家も自主的に行うようになれば、優れた品種がその中から必ず、必ず誕生する。そしてそれは農家の、さらに大げさな事を言えば社会全体の利益となる。

 だからこそ、この『越比一号』は成功させなければならない。そして、実際に成果が出そうな稲が出来た事は、本当に本当に嬉しい。

(ただ、問題は耐冷性なんだけど)

 まだまだ喜べる段階ではない。この稲の特徴はこれから分かってくる。特に、ヤマセなど寒気が襲いかかる津軽や奥羽の環境にも耐えれることがまず第一だ。

 今年は平年並みから少し寒い程度の気温で、ヤマセも津軽には襲来せず天気も比較的穏やかだったので、気温という面での耐冷性をあまり試せたわけではない。これから比較的日の刺さない圃場などで試さないといけない。


 そんなことを考えながら、ひとつひとつ株を見定めて、ひとつの株についた所で、立ち止まった。

「なぁ利助、この稲は? 記録を取ってたりするか?」

「ん? ああ」

 利助が帳面をめくり、首を傾げる。

「……ああ、それ、前に記録をつけたやつだ」

 そういえば、前に良く伸びた稲を見つけて記録をつけていた記憶がある。

 だが、それは以前見た時と違って、周囲の稲に比べて随分と背が低かった。生育不良か、と一瞬思ったが、それにしては稈はしっかりしており、周囲の『越比一号』よりもがっちりと立っているくらいだ。

 触ってみると、他に比べてもだいぶ太く、そして固い。

「随分背が低いな、大丈夫なのか?」

「いや、生育不良というわけじゃない。それに短稈のほうが倒伏しにくくなるから、悪いだけの特徴じゃない」

 短稈で固いという事は、倒伏の危険性がより一層低くなるという事でもある。籾に栄養が行く傾向もあり、品種改良によって〝現代〟ではこの時代よりも短稈種の方が主流になっているくらいだ。

 目を引いたのが、その籾だ。

 その株の籾には、全て芒が無かった。『越前白坊』の特徴を強く受け継いでいる。

 それに、籾が他に比べて明らかに大きい。稲穂の頭がずいぶんと垂れ下がっている。籾が重い証拠だ。それでいながら籾の数も、他の『越前白坊』と遜色がないように見える。葉の色も、収穫直前というのにまだ濃い。


 ぞくぞくと背筋が震える。

 直感が走っていた。これは、他とは違う。

「……利助、『越比一号』の中でもこれは他とは別にしておいてくれ。ヨシ、この株を絵に描いておいてくれ」

「わ、分かった」

「分かりました」

 利助が帳面にメモを書きはじめ、ヨシが紙と木の板で出来た特製のクリップボ―ド――日本語で言うと用箋挟――と筆を出して稲株を描き始める。

「これを含めた越比一号の半分は冷水田に植えよう。耐冷性を試していく」

「……いけそうなのか?」

「分からない。けど……」

 自分も定規を取り出して寸法を測る。記録に残すためだ。

 期待に湧く昂揚感と、冷静に稲を吟味する冷えた心が混じり合う不思議な気分だった。たわわに実る稲にそっと触れながら、俺は笑みが浮かぶのを抑えられなかった。




永禄四年(一五六一)八月二十日



 そして、今年の本格的な刈り入れが始まった。

 津軽平野で多くの農家が稲を刈り始める。今年もこの年がやってきたのだ。今年は閏月があったこともあり、西暦で言うなら九月下旬ごろ。例年通りと言えば例年通りだ。

 自分の田は実際の収穫を周辺の農家に見せるために少し遅くなった。そして彼らはその明らかな収穫量の違いに目を張ることになった。

「折衷苗代をはじめ、上手くやればこれくらい収穫できるんだぞ!」

 というのを視覚的に見せるのはやはり大事だ。

 まずは石川城廻りの田を巡検して回った。特に気にかかっていたのは、石川の対岸を領する斎藤兼慶(さいとうかねよし)の田んぼだった。

 彼には今教えることが出来る稲作技術を出来るだけ伝授している。まだ教えていないのは品種改良の方法くらいだけれども、上手く協力関係を築けるならいずれそれも教えるつもりだった。


 脱穀の日を見計らって、金浜や弘宗、利助とヨシらいつものメンバ―で岩館(いわだて)の斎藤屋敷を訪れた。

「おお、御曹司殿!」

こちらを見てぱっと目を輝かせたのは、斎藤殿だ。

「お疲れ様、少ないながら手伝いに来たよ」

「ありがたい、脱穀はいくら人手がいてもよいですからな。……その道具は?」

「千歯こきだよ、脱穀の強い味方さ」

 荷車に積んでいた道具をさっそく降ろし、屋敷前の作業場に組み立てて実演する。

 利助とヨシが稲を扱き、俺が乾燥した稲を持ってきてはその後ろに積んでいく。その共同作業で、まだ元服前の子供の手で早速乾燥させた稲束をどんどん脱穀されていく。その速さは、ひとりが一俵分終わる頃には四俵・五俵分終わらせており、その速さには皆目を丸くする。

「いやはや、単純な道具ですが、単純だからこそ思い付かない類いの道具ですな」

 斎藤殿が目を丸くする。確かに農具ってそういうところがある。理屈は単純だけれど、そこに気づくまでになかなか至らないというか。


 ざくざくと脱穀作業を進めながら、何気なくを装って聞く。

「今年の出来はどうでした?」

作徳(さくとく)、津軽に冠たり! ですな」

 斎藤殿は脱穀される米を集めて、残る草を払って籾を俵に詰めては積み上げながら、明るい口調で笑った。

「豊作、大豊作ですよ! この調子なら、取れ高も平年の六割増しほどになりましょう!」

 はっはっは、と高らかに笑って、軒先に積まれた俵をばんばんと叩いた。

「この四斗俵がうちの小さい蔵から溢れるやもしれませんな! この岩舘に来てそんな景色を見られるとはついぞ思っておりませなんだ。嬉しゅうてなぁ」


 斎藤殿は一休みとばかり軒下に腰を下ろすと、感慨深げに籾を手に取る。

「立派な米だ」

 愛おしげに籾を握り、大きく息を吐いた。

「米価も高めですし、一昨年からの損益分も取り返せそうです。これで一家郎党生きていけます」

 声は喜びと安堵に震えていた。

「本当に信じられぬ思いです。正直藁をもつかむ気持ちでした。ですが、回りが平年を下回る中で、うちは豊作を遂げました。これは鶴様の御力を認めねば道理が通りません」

「……斎藤殿がきちんと田を管理した結果だよ、俺はそれを手助けしただけだ。この結果は、斎藤殿の力だよ」


 水田に限らず、農業はある面において管理の技術だ。技術があったとしても、それを行うのは最終的には人力だ。ひとつひとつの管理が行き届かなければ、雑草も生えれば虫もたかる。結果もそれなりで終わってしまうし、時によっては全滅なんてのもありえる。

 この時代の上級農家は半農半士であることも多く、ともすれば戦に出て銭を稼ぐほうが手っ取り早いと、農地をおざなりにすることも多い。あとは単純に人手が足りなくて管理が出来ない場合もある。

 斎藤殿は、手間と労力がかかるその技術を、地道に続けてくれた。だからこその結果だ。

「はっはっは! そう言っていただけるとかたじけない」

 斎藤殿は気持ちよく笑う。

「これからも色々提案すると思う。その時はまた協力してほしいし、この技術を広めるためにも手助けをしてほしい」

「承知つかまった。この豊作を永のものとするためにも、鶴様に合力を誓いましょうぞ」

 斎藤殿はいつもの明るさで頷いてくれたのだった。



「うんうん、今年も良い値段になったなぁ」

 にんまりにっこり。嬉しい。

 私室で収穫と年貢の報告を見ながら、俺は口角が上がるのを抑えられなかった。

 昨年の津軽の稲収穫は平年より少し下。米価もそれなりに高めで推移していたが、自分の田んぼは豊作と言ってよく、予想よりも多くの銭を手に入れることが出来たのだ。


 今年の収穫が一町(十反)で十七石。他の水田が一町で七石から良くて十石程度なので、大増収と言っていい。さらにここから半分を年貢で取られるので、農家の手元に残るのは八石程度。

 津軽地方の平年米価は時期にもよるけれども一石につき一貫文程度、飢饉の後の年は比較的高値になることが多いので、今年は収穫期で米が増える時期でも二割から三割高くらいの推移になっている。白米と赤米の価格差もあるので、金額とするなら十貫文を超す売却高になる。


 もちろん、収穫の全てを売却するわけにはいかないが、例年以上の豊作に、任された農地の作人たちの顔は明るい。一町の田んぼで稼いだ金額としては上々すぎる金額と言っていい。

「これで今年の生活も楽になる。ほんに鶴様には助かるで」

 兵六はにこにこと笑った。彼も自分の田での稼ぎはそれなりに大きくなったそうだ。

 自分は年貢から上納分を除いた分が手持ちの稼ぎだ。これに加えて、高信から与えられた予算と、蜂蜜の売却益が自分の使える予算になる。

「正直、これでも足りないんだよねぇ」

「ははは、鶴様、そりゃあ欲深だぁ」

 返す言葉もない。以前よりも使える予算は増えたが、様々な施策をするのにはまだまだ足りない。

 特に問題なのが……そう、借金。


 そう、借金に目をそむけてはいけない。

「ま、多少は稼げたわけだし、今年はまずスポンサ―に顔見世して借財分をある程度返してこないとね」

「すぽんさぁ?」

「出資者、ってやつだよ」

「しゅっししゃ?」

 いかん、どっちもこの時代じゃ一般的な言葉じゃないか。

 俺は一人の男を思い浮かべて笑った。銭が準備出来たらすぐにでも出発するつもりだ。

「浪岡の河原御所(かわらごしょ)様、浪岡具信(なみおかとものぶ)様だよ」

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