第26話 家臣たちと不穏
永禄四年(一五六一)六月十日
今日は弘宗と一緒に田んぼに入って草取りだ。
人出はいくらあってもいい、ということで引っ張ってきた弘宗は、嫌そうな顔をしながらも黙々と草取りをしている。
今日は暑い。今年は気温が上がりそうだ。稲にとってほどよい天気は、人間にとっては苦痛だ。
「今更野良仕事を厭うつもりもないんですが……」
げっそりとした顔で弘宗がぼやく。
「広いですね……」
直接管理する農地が広くなり、目を配らないといけない土地が増えた結果、結局はこういう労働は増えた。基本は元々土地を耕していた作人に任せているのだけれども、彼らには新しい手法を直接指導しなければならないので労力は増える。さらには他の田んぼに手伝いや指導に行ったりしているわけで。体が足りない。
「まあまあ、森宗が作ってくれた農具のおかげで正直楽になったよ」
中耕除草具が出来たおかげで、(あくまでこの時代にしては)さくさくと除草が終わる。文明の利器万歳。
稗とコナギはバンバン生え続けるので、これをひたすら抜き、中耕除草具で泥に沈めていく。コナギは一部は抜き取ってざるに取っておく。コナギは食用としてもよく使われる。意外に食べごたえあって結構好き。
「そうでしょうかね……」
「そうだよ。もうこっちは終わったし、次の圃場に行く前に少し休もうか」
畦で休憩していると、隣近所の農家の男が田んぼの中で草をむしりながら笑った。
「おーい鶴様ぁ、もうお怠けだかぁ?」
「んなわけねえべ、もう除草終わったんだ。田んぼ見てみろ」
「あやぁホントだ。何したのさ鶴様」
「道具使ったんだ道具。これあれば草取りもすぐ終わるんだ」
そうして中耕除草具を軽く持ち上げて振ってみせる。
「便利だなぁ、オレにも貸してけでよ」
「貸してもいいけど、これは稲植えをちゃんと綺麗にしていないと使いにくいぞ」
「あー、だから鶴様こったな稲の植え方してたのなぁ。正条植ってやつ。そんなに楽なら俺もそっちにしとけばよかったかなぁ」
「そうそう、来年になったら同じように植えればいいよ、こっちのほうが育ちもいいし。今年はこの前貸した雁爪で我慢してよ」
「あぁ、あの雁爪な、よう使ってるよ、ほれ」
男は手に持った雁爪――手持ち部分に大きな鉄の爪が三本生えたような農具――をぶんぶん振った。
「手で取るより楽だね、これ本当に借りてていいのかぁ?」
「いいよいいよー。気に入ったら買い取ってくれよー」
俺は弘宗に顔を向ける。
「な、評判良いだろ?」
「それは……嬉しいですが」
あの雁爪は弘宗が作ったものだ。
この一年の間、弘宗にはひたすら農具を作ってもらっていた。
雁爪や中耕除草具だけでなく、様々な試作農具にも手伝ってもらっている。彼なしに農具の数を揃えられなかった。
――本人は、その事にまだ整理がついていないようだけれども。
「森宗のおかげで色々なことが進んでいるんだ、しかもこの一年ひたすら農具を作ってもらっている。本当に感謝しているよ」
「いえ……」
弘宗は戸惑ったように頭をそむける。嬉しくないわけではないようだけれども、納得も出来ていないような、そんな顔。
彼が今の境遇にあまり満足できていないのは、分かる。それが彼が前から抱えているものに由来しているのも想像はつく。
だが、彼はそれを表に出そうとしないし、自分の希望も話そうとしない。こちらもあえて聞こうとしなかった。
なぜそういう態度を取っているのかは分からないけれども、『まずは鶴丸の喜ぶように仕えなければならない』とでも思っているのかもしれない。
彼が浪岡の意向を受けて自分の下に来た――鶴丸の事を監視するために来た――というのは公然のものだ。
ただ、それが彼にとって負担になっているのならば、そして、今の農具ばかり作っている現状が納得いっていないのであれば、それは良くない。
(正直巻き込んじゃった感はあるからなぁ)
こちらとしてもどうしても必要な技術を彼が持っていたからこそ、彼の意思を無視して全力で自分の意向に巻き込んだけれども、もうちょっと暇になったら彼と進路について少し話そう、と心に決めた。
とりあえず彼に関することから思考を外し、お隣さんに聞く。
「あ、そうだ。折衷苗代の稲はどう?」
「やぁ、あれ良いねぇ。やっぱり作期を長く取れるとそれだけで目に見えて育ちが違うよ」
「そっか。そろそろ出穂だから、畦の雑草取りはそろそろやっておかないとカメムシがたかるようになるから気を付けてね」
カメムシの防除となると、この時代になると対策は限られる。その中でも一番効果的かつ地道なものが、畦の草刈りだ。
畦の草刈りは遅すぎても早すぎてもダメ、とは経験者がよく言う言葉だ。早すぎると草が伸びてきてカメムシがまたよりつくし、出穂直前くらいに遅くなると今度はカメムシが水田に逃げ込みそのまま定着して繁殖してしまう。
さらには、稗やホタルイもカメムシの好む草だ。特に稗は出穂時期が稲よりおおむね早いので、稲の中に混じって生えてくる稗はがっつり抜かないと、稲までカメムシの餌食になるので気が抜けない。
うちは畦はこれから刈るのだが、その前にカメムシの駆除だ。
草にぶらさがっているカメムシを見つける。腰につけた藁で出来た小さな袋の中に、木の枝を使って使ってカメムシを落とす。落としたら縄で口を縛ってまた閉じる。
「……何故カメムシを集めているのですか?」
弘宗が顔をしかめている。お隣さんもうぞうぞと蠢く藁袋を覗き込んできて「うわぁ」と鼻をつまんだ。
「駆除しているんだよ。集めたカメムシはまとめて火に放り入れる」
弘宗は嫌そうな顔をしたが、そのままため息をつく。
「虫類は燃やすと結構はじけるので気を付けてくださいね」
「よく知ってるね」
「夜の鍛冶場に寄ってきた虫、時々炎の中に飛び込むんですよね」
「分かった。まあこれはちょっと実験のためにちょっと使うんだけどね」
「実験?」
あらかた畦の周りを回った後、藁袋の中に液を垂らす。
しばらくすると、カメムシがわらわらと袋口から逃げるように湧いて出てくる。
「……よしよし、こっちは効果ありだな」
品質は悪くなさそうだ。お隣さんが顔をしかめる。
「うへぇ、気色悪ぃっすなぁ」
「鶴様、これは」
「木酢液だよ」
冬に作らせていた液を数か月置いて出来た木酢液だ。この液はカメムシの忌避剤として大変よく使われる。
「……やっぱり今年はカメムシが多くなりそうだな」
カメムシは数年に一度くらいのペースで多く発生する。ある程度予期してはいたけれども、今年はその『当たり年』のようだった。
立ち上がり、弘宗に指示する。
「森宗、金浜と協力して、これを各村に配って、稲に撒くように指示して。あとこれも使い方も教えるように」
「これは……石灰ですか」
布袋に入れた真っ白な粉を見せる。
「そう、消石灰。これもカメムシ防除には効果が高い。これを稲のほうにふりかける」
むしろ防除効果ならこっちの方が高いかもしれない。これを振りかけるとカメムシが寄り付かなくなる。
石灰は肥料としても使うので、量を間違えなければ害にもならない。無論、やりすぎると土が固くなったりと問題が出るのだけれども。
注油法だとどうしても油の確保が難しいけど、石灰なら石川領に行きわたるくらいは準備できる。
「今年はとにかくカメムシの害を避ける事だ」
正直、ここまで警戒しているのはちょっとやりすぎかもしれないが、いずれは出来るようにならなければならない事だったし、一つの事例が自分の脳裏にあったからだ。
出穂が早いとカメムシが寄り付くのは仕方ない。だが、それが『折衷苗代のせい』と言われる可能性があるからだ。
別に折衷苗代でなくとも、出穂が早い稲にはカメムシはよりついてくるのだが、〝現代〟の折衷苗代の普及期、カメムシが他よりも出穂の早い折衷苗代の稲に大量に寄りついたことによって、『折衷苗代の稲にはカメムシが湧く』という風評となり、普及が遅れた事例がけっこうある。というか、自分の〝現代〟の地元でもそういう話をよく聞いたものだ。
この時代でもそれが起こる可能性は十分ある。なので、まずは念をいれてカメムシの害と防除を説き、加えて対策もセットで提供できるようにしていたのだ。
人間、いきなり事が起こるのと、あらかじめ起こると分かっているとでは心構えが違ってくるしね。
普及は今年が正念場のひとつだ。折衷苗代が普及して全体の田植えや出穂時期が押し上げられれば、今のように折衷苗代だけが時期が突出することもなくなり、カメムシなどが集中して集まることもなくなる。
そうなるまでに、障害は出来るだけ減らしていきたいのだ。
「……気が長い話だけど、頑張らないとなぁ」
そうして畦の除草を終え、少し離れた田んぼに移動する。昨年、兵六から借りた田んぼのうちの一枚だ。
その田の片隅、順調に伸びている稲がそよそよと風に揺れている。
ここに植えられているのは以前交配した越比一号の雑種第一世代が植えられている。
わずかに二十株程度。これだけでは選抜しようにもろくな量にならないので、今年と来年の二年をかけて選抜をしつつも種もみの取得に努め、十分な量になったら本格的な育種を進めていくのだ。〝現代〟の育種なら、ビニールハウスで促成栽培して、二年分を一年で生産しきって育種に入ったりするのだが、そんな事は出来ないので焦らずに育種だ。頑張ろう。
選抜の基準は〝寒さに耐えるもの〟〝出穂等育成の速いもの〟〝背が低く穂の実りが良いもの〟だ。
耐寒性や生育の速さのみならず、幹の高さは重要だ。背が低ければ風などによる倒伏の危険が減り、また背が低い分だけ余分な栄養が葉や茎に配分されることがなく、穂の実りが多ければ、それだけ養分が穂に行くということだ。
この稲が成功するかどうかは、ここで稲の素性を見極めていく選別が重要になってくる。品種改良はひと切れの成功と、大多数の失敗の積み重ねだ。これからも品種改良は進めるけれども、今後のためにもこの越比一号を絶対に間に合わせないといけない。
赤米――東日流早稲と三戸早稲の純系選抜の方は比較的順調だ。出穂の早いものを中心にこちらの育成も増やしていこうと思う。冷害対策として考えた場合、こちらも大事になってくる。
「鶴様」
利助に声をかけられる。
「気になる稲があるんだ。見てほしい」
利助に連れられて来たのは越比一号が植えられた田の水口――水が入るところの一角だった。
水口は水温が基本的に低い。つまり稲が育ちづらい場所であるし、稲が弱って病気が発生しやすい所でもある。なので寒さに強い赤米などを植えるのだが、越比一号の一部、五株ほどを実はここに植えている。貴重な苗が枯れてしまう可能性があるのだけれども、それを差し引いても、耐冷性の確認のためにも植えておきたかったのだ。
「この稲だ」
利助が指差したのは、その越比一号の株のひとつだ。
稲穂の何本かはすこし力が無い。寒さにやられているのだろう。だが、ある一つの株だけ、他よりもよく伸びている。
「……この稲、よさげだと思うんだ。記録をつけておきたい」
まだこの段階ではどうなるか分からないけれども、頷いた。
「分かった、確かに良さそうだ。頼む」
利助はうなずくと、帳面を出して、一昨年から習い続けて様になってきた文字で書付をする。
帳面には上から見た田の全体図が書かれており、記録する稲がどこにあるか朱印をつけ、記録した日と品種、生育状況などを記入する。この後、必要ならヨシに稲の図を書いてもらったりもする。
こういったメモをたくさんつける事で、選抜する稲や田の状況を把握する手助けとするのだ。原始的だけれども、こういうのも積み重なれば品種改良のための立派な資料になる。
利助はこういう風に良く田を観察し、ちょっとした変化にも気付く目があった。
それは稲の選抜にも力を発揮しはじめている。去年、彼が選び出した種もみの育ち方は実際にかなり良い成績を上げている。
絵の上手であるヨシといい、彼らは観察力が優れる。彼らとなら本当に飢饉に勝てる稲を作れるかもしれない、と思えるのだ。
「へへへ」
「……どうした鶴様」
「いや、二人は嬉しくなかったかもしれないけど、利助とヨシが来てくれて、俺は本当に良かったなって」
「……そうかよ」
「うん、これからも頼むよ」
利助は複雑そうな顔でそっぽを向いた。
その後、各村にカメムシ防除が行われた。
木酢液の散布はともかく、消石灰の散布にはそこここで抵抗があった。
石灰を散布すると、当然のことながら稲は白くなる。『こんな状態にして大丈夫なのか……』という不安の声が上がったのだ。
実際青々とした稲が白くなるさまは見目があまり良くないし、効果があるかどうかも知らないものを散布して気になるのは当然のことだ。そのたびに量さえ間違えなければ大丈夫であること、効果のほどを観察するよう指示した。
また、古老からの批判もあった。
「白土は土を肥やしますが、それは一時の事、子の代になれば米が取れなくなります。白土を撒くべきではありません」
これは正しい知見だ。石灰の過剰施用は土のpHをアルカリに傾け過ぎ、土を固くする。土が固くなれば稲も根を伸ばせなくなるし、他の養分を吸収する際に邪魔になる。〝現代〟でもちょくちょく起きていた問題だ。
「いや、それは白土を毎年多量に撒き続けた時の話だ。もちろん場所場所の土の性質や稲の状態にもよるけど、このように虫よけの為にたまに適量を撒く分には問題はない。この時代に稲が生えなくなるのは、使いきれなかった白土の養分が稲の邪魔をするからだ。だから過剰に撒かず、適度な施用が肝心なんだ」
とまあ、とりあえずこうやって直接反対する家に向かい説得する。時間はかかるがそれは仕方ない。まずは一部の田だけ、何なら折衷苗代の稲だけでもいいからやってほしい、と念を押して撒いてもらった。
だが、こうやって農家への説得に時間をかけたせいで、ひとつ失敗した。
「いかん、このスケジュールだと今年の人工交配が出来ない……」
あまりに石川領を飛び回ったせいで、人工交配を行うための出穂時期に時間が取れないことが確定したのだ。
村方への説明は今は自分しかできないので外せない。交配の手順を知っている利助も今年は自分について行ってもらっているので手が空きそうにない。さりとて出穂は待ってはくれない。
失敗だった。ここにきてキャパシティが崩壊したのだ。
来年以降ならば人の手が増えるだろうから上手く回る、はず……。いずれにしろ、課題として置いておこうと思う。
だが、そんな失敗をした甲斐はあった。
木酢液と石灰を撒いた稲はカメムシが確かに寄り付かず、被害が少なくなるであろうことが各地で報告された。
そして、折衷苗代も良く育っていき、今年の作柄も良くなりそうだという報告に、俺は手を握りしめたのだった。
永禄四年(一五六一)六月十日
浪岡具信の屋敷、評定の間は、空気が固まっていた。
そこにたたずむ人間は三人。屋敷の主である浪岡具信、その息子の顕重、そして、使者だ。
正装姿の使者に対し、具信と顕重が向ける目は厳しい。具信などは射殺さんばかりの視線を使者に向け、使者もまたまったく引かずに強張った顔を具信に向けている。
「これが、決定か」
「……はい。御所様含め、評定衆の御同意も得ての決定となります」
「同意などと!」
「やめい!」
怒鳴りかけた息子を鋭く制し、具信は大きく息をついて髭をゆっくりとしごいた。
「……相承った。御所様には承知したとお伝えせよ」
「承知しました。河原様のお言葉、確かにお伝えします」
「お役目、まことにご苦労であった。追ってこちらからも書状を送ろう」
使者は深く深く頭を下げた。得たい言葉を得た安堵と、具信の振る舞いに対する敬意だった。
「では、失礼します」
退出する際、使者は再び、具信に向けて深く頭を下げ、間を去った。
残された具信とその息子のふたりは、しばらくの間無言だった。
「……父上」
「仕方あるまい。滝井境の土地を明け渡す準備をせよ」
具信は大きくため息をついた。
――先ほどの使者は、浪岡の当主・具運から送られてきた。彼は一つの決定を携え、具信の元にやってきたのだ。
それは、所領の裁定だ。
具信の所領である溝城と、その隣の浪岡直轄領である滝井の間では、数年来、境目争いを続けていた。
そして、具信はそれに敗訴した。係争していた土地は、浪岡本家のものと決したのだ。
「……悔しゅうございます」
顕重は父親似の大きな鼻をすすり、拳を握りしめる。力が入りすぎてその手はぶるぶると震えている。
「今は我慢せよ」
具信は務めて穏やかに言葉を発した。そうしなければ激発しそうだったからだ。
戸を開け、外の景色を見る。空は既に夕陽が落ちようとしており、穏やかな夜風に庭の草木がさざなみ、夜を迎える前のセミの声が響いている。美しい景色に、努めて心を落ち着かせる。
「……納得できませぬ。近頃の御所様のやりようは理不尽です。滝井領とて元々は――」
「我慢せよと言うた」
まだ心を乱そうとする息子を黙らせる。
「このままでは終わらせん」
顕重は見開いた。
具信はゆっくりと頷き、窓の外を眺めながら酒瓶に手をかける。中身は、石川領から買ってこさせた蜂蜜酒だ。
苦く甘いその風味は、今の気分によく合った。
「準備をせねばなるまいな」
「承知しました」
「ゆっくりとだ。気づかれぬように、焦らず、丁寧に行う」
具信はとろんとした目で空を見る。
茜色の夕べと、群青色の夜が混じり合う空は、無性に不安を掻き立てる。
「期をうかがうのだ。いくら時間をかけても構わん、こちらが恭順したと思わせ、油断させろ。最良の刻を見つけて、事を成すのだ」
父の言葉に、顕重は深く深く頭を下げた。
ここでいったん切りです。
続きを早くお出しできるように頑張ります。