第25話 第一印象
目の前に、殺すかもしれない人と殺されるかもしれない人がいる。
俺しか不思議に思わない光景を眺めながら、俺は彼らの歓談を眺める。
為信は、高信が守信と共に出兵した桜庭合戦で盛り上がる中、その話を神妙に聞いていた。
(あれ、でも守信って桜庭合戦で戦死するって話じゃなかったっけ?)
津軽の近世史書ではそうなっていたはずだ。守信の死去年は幾つかあって確定していないから、実際には違ったということだろうか。そういえば先年の戦いでは誰かが戦死したとかの話もなかったが、これは史実通りなのか、それとも歴史が少しは変わっているのか。
ともかく、大事なのは記憶にある歴史書ではなく、目の前の生きている人物である、という事だ。
大浦氏と大光寺氏、これに千徳氏、堤氏、和徳氏などの南部氏系中小領主が加わり、これら割拠する勢力のその上に、南部氏とその代理人の石川氏が君臨しているのが現在の津軽の現状だ。
守信はその大浦家の当主為則の弟であり、さらにいえば現在男子のいない為則が死んだ際は大浦家を継ぐことになる大浦一族筆頭だ。そして、石川家としても粗略な扱いは出来ない存在なわけである。
てなもんで、高信もとても丁寧に対応しているし、守信も最大限の礼儀を払って高信に接している。
「それにしても、今回の戦はなかなか骨折りでしたな。我らもたいそうくたびれ申した」(一銭にもならない戦に引っ張り出しやがって恩賞もなしかよちょっとは態度を示してくれませんかねぇ石川様?)
「いやいや、紀伊殿が出てくださったおかげで九戸殿も鎮まってくださった。よくぞ南部への忠義を果たしてくれたものと思うぞ」(軍役奉仕はお前らの義務だろうがガタガタぬかすな)
「いやいや、それでも下の者どもに苦労を掛けました。働いてくれた者どもにもしっかりと報いてやりたいものです」(きっちり出すもん出さねえと俺の配下の連中を押さえねえぞ分かってんのか)
「まったく紀伊殿は家臣思いでいらっしゃる。ご家臣たちの孝心にはかならず報いましょうとも」(ちっうるせえなぁ、『家臣に対しては』ちょっとは考えてやるから黙って受け取れよ小僧)
……副音声で不穏な会話が聞こえる、気がする。それを延々眺めさせられるのも苦痛なのですが親父殿。
まあ、こういうやり取りを眺めさせるのもおそらくは教育なのだろう。
ちらと為信と信勝を見ると、為信は真面目な顔で、信勝はニコニコと笑いながら聞いている。どっちも慣れたもののようだ。
「しかし、今年は米の出来はどうなりますかな」
そうこうしているうちに、話題は今年の作況に移り変わっていった。
「去年は一昨年の影響で村方の疲弊も大きかった故、正直作柄はよくありませんでした。今年もそうなれば、ご奉公にもさわりが出ます」
「我が領内は多少良いが、一昨年の傷からは立ち直れておらんな。今年は立て直せるといいんだが」
「昨年は領主田でどうも虫が湧いて困りましてな。稲が食らわれて難儀しもうした。今年はそうならないと良いのですが」
はぁ、とこれは本当に困ったという風にため息をつく守信に、ふと声をかけてみた。
「その虫というのは、何の虫でしたか?」
急に口を挟んできたこちらに、怪訝な顔をする周囲。
「ん? む、虫の種類、ですか? ウンカですよ」
「被害は夏が多かったですか? それとも秋?」
「あ、秋、ですな」
なるほど、秋のウンカとなると断言できないけれどもトビイロウンカだろうか。
ウンカは稲作農家の敵のひとつだ。その中でもトビイロウンカは大陸から気流に乗ってはるばる飛んでくる虫で、これが大量発生すると稲を吸汁し、枯死の原因となってしまう。
「その虫は、どの地域で湧きましたか?」
「う、うむ? と言うと?」
「去年、石川領内ではウンカの発生は平年並でした。石川領と隣り合う大浦の御領でも大差ないと思っていたのですが、大浦のどこで湧いたのかと思いまして」
「あ、ああ。種里のほうでして」
なるほど、と頷く。種里は大浦領内でも山脈をひとつ隔てた所にある場所だ。山を隔てる事で地域差が出たか。
「今年もウンカの類が多く湧くようであれば、注油法をしてはいかがでしょうか?」
首を傾げる一同。
「注油法というのは、水田に油の幕を張るのです。その上にウンカを刷毛や箒で叩き落とします。そうすると、油によって呼吸の出来なくなったウンカは窒息死します。大豆油か鰯油か、流す油にもよりますが、動植物油ならば多少の養分となって水田に混ざるので害もありません。農民たちに負担はかけますし、広い地域でやるとなると費えもかかりますが、大事な米を守るためなら必要な出費でしょう。今から油を御領の分買うのは難しいと思いますが、米がダメになる位湧くのであれば、今のうちから準備しておかねば」
注油法の難点は、そもそもの油が貴重品なのがネックな点。秋田の油田から石油(この時代で言うなら臭水)でも輸入できれば可能かもしれないけれども、環境破壊を考慮しないとしても、秋田に伝手は無いし、そもそも潜在的敵国だしなぁ。油の生産――菜種とかはいずれやりたいけど今はまだ手が回らない。
正直、農薬に慣れた人間からするとその効果はどうしても薄く感じてしまう。注油法はウンカの類には有用でも、それ以外の虫には効果が少ない。本当は殺虫剤をぶちまけるのが一番手っ取り早いのだけれども、この時代にそんな農薬はない。忌避剤として木酢液を提供してもいいけど、今は量が無いし木酢液はまだ品質が安定しないのが難だしなあ。
それでもやらないよりはましだろう。後は対費用効果に見合うかどうかだけれども、そればかりは今すぐには見積もりは出ない。
と、四人が怪訝を通り越して不可解なものを見る目でこっちを見ている。なんでそんな目で見るねん。
「――これは西国でよくみられる虫殺しの方法です。試す価値はあるかと思います」
と、ごまかしてみる。
「……鶴丸殿は、年若いのに博識であらせられるのだな」(変なお子さんですな?)
「こいつは米に関してずいぶん詳しくてな。変な事ばかり覚えておるんだ」(変なガキなんだよこいつ)
なんか副音声でけなされている気がする。
「鶴、あまり余計な事を言うな」
高信にそう釘を刺される。あんまり大浦の利益になるようなことをするな、ということだろう。
「いやいや、良い事を聞きもうした。もし油を集められるならやってみましょう」
守信が取り成すように言って、その話題は終わった。
二人はその後も和やか(ギスギス)に話を進め、最終的にはなし崩しに酒宴となっていった。
「鶴様、鶴様」
酒宴で酒を飲む大人たちに辟易してながら鮎をつついていると、為信と信勝が声をかけてきた。
為信は真面目だが柔和な顔で慇懃に頭を下げる。立ち上がるとやはり大柄で、対する信勝は小柄で福々しくニコニコと笑って柔和な印象だ。
「将来の郡代様とその弟様にお目通りが叶いました。まだこの通り若輩ですが、大浦の嫡男として津軽の繁栄のために努めます」
「五郎もお会いできて嬉しく思います。これからしっかり努めます故、よろしくお見知りおきください」
二人とも、子供らしさの無い見事な挨拶だった。武家の男の子というのはこうも大人びているものなのか。十四・五歳で元服の時代だから感覚が違うのかもしれない。それにしても彼らは元服が随分と早い。為信などは自分と同じ十二歳のはずだが。
「弥四郎殿、五郎殿。こちらこそ元服したら南部のため、津軽のために努めたいと思う。確か弥四郎殿は同い年だったな。仲良くしてくれると嬉しい」
俺は頭を下げる。未来で対立するのがほぼ確定しているからこそ、丁寧な態度を取らねばならない、いや、本当に敵対しないならそれに越したことはないんだけれども、未来が未来なのでそうと言ってもいられない。
津軽為信は、見事な戦で津軽全土を斬り従え、統一した男だ。その武人としての実力には、少なくとも今の自分では勝てる気がしない。
その武人の刃からいかにして石川と自分を守り抜くか、を考えれば、初手から敵対的な態度を取るのはいかん。
というか同世代だしせっかくなら仲良くしたい。
「鶴殿は米に詳しいのですね、西国の農法のことなど初めて聞きました」
信勝が話を振ってくる。さっき微妙な顔をされたのでなるだけ謙遜しておく。
「米の事を調べるのが楽しいだけですよ」
「しかし、西国の事まで調べておられるのでしょう?」
「ははは、数寄が高じてしまいまして。米の事ばかりで武事の腕はとんと上がりませぬ。お恥ずかしい事です」
「本当に米がお好きなのですね」
「奥国は寒く、米を作るのは難しいですからね。自分の知識が少しでも津軽や南部の皆の助けになればと思っています」
「――鶴殿は素晴らしい知識をお持ちなんですね。凄い事です」
為信はにこやかにこちらをおだててくる。しっかりとした笑顔を作った少年に、あ、これお世辞だな、と察せる程度にはこちらも人生を送っている。
「鶴殿の知識があれば、石川だけでなく大浦も豊かになりましょうか? 是非その極意を教えていただきたいです」
為信がこちらを見る。それを見返して、ふと思い出す。
(これは)
「……弥四郎殿、ひとつ訂正しておきますが、自分はたいした知識は持っておりません。それに農事の進歩は牛歩の歩みです。実践したからと言ってすぐに何もかも良くなる事はありません」
技術を伝授すれば、大浦は豊かになる。だが、そうは言わなかった。
本来なら素直に技術を提供した方が大浦の人々の為になるのだろう。だけれども、こちらを見る為信の目からちらりと覗いた鋭い色に、直感的に警戒心が湧いた。
――人を買おうとした時、引き出された利助がこちらを見た時の目に似ていた。
怒りを抱きながら、何かを求めているような、あの目。
それに加えて、その奥に燃える、欲。
この子は、こちらをしっかりと見定めている。それが分かったからこそ、さっきみたいなひけらかしは控えようと思った。
いつか敵になるかもしれない相手なのだから。
(ま、今のところそんなに難しい技術じゃないし、方々で技術を公開しているし、いずれは知られることだろうけどね。特に乳井の修験たちにはもう教えちゃってるわけだし)
「成果が出れば、技術はいずれ広まります。自分はそれを少し早めているだけですよ」
そう言うと為信は少し不満そうな顔をした。
「ですが、今の世は明日何が起こるか分かりませぬ。ことを急がねば何も出来なくなるかもしれませんよ」
「だから死なぬように努力するのですよ。生き続けて、牛歩で良き未来を拓くのですよ」
石川城からの帰路、大浦守信は馬上から義理の息子たちに問うた。
「どうだった、石川様やその息子たちは」
「石川様は、さすがに迫力が違いました」
横を歩く為信は真剣に応えた。
「桜庭の合戦でも九戸の猛攻を退けて要所を崩すことなく守り切り、見事に逆襲を果たしたとのこと。お話も実践的。さすが老いても南部家で数々の武功を上げた方です」
ですが、と続ける。
「ずいぶんと戦を楽しむ性分と思いました。我々のように戦を楽しむ余裕すらない立場にとっては、正直業腹に思いました」
十二才と思えぬ整然とした返答だった。守信も扇を子ども扱いすることなく意見を受け取った。
守信にとって為信は、大浦の本家筋にあたる久慈氏から送り込まれてきた養子であり、邪険には扱えない養子だった。
守信は将来、兄為則が当主を務める大浦家を継ぐ。そうなれば将来大浦家は為信に譲られる。二人は甘やかな関係ではなく、厳然とした『約定』のもと、対等な関係を築かなければならない相手であり、為信は必然的に久慈の代表者、大人として振る舞う事を要求されていた。
今の大浦家は、決して振るっているとは言えない。
その武威は落ちぶれて久しい。先代の当主は他の領主との戦いで戦死し、現当主の大浦為則は戦場での傷が原因でなかなか戦場に出ることが出来ない体だ。当主がそんな有様では領内の中小領主たちも中々大浦に従おうとはせず、石川や他の領主たちになびく始末だ。
その崩れかけの武威を必死で支えているのが守信であり、それを継ぐのが為信だ。
為信は、大浦家を立て直すことを宿命づけられている。それこそが大浦家との、守信との約定だ。
そして、そんな立場の人間から見れば、戦を娯楽のように楽しむ、楽しめる高信は、その余裕ゆえにあまりに腹立たしい。
「鶴殿はどうだった」
「あれはただの数寄者としか思えませんでした。武の才が無いなどと、謙遜でも言うべきではないでしょう」
辛らつな評価だ。だが正しい。
この戦国の世で武威が無い事をあからさまにすることは、侮ってくれと言っているのと同じことだ。
為信にとって鶴は、父である高信の武威に胡坐をかき、家を継ぐ兄がいる気楽さに気儘な事をしている奴、としか思えなかった。
「兄上は厳しいなぁ」
五郎が笑う。
「あれは兄上が悪いよ。鶴様、ものすごく警戒していたよ。兄上、態度が隠せていないよ」
弟の言葉に為信が顔をしかめる。守信が苦笑しながら信勝に問う。
「五郎はどう見た?」
「鶴様の事? うーん、きっと凄い人だと思いましたよ義父上」
信勝は楽しげに笑う。
「あれだけ知識を持っていて、それをちゃんと仕事にすることができる。あれは兄上と同じで才能がある人だよ」
「同じにするんじゃない。おおかた、米の出来栄えしか見ておらんのだろう。米は武家の基だが、あくまで農事。小城の主ならまだしも、あのような大家の子息がうつつを抜かすなど恥ぞ」
武門とて下に行けばいくほど農業とは切っても切れないし、実際に手作をしている領主は多い。だが、あくまで稲の育ちを見るのは農民たちの領域だ。武家が土をいじる事は〝本来は〟好ましくない、という観念が武士たちにはある。石川家のような大家ならなおさらだ。
あくまで武功を上げ、家門の栄えを盛り立てるのが武門の道であり、農事を行う農民たちをきちんと支配していくことこそが本道であるのに、大家の身でありながら身分の差を越え土にまみれるなど、子息であってもやることではない。
あの知識には利用価値があるかもしれないけれども、それは武士が目指すべきものではない。
「そんなこと言って、あの人から知識を聞き出そうとしてたじゃん。そういう所を見透かされるんだよ」
「ふん、もし農事の知識を得られれば、大浦を豊かにする一助になるかもしれないではないか」
「兄上は貪欲さが表に出てるんだよ」
「貪欲にならねば、大浦の栄えなど夢のまた夢ぞ」
鼻を鳴らして言う為信に守信は苦笑する。
「確かに武人としては誉められたものではないが、一芸を極めて大成する類の方かもしれんな。そういう者は、補佐役となったら力を発揮するものだ。もう一人の御子息、田子の九郎殿と鶴殿が手を取り合えば、石川はよい具合に力をつけるかもしれんな」
「そうなっては困ると言っているのは父上でしょう」
「は、そうだな」
守信は快活に笑った。
「ま、彼らもお前たちもまだこれからだ、しっかり励んでくれ」
「「はい!」」