第24話 またひとつ、歴史
「石川様がお勝ちになられたそうですな! おめでとうございます」
勝報を知らせる触れが届けられると、石川城内は湧いた。
出かけると、方々で祝われる。立場上そう言われるのは当たり前なのだが、あまり喜んでもいられない。
今回の戦では津軽諸将の被害も大きかったと聞く。特に堤氏――今でいう青森市の横内を領地とする南部氏の一族なども戦死したそうだ。そう考えるとあまり喜ぶわけにもいかない。
こちらはと言えば、親父殿は無事だと聞いたら、いつものように農事に戻った。正直、それ以上に農業指導の方が忙しくて、気にかけていられなかった。毎日外に出て指導して場合によっては農家の手伝いも積極的に行い――では、他に気を回すことも出来ない。というか暇がない。まじで無い。
ただ、最近は出来るだけ馬術を学ぶようになった。石川領各地に行くのに徒歩では移動時間や荷物の面で支障が出始めたのもあるし、いつか自分が軍勢を率いるかもしれない、という高信の言葉もあった。
自分は武士としてはあまり出来はよくないけれども、馬のひとつもうまく乗れるくらいにならなければ、くらいの事は考えるようになったのだ。
金浜は農事の行き帰りのたびに、厳しく馬の乗り方について指導してくれた。守役らしい仕事に金浜は熱を入れ、行きのレッスンだけでグロッキーになることもよくあった。
そんなこんなで日を過ごし、高信が帰ってきたのは、ちょうど自分の田んぼで折衷苗の田植えを始める頃だった。
永禄四年(一五六一)四月七日
そして迎えた田植えの日。
今年は石川領各地の農家たちを招待した。なるべく折衷苗代に否定的だった者たちを呼んだのは意図的だ。
もちろん、そういう者たちはわざわざ来るのを嫌がったが、「来た者には石川公戦勝の祝儀として土産物を包む」と布告した。我ながらやり過ぎだと思ったけど、まあ必要経費として申請した。金浜は「……石川も決して豊かな金蔵を持っているわけではないのですよ」と思いきり嫌な顔をされたが、それでもちゃんと利助やヨシたちとも一緒に田植えの場に来てくれるのだから本当にありがたい話だ。
水の張られた田んぼを見ると、また今年も稲作が始まるのだとやはり高揚する。今年は見学者が多いのでちょっとした出店とかも出している者がいるようで、大変賑々しい雰囲気だ。
見学者も多いので、ひとつひとつ説明をしてみせる。
「今年植えるのは我々が作った『越比一号』と、選抜した『比内奥稲』『越前白坊』、それから『遠野五郎』です」
越比一号は去年交配したばかり。わずかに二十株程度しか無いので、出来るだけ良い田の片隅でまず種もみ用として生産する。今年栽培した分で、来年以降どんどん交配と選抜を行う予定だ。
それに『比内奥稲』『越前白坊』に加えて、もうひとつ、『遠野五郎』という品種を今年は植える事にした。その名の通り、陸奥は遠野地方――柳田国男の遠野物語で有名な盆地だ――で栽培されている品種で、中稲で冷夏でも育ち、なおかつ病気にも強いという評判を聞いて、商人から籾を買い取ったものだ。
これに加えて『東日流早稲』『三戸早稲』も引き続き兵六の田んぼで栽培・選抜してもらう。
五葉くらいまで成長した苗代が運び込まれると、見学者から静かにざわめきの声が漏れてきた。
「本当にこんなに立派に伸びている……」
「うちの苗代田ではまだ稚苗だぞ……」
「閏月があるとはいえ、まだ四月でここまで大きくなるとは……」
悪くない反応。手ごたえを感じる。
これだけの早さで苗を枯らさずに成長させることが出来る、という事を見せれば、この地の農民たちはその意味をすぐに理解する。それを目の前で見せることが出来れたのはやはり大きい。
去年の兵六のように、胡散臭げに油紙が張られた苗代を見ていた農家たちが、苗が成長するにつれて表情を変えるのは、やはり、嬉しい。
そして、話を聞いてくれたのは、顔役としての兵六や俊加殿がいてくれてこそだ。
「うちの苗代田で折衷苗を余分に作ってるから、良ければ田の片隅に早目に植えてみてくれ。そうやって育ちがどう違うか、確認してほしい」
技術を学ばずとも、興味がある人には、自分の田で大目に作った保温折衷苗代の苗を配り、田の片隅に植えてもらう。宣伝も欠かさない。今年はまず実際を見せる事だ。
それから、今年に関してはかならず一言言い添える事にした。
「他の稲よりも出穂も早まるから、今年の天候によってはカメムシがかなり寄り付く。出穂の半月前には除草すること。田の中の稗やホタルイはちゃんと取ること。それ以外にも対応策はあるから、出穂前の二十日から半月前には声かけてほしい。あと色々配るつもりだからよろしく頼む」
そして始まる田植え作業。今年は田んぼの作人たちに加えてタカメさんたちにも協力してもらいながら、田んぼに縄で線を引き、苗を植えていく。
それから昼時を迎えていったん休憩だ。
この時代、田植えはちょっとしたハレの日だ。作人たちは思い思い精一杯豪華な料理を持ち寄り、にぎやかな昼食になる。今回は招待客を呼んでいる関係で、自分も蔵を開いて食事を振る舞ったので、田植え会場はちょっとしたお祭りのような騒がしさになった。
その喧噪を断ち切ったのは、馬を駆った一騎の侍の姿が見えたからだ。
勢いよく飛び込んでくる侍に、物見高い村人たちが騒ぎ出す。
侍は自分と金浜の前に来ると、勢いのままに飛び降りて膝をついた。
「こちらにおられましたか、鶴様、金浜様」
「おう、いったいどうした」
金浜の言葉に、先触れの侍は満面の笑みを浮かべた。
「高信様が凱旋されます!」
「なんと!」
「軍勢を置いて、馬廻と共に先んじてこちらに来られます!」
それからほどなくして、今度は十数騎の騎馬が早足気味にこちらへ近づいてくるのが見えた。
先頭には、いつもの笑みを浮かべた大男がいる。そういえば去年も田植えの時に現れたな、と思い出して、意外なほど安堵している自分に気が付いた。
やはり、心のどこかで心配していたのだろう。
「親父殿ー!」
大きく手を振ると、高信が嬉しそうに破顔するのが見て取れた。
高信は村人たちの集まりで止まると、拳を大きく振り上げ叫んだ。
「勝ってきたぞ!」
一斉に歓声が沸く。領主が戦に勝つ、というのは領民にとっても大きな寿ぎだ。
「……まったくタイミング良いなぁ……」
思わず笑ってしまった。田植えの進む田んぼの前で、戦勝を祝う民々に迎えられる武将。出陣の時といい、なんていちいち絵になる男だろう。いや、これは狙って帰ってきたか?
高信は自分の前に来ると、馬上からひょいと自分を抱き上げ、高い高いした。
「はっはっは、勝ってきたぞ鶴!」
「おめでとうございます父上! それはそれとして高くて怖いです!」
「お前も重くなってきたなぁ。来年はもうこんなことも出来んかもしれんな」
やれやれ、と高信は少しだけ不満げに口を曲げた。
「結局九戸殿の首は上げられんかったがな、まあ勝ちと言っていいだろう」
高信は自分を抱えたまま馬から飛び降り、田植え途中の田んぼを見た。
「今年も良くなりそうか」
「はい、去年以上の成果を目指しています」
自分の答えに高信は笑った。
「そうか、よろしく頼むぞ」
永禄四年(一五六一)四月二十五日
石川高信が帰還して後、石川城は戦勝祝いの挨拶伺い等に忙殺された。
各地から使者と献上品が送られてきたり、逆に戦死者に対する弔問はもちろんのこと、当主が死んだ家があれば代替わりの保証をしたり、武家というのは忙しい。
まだ元服前の息子である自分に関してはほとんどそっち方面の仕事は無く、比較的自由にしていたが、その日は金浜から「鶴様もお客様を応接するので、出かけてはなりません」と釘を刺された。幸い、農事指導などの予定は入っていなかったので素直に待っていると、客人たちを応接する表亭の間に呼び出された。
時々ある仕事だ。自分たちの被官や目下の者たちにこうやって顔見世することで、次期当主やその重臣となる一族を知らしめるのだ。
その日、高信と金浜と共に表亭へ向かう。
広間には壮年の武士とそれにつき従う俺と同い年くらいの少年が二人、待っていた。
高信が入ると、三人はすっと頭を下げる。
「待たせたな紀伊殿」
「いいえ、石川様」
高信のそばに座り頭を下げる。紀伊、という受領名を持つということは、かなり高位の武人だ。
当時の津軽で紀伊の受領名を持つ者は誰だったか、と考えるが、パッと名前が出てこない。
少年たちは彼の息子だろうか。
「まずは先に紹介しておこう。儂のせがれ、鶴だ」
武士と少年たちは揃って頭を下げる。
「大浦紀伊守、守信と申します。石川様の御子息とお会いでき、嬉しく思います」
「紀伊が嫡子、弥四郎為信と申します。先日、元服を済ませました。よろしくお見知りおきくださいませ」
「同じく、弥四郎の弟、五郎信勝と申します。よろしくお願いいたします」
俺は三人のうち、弥四郎と名乗った少年を思わず凝視する。
年にしては大柄な体格。細い眦。どこか愛嬌もあるその顔立ちは、今は見定めるかのような表情をしてこちらに向けられている。後世語られるような立派な髭はまだ生えてもいないが、その名前からは疑いようがない。
間違いなくこの少年が。
(津軽為信)
後にこの津軽を統一し、近世の幕開けを告げる男が、その義父と弟と共にそこにいる。
いつかこういう事もあるかと思っていた出会いに、心臓が少しだけ早くなる。
(この男が、石川高信を殺すのか)
津軽の史書を信じるなら、今から十年後の元亀二年(一五七一)、この目の前の少年は石川城を襲撃し、石川高信を殺害、大浦氏独立の狼煙を高々と上げることになる。
未来に起こるであろう出来事がまたひとつ、形をもって姿を現した。
唾を飲み込み、答礼としてこちらも頭を下げる。
「石川左衛門尉が一子、鶴と申します。紀伊様、弥四郎殿、五郎殿、お初にお目にかかります」
やっと出せた。