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第23話 春は始まりの季節

 それからは、飛ぶように日が過ぎていった。

 自分の田を中心として、石川領での数カ所での農事指導がまずは今年の仕事だ。

 まずは自分の田んぼで、折衷苗代の作り方を作人と各村から集まった農家や、斎藤兼慶殿など士分の見学者、さらには俊加殿や福王寺の寺僧たちなど、見学者は五十人近くにまで集まった。

 彼らの全員にヨシの書いた手順書を渡す。種もみの塩水選から始まって苗を植えるまでの過程がまとまった冊子だ。


 初日は塩水選と温湯消毒なので、そこまで派手な事はないが、それでもそれを説明しながら見せる。反応はまちまちという所だが、塩水選に関しては実際に浮いた種もみと沈んだ種籾を触ってもらい、その違いを実感してもらう。

 で、今年は少しだけ追加するものがある。


 塩水選と温湯消毒を終え、浸種の段階の段階で、ひとつの瓶を取り出して振る。ちゃぽちゃぽと小気味いい音が鳴る。

「これから浸種だけど、その際にこの液体を混ぜる」

「それは?」

 見学者の代表として俊加が聞く。

「木酢液だ。炭焼きの木の煙から取れる成分を採ったものだ。これと水を一対五十ほどの割合に薄めて種もみを一日漬ける。これによってより種子が消毒されるんだ」

 木酢液の品質と量については正直これからなのだけれども、せんだって消毒に使った感じは問題なさそうだったので今回やってみることにした。

「あまり濃くすると逆に発芽率が低下するし、薄すぎても効果が無いしで扱いに注意が必要な資材だけど、色んな使い方があるから、希望者がいたら持っていってくれ」


 その後は質問タイムだ。

「塩水選で塩に種もみがやられないのか」「温湯消毒というが温度はどう見極めればいいのか」「温湯消毒と木酢液、片方だけの処理ではダメなのか」「塩の濃度は濃いほうがいいのか薄いほうがいいのか」「浸種は七日から十日程度というがそんなに短い時間でいいのか」エトセトラエトセトラ。

 もともと意欲の高い人が多いのだろう、比較的前向きな意見が多い。効果を疑問視する意見もないではないけれども、それにも根気よく説明する。

「今回の行程は後にならないと効果が見て取れないものばかりだけれども、良い苗を作るためには必須な行程なんだ。そして、本番は浸種を終えて播種をする時の苗代作りなので、次回はかならず来てくれ」


 自分の所での見学会を終えると、今度は石川領との各所に遠征だ。

 所々に意欲のある人、希望者がいるので、その人の田を借りて塩水選から浸種・催芽、播種や折衷苗代の作り方、苗代の保持の方法から正条植での田植えの仕方まで、それぞれの行程に分けて、ぐるぐると巡回して指導する。希望者にはそれ以外の技術もどんどん教える。全体の行程についてはヨシの書いた絵を渡してある程度のやり方を指南する。農家は春先にかけてはとにかく忙しいので、邪魔にならないようにしつつ、まとめて指導できるところはまとめてやってしまう。


 説明や道具の準備をして、それを担いで石川領の各地まで行き、実地で説明し、反省をして、また説明をして――の繰り返しだ。とにかく数日単位で行われる苗代づくりに合わせるため、とにかく休む暇がない。石川より南の山間部になると雪解けがまだ遅い場所もあるので、そういう所はなるべく説明をまとめてする事になるのでさらに忙しい。

 自分の田んぼでやった時は見学者が多いほうだ。義務的に十数人くらい来てくれればよいくらいで、時には三・四人しか来ないこともある。そういう時はがっつりと資材も含めて時間をかけて指導した。せっかく来てくれた人こそしっかりと大切にしたいからだ。



 そんな風に忙しくばたついていた三月の中旬。

「結局九戸殿かぁぁぁぁ!」

 石川高信の若干面倒くさそうな叫びが奥亭から響き渡った。

 一通の書状をぶるぶると震える手で握りしめて部屋から出てきた高信は、何事かと集まってきた近習たちに鋭い大声で命じた。

「戦じゃあ! 準備せい!」


 即日、津軽郡代の名で津軽中の諸領主に陣触れがなされ、津軽各地に伝者が飛び出していった。

 その年の春は、戦とともに始まった。





永禄四年(一五六一)閏三月五日




 掲げられた旗指物がはためく音。人と馬の集団が地を踏みしめる音。彼らが交わす雑談の声。

 数百、数千の人間が集まって起こる独特の喧噪は、離れた石川城の山上にも風に乗って聞こえてくる。

 高信と共に石川城の櫓の上から、城下に集結しつつある軍勢を眺める。街道をてくてくと歩く兵たちの姿は、まるで並んで進むアリのようだ。


 彼らは、津軽諸領主の軍勢だ。

 彼らはいったんこの石川に集合し、ある程度のまとまりとなったら、ここから南へ奥州を縦貫する大道――奥大道から脇道の十和田道を経由し、南部氏の本領である糠部に入り、高信の本領・田子を経由して南部氏の主城がある三戸へ、そしてさらにその奥の戦場に向かうのだ。

 相手は、南部氏の親類一家――九戸氏だ。


「九戸と我ら三戸のもめごとにまた火がついたのよ」

 九戸氏は三年前、三戸領である桜庭地域を巡って三戸側と争いを起こしている。それが再燃したというのだ。

 高信によれば、去年以来、三戸と九戸は協議を続けていたものの、話し合いが不調に終わった場合は春と共に出兵と決しており、冬のうちには内々に、津軽の主だった領主に話が伝達されていたそうだ。

 津軽勢が出陣した南部桜庭合戦は、複数ある発生年のうち永禄元年に終結した、という説が定説で、実際にも起こりそして終結していたので、永禄四年にも再度起きるのはちょっと予想していなかった。


「正直こんな出兵なんてしたくないんだが、九戸殿がとにかく譲歩しようともしないでは、圧倒的な戦力を見せつけて打ち負かすしかない」

 高信は嫌そうなしかめっ面をして「だから九戸殿は面倒なんだ」と愚痴をこらえる気もなくこぼしていた。

 俺も正直嫌だった。


「これから農繁期なのに働き手が取られる」

 思わずボヤキが漏れる。

 春は戦初めの季節だ。

 雪深い奥羽において冬は戦はしない、というのは単なるイメージで、冬場でも戦が行われることはけっこう頻繁にあるのだが、とはいえ戦をやりやすい季節ではけっしてない。

 なので大規模な軍事行動が発起されるのはもっぱら春だ。だがそれは農繁期ともろかぶりする。

 陣夫人足として人手が取られるだけではない。これら集結した大小の侍たちにしても、自分が支配する土地に戻れば土地の主として農家を指導し、自らの手作地を手掛ける耕作者なのだ。

 石川の侍たちも当然参陣する。彼らがいなくなれば、それだけ直接的に技術の伝授も遅れる。

 今は保温折衷苗代の苗代を育てている真っ最中だ。農家も大事な時期だというのに、そんな時に戦をするなどと。


「なるたけ早く済まして帰ってきてやる。九戸殿のやり口には慣れておるからな」

 それでも強いから厄介なんだがなあやつは、と高信は息子の頭を撫でて笑った。

 九戸殿、とどこか親しげに言う父を不思議に思って問うてみた。

「親父殿は九戸様とご面識があるのですか?」

「ああ、あるとも。いつも不遜なへそ曲がりだ。本当に気に食わん奴よ」

「はは、そうなんですね……」

 それは同類嫌悪とかそういう類なのではないか、と口にしなかったのは賢明だと思う。

 だが、とすっと高信は目を細める。

「数千を率いる侍としては一流よ。武勇豪強にして奸智。我が南部郡中でも出色の武将と言っていい」

 心持ち弾んだ声で高信は語る。

「あやつとは三年前に戦ったきりだが、今回こそ決着をつけてやりたいものよ。奴との戦いは心が躍る」


 そう言って獰猛に笑う高信の姿に、ぞくりと背筋が冷える。

 面倒だなんだと口で言っているが、彼もまた戦いを本分とし、闘争を楽しみとする種類の人間さむらいなのだと、改めて見せつけられた気分だった。

 そして、おそらく九戸殿も親父殿と同類なのだ。

 九戸政実といえば、〝現代〟では、二戸――九戸氏の本拠がある地域の、郷土の英雄として取りあげられていた人物だ。

 二十数年後の未来、来襲した数万の上方軍――豊臣秀吉の軍勢に対して戦いを挑み、そして最後にはだまし討ちにあい散っていった悲劇の勇者として。

 そんな人物と、今世の父は、この軍勢を率いて戦うのだ。

 歴史上の人物として知っていた人間が、現実に生きる人間であり、自分の父親が知人として語り、そして干戈を交えることに不思議な感覚があるのは、自分にまだ前世の感覚が残っている証拠なのだろう。


 高信は目線を集まる軍勢に向け、俺の頭をガシガシと撫でる。

「この軍勢を見ておけ。お前がいずれ率いるかもしれん軍勢だ」

 予期せぬ言葉に、心臓が一拍大きくなる。

「儂や信直が他の用を務めていたら、お前が陣代だ。貴様も石川の人間、津軽諸将の上に立つ機会があることは心得ておけ」

「……はい」

 つまりは自分が高信のような立場になる――その責任の重さに少し震える。

 高信は津軽の南部系諸領主に南部氏――その宗家たる三戸南部氏の意志を伝える代理人だ。

 ただの代理人ではない。三戸南部氏一族の中でも最大の勢力を持ち、津軽という一国に匹敵する領域のみならず、南部領全土に影響力を行使する『郡代』だ。

 彼は宗家に諮ることなく独自の判断で彼らに指示する権限を握っており、宗家ですらその判断をないがしろにできない。彼の動向いかんで、津軽諸氏の興亡は左右される――それが石川高信という権力なのだ。

 その権力の一端を、いつか握らされるかもしない。

 もちろん、この先の歴史を知っている身としては、単純にそうなるとは思えない。だが、今後の展開次第では可能性としてあり得るのだ。


「では、行ってくる。留守中、ちゃんとね子や金浜の指示には従うのだぞ。あと農事に力を入れるのはいいが、武の腕も磨くのだぞ」

 高信はそういうと軽やかに櫓を降り、下に待たせていた馬に飛び乗る。

 太鼓が大きく鳴らされ、石川城の大手門が軋みを上げて開く。門前にはすでに高信に率いられる兵士たちが勢揃いしている。

 惣大将たる高信を迎えた軍勢は、ゆっくりと街道を進んでいき、城下で待つ津軽勢に合流する。

 高信がその軍勢の中心に陣取ると、ひときわ大きな鬨の声があがる。

 はためく旗指物。馬印。馬上でひときわ豪奢な甲冑を身にまとい闊歩する大将。それを取り巻く精強な兵士たち。

 まるで絵巻物そのもののような豪華さで、高信は戦場に旅立っていった。

 自分は彼のその背中を、見えなくなるまで物見櫓の上で見続けていた。



 三戸側の勝報が津軽に聞こえてきたのは、折衷苗代の油紙を剥がす時期に差し掛かる閏三月末の頃だった。


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