第22話 準備の新年
永禄四年(一五六一)一月十七日
農業の準備をしているうちに、あれよあれよという間に永禄三年は終わりを迎え、永禄四年になっていった。
石川城で行われた正月年賀の儀式をつつがなく終えた後は、さっそく今年の農事の準備に取り掛かった。
今年は領主田の準備や指導で大わらわになるため、様々な資材の準備が必要になってくる。
油紙は今回はこちらから提供するとして、農家の側にも準備してもらうものは幾つかあるし、そもそもどの農家が新しい施策をどれくらいやるか、というのも確認しながらやらないといけないので、各工程ごとに農家を呼んでやり方を実践して見せて、直接指導したり、やり方だけ教えたりするようにした。
昔、熱心な農業指導員が田んぼを回ってきては色々と教えてもらったものだが、こんなに忙しいとは思わなかった。
ここで協力してもらおうと思ったのは乳井福王寺の修験者たちだ。
修験者たちは〝現代〟でいう農業指導員のような役割を果たしている者たちも多い。実利を農民たちに提供することで信仰を広めていく――という何とも俗っぽい理由なのだが、逆に言えば農家たちも話をよく聞いてくれる。
と言っても、まずはその知識を修験たちに教えねばならないので、利助たちの手習いの師であり、勝手を知っている俊加殿に協力してもらう事にした。
「私なら鶴様の実績を知っておりますからね、説得にはちょうどいいでしょう」
俊加はハハッと笑った。快活で農家の受けもいい俊加なら、上手く知識も広めてもらえるだろう。
「宗主様も貴方の出した結果に注目しておりますよ、『一回の結果で答えは出せん』とは言っていましたが」
宗主様――福王寺玄蕃のいかめしい顔を思い出す。彼にも吉報を届けられるように頑張らないとなぁ。
「おっしゃる通りですね、上手くいかないこともありますが、これからも結果を出していきます、とお伝えください」
ところで、とこちらから話題を変える。
「今日はこれから炭焼き小屋に行くつもりなのですが、この前のように案内を頼めませんか。さすがに山深い所に私どもだけでは少々不安でして」
「あそこですか。かまいませんよ、冬行も修行のうちですしな」
ざくざくざく、とかんじきで山道を踏みしめる。まだまだ雪は厚く、そして重い。
その日、向かったのは炭焼き小屋だ。山に入ってすぐの所にあるので、炭焼き場にしては行きやすい場所なのだが、それでも子供の足にはなかなか堪える。俊加や側付きの武士たちの助けがあっても、山道は狭く滑る。なので修験でありこの辺の道を歩きなれた俊加に案内を頼んだ。
それでも静かな山道を進んでいけば、林の向こうから、晴れた青空に煙が立ち上っているのが見える。
さらに奥に行けば、雪になかば埋もれた仮小屋の屋根の下に、男が一人立っているのが見えた。
「……鶴様」
すすで顔を真っ黒くした炭焼きの男が一瞬だけ驚いたように目を開いて、それから不愛想に頭を下げる。
「お久しぶり。視察に来たよ」
「はっ……」
「ご家族から幾つか食料と物を預かってきた。それから俺のほうから酒も」
「はっ、ありがとうございます……」
「頼んでいたものは出来てる?」
こちらの問いに男は炭焼き小屋の側に建てられた小さな土室――穴倉を指さした。
「石灰のほうは、焼けております。もし必要なら持っていってください」
「うん、ありがとう」
ごそごそと俵に包まれた石灰を見聞する。良い感じに焼けている。八戸から取り寄せた石灰だ。
八戸領での石灰岩確保は、八戸氏と直接の知行主である大悲寺からつつがなく購入することが出来た。が、本格的に到着するのは春先になりそうだ。採掘しようにも、山も道も雪に閉ざされているので、本格的な採掘はまだ出来ないのだ。
だが、八戸の方はまだ雪が少なく、依頼を出してから少しだけ採掘できたそうで、最初に得られた石灰の第一陣は雪道をおして石川に到着した。これを焼く必要があるので、これらは炭焼きの者たちに頼んで焼いてもらうことにしたのだ。
「あと例の液、出来てる?」
「へえ……」
男は言葉少なに鶴を炭焼き窯に案内する。
彼は普段石川城に炭を卸している。彼に頼んで、一つだけ設備を追加してくれるよう依頼したのだ。さっそくそれを見に行く。
炭焼き窯の煙路に、数本の真竹で出来た煙突を差し込んでいる。
斜め上に伸ばされた竹には中途で切り込みが開けられ、そこから液がぽたぽた滴り、下に置かれた桶に少しずつ溜まっていく。お世辞にも綺麗とは言えない茶褐色の液体だ。
臭いをかぐと、いがらっぽい刺激臭が漂ってくる。凍らないうちにこれをさらに大きな桶に移し替える。
これこそが自分が欲しかった資材のひとつ――木酢液の素だ。
炭を焼いた時に出る煙を冷やして作る木酢液は、多用途に使える液剤だ。稲の大敵であるイモチ病を防止し、その強力な殺菌作用から土壌の消毒にも使える。虫よけになるし、さらに堆肥の発酵促進剤にもなる。農業やってると割となじみの資材だ。
十分な量になったら、これを数か月置き、上澄みと木酢液とタールに分離する。木酢液をさらに蒸留することで、質の良い木酢液が完成する。
ろくな防除剤が無い(もしくは大量に準備できない)この時代においては、製造しやすい貴重な資材だ。そのためにわざわざ真竹を他から持ってきたほどだ(津軽には笹竹くらいはあっても残念ながら太い竹がほとんど自生していない)
「少し貰っていくよ。銭は今ここで払った方がいい?」
「……いえ、春に受け取りに参ります」
「承知した。仕掛けで困っていることはない?」
「いえ、特には……」
炭焼きの男はそう言って窯に戻っていった。そっけないが昔気質の第一次産業従事者などあんなものだ。
「ははぁ、これが虫よけになるのですか」
俊加が感心したように木酢液が入った桶を覗き込む。
「そうそう、ただしちゃんと薄めて使わないと逆に草を枯らす毒にもなるから気を付けないといけないんだよね」
本当ならもっと効く防除剤が欲しいのだけれど、なかなかそうはいかない。防虫菊も欲しいけどこの時代だと無いらしいんだなぁ。タバコも防虫剤として使われたけどこれもまだ伝来していない。石灰ボルドー液とか作れたなら最高なのだが、こちらに関してはまとまった量の原料(硫酸銅)が現状ではすぐには手に入りそうにない。あとは石灰硫黄合剤なら材料自体はそこそこ手に入るから作れるかな? あんまり稲では使わないけど。
この時代、とにかく防虫剤が足りない。例えば〝現代〟だとよく手製の防除剤として、唐辛子やにんにくを酒に付け込んだ液とかよく作ったものけど、そもそも唐辛子やにんにくが大量には手に入らないし、高い。ミントというか薄荷液なんかもやはり大規模な生産はまだこの時代されていない。化学農薬に関しては言わずもがな。
なので、比較的生産が簡易で元手も少なくて済む木酢液の生産は急務だ。稲の防除に絶対に有効かと言えば、すぐに蒸発してしまうし水に流れてしまうので使いどころが少し難しいのだが無いよりましだし、何事も使いよう。
いずれは炭焼きの窯にこれを常備してもらい、大量の木酢液が安価に供給できるようにしたい。
今は木酢液の需要は無い。そもそも存在が知られていないから当然だ。だがニーズは間違いなくある。この時代なら防虫剤としても消毒薬としても重宝されると確信している。需要を作ることで、引いては炭焼きの儲けのひとつになるようになればいい。保温折衷苗代もこの木酢液も、作り手の生活向上に寄与しなければならないのだ。
「これも買い取るからさ、大切に作ってくれよ」
「……ああ。駄賃になるならありがたいことです」
男はそう言ってしゃがみこみ、じっと窯の火を見る作業に戻った。
永禄四年(一五六一)二月十五日
雪深い津軽でも、少しずつ雪が解け始める頃だ。とはいえまだ春は離れている。
いつも通りに田んぼの様子を見た後、川辺に向かった。
川辺では、紙職人の崎部らが集めた人足たちが、大鍋で切り揃えた細長い木をぐつぐつと煮たり、冷たい川の中で木の繊維を晒したりしている。
「おう、鶴様」
「お疲れ様、お仕事は順調?」
「悪くないですぜ、こっちの川は格別冷たいですな」
仮設小屋の中で焚火にあたっていた崎部がにやりと笑った。さっきまで川の中に入っていたのか、唇が青いが心なしか生き生きすらしている。
彼らは紙を作っていた。
紙は木の繊維から作られる、育てた楮を煮上げて冷水に晒し、繊維を取って汚れを取り、紙漉きして紙を作っていく。とにかく寒くて凍える、体にも堪える仕事だ。
「木の育ちが悪いんでどうしようかと思ったが、鶴様が調達してきてくれたおかげでそこそこの量は作れそうだ」
崎部は笑った。対するこちらは渋い顔だ。
「寒い地方だと育ちが悪いなぁ」
楮は一年で育つというが、北国では育ちが悪く、育つまでに二年ほどかかってしまい、今年はたいした量を作れなかった。
なので今年は楡喜三郎に楮の輸入を依頼した。なるべく量を作れる程度の楮を、南から持ってきてほしい、と依頼したのだ。
「あたしゃ人買いなんですがね」
とは楡のボヤキだ。
「まあ売れるモノなら売りますよ。楮なんて南に行けば自生してますしね。懇意のご領主様がおりますんで、そちらから貰ってきますよ」
なので紙代も少々割高だ。
「もう二・三カ所くらいは楮と三椏の植樹場所を作って、なるべく多く採れるようにしよう。崎部殿の稼ぎが少なくちゃ意味が無いからね」
ああもう、楮や三椏も保温折衷苗代で育てられればいいのに。いや、温室ハウス栽培とかできればいいんだろうけど、温室ハウスなんてこの時代に出来るわけがないし、出来るならそもそも保温折衷苗代なんてやらなくてもいい。苗代を温室で育てればそれで済む。
「まあ、稼ぎの意味で言えば悪くないけどな。言っちゃなんだが、こっちは多少物が悪くて少々高くてもバンバン売れるしな」
北奥羽地域は、紙が不足している。生産者が少なく、需要が供給を常に上回っている状態なのだ。だから紙を作りさえすればよく売れる。
油紙を彼から一括で買い取っているが、残る分は普通に商売に回してもらっているので、それで今の所、今年の収支は黒字になりそう、だそうだ。
「胡坐をかいて質の悪いものを売らないようにね」
「分かってる、手は抜かねえさ。仮にも領主様が直々に卸してるものが質悪いなんて言われたら俺の首が飛んじまうだろ」
崎部は肩をすくめた。
この土地に連れてきて申し訳ない所だけど、生産が南部領内に広がったら、生産の本拠を移動してもらった方がいいかもしれない。ただ南部領だと一番南端の不来方(後の盛岡があるあたり)でも気候はこっち(津軽)とあまり変わらないというし。
だが、まずはこの事業が軌道に乗るまではこちらで育ててもらうほかない。彼らは必要不可欠なのだ。
「崎部殿」
「お、おう、なんだ改まって……」
「植物の育ちが悪い以上、苦労をかけると思うけど、俺がきっと崎部殿を奥国一の紙屋にするから、今は少々耐えてほしい」
「なんかすごい熱意だな」
いきなりの態度に、崎部は困惑したように頷いた。
永禄四年(一五六一)二月二十日
二月の後半からは、とにかく準備におおわらわだ。
まずは保温折衷苗代のやり方を希望者に見せる必要がある。催芽の手順から油紙の張り方、管理の方法など、必要最小限でも教える事はたくさんある。これに塩水選や温湯消毒なども含めて、石川領内で数カ所、作期に間に合うように開催し、技術と資材を持ち帰って実地で実施してもらう。
自分の水田の方は兵六と利助に頼んでいるが、水田でやり方を直接見せる予定なので、早めに植えないといけないので押しての作業ばかりだ。
「ねえ鶴様、こんな感じでいい?」
持っていく資材の準備の合間、ヨシは持ってきた紙束を見せてきた。
紙には、今回教える手順が絵付きで書かれている。いわば説明書だ。
手順ひとつにつき絵が一つ、その横には鶴が書いた解説が書かれている。
「うん、ヨシ、上出来だよ。これなら配れそうだ」
絵は達筆、と言っていい。それぞれの行程をしっかりととらえ、後はこちらが細かい解説を加えられるよう、余白も考えて作られている。
もともと下絵だけ鶴が書いて、それをもとに描かれたものだけれども、それを全然上回るほどの出来だ。
――ここ一年で、ヨシの意外な才能が見つかった。
俊加によって字を教わり、また鶴から稲の絵を描くように指示されてから、彼女は絵の才を見せるようになった。
細い筆で書かれたその絵は写実的で、ものの特徴をしっかりとらえている。他の者たちも感心するほどの上手だった。
これなら、説明書が作れる――まず思いついたのがそれだった。
文字だけだと、この時代では普及という面では限界がある。ヨシの絵があれば、さらに説明を簡易にすることが出来る。
説明書を何十枚も書いてもらうのは大変だったはずだが、その辺もあまり苦にしていないのも、良い傾向だと思う。
紙は貴重品だ。紙に自分の絵を描くことは、この時代ではそこそこハードルが高くプレッシャーを感じる娯楽なのだ。
だがヨシはその点、物おじすることなく紙に筆を滑らせた。楽しみさすら見出している。この気負いのなさが、絵の上達に結びついている気がする。
うちは崎部から紙を多少とももらえる環境だから、というのもあるのだが、彼女自身、紙の値段を意識していないわけではなく、描く楽しさが勝っている、という感じだ。
「ありがとうヨシ、これで誰にでもやり方を説明できる」
「よかったです」
ヨシがはにかむ。買った時と比べて、彼女はよく笑うようになったし、健康的になった。その事にほっとする。
説明書を受け取ると、細かな説明を書き足していく。これも来年は大量生産できるようになるといいなぁ。出来れば農家の間で書き写して広めてもらうのが一番いい。
最後に出来の良い一枚だけ抜き出し、署名する。
『永禄四年二月二十日
画 石川女中 ヨシ
石川鶴』
これを原本として残しておく。
これから保温折衷苗代が普及するようになったら、この説明書きが各地で写されることを想定しているのだ。
写されていく過程で内容が書き換わる可能性はある。それを〝ある程度〟防ぐためのものだ。
ある程度、というのは、土地によってはこの紙に書かれた内容を変えたり書き足したりした方がいい場合だって出てくるだろうからだ。自分だってこれが完成形だとは思っていない。あくまで現時点での原文というわけだ。
これは自分の保管用の箱にしまっておく。
さて、またこれから稲作の季節だ。




