第21話 火薬床
永禄三年(一五六〇)十月二十五日
「親父殿、火薬工場の概要が出来た」
「おう、待っていたぞ」
その日、俺が書付を持って執務室にいくと、本当に待っていたとばかりに高信は書付を奪い取りじっくりと見た。
「随分と大きいな」
「本当はもっと建屋を大きくしたいくらいなんだけど、大工と相談してこんな感じになった」
縦十二間×横七間(21.84m×12.74m)ほどの、ただ柱を立てて屋根を張っただけの建物だ。壁は無いが、仕切りとなる土壁はあり、風雨が強い時には雨戸を張れるようにしてある。屋根は茅葺きで、漏水が無いようになっている。
床には少し高めのすのこを張るつもりだ。かなりそっけない建築物だが、水が浸入しないように周りに排水溝を設けている。
「随分と簡素なんだな」
「あまり手間がかかる建物だと銭もかかるしね。まずは雨水がかからず、湿気ないようにすればいいからこれで十分なんだ」
雨がかかると培養土から成分が水に溶けてしまうので、雨水対策だけはしっかりやらないといけない。
「ここに牛馬の糞や土を積み上げて熟させる。今は一棟だけど、いずれは幾つもの建物を建てるつもりだ」
「酷い臭いになりそうだな」
「壁を設けてないのは臭い対策っていうのもある。で、定期的に尿を混ぜて火薬床を成長させるんだけど、直接尿を振りかけると酷い臭いになるから、これも少し離れた場所に簡易な屋根をかけた所で土と混ぜる場所を作って、臭いが無くなったらこっちに持ってきて混ぜ合わせる」
「火薬のためとはいえ、不浄なものをこんな風に使う事になるとはな」
「完全に熟して堆肥になれば臭わなくなるよ」
最初はかなりきつい臭いだが、牛糞や馬糞は完全に熟せばそれは土とほとんど変わることがない。
「極論だけど、その辺の土だって時間をかけて落ち葉や木々や動物の死骸や糞が腐れて出来たものだ。不浄なものが時間をかけてこなれたものだ。俺はそれを少し巻きでやるだけだ」
そう言うと、高信はなぜか「ほーっ」と感心したような声を出した。なんだよ。
「まるで修験の聖の様な事を言うではないか」
「聖が言うのかは知らないが、事実としてそうなんだから。しばらくは石川城の厩で出た馬糞なんかも雨にあたらない所にためておいてほしい。建屋が完成したらすぐにこちらに貯めて発酵を進めさせよう」
正直、かなりきつい仕事になるので、待遇をしっかりとしたうえでやりたいと手を上げる者に請け負わせるつもりだ。できるだけ負担が軽減されるようにはしたいが。
「ん? この炉はなんだ?」
高信は、建屋の外、少し離れた場所に描かれた炉に目を向けた。
炉、つまりは窯だ。図面自体は窯師に頼んで書いてもらったものだ。
「ここで少し焼きたいものがあるんだ。これは建屋に先んじて作っておきたい」
別にここでなくてもいいのだけれども、建屋の側に作っておいた方が楽でいいのだ。
「床は糞の汚れが浸透しないようにしないといけない。放っておけば地下水にも影響出かねないしね」
場所はちゃんと選ぶつもりだが、糞が積み上がれば土壌が汚染される。それは出来るだけ避けたい。
「火薬作りってのは厄介なんだなぁ」
感心したように高信はうんうんと頷いていた。
「でだ、親父殿。この建物を作るために、手紙を出してほしいんだ」
「手紙? 誰に手紙を出すんだ?」
「八戸殿だ」
唐突に出てきた名前に、高信は眉をひそめた。
八戸殿――つまりは南部糠部の八戸地方を治める南部氏の親類一家・八戸根城南部氏のことだ。高信とは通り一辺倒の付き合いしかないらしいので困惑しただろう。
実のところを言えば、津軽地方にも八戸氏の一族が一角に勢力を持っているのだが、そちらの方との付き合いも深いわけではない。
なのでこの案件に関しては少し悩んだ。この資源は、場所は分かっていても他領が関わるものだ。悶着が起こる可能性もある。けれども、確実に欲しい資源でもあるのだ。
「はい、八戸で掘り出して買ってきてもらいたいものがあるんだ」
「掘り出して買ってきてもらいたいもの? なんだそりゃ?」
「はい、かの八戸様の菩提寺・松館の大慈寺の裏手の山で取れる、白土が欲しいんだ」
白土――すなわち石灰岩だ。
「白土、だぁ?」
「ええ、白土――石灰は、今回の火薬を作るにあたって必要不可欠なんです。もちろん畑にも使いますし」
石灰は農業資材としての肥料として使えるのはもちろん、建材にも使えるし、火薬製造にも実はかなり欲しい。非常に使い出がある資材だ。
そして八戸の松館――八戸氏の菩提寺・大慈寺がある場所の、南側の丘陵は、〝現代〟においては日本では珍しい露天掘りの石灰鉱山として稼働している。
大慈寺と鉱山を経営する会社もかなり近距離にあるのは、行った人なら結構知っていたりする。
「どっから聞いたんだその話?」
「ものの噂です」
高信の問いかけにはスルースルー。
「ふん……火薬作りにどういう役割を果たすんだ?」
「これを混ぜる事で硝石の結晶を晶出させやすくすることが出来るんです。あと、さっきの窯にも関係してくる。これで石灰を焼いて、床作りをするんです」
「さっき言った汚れが染みこまないための施工か?」
「はい、火薬を作るために糞を積み上げるわけですが、ただ地面に糞を積み上げただけでは土に糞が染みこんでしまい土壌にも悪いですし、水脈があれば地下水にも影響してしまいます。それを防ぐために、床をしっかり作らないといけないのです」
そうだ、と俺は親父殿に断って自分の部屋に戻り、それを持ってくる。
それはお椀に入る程度の、何の変哲もない石灰岩だ。
これに水をかける。
「おおっ」
そうすると白い煙を上げて石灰は砕け始める。
「なんだこりゃ」
「石灰を焼いて水をかけると、こんな風に反応を起こして石灰が砕ける。消石灰、って言うんだ」
砕けた石灰を棒でさらに水で練ると、ペースト状になる。
「それにあらかじめ用意していた河原で採ってきた綺麗めな砂と砂利と火山灰土、さらににがりを混ぜ合わせる。これが時間を経ると、石のように固まって水を通しにくい良い床地になる。この消石灰がいわば接着剤になるんだ。あ、素手で触ったら駄目だよ。手が荒れるし、目に入ったら失明する」
いわゆる石灰モルタルだ。農家をやっていると水路修理でよくセメントを取り扱ったりするので、結構なじみ深い資材だったりする。
本当はコンクリート――というかいわゆるポルトランドセメントも作りたいのだけれども、この時代の炉の火力だと多分無理なんだよなぁ。炉の温度が低くて、セメントの材料となるクリンカーが作れない。
さて、こうしてできたセメントを持って建屋の床に塗りつけ、あらかじめ小石を敷き詰めた床に、上から目地を埋めるように厚めに塗り、叩いては締めてを繰り返す。三和土というやつだ。
固まるのに時間がかかるので大変なのだけれども、糞尿が地面に染み込まないようにするためには不可欠だ。ついでに言えば石灰の使い方や混合を試すためにやっているという面もある。
「固まるまでにしばらくかかるけど、春先には固まっているだろうから、その後この床に糞尿を運び込む」
麦わらを混ぜた人糞・牛糞、尿を混ぜた土などを混ぜ込む。そうすると発酵熱を発して糞が熟していく。後は時々尿土、それから石灰も混ぜ、何日かに一度切り返し(かき混ぜ)しながら熟成させていく。
熟し切ったら、出来上がった土に水を入れて硝石の混じった水を採り、煮込むと硝石が確保できる。硝石生産の重要な方法だ。
「硝石を抽出できるようになるまで、多分一年くらいだ」
「気が長い話だな」
「米作りと同じだよ」
「作れる硝石の量は?」
「生成された栄養分によるけど、作った土の重量の二分くらいになるはず」
牛糞堆肥に含まれる硝石分はもう少し多かったはずだけれども、抽出できるのはその位だったはず。
「土千貫から二十貫分の火薬が手に入るか……これが上手くいったら鉄砲も玉薬をあまり気にせず使えるようになるな」
高信は破顔する。
「鉄砲は、良い武器なんだが、玉薬に費えがかかっていかん。よそから買わねば準備が出来んかったものが不必要になるならありがたいことだ」
高信の悩みは切実だった。
鉄砲はこの時期、奥羽にも普及し始めている。特に安東氏をはじめとする日本海航路にアクセスできる出羽の領主たちは、既に数を揃えて小規模ながら鉄砲隊を編成できる所まで進んでいる。南部も各種ルートから鉄砲の輸入を進めているが、玉薬の確保も含めて、まだ遅々として進んでいない。正直、鉄砲配備については出遅れているのが現状だ。
鉄砲もまた、様々なインフラ整備の上に成り立つ武器だ。その懸案の一つが、解決するかもしれない。
そして、実のところを言えば、この玉薬製造には別の意味も込めていた。
もしこの後、平和な時代になって火薬が不必要になっても、肥料を生産することで生業を維持し、ひいては地域に貢献できるように、玉薬の工場を増やし、良質な堆肥を供給できる環境を整える。そうすれば、最終的に農業生産の向上に資する――と思ったのだ。
戦国時代なので、軍備を揃えていかなければならないのは仕方ない。ここで作られた火薬によって、多くの人が死ぬだろう。
俺の作った火薬で死ぬのだ。
いずれ肥料工場に――というのも、自分をごまかす言い訳でしかないのは分かっている。でも、それが必要だと確信しているから親父殿に提案したのだ。
戦国時代が終わるまでこれから三十年。関ヶ原まで含めれば四十年ほど。それまで、絶対に生き残り、父と兄や家族を――そしてその基となる南部家をつつがなく生き残らせるのだ。
「いずれにせよ、承知した。これは早急に形にしたいから急ぎ手を付けよう。この規模なら様々な所に作れるだろうしな」
高信は力強くうなずいた後、眉を下げて難しそうな顔をする。
「しかし、八戸殿ねぇ……まあ分かった。直接の伝手は無くはないが、今回は取次の東殿に頼んだ方がいいだろう。頭越しにすると面倒だからな。ただ、まだ火薬のことは八戸には黙っておきたいし、どう名目をつけるか」
硝石の製造は言うなれば軍事機密に属する事柄だ。たとえ身内であっても簡単には知らせたくないのだろう。まだ実験段階の事であるし、しかも親類一家である八戸南部家は、高信が属する三戸南部家とは違う家だ。情報を漏らすのに躊躇しているのだろう。その辺、ちょっとした機微がある。
南部家は『南部氏』という同名一族を中心に結束する巨大な連合体だ。現在三戸という一家を盟主としているが、その他に(八戸を含む)親類一家と呼ばれる複数の家が独自の領域と家臣団を持っている。彼らはいわば三戸の潜在的なライバルだし、境目を巡って時々対立することもある。
なので、火薬製造などという機密はおいそれとは渡せないのだ。
その意味でも、他領にある資材を求めるのは気が進まなかったのだが、石灰は農業として手が出るほど欲しい資材なのだ。
「素直に肥料と建材として必要、って言えばいいと思いますよ。別に嘘ではないわけですし」
「そうするか。来年もちときな臭いからなぁ」
「……また何かあるんですか」
「ああ、まあ、少しな。相手方との話がまとまればそれに越したことではないのだが」
言葉を濁す高信。どうも機密に属する話のようなので、「わかりました」とだけ言って引き下がった。
「白土については家督にも話を通しておく。あまり話を広めたくないからな、人の手配もこちらでしておく。お前は必要な見積もりを出せ」
家督……?
「あの、家督って?」
「家督は家督だ。我らが当主・南部晴政だよ」
高信はにやりと笑う。
「火薬を作れるかもと話したら前のめりで興味を示していたぞ。あいつもずいぶんと悩んでいたようだしな」
うわ……。
なんか大事になってきている。貴重な軍需物資が手に入るとなればそういう話にもなるのは仕方ないだろうけど、農業の方で評価されたい、というのが偽らざる気持ちだ。
いや、それが将来に繋がると思えば、今はとにかく色んな実績を上げていかねば、




